岡山支部9月度メシヤ講座

支部長:この太陽神2というのは非常に重要なことがたくさん散りばめられていまして、非常に濃くて良い内容だからしっかり学びなさいと神界から仰って頂いているので、そのくらいまとまって非常に良い内容なので今のメシヤ教に合っているということです。ですから何回も読んで頂いて、何を言わんとしているかという所を捉えていただければ非常にいいのかなと思います。
それでは1ページの空海と最澄の所から読み進めますね・・・

<今月の学び>
<空海と最澄>
 密教を語るには空海と最澄を語らなければなりません。空海は胎・金両部の伝授を受けて帰国します。そして、物質原理と精神原理の一元化を特色とした、東密と呼ばれる密教を確立しました。嵯峨天皇(52代)より東寺を下賜された弘法大師空海が、東寺を真言密教の根本道場とするために「教王護国寺」に名称を改めたのです。東密は東寺所伝の密教と言う意味で、真言宗系の密教です。それに対し、天台宗系の密教は台密(天台の台をとって)と呼ばれています。
台密は完成するのに少し時間がかかりました。最澄が中国に渡った主な目的は、天台教学を学ぶことにありました。密教関係は弟子の円仁と円珍によって深められ、さらに安然によって整えられ、台密は東密と並ぶ密教となりました。
空海と最澄は唐に同期留学で、最澄は官費で、空海は私費での留学ですから空海の父方と母方の裕福さが覗えます。僧は昔、知識階級であったと思われますが、空海は恵まれた境遇で僧を目指しますが南都奈良仏教に飽き足らず七年間修験道を学び、漢語、サンスクリット語にも通じる状態で密教を目指します。知識階級の中でも群を抜いていたでありましょう。最澄は一年足らずで帰国しますが、空海は二十年の修学期間で申請していますから、その費用は大変な額に登ったであろう事は想像できます。四叟仕立ての船団で空海は大使と同乗の第一船、最澄は第二船で残りの二船は嵐に遭い沈没。船団は上海を目指しますが最澄の船は無事に着いたのですが、空海の第一船は台湾の対岸福州長渓県赤岸鎮に漂着する
という命がけの渡唐でした。空海は二十年のつもりが二年で帰国し、支那滞在期間の短さで朝廷との背信行為となり、国禁を犯した罪に問われ九州に留め置かれます。桓武天皇(50代)の密教に対する関心の深さや最澄の入京の尽力などで数年で許され入京を果たすのでした。
密教を志すのに必須条件の洗礼が二つあります。
一つは、受明灌頂(じゅみょう かんじょう)といって、 修行して密教を深く学ぼうとする人に対して行われ、弟子としての資格を得る灌頂なので弟子灌頂ともいう。
今一つは仏と縁を結ぶ結縁灌頂(けちえん かんじょう)といわれるもので、
投華得仏(とうけ とくぶつ)といい、目隠しをして曼荼羅の上に華(はな)を投げ、華の落ちた所の仏と縁を結ぶところから結縁灌頂の名があるという。空海の投げた華は三度行い三度とも曼荼羅中央の本尊大日如来に落ち、師である恵果(えか)を驚嘆させます。そして密教は何年も師とマンツーマンで修業しても仲々阿闍梨(あじゃり・法を教授する師匠や僧侶のこと)にはなれないのを僅か三か月で恵果阿闍梨から正統密教の師位を受け、大日如来を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂(仏教での洗礼みたいなもので、五海の水を灌ぐ)名を与えられたというのですから、如何に空海が優秀であったかが判ります。二十年の予定が僅か三か月でクリア出来たのですから、驚嘆の一語に尽きます。
 この事に就ては面白い話が残っています。恵果の師匠は不空三蔵(空海の師の師)といって中国密教の大成者で(玄奘三蔵とは違う)臨終間際に「恵果よ、わしの命はもう絶える。そなたには金・胎両部の秘法を伝えたが、この密教は唐ではやがて滅ぶであろう。そこでわしは東の国へ密教を伝えたい。わしの命は東の国へと移りそなたと再びめぐり合い、そなたの弟子になるだろう。」と遺言というか預言をして亡くなります。故に恵果は空海を一目見るや否や「お前の来るのはかねてから予想していた」と言い、「空海は自分の師匠の不空の生まれ変わり」と判って僅か三ヶ月で印可を与え、自分の後継者である事を宣言したのでした。
その不空三蔵の入滅の日が6月15日で、その日に空海は生まれ、その日は、天照皇大神様と同じ誕生日であったというのですから、投華得仏といい、誕生日といい、遍照金剛(=大日如来)と言う灌頂名といい、如何に天照皇大神様と御縁が深いかが判ります。  
この空海の優秀、頭脳明晰を物語るエピソードとしてラジオ放送(武田鉄矢の三枚おろし)が忘れられません。たまたまそういう放送と出会うのですから神様から聞かされたみたいです。「渡唐での難破漂着時、大使がいくら役人に書面を以てしても海賊か怪しい者としか思われなくて相手にされなかったため、大使の依頼で空海が書面を書き提出したら、役人が余りの名文にびっくりし、都に送ったら『直ぐに船を回すから丁重に扱うように』との返事が来るほどであった」
というものでしたが、放送にはなかった後日譚があったのです。それは
「折角唐政府の迎えの船が来るというのに、乗船名簿に空海の名前が無いというのでさすがの空海も驚きどういう事かと問うと、役人が余りに優秀なので自分の部下として使うつもりであったという事が判り、それをまた相手を唸らせる程の名文でお断りし無事名簿登載に至る」というものでした。
「恵果は空海の言語の異能のほかに奇瑞を起す霊威的気質にも目を見張りながら、胎蔵界大日と金剛界大日それぞれの秘印と秘明を授けた」というのですから、もはや凡人の及ぶところではありません。そして恵果は全てを授けた後、出来るだけ早く帰国を促すので二年で帰国の途に就くのですが、その後の遣唐使は難破したりで結局唐との関係は空海の帰国を以て最後となり、恵果の進言は見事に当たったのでした。でないと難破で命を亡くすか、阿倍仲麻呂(超優秀な役人)と同じく大陸に残されたまま彼の地で生涯を閉じるしかなかったのです。もしかしたら大納言小豆の美味も伝わったかどうか、空海が支那から持ち帰った小豆が朝廷を始め広く行き渡ったのですから、恵果さんと空海さんには大感謝ですね

 不空三蔵は空海として生まれ変わり、30年後に遺言どおりに恵果の弟子になるために唐に遣って来ることになりました。そして唐における密教の巨人であった恵果は、空海に「私たちは過去世において何度も互いに師になり弟子になりしながら仏法を修めてきた。次回は私が日本に生まれてあなたの弟子になります」と語ったとされています。
 
さて、余りに空海の話が長くなり最澄が疎(おろそ)かになりましたが、最澄も真言密教は勉強されましたが、受明灌頂(じゅみょう かんじょう)といって、 修行して密教を深く学ぼうとする人に対して行われ、弟子としての資格を得る灌頂なので弟子灌頂どまりで、免許皆伝までは至りませんでした。
最澄(生誕:766年頃、死没:822年享年:56歳)、
空海(生誕:774年6月15日、 死没:835年4月22日享年:62歳)で最澄は空海より8年年長でありましたが、帰国して空海の弟子になりました。然し元々真言密教は師とマンツウマンで修業しなければならず、比叡山延暦寺に八万四千のお経を集め仏教の殿堂に籠らねばならず、自分の優秀な弟子を代わりに数人空海のもとにやり修行をさせて、弟子を介して自分が学べばよいと考えましたが、一番優秀な弟子が密教に心酔してしまい、最澄と袂(たもと)を分かってしまうのでした。
結局最澄にしてみれば、密教の経文があればそれを勉強すればよいとの思いが強く、密教は頑として口伝での修行を求めたのですから、それぞれの使命の相違がそういう状況を作ったと言ってもいいのでしょう。

<密教とそれまでの仏教の決定的違い その1>
抑々仏教は、バラモン教を摂取したヒンドゥー教の隆盛に対応するため、これ等と妥協し回生を図ろうとしたところに密教学は確立され、やがて大日如来を中心に釈尊の禁止した呪術(じゅじゅつ)や印喫、壇を設(しつらえ)る修法を取り入れバラモン教・ヒンドゥー教の諸神を多量に包摂したのでした。

それまでの仏教は釈迦如来(しゃかにょらい)を中心とした大乗仏教で、阿弥陀(あみだ)、薬師、弥勒(みろく)の諸如来が住むそれぞれの浄土世界、つまり彼岸(ひがん)にある聖なる理想の世界を表現する、いわゆる顕教でしたが、密教は現世において如来の境地に達しうるとする即身成仏の考え方にたっていました。

密教の密は秘密の意で、定められた儀軌(儀式と法規)に従って修法を行わなければならない。修法は他見を許さず、秘法秘儀とし、呪術(じゅじゅつ)的要素をもち、その世界は曼荼羅(まんだら)図で表現されます。壇を築き、法具を配し、儀軌に従って本来は土に本尊以下の諸尊を描いたが、日本では念ずる仏の姿を描いた画幅が掲げられました。このように密教の修法が諸尊の図像を不可欠としたところから造形美術の発達を促し、これに伴い仏像の種類が増大しました。

大日(だいにち)如来に帰一する諸尊の体系化が進められ、仏教以外の宗教の神々も積極的に取り入れられ、それぞれに異なった性格や力をもつ仏が、大衆の現世利益的な信仰にこたえました。
観心寺如意輪(にょいりん)観音坐像(ざぞう)にみられるように、雑密系の観音像にも及んでいます。さらに、大衆のさまざまな願いにこたえるために多面多臂(たひ)の像が生まれた。十一面・千手(せんじゅ)・准(じゅんてい)・不空羂索(ふくうけんじゃく)・如意輪の観音像、普賢(ふげん)・延命(えんめい)菩薩、孔雀(くじゃく)明王像などです。

曼荼羅とは密教美術に特有なもので、ものの本質、中心、宇宙、道場を表し、完全無欠な世界の象徴として描かれ、掛幅として道場の堂内にかけられた。
曼荼羅には、大日如来を中心に『理の世界を表す胎蔵界』(大日如来経)と、
円と方形を組み合わせて『智の世界を表す金剛界』(金剛頂経)の二系統があり、これを一対として両界(りょうがい)曼荼羅という。

<密教とそれまでの仏教の決定的違い その2>
渡唐同期で、国禁を犯した空海の帰京を早めた最澄の尽力を見ても、仲が良い二人がどうして別れてしまったのか、何故元に戻るに1200年もかかったのか、
その仲違いが決定的になるのは、最澄が弟子を通じて、「理趣釈経」(りしゅしゃくきょう)」の借覧(しゃくらん)をねんごろに申し入れたのに対して、空海が厳しい言葉を以て、それを断ったことにありました。

  なぜ、空海は、最澄の申し入れを断ったのでしょうか?

この「理趣釈経(りしゅしゃくきょう)」は、「理趣経(りしゅきょう)」の注釈書で、「理趣経」には、欲望を肯定する教えが書かれていて、曲解をすれば危険な方向に進みかねない教典でした。
それを、ただ文を読むだけで解釈してもらっては困るというのが、空海の言い分でした。

「それ秘蔵の興廃は唯(ただ)汝と我となり。汝、若し非法(正しい手続きを経ずに)にして受け、我、 若し非法にして伝えば、将来求法(ぐほう)の人何に由て求道の意を知ることを得む。非法の伝授せる、是(これ)を盗法と名(なず)く。即ち是れ仏をあざむくなり。又秘蔵の奥旨(おくし)は文の得ることを貴しとせず。唯(ただ)心を 以て心に伝ふるに在り。文は是れ糟粕(そうはく・残りかす)なり。文は是れ瓦礫(がれき)なり。糟粕瓦礫を愛すれば粋実至実(純粋な真実)を失ふ。真を棄てて偽を拾ふ。愚人の法なり。愚人の法に汝随(したが)ふ べからず、求むべからず」(高野山 超人空海の謎 百瀬明治 祥伝社より抜粋)

空海は、誤った思想が生まれて来るのを予想し、怖れていたといえるでしょう。
<理趣経とは>
性的な欲望を肯定する「理趣経」
異性のハートを射止める愛欲の矢、異性と抱擁すること、異性と離れがたいこと、異性に対して思いのままに奔放に振舞うこと、異性を見ること、異性との抱擁の喜び、異性に対する本能的欲望、異性との性交に満ち足りること、異性のために身を飾ること、異性と抱擁して満ち足りること、異性への本能的欲望によって目の前が明るくなることなどを意味している。
これは通り一遍の無機質な言い方ですけど、空海に言わせればこう成ります。
(『理趣経』第二段「覚証の法門」大日如来の巻:五つの根本の知のさとり)
と、この五つの根本の知がもたらす生の究極の喜び、

1、(五つの根本の知の自他無二平等をあらわす)性交の妙なる一体感は、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<妙適(びょうてき)清浄句是菩薩位>
2、愛欲のはやる思いも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<慾箭(よくせん)清浄句是菩薩位>
3、愛撫し合うのも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<觸(しょく)清浄句是菩薩位>
4、離れたくない愛の縛りも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<愛縛(あいはく)清浄句是菩提位>
5、その身のすべてを任せることも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<一切自在主(いっせいしさいしゅ)清浄句是菩提位>
6、愛おしく相手を見ることも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<見(けん)清浄句是菩提位>
7、交わりの心地好い悦びも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<適悦(てきえつ)清浄句是菩提位>
8、互いに恋い慕い合うことも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<愛(あい)清浄句是菩提位>
9、愛の誇り高ぶりも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<慢(まん)清浄句是菩提位>
10、その身を美しく飾ることも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<荘嚴(そうげん)清浄句是菩提位>
11、満ち足りて、心が愛情で一杯に潤うことも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
 <意滋澤(いしたく)清浄句是菩提>
12、満ち足りて、心が光り輝くことも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<光明(こうべい)清浄句是菩提位>
13、満ち足りて、充実した身体感覚も、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<身楽(しんらく)清浄句是菩提位>
14、美しさを愛でることも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<色(しょく)清浄句是菩提位>
15、心地好い声も、いのちのもつ無垢なる知の力の働きである。
<聲(せい)清浄句是菩提位>
16、芳しい香りも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<香(きょう)清浄句是菩提位>
17、甘美な味わいも、命のもつ無垢なる知の力の働きである。
<味(び)清浄句是菩提位>
    (『理趣経』初段「大楽の法門」金剛サッタの巻:十七の清浄なる生)

「要するにここでは、性の快楽というもの、あるいは性に対する欲望ということが全面的に肯定されている。なにしろ、そうしたものは清らかなものとされている訳だからである。
一般の仏教、それは顕教においてということになるが、性的な欲望や快楽の追求は煩悩としてとらえられ、否定すべきものと考えられている。だからこそ、僧侶は出家し、そうした欲望を断つ訳である。
ところが、『理趣経』は、性的な欲望を全面的に肯定している。それは、顕教(仏教の中で、秘密にせず明らかに説かれた教えのこと。密教の反対語)を否定し、さらには仏教の教えを真っ向から否定することにつながっていくのである。

※顕教は、お釈迦様が聞く人の能力に応じて、分かりやすい言葉で顕(あら)わに説いた教えです。それに対し密教は、真理そのものの現れとしての大日如来が、究極の教えを示したものです

密教は、この大乗をさらに超えた仏教であるとされる。金剛乗や真言乗という言い方をするのも、新しい乗り物であることを強調するためである」と。
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性的な欲望を真っ向から否定すれば、メシヤ様流に言えば人類滅亡に繋がる。また、人生で恋愛がなければ花の咲かないつまらん人生と言われる。メシヤ様は大日如来でも在られる訳ですから「儂はそのように人間を作ってはいない」と仰られる筈です。とすれば密教は御神意に叶う訳ですが、何事も程で、貪(むさぼ)らなければお釈迦様でもお許しになられたであろう事は勿論です。
この性に就ては暴走すれば大きな悲劇を生む事は万々承知する処で、そこで空海は師匠口伝を譲らなかったのです。実際にそういう裏教団の様なものが出来て、その内容は読むに耐えない程のグロテスクなもの、所謂淫祠邪教(いんしじゃきょう)に成り下がる危険性を孕んでいる訳で、非常に気を付けた訳です。
理趣経の「理」はことわりで「法であり、理性」を意味し、「趣」はおもむきで「感情」を意味しますから、理性と感情のバランスの取れた伊都能売でなければその恩恵を十分に享受できない事になります。何しろ両親が生んでくれたことに感謝しない子供は居ないでしょうし、子宝と言って、子供が出来て喜ばない親が居ないように結果が良ければ、その原因も悪い筈はない訳で、天照皇大神様の恩恵を取り入れた所に空海の天国行きが決まったのでしょう。

<真言密教と大祓祝詞の共通点>
 大日経をサッと眺めた時の直感に大祓い祝詞に似ている事を感じました。
大祓祝詞をお奏(あ)げするといきなり母が子を犯す罪とか、子が母を犯す罪などという穏やかでない語句が並んでびっくりさせます。解釈はいろいろあるようですが、何故神聖な祝詞にその様な語句が入っているのか。的を得ている解説は無いようですので自分なりに思った事は、人類の祖先がアダムとイブで在ったら2名しかいません。ノアの箱舟の時は8人の兄弟が夫婦となり子孫を増やしました。そのように徐々に人類は増えたのですが、ある程度に増えるまでは秩序という観念は無かったのかも知れません。それを教えてくれたのが大祓い祝詞という訳で天照皇大神様は大日如来になられますと、「顕教と密教」の処で「真理そのものの現れとしての大日如来」という事で、「大日経」を見ると、人間の心理
を語る事60項目もあり、どんな心も分析出来ており、なればこそ人の心はお見通しで、その時期場所によって人間を教育された来たという事なのでしょう。全くお手数がかかっている訳でして、唯々感謝申し上げるしかないのですが、顕教にしても密教にしても結局難しすぎて消化不良のまま人生を終わるしかなく、メシヤ様の浄霊の力と御教えによって霊籍を上げる事がどれだけ有り難い事かを知ればよいので、それによって徳を積み霊性が向上すれば霊主体従の法則によって自ずと霊籍が上がり、上がった分だけは霊体一致で幸せになれるのですから、霊性を磨く以外に道はないのであります。それによって神様への御報恩も叶うという訳で、御報恩に対し神様に借金したまま霊界に帰ったんではこれまた肩身の
狭い思いをしなければならず、霊体一致の原則で結局は霊籍降下の憂き目を甘受しなければならない事も知るべきでしょう。結局最高神とのパイプを如何に太くするかにかかっていると言えると思います。
最後に
最澄の天台宗からは鎌倉仏教と言って様々な宗派が登場します。僧侶以外の『一般民衆』も、厳しい修行などしなくても仏の加護を受けられると説いたことが大きな特徴で、その為、鎌倉仏教は多くの一般民衆に受け入れられ、仏教が『大衆化』しました」という事ですから、仏教的には最澄の働きは大きなものがあります。空海の真言密教は、空海のみで完結しているようで、恵果さんも出番がなかったのかも知れません。結局真言密教は「大日経」が主となり、天台宗は「法華経」が主となったとすれば、天照皇大神様と伊都能売神様との御経綸上の流れに沿って出来た仏教という事が出来るのかも知れません。
日蓮は「不空三蔵は誤る事かずをほし……此の人の訳せる経論は信ぜられず」と、低い評価を下しています。日蓮は延暦寺での修行で、八万四千のお経を確か10回読んだという事ですから凄いものがあります。「元寇の役」を予言し、御教えによれば「最奥神界の幽かなる夜明け」の神事にお使いされたのですから大したものです。然し乍ら日蓮は法華経を知らしめる為に狐霊を使って、狐霊界の棟梁になったという事らしいですから、矢張り減点もあったのでしょう、空海と共に天国行きとは仰られていないのです。日蓮の書いた文字は狐のひげのような字体で、その文字には狐が沢山憑っているとの事で、日蓮宗は太鼓を打ち鳴らしますが、その音は狐の大いに喜ぶものと聞いております。
空海が弟子を集めて遺言するのですが、「私は兜率天(とそつてん)へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう。兜率天にのぼって私は雲の間から地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察している。そして、56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する」というものですが、天照皇大御神様が現界にお出まし頂いた以上、空海も最澄も、日蓮も大いに御活躍が期待される所であります。1200年目に和解したという事は、弥勒(日月地)様が生まれられて、金剛界に入られた事をお互いに認識されたが故に、お互いが力を合わせてメシヤ様の下にに馳せ参じる事を示した和解という事になるのでしょう。


支部長:今の所までを読んで感想を聞かせて頂きたいと思います。一方的な学び方ではなく、学んだ所をお互いに出し合いながら学ぶという在り方で進めて行きたいと思いますので、感じたことを手を挙げて言って頂ければと思います。

参加者:はい!空海と最澄は縦と横の関係になるんですか?

支部長:いえ、縦と横という関係ではないと思いますが、東密と台密ということを考えていくと相対峙している部分はあるのですが、縦と横という言い方は当てはまらないのかなと思います。要するに空海は大日経を中心として天照大神様の教えの部分が強くて、最澄は法華経を中心としたお釈迦様の教えが強い、という方向で捉えてますから縦と横はちょっと違うのかなと・・・ただ教えの捉え方によって密教でも極端に縦の強い密教になりますし、それと逆に片方も密教ではあるんですけど少し柔らかいというか緩いという捉え方でもいいのかなとも思いますね、表現が少し悪いですが・・・。どちらにしても最澄よりは空海の方がすごい修行というか、色んなことをマンツーマンで教えを請うて進めていっただけ
あって、また天照大神様の思想性を受けているので、実際には今の経綸に合っている部分もあるかと思うんですけど・・・そうかといってそれが続かなかったという・・・それは夜の時代だったから続かなかったのかなと・・・。それが最澄については法華経を通して日蓮さんが繋がってきて、そして日蓮さんが出ることによってどんどん法華経というものが表に出てくることで夜の時代の経綸の部分はカバーしていると。ですが夜の時代が終わると仏教の教えは無くなっていくとメシヤ様が仰っておられるように、これから段々と変わっていく転換期だというふうに捉えていいかなぁと思いますけど・・・他にはどうですか?

参加者:空海と最澄がどれだけのことをしたかというのが、読んでも難しくてあまり分からないのですが、人1人が一生かかっても多分勉強しきれない量の事をやってこれだけの高いところまで上がって行ったと思うんですけど、この6ページの「メシヤ様の浄霊の力と御教えによって霊籍を上げることがどれだけ有難い事かを知ればよいので・・・」という所で、浄霊と御教えだけで空海と最澄がこれだけ頑張って勉強した事よりも簡単に上の霊籍に上がれるという教えを書いてくれていると思いました。

支部長:非常に大事なことですね。夜の時代は独学をしながら学んで覚りを得ていかなければいけない。それがメシヤ様がお出になって浄霊と御教えを我々に授けて下さったことによって我々はそれを通して霊籍の向上、魂の向上というものが罪穢の払拭と共に出来ていくということですね。そしてこの理趣経の所にあるように僧侶という方々は禁欲生活、108ある煩悩というものを全て悪だという捉え方をして、自分の心を押さえ込んで生活をしていくということなのですが、これは人間本来の生存本能と言いますか・・・これは副守護神が担っている部分になるのですが、メシヤ様はこの副守護神の部分を否定していないということです。それは必要悪という部分もありますけど、この副霊の働きもあって人間はバラ
ンスが取れているんだという事を言われてるので、そういう事を考えていくと夜の時代の善悪の捉え方と、昼の時代になってからの善悪の捉え方とは違っているんだということをですね、この理趣経を通して理解して頂ければ・・・今回の1番のメインは私なりに考えているのはその部分かなと思います。
善悪の捉え方というものが・・・8月の時にも少し触れましたけども、人間というのは夜の時代が長かったので、どうしても自分たちの命を維持していかないといけないので、例えば男と女が結婚して子供ができて家族が増えていく、その子供たちが結婚してまた家族が増えて行くと、最初は二人だったのが何十人にもなっていくとですね、やはり生活していかなければいけないので、自分の持っている土地、田んぼや畑があってそこで作物を作ったとして5人や6人ならその土地で収穫できる作物だけで生活ができるとしますね。ところがその人数が10人15人になった時に、その土地だけでは生活ができなくなってきますので、その時にどこへ目を向けるかというと隣の土地に目を向けるわけです。ところが隣の土地は他
人が耕作している。そうなると自分たちの生活を守るためにそういう人たちも自分の配下に入れるように話し合いでまとまればいいですが、まとまらなかったらそこで戦いということになります。そして領地を広げながら家族親戚、そして部下を養いながら段々と広がっていったのが夜の時代の進み方です。
だから自分たちの命、生活を守るためにすることが全て善になってくるわけです。それを邪魔するものが悪になっていくという考え方があります。ですから今の自分たちの環境を考えてもらっても自分の考えることが善と思うのが今の人間の価値なんなんです。自分の考えと違う価値観を持っている人は自分とは合わない人ということで一線を引くわけです。
ということになると、そこで実は、人間と人間が和合していこうというのがミロクの世ですから、お互いにできないところを助け合っていくというのがミロクの世の人間の関係になってくるわけですが、そういう所から一線を引くということで分離していく働きを作っていきます。それが実は夜の働きの一つの大きなリズムで、それは以前も言いましたけど、どうしても排他性という言葉に代表されるように自分の仲間作りということを始終やっていきます。そこから外れた人にはペナルティを課すといいますか、自分の仲間ならこうしてあげるけど、あなたは違うからというように仲間はずれのようなことをしていきます。そういう部分が今の子供のイジメにも繋がってくるんですけど、そういった夜のものを人間
はずっと持ってきています。
これから弥勒の世になるという、神様をお出しする前迄はそういう生き方でもまだよかったんですけど、メシヤ様を3月にお迎えさせて頂いて皇大御神様を6月にお迎えさせて頂いていよいよ日が出たので、日が出るということは去年皆さんも経験されてるように、日の神様が出た後には日と水の神様をお迎えして、その後には日と月と土の神様をお迎えしてというように、日→日月→日月地と物事の動くような、そういう経綸に動いてくるわけですね。
そこで、その地の経綸を担うのはだれかというと、人間ですよね。ですから我々が今までの夜の時代に身についたものを削いでいくというか捨てていかなければ大乗的に人と和していくというのはできないわけですね。
そのことがこの理趣経を通して学んで欲しいという部分ではないのかなというふうに、私は感じさせて頂きました。他には・・・皆さんどうでしょうね。

どこも大切な部分ではありますが、1つには〇〇君の言った(参加者)、昔の人の修行は大変だったというのが、今は本当に楽に覚りが開けていくという事もそうですけど、6ページの上から5行目に「儂はそのように人間を作ってはいない」というメシヤ様のお言葉を庭山さんが書かれてますけども、何事も程だということでこれは全てに当てはまる事なので、信仰生活においてもあまりに熱狂的になると物事が見えなくなるから宗教くさくなると・・・だから宗教くさくないような人間にならなければいけないということで、あまり極端な人については御教え以外の他の本を読みなさいとまで仰っておられますから・・・去年からずっと言ってることなんですけど、夜の時代に身についた癖ということで一括りにしてま
すけど、自分はどういう性格があるのかということを、例えば自分が何か困った場合どういう方向に自分は逃げるのかということです。
例えばですね、卑近な例ですが夫婦喧嘩をしたとします。言い合いをした後はどうするのか?お互い無視するのか、理解してもらおうとして話し合いをするのか、相手の言い分も理解できると思って歩み寄る為に謝るのか、その一つ一つをとってみても自分の癖というのが出ると思うんですね。
それからさらに言えばですね、男性の方だと仕事していると思いますが、勤めている会社が行き詰まって倒産するようになった時どうするのか?自営業で今まで順調に仕事が来ていたのに仕事が来なくなった時どうするのか?今当たり前に仕事をしている事にどれだけ感謝できているのかという些細な事を一つ一つとってみてもですね、それを分析する事によって自分の癖や考え方を整理できると思います。
そういうことを整理した上でですね、自分が本当に神様に真向かっていたのかということを考えて頂くと、どれほど当たり前のことができていた時に感謝ができていたのか?困った時になって初めて感謝が持てるというのが多くの人ですね。またそういう時に感謝が持てればまだいいんですけど、逆に神様に対して不満に考える人もいるわけですよね・・・ですから自分の心根というのはどういうものなのかというのを実は今整理していただいてですね、自分に足らないもの、それから自分の良いところを見据えてなければ自分を正していくということはできませんので・・・そういった意味で副霊というものも、欲望というものも認めていくということは悪も認めていくという事になりますので、そうすると話はち
ょっと変わりますけども人のことは言わないという・・・そういう人も神様が使われている、それも全て因縁でそうなってるのでね、赤龍や黒龍が付いてる人に正神の働きをしなさいと言っても中々できないですよね。
やはり、善の人間をさらに磨くという働きが赤龍や黒龍の働きになってきますので、それも一つの因縁としてのあり方で物事が進んでいくんだということです。それでこれからは日が出ましたので、日が出たということはどういうことかというと、善悪の捉え方が今までの夜の時代の善悪の捉え方から、神様の言う善悪というのはそこが違ってるということなんですね。
この前も言ったように、観音講座の第5講座2番目のところに、善と悪とを交わらせてその真ん中が真になるんだという部分がありますよね。実は今このことが我々の1番の課題なんです。そのために色々身の回りに起きていることを通してそうなるように体得するという、これはミロクの世に残る人間としての必須ということなんですね。ですから我々がそこをクリア出来なければいけないので何とか一生懸命努力してるんですけど、それが終わると次の方に順番が回っていくということですね・・・そして結局は善と悪という物事の捉え方をしない人間作りということが1番大きいですね。全てのことが神様がやられてるということを考えて、それに沿って自然に真向かっていける自分作りを課題として進めるという
、そういう修行をさせて頂いてますけど、どうしても人間の捉え方というのは色んな問題が出てくると今までの自分の経験や体験で物事を判断しがちなんですね。ところがそれは夜の時代の判断の仕方なので、そのこと自体が間違っているということに気がつかなければいけないということですね。神様は非常に大乗なのですが、そこには非常に深い愛情があって、それが『仁愛(ミロク)の御手に帰一され仁慈の御胸に抱かれん』という言葉になっていくんですけれども、そういうものがわかる自分にならせて頂くという、霊籍の非常に高い感性の高い人間作りを目指して、自分はどういう人間になることがいいのだろうかということを・・・それは自分の性格というものがありますから、その性格を通して出るもの
を直すべきところは直していくというのが一番大切なので、そのために今現界に修行として生まれさせられているんだということでですね・・・そしてこの一番大きな手柄が立てられる時に生まれさせられているという事を考えて合わせてですね。
今は日々色んな出来事が起きてくると思いますが・・・家族の喧嘩や仕事先の付き合い、その事を一つとってみてもどのように処理していけばいいのかという事がそれぞれの立場での課題だと思うのですが、相手を攻撃するのではなく批判するのでもなく、その事をまず認めるというね・・・今非常に抽象的な事を言ってますけど、そういう所から物事を変えていかなければ中々出来ないのかなと思いますね。

他に何かございませんか?それでは何もなければこの1ヶ月間に頂いた御守護は何かありませんでしたか?

参加者:痔出血を仕事中に起こしてズボンが真っ赤になりまして、それからだいぶ頭のが出たのかなという感じで、その前に浄霊の勉強があってここで読ませて頂いたあとから何日か痛い日が続いてたんですけど、そのうちにそういうことがありまして相当出たのでそれからだいぶ頭がスッキリしました。

支部長:それをどのように捉えてますか?

参加者:この前の勉強会も非常に難しい内容があったので頭の中で整理できない部分があったんですけど、御教えの拝読をいかにしっかりしないとこれから先自分自身が追いつかなくなるのかなということをこれを読む中でも感じた部分があるんですけど、やっぱり御教えの拝読をしなさいというのを自分自身にそういうことがあったときに思って、〇〇君がさっき言ってた、自分達が簡単にできることを教えてもらってるんだなということを新たに学び直したというか感じさせて頂きました。

支部長:またそれを簡単な事例として書いておいてください。
色んなところへ行くと色んなことを聞くんですけど、それぞれの所でたくさんの御守護を頂いてるようですから、皆さんも御守護頂いた事があったら箇条書きでもいいので書いて頂いて支部の方へ届けて頂ければと思います。
それからメシヤ様のお言葉を何個かお取り次ぎしときたいんですけども、『報告を怠ることは御用を疎かにすることだ』というお言葉がありますので、御守護を頂いたら小さなものでもその御守護を自分だけのものにせず報告して下さると、それをまた掲載できる場合には事例集のような形で掲載させて頂きますので、ぜひとも報告をして頂けるとありがたいと思います。

参加者:8月の終わりに近所のおばさんに添加物の事を言ったら、「そんなの分かってるけど、どれがいいのかわからない。」と言われたのでネットで調べてプリントアウトして渡したんですよ。そしたら昨日くらいから少しですけど右足から薬毒が出だしたんですよ。

支部長:非常に簡単というか、徳を積むと毒素が出るという非常にシンプルな分かりやすい事例だと思うので、簡単にでいいですから書いといて下さいね。
それから、『メシヤとしての私の御神格が非常に高くなったという事で、これからは我を出さずに素直になるように努めなくては御奉仕は許されなくなる』と仰っておられますから、特にこれからメシヤ教も入れ替えがありますので、ぜひとも自分とメシヤ様との霊線を太くして、とにかく1番頂かなければいけないものは光ですから、とにかく光があるところに行くという・・・月次祭とか祭典は欠かせないということを自覚していただければいいかなと思います。そのことについても確か観音講座の第5講座に、それに関係した事が書かれてあったと思いますけど、支部に来ないのはなぜか、光を頂きに行かない理由というのも書かれていたと思いますので、読んで参考にして頂いてこれからの自分の方向性をつけ
て頂ければと思います。
色んな話をして話の内容が色々と飛びましたけども、今日のメシヤ講座はこれで終わらせて頂こうと思いますので、また質問があれば後で仰って下さい。ありがとうございました。

参加者一同: ありがとうございました。