このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
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ています。

 もし、皆さんの信仰の向
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平成28年7月度 ミニ講座

結 論     (信  昭和二十三年九月五日)

 此著を読了された読者諸君の感想はどうであらうか。忌憚(キタン)な
き批判を聞きたいと思う。私が
此著を書いた目的は随処に見らるゝ
如く、此混沌たる世相に対し、
確固たる宗教的信念を植付け安心立
命の境地に導かんとする事
であって、小にしては個人の幸福から、
より良き社会への改造、大にしては人類文化の飛躍的向上と相俟っ
て、永遠の平和確立に寄与せんとするもの
である。

之に就て思う事は、原始時代から今日に到るまでの文化の進歩の跡
を見る時、
素晴しい発達は今更言う迄もないが、甚だ不可解に思う
事は、人間の幸福がそれに伴わない事である。文化の進歩と人間の
幸福が伴はないという事に対し、
何か重大なる欠陥のある事に気付
かなければならない
。即ち唯物的文化に対し、唯心的文化の進歩の
跡が見られない事で、所謂跛行的文化でしかないのである。


 此意味に於て私は、大いに後れたる精神文化をして、茲に飛躍的
発展を遂げさせなければ、人類の幸福は期し得られない事を痛感す
のである。そうして精神文化の発展に就ては、その基本観念とも
いうべき霊的事象と、生と死の意義を、徹底的に知らしめなければ
ならない
。何としても見えざるものゝ実在を認識させようとするの
であるから、非常な困難を伴う事は当然である。それには先づ私自
身の体験を出来るだけ、主観を避け事実そのまゝを書くのが必須の
条件
である。


 此事は今日迄の宗教家が説かなければならなかったに拘わらず、
それが無かったのであって、偶々説く者ありと雖も、重(オモ)に学究
的理論の為一般人には難解であり、其他神憑的独善的のものや、神
話的寓意的のもの等が殆んどであったから、ともすれば文字の遊戯
に陥り、迷信に走り、真に人を救うべき実力あるものは見出し得な
いというのが実情であった。而も近代に到ってそれが益々甚しく、
従而既成宗教の無力を唱える者が漸く多く、殊に知識人の殆んど
は、宗教に帰依する事を以て自己の権威に関わるかに思い、触るゝ
事さえ警戒するというような事実は、何人も知る処であろう。然る
に世相は弥よ悪化し、その解決方法の唯一のものとして宗教を口に
は唱えるが、その人自身は前述の如く関心を持たないのである。


 それのみではない、終戦後の現代青年の問題である。其まで彼等
が目標としてゐた忠君愛国主義のその目標が崩壊したるが為、大方
は帰趨に迷い、或者は絶望的虚無状態に陥り、或者は自暴自棄とな
り、犯罪を犯す者さえ尠からざる現状は、洵に由々しき問題である
にも係わらず、之に代るべき何等の目標も生れず、又指導力も現わ
れないという現在、殊に青年学生等は経済的圧迫と相俟って混迷状
態に陥り、不安の日を送ってゐる。実に大問題である。私は忌憚な
くいえば、此等の
問題を解決すべき力は、遺憾乍ら既成宗教には見
出だせない
事を告白するのである。

 飜って惟うに、以上述べた如き思想問題も、社会問題も、早急に
解決しなくてはならないと共に眼を海外に向ける時、之又容易なら
ぬ事態の切迫に人類は兢々として不安の日を送ってゐる事は日々新
聞ラジオによって知らぬものはあるまい。曩に述べた如く、文化の
進歩と人間の幸福とが並行(ヘイコウ)しない如実の姿をまざまざと見せ
られてゐる。

 是に於て、起死回生的強力な宗教が出現しない限り、世界の前途は
逆睹(ギャクト)し難いと思うのは私一人ではあるまい。




  正直者が馬鹿をみるとは嘘だ 
          『地上天国』3号、昭和24(1949)年4月20日発行
 この標題のごとき言葉は大分前から聞くのであるが、この言葉を
深く考える時、はなはだ面白くない響きを社会人心に与えやしない
かと思う。しかし事実その通りであるなら致し方ないとしても、

の経験上この言葉のような事実は絶対にない事を保証する
。これに
関し以下論じてみよう。


 世の中をつくづくみる時、人事百般にわたって二種類の見方があ
る。すなわち一は
一時的見方であり、一は永遠的見方である。とこ
ろが一般人は一時的の結果によって善悪の判断を下したがる。たと
えば一時的巧く人を騙したり、物を誤魔化したりする不正直者の成
功をみて眩惑され「正直者は馬鹿をみる」と決める
のであるが、こ
れらを
今少し長い眼で見なくてはならない。そうすると必ずボロを
出し、恥を掻き、破たん者となる事は決定的と言ってもいいくらい
確実
である。これに引換え
正直者はたとえ一時は誤解を受け損をし
たり不利な立場に置かれても、時たち日を経るに従い、必ずその真
相が明らかになるもの
で、これまた決定的といってもいいくらいで
ある。これについて私の体験を述べてみよう。


 まず私の体験から書いてみるが、私というものは、若い頃から、
自分で言ってはおかしいが実に正直
である。どうしても嘘がつけな
。若い頃「君のような正直者は成功は覚束(おぼつか)ないか
ら、心を入れ替え出来るだけ巧く嘘をつかなければ世渡りも成功も
難しい
」と、よく言われたものである。私もなる程と思って一時は

一生懸命嘘をついてみるがどうもいけない。苦しくてたまらない。
人生が暗くなり不愉快な日ばかり送る
のである。そんな訳だからも
ちろん結果のいいはずがない。


その頃私は商人であったから、なおさら駆引や嘘がいいはずである
が、どうも良くないので、遂に意を決して
私本来の性格である正直
主義で通してみる事に決意
した。ところが面白い事にはそれから予
想外に結果が良く、第一業界の信用を増し、トントン拍子に成功
し、一時は相当の資産を作った
のである。そのため調子づいてあん
まり手を伸ばし過ぎたところへ経済界のパニックに遇い、再び起つ
能(あた)わざるまでに転落した結果、宗教生活に入ったのであ
る。


 けれども一旦決意した正直主義は飽くまで通して今も変らない
もちろん結果は良い。もっとも長い間には誤解を受けたり非難を浴
びたり、迫害をこうむったり、波瀾重畳茨の道を越えては来たが

用はいささかも落ちなかった
事は、
正直の御蔭であると今も痛切に
思っている。このような訳で現代人はどうも物の観方が一時的で一
時的結果に幻惑されがちである。ゆえに
人間は何事を観察する場合
でも、永遠的の眼で観なければならない
のである。

 この事はあらゆる事に当はまる。たとえば政治家にしても、一時
的に政権を獲得しようとして無理をする。ちょうど熟柿(じゅく
し)の落ちるのを待ち切れないで、青い中にモギ取り渋くて失敗す
るようなものである。こういう諺(ことわざ)もある。大政治家は
百年後を思い、中政治家は十年後を思い、下政治家は一年後を思う
というのであるが、全くその通りである。ところが今日はこの下政
治家が一番多いように思われるのは困ったものである。


また私の唱える無肥料栽培にしても、今までの農業は金肥や人肥を
施すと一時は成績が良いが、土を殺すから土は段々痩せてくる
。そ
れが気がつかないで、肥料の一時的効果に幻惑され、遂に肥料中毒
に人も土も罹ってしまうのである。この理は現代医学にて当はま
る。薬剤や機械的療法は一時は効果を奏するが、時が経つと逆作用
が起こり悪化する
が、最初の一時的効果に眩惑されて飽くまで同一
方法をとるその結果益々増悪するという事になるのである。

 最初に述べた一時的と永遠的との物の観方について注意を促した
のである。

(注)金肥・人肥:人や家畜の糞尿。農業生産のための重要な肥料として利用され
た。




   御垂示       (地天誌3号 妙智之光)

【問】浄霊によって善人と思われる人が助からぬ場合があるのにま
ったく悪人としか思えない人で助かる場合がありますのはいかなる
理由でしょうか。


【答】一般に人間の眼からみて善人悪人を決めるが大いなる間違い
である。これは神様からみると往々異う場合がある。
 「信仰雑話」にあるごとくすべて小乗と大乗とあってこれによっ
て見方が違う。
人を観る場合大乗的にみなくてはいけない。善人と
言っても本当の善人は極めて少ないので、ふつう善人というのはた
いてい意気地なしで、概して働きのある人は多く悪人に見えるもの

である。神様の御眼からみれば善人といっても役に立たぬ人間はこ
の世の穀つぶしで一種の悪人
である。大善をする場合は必ず小悪を
伴うもので、これはしかたがない
のである。その際小悪のみをみる
と悪人としか出見えない。また悪人からみれば善人は悪人である。

 要するに簡単に善悪を決めることはできない。善悪はまた時代に
よっても違う。忠君愛国思想も民主主義の現在では悪になる。要す
るに全人類平等に幸福にすることでなくて〔は〕本当の善ではな
い。




【問】私の子供二人とも戦死しました。いかなる因縁でしょう。

【答】子供が戦死したということはやはり一家に罪がそうとうある
ので、種々の災いに負けるわけである。戦争に行っても罪が少なけ
れば決して危い所へは行かない。戦争に行った信者の息子などほと
んどみんな助かっている。本教団へ入るとみんな罪の消え方が速い

からである。



【問】脊髄カリエスは巫子(みかんこ)などにより先祖の因縁を調
べたほうがよろしいでしょうか。


【答】因縁を調べてもしようがない。祖先の罪が霊界の浄化によっ
てその残滓(ざんし)が子孫のだれかの脊髄へ流れてくる
、実にそ
の膿の量は多量である。人間の身体全体を膿としてもカリエスの膿
はそれ以上に多量に出る。これは全治はするがせむしはすっかり治
らぬ。瘤(こぶ)はずっと低くなる。




   御垂示・・・「御教え集2号  昭和26年9月15日」より抜粋 

(お  伺)  遠道長太郎(五十二歳)一昨年家族全部入信。光明如来
様、御屏風観音様共に御奉斎致し、非常な御守護を戴いて居りま
す。八月二十七日頃より、二女康子(十四歳)が微熱があり、九月
一日登校したる処、朝礼の際立暗みがし、其日の午後より寝込み、
四十度二分からの高熱が出て非常な頭痛を訴え、手足をもがき唯な
らぬ容態になりましたので、早速教師の者が側につき御浄霊を致し
ました。この間時々嘔気をもよおしましたが何も嘔きません。眼も
充血致して居りません。自分の口、鼻等から出る息が非常に臭いと
申して居りました。この様な状態が二、三日続き、尚熱は四十度を
下らず、耳は次第に遠くなり、発病時より一週間目位から、次第に
こんこんと眠る様になりました。


食欲は全然なく、湯茶を少量飲む許りにて、便通は普通便から軟便
になり、小便は一日五、六回から回数を増して参りました。発病後
十一、二日頃より、熱は三十八度五分が最低で、大体三十九度前後
になり、夜間五、六回位下痢と色の濃い小便を多量にする様になり
ました。食欲は殆んどありません。十三、四日頃から稍意識が出、
重湯を二杯位と牛乳少量、お握り一ケ位食べる程度になりました。
本人は日頃から虚弱な体質で麻疹、急性肺炎、眼病等を以前患いま
した。病人の祖父、祖母は腸チフスで死亡して居ります。以上の様
な症状で右は結核性脳膜炎の様に考えられますが如何で御座いまし
ようか。尚右の経過は順調なもので御座いましようか。


 (お伺)の答えである「御垂示」は、おかげ話の後に掲載していま
すが、メシヤ様のお答えを読む前に、自分ならどう答えるか考えて
下さい。そして、考えが纏まったら回答を見て、メシヤ様のお答え
との違いを確認していただければ幸いです。よろしくお願いしま
す。




 (おかげ話)

   立札の奇蹟 
           『地上天国』2号、昭和24(1949)年3月1日発行
        大分県南海部郡川原村大字横川一九五 日本五六七教会帰一会
               小野九十九(51)受教修昭和22年12月18日
 私の地方では杉山を売ると杉材を搬出後必ず山一面を焼きます。
そしてその焼地に翌年杉の植付まで、大根、白菜、里芋、菜種、豆
類等を作る習慣となっています。

 私も今年杉山跡約一反歩に大根、蕎麦、白菜、大菜を播きまし
た。まず種子に約五分間浄霊を施し撒播しそれを耕作しますとこ
ろ、非常に発芽がよく見事に発育を続けていました。ところが発芽
後十日程して行ってみましたところ、周囲が雑木林、草野のため
「兎」や「きじ」「からす」がこれをみつけ、初めは少しでしたが
段々と広く荒しますので、このままにしておけば全滅の外なしとフ
ト思いついて立札に
「兎、からす、きじ、この大根、白菜を荒す
な」
と書きその立札に浄霊をして山(畑)の一角に突たてました。
その翌日行ってみると驚くべし、効果百%その後周囲にはいっても
絶対荒さなくなり、現在では普通の畑に作ったものよりも、無病健
全にして、しかも物凄く豊作型、近来なき上成績これではっきりと
観音妙智力の素晴しさをみせられました。




   野猪の畠荒しより救はれて
           『地上天国』2号、昭和24(1949)年3月1日発行
                日本五六七教会専信会 牟田原利子(20)
 宮崎県隅田武夫教導所にて本年三月十八日、日本五六七教会へ入
信教修を受けそれ以来救われし身の今は他人を救う事の出来る身と
なり、私の喜びこれに勝るものなく数々の奇蹟御利益と目の当りに
見る事が出来、深き御加護によって暗き心と病の中より救われて、
我が身に受けし喜びを分ち、神の実在と神の偉大なる力なるものを
皆様に知って頂きたく拙なきペンを持って御利益の一端を述べさせ
ていただきます。

 私の家は山間の農家にて畠は山の麓にございますので毎年猪の横
行にはホトホト手をやいていましたので早速先生にお伺い致しまし
たところ、畑の四隅に
「畑の作物は人間の喰うものなり、汝猪等こ
れを喰い荒すべからず」
とかきし立札に霊気を通して立てよとの
事、早速急ぎ帰りて実行致しお縋り致しましたところ、それ以来猪
は通ることは通りますが荒す事は「ぴたり」と止めてしまいまし
た。私もこれには吃驚しただただ不思議でなりませんでしたが、爾
来色々な御利益をいただき家の者と共に観音様の御利益の有難さに
深く感謝し、益々光明の道に励まさしていただいております。




   死人が感涙す 
     自観叢書第1篇『結核と神霊療法』昭和24(1949)年6月25日発行
      『地上天国』4号、昭和24(1949)年5月25日発行 
           石川県 日本観音教天国会光明分会 若狭恵子(38)

 私は主人が永い間結核に罹りあらゆる医者、民間療法、御祈祷、
おまじない等あらん限りの手を尽しましたが、最近では咽喉を犯さ
れ不治の刻印を押され絶望いたしておりましたが、主人が病床にう
めき苦しむのをみるに堪えず、何とかして少しでも楽にしてあげた
いと思っておりましたところ、たまたまお観音様の有難いお話を聞
き、早速お守をいただきまして夜も寝ずに御浄霊をさせていただき
ました。勿論
癒して頂こうとは夢にも思いません。ただ少しでも楽
にして頂ければとこの一念で
ございました。お蔭様にてお力を頂き
ました。その夜から今迄七転八倒の苦しみを続けておりました主人
もすやすやと安らかな寝息さえたてて寝んでくれました。ああなん
と言う有難い事でございましょう。


 発病以来こんなに嬉しく有難い事はありませんでした。でも薬毒
の多い主人は私の浄霊を心から感謝しつつ、安らかにお観音様の御
守護を感謝しつつ他界
をさせていただきました。お話には伺ってお
りましたが、死体は生前と少しも変らず手足も軟かく、顔などはむ
しろ品位を増し崇高く勿体ないようですが、お観音様のお顔のよう
になって参りました。私は有難くて両眼は熱い感謝の涙で一杯でご
ざいました。思わず
善言讃詞を奉誦させていただきました。すると
何と不思議な事でございましよう。
亡くなったはずの主人の両眼か
ら涙がポロポロと流れ出しました
。ああ主人も共に喜んで下さるか
と思うと一入涙がこみあげて来るのをどうする事も出来ませんでし
た。親戚や近所の人達は死体をこのままにしておけば硬くなって曲
らなくなるからとやかましく申しましたが、私は信ずるところがあ
って拒絶しました。


 二日目に葬式を出しましたが(死後三十時間)体は軟く、まだ命
があるのかと思われるくらいで御座いました。葬式の時は最前列で

善言讃詞を奉誦させていただいておりますと、全身から金色の御光
が放射され、並いる僧侶初め沢山のお参りの人達の眼にはっきりと
映り、皆一同手を合せ頭をたれ、お観音様のこの大変な奇蹟に吃驚
せられた
そうです。全く奇蹟の連続で御座いました。

 お蔭で村の人にもよくこの有難いお観音様の御力もはっきりと分
って戴け、こんな有難い事はございません。今後共一生懸命悩める
人をお救いさせて頂き、地上天国建設のため生命の続く限り御奉仕
させて頂く事を、固く固くお誓い申上げて御礼の言葉とさせて頂き
ます
。有難度御座いました。




(お  伺) の  〔御  垂  示〕

 之は順調ですね。心配ないですよ。段々良くなります。脳膜炎とも
一寸違う様ですね。
脳膜炎だつたら頭が割れる様に痛いですから
ね。
之は日本脳炎ですね。その非常に重いものですね。耳は治りま
す。溶けた毒が耳に溜つた
んです。一週間位から眠る様に――
脳膜
炎はこう言う事はない。眠るんじやない
。食欲がないのは仕方がな
い。便通は問題じやない。非常に順調ですよ。非常に重いから長く
かかるんですね。併し少し経つとずつと良くなる。薬毒も相当ある
から、それで長くかかる訳ですね。そう言う時には、序でに薬毒の
浄化も起りますからね。結核性脳膜炎じやないですね。日本脳炎で
す。それから、霊的には関係ないです。それで、
後頭部を良く浄霊
する。最初は相当固かつたでしようが――仰けに寝ているから気が
つかなかつたでしようが、そう言う訳ですから、決して心配ないで
す。