平成30年6月   青年 ミニ講 座



       下 座 の 行                       (信  昭和二十四年一月二十五日)

  下座の行という詞(コトバ)は昔からあるが、之は人間処世上案外重要事である。しかも信仰者に於て殊に然りである。信仰団体などに、教義を宣伝する先生に、どうも下座の行が足りないように見える事が屡々ある。昔からの諺に「能ある鷹は爪隠す」とか、「稔る程頭を下げる稲穂かな」などという句があるが、何れも下座の行をいうたものである。
  威張りたがる、偉く見せたがる、物識ぶりたがる、自慢したがるというように、たがる事は反って逆効果を来すものである。少し許り人から何とかいわれるようになると振りたがるのは人間の弱点であって、今迄世間一般の業務に従事し、一般人と同様な生活をしてゐた者や、社会の下積みになってゐた者が、急に先生といわれるようになると「俺はそんなに偉く見えるのか」というように、最初は嬉しく有難く思ってゐたのが、段々日を経るに従い、より偉く見られたいという欲望が、大抵の人は起るものである。それ迄は良かったが、それからがどうも面白くない。人に不快を与えるようになるが、御本人はなかなか気が付かないものである。
  神様は慢心を非常に嫌うようである。謙譲の徳といゝ、下座の行という事は実に貴いもので、文化生活に於て殊にそうである。多人数集合の場所や、汽車電車等に乗る場合、人を押し除けたり、良い座席に傲然と座したがる行動は、一種の独占心理であって面白くない。
  円滑に気持よい社会を作る事こそ民主的思想の表われであって、此事は昔も今も些かも変りはないのである。 

       地 震 に 就 て                    (信  昭和二十四年一月二十五日)

  此の稿は昭和廿三年六月廿八日、福井市を中心として大地震があった直後、参考の為地震に就ての私の所説を書いたのである。
  抑々、神道の天地創造説によれば、宇宙太初(ウチュウノハジメ)は水蒸気のような水泡のような物質であったが、創造的活動が開始され、分裂作用によって、軽きものは天となり、重きものは地となり、天には日月星辰が生れ、地は泥海の如き半固体となった。天理教で唱える所謂泥海時代である。それが年代を経るに従って漸次固体化し、植物及び鉱物等が発生し、次で生物が生れ、最後に造られたのが人間であって、以来進化を続けつつ現在の如くなったのである。
  以上の如く、泥海が固体となるという事は大自然の硬化作用に因るので、硬化するに従い地球の容積は減ずる。所謂地殻の収縮である。此の地殻の収縮が地震の原因であるから、古い時代程地殻の収縮が大きい為、地震も大きかったのである。即ち日本に就ていえば、日本海は地殻の大収縮によって陥没し、海が形成されたものであるから、其れ以前は日本と朝鮮とは陸続きであった事は、日本の各地に象の骨を発見する事によってみても、南方から象が侵入し来った事は信じ得らるゝのであって、其の時代に船で渡来する事は勿論不可能であったからである。
  よく日本に地震が多いのは火山国であるからという説があるが、之に対して私は異論がある。何となれば火山が地震の原因であるとすれば、地震は山嶽地帯に多く起るべき筈なるに拘らず、事実は海に近い所に頻発するのである。然らば何故海に近い処に多いかを解説してみよう。
  元来、日本の国の創成は比較的新しい為硬化が後れてをり、古い国程硬化が進んでゐるから地殻の収縮が少く、地震が少ない訳である。勿論火山に因る地震もあるが、あまり大きいのはないのである。
  元来日本の土地は、古代に於ては、今日の三倍位の大きさであったのが、その三分の二が陥没し三分の一の大きさになってゐるのである。そうして日本の地震が日本海の海岸地帯に多い原因は、日本海の陥没運動が未だ持続してゐるからで、謂はば海岸地帯には断えず小陥没が起っており、それが陸地に影響するのである。之が地震の原因であるから、震源地は近海の海底であって、此の證拠として関東大震災直後、陸地が一尺以上低下せる所が各地に出現した報告や、越後新潟地方の一部の地盤が年々沈下し、今日の割合を以てすれば百年後には海中になるという事で、住民は戦々兢々としてゐるという、最近の新聞記事によってみても明かである。又日本海に面した所は年々数呎(フィート)づつ陸地が縮少するに反し、太平洋岸は年々数呎づつ拡大しつつあるという、此の二つの事実に就て、私は左のやうな理由によるものと考えるのである。
  地球は地殻の収縮によって、海底は年々沈下し、深くなりつつある為、海面も低下する。勿論太平洋岸の海面も低下する結果、それだけ陸地が現われるという訳である。元来陸地は略(ホ)ぼ完成に近いが、海底は未完成であり、軟弱性が未だ残存してゐる為、特に海底陥没が絶えないのである。然るに日本海の方の海岸縮少は、海底低下よりも陥没作用の方が勝れる事に因る為であると共に、太平洋岸の地震の方が先に起った為でもある。
  海面低下に就て、特に太平洋岸に面する海岸の岸壁を見る時よく判るのである。海面から低きは二十呎位から高きは百呎位の岸壁に、元波涛に洗われた痕跡が鮮明に露われてゐる。又中華民国内の原野から山塩が多く産出するが、之は旧(モト)海であったからで、海面低下によって表われた大平野である。此の理によって学者の唱える氷河時代の遺跡というのは、実は波涛の痕跡であって、高山にあるものは噴火による隆起と共に成立したもので、誰も知る東京の下町地帯も旧(モト)は海であり、旧(モト)浅草で海苔が採れたという事は、其の辺まで海であったからである。
  地震の原因は地殻の収縮であるという事を述べたが、次の如き現象もある。それは地震発生以前、その範囲内に局部的隆起が起る事がある。即ち前兆ともいうべきもので、地殻収縮の場合、地下深く局部的間隙が起る。その間隙に上昇地熱が充填され、膨脹する為である。以上の如くであるから、地震の原因は海底陥没の波動が、陸地に陥没を起させるという理を知識すべきである。
  大きな地震の直後必ず津浪が起るが、之は如何なる訳かというと、海底陥没による凹所(オウショ)へ向って、海流の充填作用が起り、勢余って必要以上に海水が集注する為、氾濫の形に転じその氾濫が津波となるのであるから、此の津浪は短時間にして旧に復すのである。
  私は特に学者諸君に向って注意したいと思う事は、今日迄地震の研究は陸地を主として行われて来たようであるが、前述の如くその原因が海底にある以上、海底陥没の前駆として、潮流に異変が生ずる訳であるから、今後は沿岸潮流の研究こそ、切に希望する処である。
  万有硬化に就て今少しく説明しよう。神道の多くは日本の国は最初に出来た国といふが、私はそうは思わない。それを解くに当って鉱物の例を書いてみるが、先づ陸地に於ての硬化作用は、土が硬化して石となり、石が硬化して金属が発生する、それが実物によく表われてゐる。例えば火山灰が硬化したのが凝灰岩であり、それが硬化して石灰岩となり、石英粗面岩又は石英斑岩となり、黄銅鉱又は黄鉄鉱が発生し、次に金銀が発生する。又粘土が硬化して粘板岩となり、頁岩となり、黒鉛や方鉛鉱、閃亜鉛等が発生し、錫が発生し、銀が金が発生する。又赤土が硬化して褐鉄が発生し、硫化鉄、磁鉄等々が発生する。又石英から水晶が発生する。石炭及び亜炭は古代樹木が火山灰に埋没され、地熱によって燃焼炭化したものである。其他凡ゆる鉱物はその土壌の性質と、地霊の濃淡、気候の変化、年代の長短、其の土地の植物の成分が雨水によって地中に滲透する事等によって、凡ゆる種類が発生するのである。然るに鉱物の最も硬化せるダイヤモンド及び白金の産出がないにみても、日本はその創成が比較的新しい国である事が判るのである。 


妙智之光(一)         『地上天国』創刊号、昭和23(1948)年12月1日発行

【問】邪神はことさら正神らしく見せかけるように思われますがいかがでしょうか。
【答】これは無論そうであって、最初から邪神と分かられては人間のほうで警戒するから、邪神の目的は立たぬ、どこまでも正神と見せかけて間違ったこと悪いことを、善いこと正しいことのように思わせるものである。邪神はいわば人間界の詐欺師のようなものである。これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、よほどはっきりとした眼識をもたねばならぬ。
 私の「信仰雑話」を書いたのも一つはそういうものにしっかりした判別力を植え付けるためでもあるから、どうしてもこれによって智慧証覚を磨かねばならぬ。従って邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、容易に見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙されるのである。例えば共産主義のごとき、これは自己の階級だけを愛し、他を打倒しようとする間違ったものであるが、主義者はこれこそ大衆を救う唯一のものであり、絶対の真理だと信じてやっている。それだけにまた非常に強いところがある。
 また社会主義のごときもそうで、これが本当のやり方で、これによって社会は救われると信じ切っている、この主義によると、賢者も、智者も、愚者も、偉人も平等に取り扱おうとする、そこに不公平がある。大自然を見てもいっさいにおのずから階級がある。偉人とか智者は社会からそれ相当の地位を与えられ優遇さるべきが本当であって、それによって社会の秩序が保たれる、また社会主義は人間の競争心をなくそうとするが、これは文化の進歩を阻害することになる。競争心があるので進歩発展するのである。
 次に資本主義もはなはだ間違っている、これは、金力をもって大衆の幸福を蹂躙することになるからである、どうしても全体が幸福を得るという全体幸福主義というような新しい思想が生まれなくてはならない、そこまで文化が向上することを念願として進むべきである。

湿布薬及び膏薬について

「(中略)勿論冷す事も温める事も、膏薬を使用する事も不可である。(中略)」
(「腫物とその切開に就て」明医二  S18.10.5)
「(中略)次に、湿布薬及び膏薬に就て説明してみよう。之等も皮膚から薬毒を滲透させるので、その部面の浄化作用を停止するから、一時的苦痛は軽減するが、その薬毒が残存して種々の悪影響を来すのである。(中略)例を挙げてみよう。背部が凝るので、数年に渉って或有名な売薬の膏薬を持続的に貼用(チョウヨウ)した患者があった。然るに、その薬毒が漸次脊柱及びその附近に溜着して、凝りの外に激しい痛みが加はって来たのである。これは全く膏薬中毒である事が明かになった。又或患者で顔面に普通のニキビより稍々大きい発疹が、十数年に渉って治癒しないで悩まされてゐたのがあった。之等も最初、普通のニキビを治そうとして、種々の薬剤を塗布しそれが浸潤してニキビが増大し、頑固性になったのである。次に又、最初一局部に湿疹が出来それへ薬剤を塗布した為、その薬液が浸潤し薬毒性湿疹となり、それが漸次蔓延しつつ、遂には全身にまで及んだが、それでも未だ気づかないで、医療は塗布薬を持続するので、極端に悪化し、皮膚は糜爛(ビラン)し、紫黒色さへ呈し、患者はその苦痛に呻吟しつつ全く手が付けられないのであって、私は、医学の過誤に長大息を禁じ得なかったのである。(中略)」
(「既存療法」明医二  S17.9.28)
「(中略)次に湿布である。之は皮膚による呼吸を閉止し、又は薬毒を滲透させ、その部面の浄化停止を行ふのであるから、一時的苦痛は軽減するが、その方法及び薬毒の残存が、種々の悪影響を及ぼすのである。(中略)」            (「既存療法」天  S22.2.5)

「(中略)次は塗布薬であるが、之も仲々馬鹿にはならない。塗布薬の毒素が皮膚から滲透して、種々の病原となる事がよくある。以前斯ういふ患者があった。最初身体の一部に湿疹が出来た処、医師は悪性として強い塗布薬を塗ったので、段々拡がり二、三年の内には全身に及んで了った。それまで有名な病院に掛かってゐたが、もう駄目と曰はれ、私の所へやって来たのであるが、私は一目見て驚いたのは、身体中隙間もなく紫色になっており、処々に湿疹が崩れ、汁が流れてをり、痒みよりもそれを打消す痛みの方が酷いそうで、夜も碌々眠れないといふ始末なので、流石の私も見込ないとして断ったが、それから一、二ケ月後死んだそうである。
  又斯ういふ面白いのがあった。此患者は肩や背中が凝るので、有名な或膏薬を始終貼ってゐた処、長年に及んだので、膏薬の跡が背中一面幾何学的模様のやうになって了ひ、いくら洗っても落ちないといふ事であった。それは膏薬の薬毒が皮膚から滲透して、染めたやうになって了ったので、而も絶へず相当痛みがあるので、私も随分骨折ったが、余程強い毒と見へて、一年位で大体治ったが、高が膏薬などと思ふが、決して馬鹿にはならない事を知ったのである。(中略)」                       (「薬毒の種々相」文創  S27.)


心次第のおかげ         『地上天国』5号、昭和24(1949)年6月25日発行
          岐阜県安八郡南平野村 日本五六七教聖光会 教導師 清水久子(32)
 私は四年前に岐阜県本巣郡弾正村においてお光を頂き、その後及ばずながら今日までお手伝をさせて頂いております。
 去る昭和二十三年十二月二日渡辺先生宅における例祭にお参りを致し、色々と先生より御指導を受けて喜んで家に帰りましたら、七十六才になる母が大変な浄化で私はびっくり致して、すぐ大先生のお写真にお願い致して母の浄霊を致しましたところ、少し楽になりましたがそれから七日間は言語もろくに言えず、食もとれないのです。私の家に七人の兄姉がありますが三人だけお光を頂いており、後の四人の兄妹はどうしても判らず是非医者に診てもらうように言われますし、本人の母は楽になると喜んでみえますけれど、兄姉達に納得していただくのに大変でした。そこで弾正の高木先生にお願い致してすぐ来ていただきましたら、先生の御浄霊の強さによって皆の者がけろっとしてしまいました。
 また十二月七日に大先生の御守護を高木先生よりお願い致して頂きました。私はその日には御書体の前にて十一時の来るのを待っており、一生懸命にお参りを致して参りました。すると丁度十二時頃になったら母は大変に元気になり、何か少し食べたいと言われましてそれから食欲がつき、私はとび上る程嬉しゅうございました。十日に高木先生に来て頂き浄霊を受け大変楽になりました。
 何分浄化がひどい二十日間と言うものは少しも手がはなせませんでした。わからない兄姉がみえると浄化かひどくなりまた先生に来て頂くとすぐ楽になり、余りにもお光の尊さに本人が気付きわからない子供に頼っていてはいけないと思い、真心を以って大先生にお縋りを致しますようになりましたら、病気はめきめきと良くなり今では以前より元気になり、日々を喜んで大先生の御慈悲の胸に抱かれて貧しき中にも安心して、五六七教の建設に務めながら明るい日暮しをしております。
 愚筆を以って喜びの中に大先生の御守護の御礼を申し上げると共に、本会の発展をお祈り申し上げます。