平成29年 5月度

霊層界と人間             (明医三  昭和十八年十月二十三日)

 霊界は、天国八衢地獄の三段階になってゐる事は、既に詳説した
通りであるが、之が人間の運命と密接な関係が有る事を、爰に説か
ふとするのである。

 霊界に於ける三段階は大別しての事であって、細別すれば一段は六
十に別れてゐるので合計百八十段になってゐる。勿論、層になって
ゐるので、私は、霊層と名付けるのである。そうして此霊層に対
し、人間は如何なる関係があるかを順次説いてみよう。


 私は曩に、人間は肉体と霊体と密着してゐる事を説いたのである
が、その霊体なるものは、実は個体ではなく、今一つの或物との繋
がりがあるので、その或物を名付けて幽体といふ。幽体とは、霊の
霊であるともいへるので、霊体が肉体を、支配する如く幽体は霊体
を支配してゐるのである。此意味に於て、人間の生命の真の根源
は、幽体そのものであるといってもいいのである。


 そうして幽体とは、霊界の生活者であるから、人間死するや、霊体
は直ちに幽体に引かれて幽体と密着する事になる。それは生前、霊
体と肉体と密着してゐたのと同様の意味である。又幽体は、霊界に
於ける百八十段層の何れかの層に属してゐる事は勿論である。然し
乍ら、幽体の居点は常に一定する事なく、その層の段階を常に上下
してゐるが、普通時は或範囲内に限られてゐるのである。稀には、
その範囲外へ出づる事がある。それが肉体的に表はれる場合、運命
の急転となるのである。

 人間の運命即ち幸不幸は、幽体の居点である霊層の階級によるの
で、それは実に決定的である。


 そうして霊界に於ても主宰神があり、八百万の神が分担管掌してゐ
る事は、曩に述べた通りであるが、幽体に対し、断えずそれぞれの
命令が下るのである。従而、その受命者の任務遂行が霊体に反映
し、肉体に反映し、肉体がその如く動くのである。


 如何なる人間と雖も、自己が計画し企図する事が、常に実際に於て
意の如くならない事の多いのは誰もが経験する所であらう。従而予
想外な運命や、意外な結果に逢着するといふ事は、実は現世の人間
の予想や思念は、幽体の運命に左右されなければならない法則であ
るからである。又自分自身に対し、眼に見へない或大きな力が常に
支配しつつあるやうな感想が大抵の人は有るものである。この支配
者とは即ち幽界に於ける支配者即ち神であって、健康、富裕、平和
の世界であり、之に反し、下方にゆく程、病気、貧困、争闘等の絶
間ない醜悪世界である。その中間帯である八衢が丁度現界に相応し
てゐるから、現世は健富和の幸福、病貧争の不幸と入り混ってゐる
事は、誰もが知る所である。


 右の理によって、現世に於ける幸不幸は、幽体の住する界層の階級
によって定まるものである。従而、人間が人為的に如何に幸福を求
め、実現しようと努力しても意の如くならないのは、右の理に由る
からである。然し、現世に於て斯ういふ例もある。それは富裕者で
あり乍ら足るを知らず、吝嗇なる事貧困者と異ならない人がある
が、之等は人為的に苦心努力の結果、一時的富裕者となったまでで
実は幽体は下層にあるから、斯様な人が死後霊界に往くや、幽体相
応の貧困者となるので大いに後悔するものである。


 故に、幸福者たらんとするには、幽体を上層に住する事より外に道
はないのである。然らば、それは如何なる方法によるかといふに之
は何人と雖も知らねばならない事であらう。

 茲処で、幽体が何故上中下に分離するかといふ事であるが、それは
左の如き理由によるのである。


 即ち、幽体の重量によるのである。軽い程上層に、重い程下層に往
くのである。そうして軽いとは幽体が清浄であるからであり、重い
とは溷濁してゐるからである。溷濁とは勿論罪穢に因るのであるか
ら、清浄な幽体たらんとするには、その罪穢を滅消しなければなら
ない。然らば罪穢とは何ぞや、言ふまでもなく自己愛による不正、
虚偽の手段を以て人を苦しめ世を毒するといふ悪の行為によって発
生し堆積するのである以上、それを滅消するには、その反対である
利他愛による正義真実等の善的手段によって人に幸福を与へ、国家
社会の為になる行為を多くすることより外にないのである。勿論そ
れは厳然たる天則で、人力の如何共為しがたいものである。


 右の意味によって、私の説く現幽相互の関係を知ると共に、衷心か
ら信じ得らるる人こそ幸福の門に一歩入ったといふべきである。


 右の霊層界に就て、今少し言ふ事がある。天国に相応する所の上層
界は、健富和の活力が生々として流通しつつ、上層程それが高度で
ある事は勿論である。斯かる説は、私の観念による仮説と思はれ易
いのであるが、決してそうではなく、事実である事を立證してみよ
う。


 私が永い間、本医術によって患者が治癒した場合、健康恢復のみで
はなく、性格も一変する事である。それは争を厭ひ、親和的とな
り、楽天的となるのである。特に講習を受け病気とそれに関する霊
的事象を知るに及んで人生観が一変すると共に、不思議な現象が起
り始めるのである。それは健康のみではなく必要な物資も恵まれ豊
かになる事であって、而も、人為的では更になく、惟神的に思はざ
る所から、奇蹟的に入手するのである。斯事は受講後の誰もがいふ
のであるから、誤りはないのである。又、今迄不和であった人と親
和し、今迄よりも人から尊敬を受け引立てられたり、希望が実現し

たり、仕事の能率が上り、試験にパスする等幸福的の事象が非常に
多くなるといふ話をよく聞くのである。


 右は、如何なる訳かといふと、病患の治癒者、特に受講せし者は、
人間の健康や生命の真実を知るに及んで、盲目であった霊魂が、飜
然と覚醒するのである。彼の釈尊が曰った等覚を得て仏となり、正
覚を得て菩薩となり大覚を得て如来となるといふ意味と同一であら
う。従而、受講者は等覚を得るのであるから即心即仏となり、霊的
地位が向上する訳で一躍霊層界の上級に転位する事になるので、右
の如き事象に恵まるる事となるのである。




   霊層界                   (天  昭和二十二年二月五日)

 霊界は、天国・八衢・地獄の三段階になってゐる事は既説の通り
であるが、之が人間の運命と密接な関係を有ってゐる事を説いてみ
よう。

 そうして右の三段階を細別すれば一段は六十になり、合計百八十段
階の層になってゐる。私は之を名付けて霊層界といふ。


 人間が現世に生れるといふ事は神の命によるのである。生命の命は
命令の命と同一であるのもその意味であらう。誰しも思ふ事は、人
間は何が故に生れたかといふ事である。斯事を真に把握せざる限り
正しい行動も安心立命も得られないのみか、空虚な酔生夢死的人生
に畢(オワ)る惧れがある。然らば神の意図とは何ぞやといへば、此地
上をして理想世界、言ひ換へれば地上天国を建設する事である、と
はいへどそれは恐らく、その規模に於て、其構想に於て、壮麗雄大
なる言語に絶するものがあらう事は想像に難からない。何となれば
無限に進歩しつつある文化は、極る処がないからである。此意味に

於て現在までの世界歴史は、基礎的工作に過ぎなかったのである。
そうして神は一人一人それぞれの使命を与へ、特長を持たせ、生き
更り死に替り、理想目的に向って前進せしめつつあるのである。従
而善も悪も、戦争も平和も、破壊も創造も進化に必要なる一過程に
過ぎない事を知るのである。


 そうして今は如何なる時かは詳細説いた如く、私の唱へる夜昼転換
期のそれであり、全世界は今正に新時代に向って一大飛躍せんとし
つつあり、今人類は野蛮の衣をカナグリ捨て、高度の文化人たる域
に達せんとしつつある事である。茲にはじめて戦争も病気も貧乏も
終焉を告げるのである。勿論本医術の出現はその為の先駆であり、
核心的のものである。


 以上の如く、神の意図によって断えず人間に命令を下しつつある。
それは如何なる手段によるかといふに、霊層界に於ては人間一
人々々の種が存在する。此種を私は名づけて幽魂といふ。此幽魂に
先づ命が下るのである。然るに幽魂は人間霊体の中府に在る現魂に
向ひ霊線を通じて神の命を伝達するのである。然し乍ら一般人間が
神の命を直感し得る事は至難であって、或程度浄化されたる霊体の
保有者にして可能である。それは大多数の人間は多量の曇りに遮ら
れ、感知出来ないばかりか、其曇りを利用する邪神によっても妨害
されるからである。


 右の證左として如何なる人間と雖も、自己の企図する事が意の如く
ならない事や、予想もしない方向に運命が転ずる事があらう。又人
間は常に何物かに支配されゐる感や、どうにもならぬ運命の経路を
辿る事があるであらう。そうして霊層界に在る幽魂はそれ自体の階
級によって、使命も運命も差別がある。即ち上位の階級に在る幽魂
ほど、神命も大きく高級で然も幸運であり、下位に降る程漸次右と
反対で薄幸となり、最下段は最も不幸者となるのである。何となれ
ば上位は天国に相応し、病なく争なく物資饒(ユタ)かに歓喜の世界で
あるに反し、下位に降る程それと反対に病気、争闘、貧窮に充ちた
る苦悩の世界であるからである。此意味に於て人間が真の幸福者た
らんとするには、先づ霊層界に於ける幽魂をして向上せしめなくて
はならない。然らばその方法如何といふに、それは霊体を浄める一
事である。本来霊体は曇りの多少によって上昇し下降する。即ち浄
魂は軽きを以て上昇し、曇魂は重きを以て下降する。故に浄魂者た
らんとするには、善行を重ね、善徳を積まねばならない。それは相
当の時間と犠牲を払はねばならないが、茲に一挙にして、霊層界の
数十段階を飛躍し得る方法がある。即ち本医術の講習を受ける事で
ある。


 本医術受講者が異口同音に言ふ事は、精神的には先づ人生観が一変
する。智慧證覚が豊かになって、事物の真相をよく把握し得らる。
前途に光明を認め、不安は解消する。楽観的になり、初めて真の安
心感を得た。又物質的には不思議に財物が集り、不自由が無くな
る。不幸が減り幸福の面が多くなり、実に不思議である。全く救は
れた。有難いといふ感謝の声は日々無数に私の耳や眼に入るのであ
る。




   霊層界                   (自叢三  昭和二十四年八月二十五日)

 霊界の構成は曩に述べた如く、天国、中有、地獄の三階段が三分
されて九段階となっており、一段は又二十に分れ、一段階二三ンが
六十段となり、三六十八即ち総計百八十段となる。私は名づけて霊
層界といふ。その上宇宙の主宰者たる主神が坐すのである。主神の
主の字は一二三本の横線を縦の棒一本を通し、上にヽが載ってゐる
事は面白いと思ふ。そうして人間と霊の関係を詳しく説明してみる
が、人間の肉体そのままの形体である精霊があり、その中心に心が
あり、心の中心に魂があるといふ具合に、大中小の三段否三重とな
ってゐるが、その魂こそ神から与えられたるもので、これが良心そ

のものである。此魂の故郷即ち本籍地ともいふべき根源が、右の百
八十階段の何れかに属しており、之を名付けて私は幽魂といふ。此
幽魂と人間の現魂とは霊線によって繋がれており、絶えず人間の思
想行動は幽魂に伝達され、それが神に通じており、又神よりの命令
は幽魂を経、霊線を通じて人間に伝達さるゝのである。


此例として人間が種々の企図計画をなし、目的を達成せんと努力す
るも事志と違ひ、思はぬ方向に赴いたり、意外な運命に突当ったり
する場合熟々顧る時、何等か自分に対し見えざる支配者があって、
自分を操ってゐるように想はれる事を大抵の人は経験するであら
う。即ち此支配者なるものが右の幽魂から伝達さるゝ神の意志であ
る。故に神意に反する場合何程努力すると雖も、努力すればする程
逆効果になるものであるから、人間は常に自己の考えが神意に合致
するや否やを深く省察しなければならない。然し乍ら此場合私欲邪
念があるとすれば、それは神意の伝達を妨害する事になるから、一
時は良いように見えても、終には必ず失敗するものである。此理に
よって何等かの計画を立てる場合、よくよく自己を省み、その目的
が善であるか、社会人類に役立つべきものなるや否やを深く検討し
なければならない。茲で面白い事は、邪念の為神意に添はず為に失
敗苦境に陥る場合、その苦難によって、邪念の原因である罪穢が滅
減する事になるから、其為魂が磨かれる結果となり、今度は神意と
合致するようになり、成功する事になる。世間よく一度失敗し其後
成功する例がよくある事や、特に失敗の度数の多い程大成功者とな
る例があるが、右の理に由るのである。


 以上の如くであるから霊層界のより上段に霊魂の籍をおく事が幸運
者たり得る唯一の方法である。元来霊魂の位置は一定してはゐない
もので常に昇降してゐる。何故かといふと軽い程上方に昇り、重い
程下向するのであって、此軽重の原因は如何なる訳かといふと、人
間の行為の善悪に因るもので、善事を行ひ徳行を重ねれば罪穢が減
少するから軽くなり、悪事を行ひ罪を重ねれば罪穢が増すから重く
なるといふ訳で、昔から罪の重荷とはよく言ったものである。故に
善悪の心言行そのまゝが霊線によって神へ直通するのであるから、
此理を知ったならどうしても善徳者にならざるを得ないのである。


 前述の如く人間は神の命によって、運命は疎(オロ)か生死までも決定
するのであるから、人間の生命の命の字は命令の命の字である。故
に死とは神よりの命令解除である。それは世の中に害毒を与えたり
生存の価値なき為であるから、人間は命令を解除されぬよう神に愛
され社会有用なる人間にならなければ、長寿と幸福は得られる筈が
ないのである。


 霊層界の上位へ行く程病貧争の如き苦はなく、溌剌たる健康と、饒
(ユタ)かであり善美である衣食住を与えられ、歓喜の生活を営まれる
から、そこにゐる幽魂の幸福は、霊線によって現界の人間に直通し
幸福になるのである。その反対に霊層界の下位にある幽魂は、霊通
によって其人間に反映し、常に地獄的生活に喘ぎつつ一生不幸に畢
るのである。


 世間よく家相方位などに関心を持つ者があるが、霊層界の上位に在
る者は、移転や建築等をなす場合、自然良方位、良家相に移住する
事になり、反対に霊層界の下位にある者は如何に努力すると雖も、
悪方位悪家相に移住する事になるのである。又結婚の場合、良縁も
悪縁も右と同様の理によるのであって、之は霊体一致の原則による
以上、此絶対力は如何なる人間と雖も抗する事は不可能である。

 茲で宿命と運命に就て一言するが、宿命とは生れ乍らに決定せるも
ので、それは霊層界の上中下三段の何れかの一段の圏内に限定さ
れ、それ以外に出づる事は不可能であるが、運命は右の宿命圏内の
最上位に行くも最下位に行くも努力次第であるから、宿命の不変で
あるに対し、運命は或程度の自由を得られるのである。

 随而人間は常に善徳を積み、罪穢を軽減し霊層界のより上位に吾が
幽魂を住せしむべきで、それによる以外幸福者たり得る道は決して
ない事を知るべきである。




   (参考)御教え集より

(前略)低い所は悪い事だらけなのです。悪い事が満ちているので
す。上層になるとそれがだんだん少なくなり、今度は良い事に変っ
て来るという事になっているのです。そういうようで、人間は何処
かに居るのですから、良い方に居るようにすれば、其処に行けば運
が良くなるに決まっているのですから、何んでもないです。(中略)


ですから、よく支部を作っても発展しないとか、どうも信者が出来
そうで出来ないという事は、自分の魂の居所、霊の居所が低いため
です。それから又、どうも自分は一生懸命に信仰しているが、親父
は反対ばかりしている、或いは伜が全然分らないという事は、自分
自身の霊的位置がまだ低いからです。それで自分自身の霊的地位が
高ければ、他の者もどうしても其処の所に引上げられるのです。と
いうのは、親父でも伜でも、みんな霊線が繋がってますから、親な
ら親の枝ですから、親がずっと上に上ると伜もそれについてゆくわ
けです。そうすると話をしてもよく分るわけです。ところが自分自
身の地位が低いからして、幾ら口を酸っぱくしようと、気をももう
と、敢えて効果がないわけです。


ですからそれには自分の霊的位置が向上するという事が必要です。
それには、一人でも多くの人を助けて、神様の御用をする事で、そ
れによって自分の曇りが減って、そうすると霊が軽くなるから上に
行く。上に行くから、他の枝でも縁のある人でも、自然にそれにつ
いて来るわけです。だから凡て思うように良くなるというわけです
から、結局において自分にあるのです。それから又、こんなにして
も自分は苦しい事や災難がいろいろあるという事は、それはまだ霊
に重い点があるからして、神様が軽くして下さるために、軽くする
には人を救うか、若し救い方が足りなければ自分が苦しむかで、こ
のどっちかで曇りが取れるのですから、その点さえ分れば、世の中
は決して難かしくも何んでもないものです。結局、一切は浄化作用
です。それで浄化作用とは一つの掃除ですから、ゴミがあるとどう
しても掃除されなければならない事になっているのです。

                (御教え集30号  昭和29年1月26日)



 (前略)今読んだようで、霊界は層になってますから、そのとおりが
写るので、つまり層というのが人間の魂の居所なのです。ところが
この魂という奴が人間全体を支配しているのですから、魂の居所と
いう事が資格です。だから魂の資格さえ上になっていれば全然苦し
みはないわけです。しかしそうかと言って人間今までにいろいろな
罪穢れや薬毒やいろいろなもので汚しているから、その掃除をされ
なければならないのです。


(中略)これはみんなよく知っているでしょうが、そういうようなわ
けで、運が良くなるという事は、どうしても霊的地位が上に行くと
いう事なのです。だからして"どうも思うようにゆかない、困る事が
多い"という事は、結局自分の霊界の地位が低いからです。例えてみ
れば"自分は信仰に入って有難い、よく分るが、どうも親父の奴は分
らない"又"娘も伜もこれに反対してしようがない、どうしたらよい
だろう"というように考えている人は随分あります。それは自分の霊
層界の地位が低いからです。若し自分が高ければ、自分の家族の者
は霊線が繋がってますから、自分の霊が高上すれば、その繋がって

いる枝でも幹でも、自分の地位の方に引張り上げられるわけです。
私が何時も言う"分らなかったらウッチャラかしておけ、急(アセ)って
早く信仰に入れようという考えはいけない"という事はそういう事で
す。ですからそういう事は全然考えないで神様に御任せして、自分
だけが一人でも多くの人を助けて、神様の御役に立つというように
すれば、自分の霊が上って行きますから、そうすると他の者も自然
につり上げられるから、黙っていても分るというわけです。結局に
おいて、根本の根本というものは自分の魂の居所にあるのです。た
だし魂だけが上に行っても、自分の霊や或いは肉体が伴なわないと
いう事は、そこにまだ汚れがあるからで、それの浄化が起こるわけ
です。 (後略)         
(御教え集30号  昭和29年1月27日)