「自然農法」について

B-5、堆肥について

                                                                  「堆肥は肥料じゃない」

 (前略)佐渡で三十人位で座談会をやつたんですが、一人も減収しないで、最初から少しづつ増収になつてますね。一番良いのは八俵一斗とかです。大抵一、二年。三年位が多かつたですね。それで、勿論品質も非常に良くつて大分評判になつたそうですがね。唯面白い事は、私の言う通りにやつたんです。よく方々で自然農法をやつても、今迄の習慣や、色んな事情によつて、私の言う通りにやる人は少ないですよね。どうも――余り違うので、信じられないんですね。処が佐渡丈は、私の言う通りやつた。と言うのは何かと言うと、堆肥に重きを置かなかつた。ですから、水田に藁を細かく切つてそれを混ぜた丈なんですね。で、中には幾らか堆肥を水田にやつた人もあるけれども、成績が悪いんです。で、水田に堆肥をやらない程成績が良いんです。堆肥を水田にやれと、私は書いてありませんよ。堆肥は畑に、藁は水田にと書いてありますからね。佐渡は今年から、無論堆肥もやらなければ、藁もやらない。土丈でやる事が、一番成績が良い様に思われる。と言う事がありましたが、之が本当なんです。本当は何にも要らないんです。(中略)
それから畑に堆肥をやるにも、土を固めないとか、或いは乾かない為にやる。肥料じやないというのですから、之も適宜そういつた様な意味でやれば良いんです。私は一頃注意したんですが、此頃はそうでもないですが、堆肥に肥料があると思つて、無暗に堆肥を使つたですね。
  自然農法は、何処迄も土ですね。土そのものを生かすんですからね。で、大分各地で解りかけて来た様で、未信者の方でも関心を持つて、中には試作を始めた人もある様ですがね。(中略)化学肥料は余りやらない方が良いと言う事を(中略)今年等は大分信者の方でも解つて来た人が多くなつて来たので、非常な成績だろうと思います。   (御教え集9号  昭和27年4月17日)


     「堆肥の効能」

(前略)何故堆肥をやるかというと、土地によって固まりやすい土があるのです。これは赤土系統が多いのです。それで土が固まるのがいけないので固まらせない様にするためと、稲などは温かい所はそうでもないが、東北の様な寒冷地の所は、土を温めるほど良いから、そのために藁を切ってやるのです。ところが私は随分書いているのですが、粗く切り過ぎていけないのです。五分や一寸くらいに切っては粗過ぎていけないのです。それに稲の根伸びの時に妨害になりますから、一分か二分に切る方がいいのです。ただしこれも、その土地によっては、非常に水が氾濫したりするのは浮いて流れるから、これも困るのです。そういうのは三分か五分にしてもいいです。それから、土に混ぜてなるべく浮かない様にしなければならないのです。上っ側の方でなく、芯の方に深く藁を混ぜた方がいいです。(後略)
                        (御教え集19号  昭和28年2月7日)

     「堆肥とは・・・」

    「藁を堆肥にする場合、土と草と藁を交互に置き、下肥とか風呂の水を使いますが、そう言うのをかけないで腐らせた方は――」
  それが堆肥ですよ。クソをぶつかけるのは堆肥じやないですよ。だから、田舎の人はクソをぶつかけるのが堆肥と思つている。どうも良く出来ないと言うのを聞いてみると、クソをぶつかけている。だから、出来る丈清浄にとあるでしよう。馬のクソとかやるが、何もやらない――純粋のだと、とても良い。考えがあべこべなんです。肥料迷信ですね。クソをぶつかけたり――色々しなければ、物が出来ない様な――そんな下らない土ですね。そんなつまらない土に、神様が作る訳がない。薬を入れる方が丈夫と言う様なね。大変な迷信です。全然、頭がひつくり返つている。切変えどころじやない。よく、堆肥は何貫目入れたとか言つて――堆肥が肥料になつて、それで良く出来ると思つているが、あれが大変なものです。土を大変に軽く見ている。土を軽蔑するんですよ。神様が作つたものだから――人間の分際で、神様を軽蔑する様なもので、神様に対する反逆です。神様が作つたものは尊ばなければ――感謝しなければね。
                           (御垂示録5号  昭和26年12月6日)

     「肥毒と堆肥の関係」

  (前略)それでおかしく思うのは、信者の人で未だ肥毒に気が付かない人が今までに相当あったようですが、今年からはみんな目が覚めるだろうと思います。古い信者はそういう事はありませんが、新しい信者などは“病気はなるほど明主様の仰言るとおりだ。しかし肥料の方は、オレ達が先祖代々やっているので、明主様は百姓の経験はないし、どうもそこまでは”というように思っている人が大分あったらしいです。私は知ってましたが、やっぱり時期が来ないといけないと思っていたのですが、やっと時期が来たのです。そういう人達が他の百姓に対して説明しても、それは駄目です。自分が本当になってないから説明に力がありません。それから又肥料はやらないと言いながら、肥料に似たような物をやっているのです。大体堆肥ですが、私は最初は「無肥料栽培」でやったのです。堆肥もいけないのです。ところが全然無肥料でやっては法規に違反するというのです。それは進駐軍の方なのです。それで投書か訴えをした者がいたのです。やっぱりアメリカ人も、全然肥料無しだったら米はとれなくなる、そういう宗教は禁止するという事なので、これは何んとかしなければならないというので、名前を「自然栽培」としたのです。ですから前には無肥料栽培と言っていたのです。そういうわけで堆肥はやってよいという事になったのです。それは金肥人肥よりはずっと被害が少ないです。しかし今日になればもう本当の事をやらなければならないので、去年あたりからは堆肥もいけないという事を言うようになったので、本当はいけないのです。しかし赤土系の土は固まるから、それではいけないので固まらせないために最初の二、三年でよいから堆肥をよく腐らして混ぜるというそれでよいのです。しかし肥料迷信にかかっているから堆肥を肥料と思ってウンとやったので失敗した人が今までにもあります。そういうわけでだんだん分っては来ました。(後略)
                            (御教え集27号  昭和28年10月26日)

     「堆肥の使い方とその効果」

  (前略)そうして自然肥料実施に就て説明してみると、稲作に対しては稲藁を出来るだけ細かく切り、それをよく土に捏ね混ぜるので、之は土を温める為である。又畑土の方は枯葉や枯草の葉筋が、軟かくなる位を限度として腐蝕させ、それを土によく混ぜるのである。此理由は土が固まっていると植物は根伸びの場合、尖根がつかえて伸びが悪いから、固まらないようにするのである。それに就て、近来よく言われる根に空気を入れるといいとしているが、之は空気が根にいい訳ではない。只空気が根元に入る位であれば、土が固まっていないからである。之なども農学者の解釈は誤っている。
  故に、理想からいえば浅根の作物は畑土に、草葉の堆肥を混ぜるだけでいいが深根のものは特に畑土一尺位下方に木の葉の堆肥の床を作るといい。之は土が温まるからである。但し其厚さは、深根といっても色々種類があるから、それに応じた厚さにすればいいのである。世人は堆肥にも肥料分があるように思うが、そんな事はない。堆肥の効果は、土を固めない為と、土を温める為と、今一つは作物の根際に土乾きがする場合、堆肥を相当敷いておくと、湿り気が保つから乾きを防ぎ得るという、以上三つが堆肥の効果である。(後略)
                       (「土の偉力」自解  昭和26年1月15日)
(「堆肥の効果」革自  昭和28年5月5日類似)

     「堆肥の使い方」

(前略)それからもう一つは、土が天日で乾きますが、日当りの良い所は土が乾きますから、土の湿気を保たせるために堆肥をやりますが、これは木の葉でも何でも、湿気を保たせる目的でやるのですから、腐らせなくてもよいのです。果樹などは特によいです。水分を保たせるために落葉を厚くやりますが、それはよいです。堆肥というのはただそれだけのものです。それから堆肥は、大根、人参、牛蒡といった根の物には、土を温めるために、少なくとも一尺か二尺くらいの下に、木の葉がよいですが、一尺くらいの床を作るのです。そうすると其処から温みが始終ありますから非常によいです。大根などは、どんなに太く長くなるか分りません。(後略)
                         (御教え集25号  昭和28年8月27日)


  (前略)次に堆肥の使用法とその原理に就て説明してみよう。
  無肥料栽培に於て必要なものとしては堆肥であるが堆肥にも草葉と木の葉と二種あり草葉は土に混ぜるのに適し、木の葉は床を作るのに適している、これについて無肥料栽培の効果とその原理をかいてみよう。(中略)
    (「農業の大革命  清潔で心から楽しめる  家庭菜園の無肥料栽培」光3号  昭和24年3月30日)


     「天然堆肥の利用」

  (前略)そうして前述の如く金肥及び人肥は必要としないが、天然堆肥は大いに利用する必要がある。それに就て述べてみよう。凡ゆる植物を成育さす場合最も肝腎な事は、根の末端である。毛細根の伸びを良くする事であって、それには土を固めないようにすることである。堆肥はあまり腐らせ過ぎると固まり易くなるから半腐れ位がいゝ。草葉の堆肥は早く腐触するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから長期に渉って充分腐触させるべきである。その訳は前述の如く根の尖端が堆肥の葉筋に当り妨害されるからである。近来根に空気を与えるのを良いとしてゐるが、之は一寸的外れである。何となれば空気が流通する位の土であれば根伸びが良いからで、実は空気は関係がないのである。(後略) 
                        (「無肥料栽培」自叢二  昭和24年7月1日)

         「堆肥を自然肥料として使う」

  ここで注意したい事は吾等が曰ふ「無肥料栽培」という言葉は実をいうとピッタリしないのである、何となれば堆肥を用いるのだから無肥料ではない、自然肥料というのが本当である、即ち人造肥料をやめて自然肥料にする事である。
  最後に今一つ言いたい事は、わが無肥料栽培は宗教宣伝に利用するのではない、それは全く信仰を抜きにしても堆肥又は藁を施すのみで五割増収は確実であるから、農民諸君は一日も早く実行されたい事である、勿論それに信仰が加はるとすれば、五割以上の増収は易々たるものである。   (「無肥料栽培の勝利  悩みの食糧問題一挙に解決せん」光39号  昭和24年12月10日)


     「堆肥に囚われ過ぎるな」

  (前略)それから、先にこういう人があつた。之は新聞にも出てますが、堆肥が良いと思つて水田に迄堆肥をうんと入れて、失敗ではないけれども、前年より減つた――減収したという例がありましたがね。ああいう工合にどうも堆肥に囚われ過ぎるんですね。囚われるという事は、土の威力を無視することになるのです。ですから今度は何にも――堆肥も要らないんです。それから浄霊の必要もないんですよ。唯、浄霊するという訳は、肥毒を減らす効果があるんです。それですから、肥料のある間は浄霊は結構ですが、五、六年も経てば肥毒は無くなりますから、そうすれば浄霊しなくても良いんです。そういう風に考えていれば間違ないです。(後略)
                         (御教え集9号  昭和27年4月26日)

     「堆肥迷信に陥っている」

  (前略)自然農法も各地に大分反響を起こして、その土地の有力者だとか、或いは役人という連中が相当に研究をし始めたような話を聞きます。それで稲の方は大分顕著な報告を聞きますが、畑作の方はあんまり聞かないのです。多少はありますが、もっと素晴らしい成績が現われなければならないのです。現われないということは、これを一言でいうと堆肥迷信が大いに災(ワザワイ)しているのです。金肥や人肥ではないが、堆肥迷信になっています。どうも肥料という事の迷信が未だ本当に取り切れないのです。だから堆肥などで騒ぐ人がやっぱりまだ大分あります。ところが本当は堆肥もいけないのです。堆肥なしの土ばかりがよいのです。堆肥が土を邪魔するのです。前にも書いたとおり、土というものが肥料の固まりなのです。それで堆肥をやると、土の肥料がそれだけ減るのです。それを、堆肥からも肥料がとれるように逆に考えているのです。ただ堆肥というのは、固まり易い土が固まらないようにするために混ぜるのですが、そのためにはできるだけ腐らせて、葉の繊維などが無いようにしなければならないのです。それで根が伸びる場合に、柔らかければ伸びますが、ちょっとでも固いものがあったら伸びません。堆肥は固まらせないためのものですから、その必要がなければ、土が肥料なのですから、やらない方がよいのです。そういうところが、何でも反対になってます。(後略)
                         (御教え集25号  昭和28年8月27日)

    「堆肥迷信を減らす」

それからもう一つはこういう点があったのです。前には「無肥料」という名称をつけましたが、そうすると進駐軍の方で、一つの規則のようなものがあったのです。作物は肥料をやれという事があるのだそうです。そこで無肥料というと、それに引掛るというので「自然栽培」という名前にしたのです。ですからそれまでは無肥料と言っていたのです。それで大分そういう事を邪魔しようとして進駐軍に投書したりするのがあるのです。本当言うと「無肥料」ですから、堆肥も何もやらないのがよいのです。それでこそ本当に土の活動力が増すわけです。それからもう一つは、無肥料と言うと誤解をするのです。というのは頭から全然肥料をやらなくて出来るものかと言うのです。今の自然栽培でも随分反対する百姓もありますが、自然栽培と言うときこえが良いからやっているのです。ですからやっぱり自然栽培でよいのですが、堆肥迷信を減らすという事です。(後略)          (御教え集26号  昭和28年9月17日)


   「肥料迷信、堆肥迷信」

  自然農法については、まだ信者の人の中に迷信があるようです。それは堆肥迷信です。何時も言うとおり堆肥には肥料という意味はないのです。ところがやっぱり肥料迷信が根強く入っているために、堆肥も肥料のように思ってやり過ぎるのです。
ですから堆肥をやると、それだけ根伸びの邪魔をしますから成績が悪いのです。本当言うと何もやらない方がよいのです。土ばかりがよいのです。そうすると一番よく出来ます。ただ、ごく寒い寒冷地では温めるために使うという意味と、乾く土地の場合に乾かないように堆肥を厚くしておくとよいです。そうすると湿り気があるから乾き気を防ぐという事になります。新しい土などは非常に固まり易いのがあります。特に赤土がそうですが、土が固まるといけないから、固まらせないために堆肥をやるのです。その場合には堆肥を非常によく腐らした方がよいです。あらかた土に変化したくらいに柔らかくして、それを混ぜるのです。大体堆肥はそれだけの必要からやるのです。ですから飽(ア)くまで土を生かすという事を考えるのです。(後略)
                            (御教え集26号  昭和28年9月25日)

     「堆肥迷信を抜く----堆肥の使い方」

  (前略)自然農法の事で、堆肥迷信が大分あるのです。どうも土ばかりでは気が済まないで、何か肥料というものが頭の底に残っているのです。どうも堆肥という物に、そういう考えがはいるのです。ところが実は堆肥も本当はいけないので、土ばかりがよいのです。以前にも書いてあるとおり、土が肥料だから、土を邪魔するものはみんないけないのです。堆肥も土を邪魔するからいけないのです。ではどうして堆肥を使うかと言うと、土が固まると根伸びが悪くなるから、固まらせないために堆肥を用いるというわけです。その場合にも堆肥はできるだけ腐蝕させて繊維(センイ)の無いようにしなければならないので、半分土に化したくらいの物がよいのです。ところが葉の筋があるのや、落葉でもまだ相当固いのを使いますが、そこで畑作での相当よい成績の報告がないのはそのためです。ですから若し土の固まらない所では〈それは古い土は固まらないから〉堆肥もやらない方がよいです。若しやるとすれば、大根、牛蒡、人参という根の物には、一尺以上の下に、これはそう腐蝕しない落葉や草でもよいですから、それを床にするのです。そうすると非常に温まるので成績がよいです。そういうように堆肥を使えばよいのです。あとは土に混ぜるのですが、土に混ぜる場合にはできるだけ腐蝕させるのです。それからもう一つは乾く土地がありますが、これは天日に当てると乾きます。そこで堆肥を敷くと水分を保つから、雨なども乾かないで止まっているから、そういうためには結構です。果樹などの根の際(キワ)には堆肥を大いにやった方がよいです。これは水分が長持ちします。それは乾かさないためです。そういう工合に、堆肥もよく考えて適当にするようにすれば結構なのです。それを堆肥が肥料のように思って、何でも彼んでも堆肥さえ使えばよいと思っている事が間違っています。(後略)       (御教え集25号  昭和28年8月26日)


     「堆肥迷信・・・堆肥も不要」

(前略)ところで信者の人の中にも未だ肥料迷信から抜けられない人が大分あります。それで無肥料だ無肥料だと言いながら、外の物を使いたがったり、それから又堆肥に頼るのが非常に多いのです。ですから今書いているのは「堆肥迷信」というのですが、堆肥迷信もやはり一つの迷信です。だから本当は堆肥もやらないで、土ばかりがよいのです。ただ新しい土などの固まり易い土を固まらせないために、堆肥をごく腐らして土同様になった物を混ぜるということと、果樹などの、根元の土が乾きやすいのには、そういうのを防ぐために、腐らせなくてよいから生(ナマ)の堆肥を沢山やると、雨が降った時には根元に湿気を含んで乾かないために、それが有利なわけです。ですから果樹などにはそういった意味で堆肥をやると非常によく出来ます。堆肥というのはそれだけの意味です。古い土などは、そのままで堆肥も何もやらない方がよいです。それから前にも書いたとおり、ごく寒冷地は、根があんまり冷えては悪いから、そこで温めるために藁を土とねり混ぜて、根の底の方に入れて、根を冷やさないというだけのためであって、外には何もありません。そういうようなわけで、堆肥迷信も分らせなければいけないわけです。近頃は大分それが分って来たようで、土に重きをおくようになりつつあります。(後略)                       (御教え集27号  昭和28年10月5日)


     「連作と堆肥について」

(前略)それで今まであんまり言わなかったが、連作ですが、百姓は昔から連作はいけないと言う。ところが一番の連作は稲です。これに気がつかなかったのです。若し連作がいけないものなら米はだんだんとれなくならなければならないのです。それから以前私は米と麦との連作はいけないと言ったが、これもそうです。土に稲を育てるような性能が出て来ると、今度は麦になるから、今度は麦を育てるような性能に変化して来る。そうするとどっちも駄目になるのです。それで土は、毎年同じ物を作っていると土にそれを育てるような性能が出て来るわけです。丁度米を作らない土は素人とすると、毎年稲を作ると、土の方が熟練工になって来るのです。それでだんだん良く出来るというわけで、その理窟を知らなければならないのです。ですから肥料ですが、例え堆肥でもやると、土が大いに熟練になるところを邪魔する事になるわけです。だから本当は堆肥もやらない方がよいのです。だから気候の暖かい所は堆肥、藁などもやらなくてよいという事を私は言いました。ところが長い間の肥料迷信のために、信者で作っている人でも、それに囚(トラ)われて堆肥を入れるのです。ですから畑でも堆肥をやらない方がよく出来るのです。ただ土が固まったり乾いたりする所は、そのために堆肥をやるのです。それもできるだけ腐って土みたいになった堆肥がよいのです。ところが堆肥という事に囚われて、木の葉でも未だ筋があるような物を何貫、何十貫やった、という事を言ってますが、これではわざわざ、金肥人肥ではなくして、一つの妨害をしているわけです。(後略)
                       (御教え集26号  昭和28年9月17日)

     「肥料と堆肥----生き物への影響」

  それから、今度私が論文かきますが、肥料ですね。之はアメリカの学者の説では、家畜ですね。肥料をやつた草を食わせると良く育たない。で、堆肥ですね。アメリカは堆肥に捉われてますからね。未だ本当に分つていない、八分通りしか。本当言うと堆肥に肥料はないんです。土を固まらない様にするんだから。兎に角堆肥だけで作つた野菜を家畜に食わせると非常に成績が良い。全然化学肥料をやらないで堆肥ばかりでやつて、多くの酪農農場を持つている人に認められた。そう言う事が行われて来た。処が肥料は――化学肥料と、昔からやる糞尿肥料ですね。処が、それが米なら米が吸うんですよ。吸つたなら人間の体に入つて来るんですよ。之が中々大きい。反つてアメリカの方で、そう言う風に唱え出して来た訳ですね。ですから、肥料の毒が人間の体に入ると言う事は非常に大きな事ですね。然し薬毒と違つて極く強烈なものじやない。ですから、それが為に非常に害すると言う程じやない。
然乍ら、幾分づつ――先祖代々ですからね――害をしている訳ですね。無肥料ですね――自然農法はそう言う点から言つても立派な意味があると言う事を心得ておくと良い。(後略)
                         (御教え集1号  昭和26年8月8日)

     「堆肥はいい」

    “農作物の無肥料耕作はどんな方法ですれば良いのでせうか。堆肥、下肥、鶏糞等はいけないでせうか。
“堆肥はいい。                                  (「自然農法」S23・10・26)


     「堆肥は必要」

    “無肥料耕作は堆肥を入れてよろしいですか。御力を受けた人が耕作すればよいですか。浄霊を何の程度まで続けたらよいですか。穫入れまで続けるべきですか。
“堆肥は非常に必要である。雑誌があるから読め。         (「堆肥」年代不明)