このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
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ています。

 もし、皆さんの信仰の向
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平成28年6月度 ミニ講座

宗教と科学       (信  昭和二十四年一月二十五日)

 宗教と科学とは今日迄別個の存在のように扱われて来たが、之は
大なる誤りである。実は
万有は科学に漏れるものはないと共に、宗
教に関係のないものもない
。何となれは科学と雖も、宗教とは切っ
ても切れない存在
だからである。それに気付かなかったという事
は、今日迄の宗教の説方(トキカタ)が余りにも浅かったからであるとい
う事は数百年又は数千年以前には、今日の如き文化の進歩がなかっ
たからで、其時代の人間に深遠なる理論を説くと雖も、到底理解出
来得ない訳で、総て神の意図は無益なる事を人をして行わせない

である。


 然るに、現在科学の進歩程度は、今一歩で神霊の分野に突入せん
とする迄に到ってゐる以上、神霊問題に対し科学的説明をなすと
も、現代人に理解させ得る事は敢て難事ではないからである。以上
の意味に於て、今日迄長年月の間固く鎖(トザ)されてゐた処の神秘の
扉を私は開扉しようとする
のである。

 私は科学者ではない。いわば科学のアマチュアである。その私が
科学を説くのであるから誤りがあるかも知れないが、多少の参考に
なり得るとすれば幸いである。


 抑々近代科学の中(ウチ)で、電気程人類文化に貢献しつつあるもの
はないであろう。実に凡ゆる方面に渉って電気の恩恵は今更呶々(ド
ド)を要しないが、もし電気が停止されたならば文化が停止されたと
同様であろう。全く
現在は電子時代である。然るに今次大戦の終末
に際し、突如として米国によって発明せられたのが、彼の原子爆弾
である。世界は此一大怪物に遇って瞠若したのは申すまでもないと
共に、之によって終戦を早めた事も勿論である。実に原子破壊の偉
力を最初に表わしたものは、多数の生命を一瞬にして奪う事であっ
た。がこれが進歩によって、反対に人類文化に如何に役立つべき偉
大なる発明となるかも、予想し得らるゝのである。そうして
電子時
代の次の時代
を劃すべき運命を持って生れたのが、この原子破壊で
あろう。とすればその
原子時代の次に来るもの、それは何である
か、
私の唱える霊子時代又は神霊時代ともいうべき、最高度の文化
時代
であろう事も想像し得らるゝのである。右に就て私は左に解説
してみよう。


 先づ火と水の原理に就て述べてみるが、最も端的にいえば、火は
水によって燃え、水は火によって流動する
といふ事である。もし火
がなければ万有は一瞬にして氷結する。それと反対に水分がなく火
のみとなれば、一瞬にして此大地球も爆破する
。此原理こそ原子爆
弾のそれである。即ち原子核に向ってウラニュウム又はプルトニュ
ウムの如き原素を放射する時、原子核にある水素が零となると同時
に爆発する。その小さなる爆発が周囲の原素を誘発させ、次から次
へと大きな拡がりとなり、大爆発となるのである。


此理に由ってウラニュウムでなくとも、水素を零とすべき強力なる
放射線でさえあれば、同様の効果を奏する
事は当然である。そうし
て今日原子核破壊の原理は一個の原子核を取巻いているエレクトロ
ンなる原素に向って放射能が攻撃破壊するというのであるが、私の
考えに依れば原子核は放射能に依って原子核にある水素を零とする
ので、これが破壊の原理
である。然し乍らこの原子破壊の原理も停
止することなき科学の進歩に依って近来プロトン説となり、アルフ
ァ粒子の発見に迄進んでいるそうである。


 次に霊子時代であるが、それは先づ宗教が中心とならなければな
らない
。茲で私は右の三時代を宗教的に解釈してみるが、先づ電気
であるが、
電気にも霊と体があって体は電光で、電燈の光がそれ
であり、
霊は無線として活用せられ、ラヂオもテレヴィジョンもそ
れであって、人間の声が何千里先まで音波となって到達するという
事は、言霊界の力動に外ならない
のである。


 次に原子界であるが、此界の体は原子核破壊という発明によって
発見されたが、霊は科学的には未知であり、
宗教的に言えば想念界
である。

 次は霊子界であるが、此界の体は中位以下の諸神諸仏の霊が活動
し給う存在
であり、此界から発現したものが既成宗教で、宗教に
種々の段階あるのは神霊仏霊に段階があるからである。

 次は霊子界の霊界(私は幽玄界と名づける)である。此幽玄界こ
そ、最尊最貴の神々が御座(オワシ)まし枢要する経綸を行はせ給う
ので
ある。以上説く処の
三段階の其上に坐すのが、独一真神即ち万能の
とも申し、大宇宙の主神で被在(アラセ)らるゝのである。此主神に対
しては、之を表現し奉る言辞もなく、文字もなく、唯だ無限絶対の
力徳の中心であり、一切の根元であると申すより外はないのであ


 次に私は、神仏の救済と罪穢の本質に就て科学的説明を試みてみ
よう。抑々世界には大中小種々雑多な宗教があるが、
何れの宗教と
雖もそれぞれ神仏諸霊が人類救済の意図の下に、霊界から御手を差
伸べてをり、現界に於る因縁ある人間を通じて、救済の業(ワザ)を行
わせらるゝ
のである。勿論その根本は主神の御経綸による事であっ
て、或時代、或民族、或地域、或期間、救の業を委任され給うたの
である。畢竟するにそれはその地域に罪穢が堆積し、文化の進歩に
支障を及ぼすべき程度に立到ったからである。そうして昔から宗教
の建前として、人間不幸の原因である罪穢の除去をされた
のである
が、然らば罪穢とは何ぞやといえば霊的には、個人としては霊の曇
りであり、社会的にいえばその地域の霊界の曇り
である。


曇りとは何ぞやといえば、水素中に発生し、生活してゐる一種の
毒菌
であって、之は常に増減しつゝある極微の粒子で、到底顕微鏡
によっても見得ない程のものであるが、
之等毒微粒子は悪の想念と
悪の行為によって発生し、増量し、それが人間の苦悩の原因となる

のであって、反対に善の想念、善の行為によって滅減するものであ
る。
曇が或程度増量するに従い、自然浄化作用が発生する。それが
小にしては人間の災厄や病気となり、大にしては飢病戦の小三災、
風水火の大三災ともなる
のである。然し乍ら右の
災厄を出来るだけ
小にし、又は無災となし、不幸をより軽減せしめんとする
活動が、
神仏の大愛から発する霊光であって、その媒介者として出現された
のが聖者、聖雄、宗祖等で、其下の取次者が各宗の宗教家であり、
天使でもある。そうして救いの場合、神仏はそれぞれ其時代の人間
に適応せる教義や方法を採(ト)らせ給うのである。


 前述の如き毒微粒子を消滅する原素は勿論火素であって、眼に見
えざる光
であり、それによって浄化作用が行われるのは、恰度日光
によって殺菌するのと同一の理である。此事を今一層徹底すれば斯
うである。
宗教の教又は祈りによって光明を受け、今迄眠ってゐた
魂が目覚め悔改め、善を想い善事を行うに至り、魂の輝きによって
毒微粒子の衰滅となる
のである。
 以上は宗教の科学的説明であって、是に到っては唯物科学もなく、
唯心科学もなく霊体一致の科学であり、今や来らんとする高度の文
化時代の科学の真相を、私は簡単に説いたつもりである。




   御垂示・・・(地上天国誌 3号 妙智之光)

【問】神は浄化を下し給うてお救いくださる反面、苦痛をも与え給
うのは罪業の許しの意味でしょうか、また浄化と関連して死が与え
られるということはいかに考えるべきでありますか。


【答】罪業の払拭(ふっしょく)は苦痛によって行なわれるもの
神にすがることによって楽にすむ場合とある。前者は無信仰者の場
であり、後者は信仰者の場合である。
 神からの救いの綱が下がってもそれをつかむことのできない人は
罪穢が多すぎ霊体が重くてつかむことができない
のである。しかる
にその後浄化のため病気災難などの苦痛が起り、それによって罪が
減るから霊が軽くなり、救いの綱へ手が届くことになる。そのよう
なわけでいくら良い教えを説いても救いの綱につかまり得ない人
は、その罪の減るまで時期を待つほかはない
そのとき無理につか
ませても落ちてしまう
。しかし右の場合、浄霊を受けれは楽に早く
浄化される。

 浄霊によっても死ぬのは多くの場合心から神にすがらぬからで、
その人の信仰のどこかに不純な点があることが多い。
いっさいを擲
(なげう)って神にすがる人は不治とみらるる病もたいていは助か
るもの
である。信仰の浅い人は危機の場合迷いが生じやすいので
のとたんに神の救いの綱が切れる
のである。


【問】七福神について。

【答】これは伝説的なもので、はなはだアイマイ極まるものであ
る。いろんな説や解釈があるが、要するに日本、支那、インド三国
の著名人を集めて古人が作ったものであろう。毘沙門天とか弁財天
とかすべて何々天というのはインドの位である。


 毘沙門天はインドの武神で一名多聞天ともいう。弁財天はインド
名であるが古典によれば、素盞嗚尊から生まれた三女神の中の市杵
島姫(いちきしまひめ)という日本の女神である。


 福禄寿は一名ゲホウ〔外法〕とも言い、寿老人も布袋和尚なども
ともに中国人であろう。


 大黒天についてははっきりしていないがインド人には違いない。
出雲大社では大国主命を大黒天と称しているが、これは昔営業政策
から流説したものであろう。大国主命は素盞嗚尊の長男で大黒天と
は関係がない。伝説によると、神代において天照大神が日本を統合
なされたとき、インドから渡って来た豪傑があって大神になにかに
使ってもらいたいと言うたところ、まことに無愛想な顔なので大神
は「そんな顔ではとても使えない、もっと優しい顔にならなくては
いけない」と申されたので、それからはニコニコ笑顔になったので
使われることとなり、金銀財宝を扱う役をおおせつかったというこ
とで、すなわち現代で言えば大蔵大臣である。これはおもしろい伝
説だと思う。


 恵比須というのは蛭子(ひるこ)の尊と言われ、骨なしというこ
とになっている。天照大神の息子で毎日釣りばかりして遊んでいた
ということである。骨なしとは要するに気骨のない人間という意味
であろう。とにかく真偽は不明であるが、なにか意味がありそうに
思う。

 また恵比須様は釣竿と鯛を持っているが、鯛は魚の王であるか
ら、海の幸を表徴したもの
であろう。

 恵比須様に対しては大黒様は槌を持っている。槌は土に通ずる
え、
槌を振ることは土の幸を産み出すという意味で、要するに海と
山との宝を出す、これが恵比須大黒の本当の意味
だと思う。

 元来観音様は高位の仏なるが故に、人を浄めたり、邪神を祓った
りしてお救いくださることはなされる
が、金銀財宝などの物質的お
救いをされる場合、大黒様に扱わせ給うのは事実で、金銀を集める
力を大黒様に与えられるわけ
である。それで観音様の前に大黒様を
お祭りする
ので、そうすると不思議に物質が集まってくる。

 これについておもしろい話がある。以前私が宗教人となった最初
のころ毎月赤字が続いたことがあった。するとある銀行員が大黒天
像を持ってきてくれたのでそれを飾ったところ、その月以来黒字が
続くようになったので、私は興味を持ち大黒天像を集め、一時は五
十くらいもあったが懇望されるまま人に与えたのでいまはほとんど
ない。その後
特別大きい大黒様が手に入ってからは予想外に金が入
るようになった
のである。

 不動銀行の頭取、故牧野元治〔次〕郎氏は有名な大黒様信者で、
自分は大黒様の生まれ変わりのように思っていたそうだ。大黒様の
夢のお告げで関東大震災の前に三千万円もの公債を買い、日本銀行
へ預けた。ところが震災のとき他の銀行は支払いを停止したのに対
し、不動銀行だけは右の公債を現金化してドンドン支払ったので大
いに信用を博して同業者間に頭角を顕したという話を聞いたことが
ある。




   御垂示・・・「御教え集2号  昭和26年9月11日」より抜粋 

(お  伺)  五十一歳の信者で御座いますが、昭和二十三年妻が入信
致し、本人は幼少より体が弱く、浄霊を戴き大変良くなり、昨年七
月光明如来様及び御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。本年二
月顔面神経痛の浄化を戴き入信致し、其後大変に良くなり、仕事も
出来る様になりました。一昨日(九日)朝急に頭が重くなり、浄霊
を戴き直ぐ良くなりました。同日午後右手頸より肱の辺迄強い痛み
を感じ、寒気が致し、浄霊二十分位で寒気が取れ、腕の痛みも薄ら
ぎましたが、背中と足に高い熱があり、心臓及び胸一面が苦しく、
急激に寒くなつたり、熱くなつたりしますが如何なる訳で御座いま
しようか。数年来脱腸があり、其浄化を度々戴いて居りますが、は
かばかしく御座いませんが霊的な関係が御座いましようか。御垂示
御願い申上げます。


 (メシヤ様の御垂示は、おかげばなしの後に掲載しています。すぐ答えを見ずに、
上記の質問に対して、読者の皆さんであればどのように答えますか、考えてみて下
さい。そして自分なりの答えを見つけたところでメシヤ様の答えを見るようにして
下さい。)




  再び生命を頂いて  
           『地上天国』4号、昭和24(1949)年5月25日発行
                日本五六七教春陽会教導師 荒川正尊(22)
 私は昭和二十二年三月より観音様の妙智力により今日まで幾多の
御利益を戴いております。その喜びの一端を御報告させて戴きま
す。

 毎年病人の絶えなかった私の家、神経質で感謝の念の乏しかった
私も医師から見はなされた胸部疾患が良くなり、あれ程痛めた痔瘻
の苦痛もとれて病神は去り家中観音様の御光で明るい日々を過させ
て戴いております。去年十二月七日の御拝顔頂き本部の参拝をすま
せ、八日夜行にて帰る途中から久し振りの下痢の浄化を頂きまし
た。三日程してより喀血し出しましたが何とかして月中の御拝顔日
には御礼参りがしたいと近澤先生に浄霊して頂いておりました。


十六日の夜行で七時間汽車にて御礼参りさせて頂きました。大先生
の御拝顔の時御伺い事項もすみ、大先生より外にたずねたき事はな
いかとの御言葉に、直接その場で
大先生に自分の発声不自由なる事
をおたずね
申し、しっかりお縋りして気長く浄霊して頂きなさ
い」
との御言葉まで頂き喜んで帰って参りました。

その後二十日すぎてより全身浄化でしかも胃潰瘍の極度の痛みが七
日程つづきましたが、快方に向い明るい正月を迎えさせて頂きまし
た。下痢は正月二日まで続きましたが身体は左程弱らず却って軽く
動けるようでした。またしても正月早々有難い特別なる御守護を戴
き早速御礼申させて戴きます。


正月二日分会長先生宅で御祝の食事中、夕方四時半頃より嘔吐し初
め二度に渡り腹中の食物を殆んど出しつくし二度目頃よりつきあげ
て来て胸がしまるようで段々視覚がなくなり、その後死の寸前をさ
迷いつつ近澤先生始めお集りの先生方の誠心の世界に浸らせて戴い
ておりました。五時少し過ぎた頃大先生への特別御守護を電報でお
ねがいして下され、必死の皆様のお縋りによって電報発信後約一時
間程してようやく己にかえり神前や私の周りからの一心なるお祈り
の声におどかされました。教導師の先生が六七名もそのまま帰らず
に一部は膝節まで冷たくなっていた私を浄霊下され、これが日頃先
生方が良く言われる熱と誠心の持主許りの集りであると泌々感謝の
念で一杯でした。近澤先生は段々力のなくなってゆく私の手をしっ
かり握りつつ、たえまなく「御用のある身体だ、しっかりお縋りせ
よ」
と叫びつつ浄霊して下さいましたそうです。その後分会長先生
宅に宿めていただき、夜中先生方が浄霊して下され、一たん死を覚
悟していた私は有がたき、大先生の特別なる御守護と多くの人々の
誠心からのお縋りによって一命を救われたのであります。


明けて三日の朝からは身体こそ自由にはなりませんが、食事は常時
と変らず却って美味しくその後日に日に快方に向い一月七日の御拝
顔日には床の中でしたが、十日には往復五時間ある中京の渡辺先生
宅の例祭に御礼参りさせて戴き、
今までは絶えず左の胸部(人工気
胸のあと)が痛んでおりましたが、その痛みもなくなり声の方も
段々発声が自由になり今少しと言うところ
です。三度の食事も今ま
でとはまるで変り、何を食べてもおいしく本当の味がするようにな
りました。また本日(十六日)は大先生へのお礼参りにこうして元
気な喜びで一杯の身体で出掛けさせて頂きました事を御礼かたがた
御報告させていただきます。


 理論を越した神秘即ち観音妙智力によって一日も早く世の人々が
古いかたまった考えから覚醒して観音様にお縋りして地上大国大建
設のため一人でも多くの人が救われますよう心から念じます。私も
今後益々この感激を皆様におつたえして万分の一の御恩報じさせて
頂きます。




   〔御 垂 示〕(お伺いの答え)
 之は霊的ではありません薬毒が体躯中にある。それで方々に固
まつているのが、順に溶けて来る。其浄化です
、ですから、根気良
くやればすつかり治ります。寒気がするのは、そこに熱がある
に高い熱があるのは、薬毒の固まりが溶けて来る
んです。心臓に浄
化が起つて熱がある。それで胸が苦しい。脱腸はお腹に固まりがあ
り、押している訳ですがね。霊的と言うのは滅多にないですがね。


 それから霊が憑ると言う事は、そこに曇りがあるので、曇りがな
いと憑れない
曇りと言うのは薬の毒ですからね。何処かに病気と
か、苦痛があれば、何時薬を飲んだか――あの時の薬だ、と言う事
で分ります。
病気は何でも薬だと思えば間違いない何でも霊的
だ、霊的だと言うのは――そんなに思わない様にした方が良い
です
ね。精神病や癲癇は絶対に霊的ですがね。他の――痛いとか痒いと
か、熱が出るとか――そう言うのは皆な薬ですからね。ここが痛い
と言うのは、何時の薬だろうと考えると分る。

 それから漢方薬が恐いですね。漢方薬は頭に来ますからね。あの時
の漢方薬だと思えば分ります。
私は始終薬の事を書いているが、
中々染込まないですね
。何しろ長い間薬毒迷信にかかつてますから
ね。