このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
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下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
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※何か質問などある場合
は、「お問い合わせ・質問
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いします。

平成28年4月度 ミニ講座

 善と悪    (信  昭和二十四年一月二十五日)

 世の中は善悪入り乱れ、種々の様相を表わしてゐる。即ち悲劇も
喜劇も、不幸も幸福も、戦争も、平和も、其の動機は
であ
る。一体どうして善人もあれば悪人もあるのであろうか。此の善悪
の因って来る所の何か根本源因がなくてはならないと誰しも思うで
あろう。


 今私が茲に説かんとする処のものは、善と悪との原因で、これは
是非知っておかねばならないもの
である。勿論普通の人間であれば
善人たる事を冀い、悪人たる事を嫌うのは当り前
であり、政府も、
社会も、家庭も、一部の人を除いては善を愛好する事は当然であっ
て、平和も幸福も悪では生れない事を知るからである。


 私は判り易くする為、善悪の定義を二つに分けてみよう。即ち
人とは「見えざるものを信ずる」人
であり、悪人とは「見えざるも
のは信ぜざる」人
である。従而「見えざるものを信ずる」人とは、
神仏の実在を信ずる、所謂唯心主義者
であり、「見えざるものは信
じない」といふ人は唯物主義者であり、無神論者
である。その例を
挙げてみよう。


 今人間が善を行ふ場合、其の意念は愛からであり、慈悲からであ
り、社会正義からでもあり、大きくみれば人類愛からでもある。そ
うして善因善果、悪因悪果を信じて善を行う人もあり、憐愍の情止
むにやまれず人を助けたり、仏教でいう四恩に酬いるというような
報恩精神からも、物を無駄にしない、勿体ないと思う質素、倹約
等、何れも善の表われである。又人に好感を与えようとし、他人の
利便幸福を願い、親切を施し、自己の天職に忠実であり、
信仰者が
神仏に感謝し報恩の行為も、神仏の御心に叶うべく努める事も、悉
(ミナ)善の表われ
である。まだ種々あろうが、大体以上の如くであろ
う。


 次に悪事を行うものゝ心理は、全然神仏の存在を信ぜず、利欲の
為人の眼さえ誤魔化せば、如何なる罪悪を行うも構わないという-
-虚無的思想
であり、欺瞞は普通事の如く行い、他人を苦しめ、人
類社会に禍いを及ぼす
事などは更に顧慮する事なく、甚しきは殺人
さえ行うのである。そうして戦争は集団的殺人であって、昔からの
英雄などは、
自己の権勢の為、限りなき欲望の為、大戦争を起し、
「勝てば官軍」式を行うのである。「人盛なれば天に勝ち、天定っ
て人に勝つ」という諺の通り、一時は華やかであるが、必ずと言い
たい程、
最後には悲惨な運命に没落する事は歴史の示す処で、勿論
動機は悪である。


 斯様に人の眼さえ誤魔化せば、如何なる事をしても知れないとい
う事
であれば、出来るだけ悪事をして、栄耀栄華に暮す方が得であ
り、怜悧--という事になる。又死後人間は零となり、霊界生活な
どはないと思う心が悪を発生する
事になる。然るに如何程悪運強
く、一時は成功者となっても、長い眼でみれば必ず何時かは没落す
る事は例外のない事実である。第一悪事を犯した者は、年が年中不
安焦燥の日を送り、何時何どき引張られるか判らないという恐怖に
脅え、良心の苛責に責められ、終には後悔せざるを得なくなるもの
である。よく悪事をした者が自首したり、捕ってから反って安心し
て刑罰にあう事を欣ぶ者さえある事実を、吾等は余りに多くみるの
である。それは即ち神より与えられたる魂が、神から叱責さるるか
である。何となれば
魂は霊線によって神に通じてゐるからであ
る。故に悪を行う場合、
完全に人の眼を誤魔化し得たとしても、自
分の眼を誤魔化す事は出来ない
から、人間と神と霊線で繋ってゐる
以上、人間の如何なる行為も神には手にとる如く知れる
からで、
何なる事も閻魔帳に悉く記録さるゝ
という訳である。此の意味に於
て悪事程割の悪い事はない訳である。(神と魂との関係に就ては後
段『霊線』の項目に於て詳説する)


 然し乍ら世の中には斯ういう人もある。悪事をしようとしても、
若しか行り損って世間に知れたら大変だ、信用を落し非常な不利益
となるから、という保身的観念からもあり悪事をすればうまい事と
は知り乍ら、意気地がなくて手を出し得ないという人もあり、又世
間から信用を得たり、利益になるという観念から善を行う
功利的善
もある。又人に親切を行う場合、斯うすれば何れは恩返しをする
だらう--とそれを期待する者もあるが、此の様な親切は一種の取
引であって、親切を売って恩返しを買うという訳になる。以上述べ
たような善は、人を苦しめたり、社会を毒したりする訳ではないか
ら悪人よりはずっと良いが、真の善人とはいえない。先づ
消極的善
とでもいうべきであろう。

従而此の様な善人は、神仏の御眼から覧れば真の善人とはならな
い。
神仏の御眼は人間の腹の底の底まで見通し給うからである。よ
く世間の人が疑問視する「あんな好い人がどうしてあんなに不幸だ
ろう」などというのは、人間の眼で見るから
の事で、人間の眼は表
面ばかりで肚の底は見えない
からで、此の種の善人も詮じ詰めれば
「見えざるものは信じない」という心理で、何等かの動機に触れ、
少々悪事をしても人に知れないと思ふ場合、それに手を出す憂があ
る以上、危険人物とも言へる訳である。之に反し
見えざる神仏を信
ずる人
は、人の目は誤魔化し得ても神仏の眼は誤魔化せないという
信念によって、如何なるうまい話と雖も決して乗らないのである。
故に現在表面から見れば立派な善人であっても、神仏を信じない人
は、何時悪人に変化するか判らないという--危険性を孕んでゐる
以上、やはり悪に属する人と言えよう。


 以上の理によって真の善人とは、「信仰あるもの」即ち見えざる
ものを信ずる人にしてその資格あり
--と言うべきである。故に私
は現在の如き道義的観念の甚しき頽廃を救うには、信仰以外にない

と思うのである。

 そうして今日迄犯罪防止の必要から法規を作り、警察、裁判所、監
獄等を設けて骨を折ってゐるが、之等は恰度猛獣の危害を防止する
為檻を作り、鉄柵を取廻すのと同様である。とすれば犯罪者は人間
として扱われないで、獣類同様の扱いを受けてゐる訳で、折角貴き
人間と生れ乍ら、獣類に堕して生を終るという事は、何たる情ない
事であろう。
人間堕落すれば獣となり、向上すれば神となるという
のは不変の真理
で、全く人間とは「神と獣との中間である生物」
ある。此意味に於て真の文化人とは、獣性から脱却した人間であっ
て、
文化の進歩とは、獣性人間が神性人間に向上する事であると私
は信ずるのである。従而、
神性人間の集る所--それが地上天国
なくて何であろう。




  御垂示・・・(妙智之光 地天2号より)

【問】観音力(かんのんりき)、観音行(かんのんぎょう)、観音
心(かんのんしん)について。


【答】観音力とは観音の発揮する力であって、この観音力をいただ
けば人間がこれを発揮することができる
のは諸君が無数の奇蹟を行
なっている事実によっても明らかである。ただその際、
人により発
揮する力の強弱の差別はある


 観音心とは観音の大慈大悲の御心でありその御心を心として体現
することが観音行
である。特に観音心行においては絶対に人を咎
(とが)めてはならぬ
。この人を尤(とが)めるのが一番いけない
のである。

 御讃歌に菩薩行ということがあるが、菩薩とは仏教では覚者を指
すのである。この菩薩まではだれでもなれるのであるが如来には容
易になれない。如来も無論インドの位で、尊者、菩薩、何々天、如
来、明王という位がある。菩薩行とはその菩薩になるまでの行をい
うのである。


 観音様のことを無碍光如来(むげこうにょらい)とも応身弥勒と
もいう
のであるが、これは自由無碍、円転滑脱、行き詰まることの
ないお働き
をいう。また応身とは、相手に応ずることで、時により
所により人によりあらゆるものに応じ千変万化の行をするので三十
三相に化現されるというのも、応身のお働きを示したものである。
であるから
観音行においてはまず応身することができなくてはいけ
ない
。そして本当に観音行が腹へ入ればどんなことでもうまく行く
のである。


 観音様は一面非常に勇猛な点もあるので、最勝妙(さいしょうみ
ょう)如来という御名もあり、また馬頭観音のお働きもあるが、こ
の場合は獣になられて悪鬼羅刹(あっきらせつ)を克服されるので
ある。


 神様のことはことごとく極めて合理的であって、神様のなさるこ
とやお許しのあることは必ず肯(うなず)けるべき理屈がある
。従
って
人間の行動も無理がないとともに理屈が立たなくてはいけな
い。
しかしそれは決して窮屈に難しく考えるのも感心できない。要
するに
信仰は当然のことを行えば良いのである。よく「果報は寝て
待て」と言うが、あらゆることは決して焦ってはいけない。寝て待
つくらいな、常にゆったりした気持ちでなくてはならぬので、そう
すれば物事がうまくゆくということで、これも観音行の一面
であ
る。




【問】自己の不徳のため、相手に迷惑を及ぼしたのでこれを謝罪し
相手も許してはくれたものの、なおかつ自己の良心に責められる場
合、安心を得られる悟りにつき御垂示ください。


【答】相手が許したら罪は大方消えているが、それで全部が消えた
わけではない
真の裁きは神様がなさるのだから神様が許したので
なくては完全ではない。先方が許せば怨みの霊が来なくなるから大
きい影響はなくなる
。ちょうど法律に触れるような罪を犯した場
合、悔い改め自首しても刑罰は軽くはなるが無罪とはならない、そ
れと同様である。




   御垂示・・・「御教え集2号  昭和26年9月8日」より抜粋 

(お  伺 1)
【問】  本年三十一歳になりますが、二十歳の時盲腸を手術致しまし
た。昭和十六年に北支に嫁ぎました。翌十七年に肋膜にて、軍の病
院に入院致し、四十日位で退院し、子供も出来ましたが、夫が召集
の為本国に帰り生家に居りました。十月に御光りを戴き御浄霊をさ
して戴いて居りました。去年十月より大浄化を戴き、先生方に御浄
霊をお願いして、良い方に向いましたが、咳の為に声が出ません。
夫は戦死して居り、病床に迎えに来ると申します。何か霊的関係が
御座いましようか。八月中旬より足が腫み、食物は三度の都度一膳
位頂いて居りましたが、九月三日より浄霊を止(ヤ)めて欲しいと言う
ので休ませて頂きました処、四日より六日迄食事を致しません。六
日夜、父が御浄霊させて戴きましたら、突然食事が欲しくなり、一
膳食べ、七日の朝も食べ、六日の夜は良く休みました。御浄霊の箇
所を御教示御願い致します。


というメシヤ様への質問です。メシヤ様の御垂示を拝読する前に、
読者の皆さんなら、どのように答えますか?しばらく考えてみて下
さい。回答は、(お伺 2)の後に掲載しています。




(お  伺 2)
【問】  昭和二十三年十一月二十五日左の下顎骨が顎裏を破つて膿と
共に排泄致し、現在尚破れた口(二寸位)の両側が髭のある儘内側
に巻込み、丁度ザクロの割れた様になつて皮が張つて了い、此処か
ら絶えず唾液が流れたり、息も洩れたり致します。唇、下顎あたり
全体は絶えず痺れて、締付けられる様な感じと激痛が続いて居りま
すので、長時間体を動かしますと目眩が致します。下歯は肉につい
た儘残つて居りますが使用出来ず、奥歯が口を動かす毎に上顎をつ
き上げ、その痛みの為苦しんで居ります。御蔭様で食欲があります
ので体力は御座います。余りに長い御浄化に家族の者は罪の深さを
知つて、浄化中の父と母と兄嫁を残して、兄弟三人御神業に専念さ
せて頂いて居ります。

 信仰上到らぬ点並に御浄霊の急所と皮の張つた傷口と残つた奥歯
は、今後何の様になるもので御座いましようか。


というのが次のメシヤ様への質問です。読者の皆さんなら、どのよ
うに答えられますか?回答は、(おかげばなし)の後に掲載していま
す。




   (お  伺 1)
   〔御  垂  示〕
 霊的関係がないとは言いませんがね。夫に信仰がなくて、分らない
と迎えに来るんです。然し迎えに来ても、こつちに御守護があれば
何ともない。
信仰が徹底しなければならない。フラフラしていては
いけない。
この人は少しフラフラしている様だから、徹底しなけれ
ばならない。
絶対に神様にお縋りして――と言うのでなければ――
そうすれば、迎えに来ても諦らめて止(ヤ)めますよ。
邪神に憑かれる
とか、霊に何うかされるとかと言うのは、信仰が弱いから
です。絶
対の信仰なら先が諦らめて了う。
霊と言うのは隙を狙うんですから
ね。絶対の信仰なら隙がないから、先が諦らめる。だから、この人
出来るだけ御神書を読むんです。そうすると段々分つて来て、信
仰が厚くなる
。浄霊は背中から横腹ですね。背中を押して見て痛い
処があれば、そこに固まりがあり、そこから熱が出る。盲腸の方
は、お腹から右の方の股にかけて、それから盲腸の後にかけて――
そこを触つて見れば熱いから、そこをやれば治りますよ。




 観音様から頂いた私の御利益 
            『地上天国』2号、昭和24(1949)年3月1日発行
      岐阜県海津郡今尾町須脇 日本五六七教会専信会 岡田とみゑ(28)

 現代医学によって「乳癌」「腹膜炎」と命名された私は一年間苦
しめられて参りました。その間医学療法及び種々の治療は勿論、お
徳様という信仰等人のいいという方法は全部試みましたが、病状は
一進一退良好なる結果を認めることは出来ず
、一歩一歩と近づく黄
泉の旅路に心細さを感じ、日夜身もだえ苦しんでいました。折から
光明如来様の噂を耳にし「溺れる者藁をも掴む」とか早速救いを求
めましたところ、快く迎えて下さいました。先生方は私の心持に活
路を与えて下さり、僅か一週間の浄霊であれ程苦しんでいたのに苦
痛も消え去り、余りの有難さに頭をさげ御礼の言葉も出ず、到底筆
舌の遠く及ばない感謝感激に咽びました。


 かかる奇蹟が誰にも修業もせずともお守を頂くのみにて、その日
から出来ると聞き主人と相談の上、一昨二十二年四月教修を受け毎
日喜びの日を送りつつ本日に到ったので御座います。昨年六月二十
七日お礼詣りに参上の折、大先生のお言葉の中に「女は子を生み、
家にて御用出来得るのが女としての道……」のお話を承りその他
色々の御利益に童心に還り喜々として立帰りましたところ、計らず
主人と共に喜び新しき生命を迎える日の近づきつつあるに気づ
き、主人と共にかような元気になりし有難さに光明如来様の御利益
にただただ涙を流して喜び合いました


 八月二十五日入浴より出でたる際何の苦痛もなく下り物がありま
したので、即座に手拭で受けましたところ、よく見れば
早産ながら
男の子が生れている
のに二度吃驚早速主人の浄霊をうけ、子供を抱
きあげましたが、幸か不幸か神の御恵のいずこにあるか知る由もな
き私達にとり巻かれて
八時間後に黄泉の客となりました。私はその
ために受けた浄化作用で頭が割れるかと思われる程痛み、小水は甚
だ多きも便通なく、翌々二十七日折柄当所にお立寄りの先生方二人
より浄霊をうけ身も心も「ホッ」として楽になり、二十八日には便
通ありて以後殆んど苦痛はなくなりました。


医学は流産後の妊婦は生水の飲用は一命に係わるからと厳禁してい
ますがこれは浄霊を受けつつ何等心配もなく生水の飲用欲するまま
の食事で、若干身体は「フラフラ」致しましたが家庭の御用を果
し、
三十日から普通健康体のお方と変りなく働けるようになりまし
た。奇蹟は信徒にとっては何と日常茶飯事とはいえ、身を以ってそ
の事実を味わせて頂き御利益の有難さに感泣しつつ神の偉大なる力
に頭の下がるのを止めることが出来ません。

 その他頭痛、微熱、腹痛、怪我、歯痛等々に受けし御利益の数々
枚挙に暇なき程
でございますが、私の最初の動機と最大の御利益を
報告させて頂き、光明如来様の信仰を厚くすると共に、一日も早く
国民全員入会されるよう努力致しますことを誓わさせて頂きます。




  (お  伺 2)
 〔御  垂  示〕
 この人は以前に何か薬を入れた事があるのですか。
   「性病の様な事も多少あり、薬も随分入れて居ります」
 それです。薬毒ですよ。薬毒がそこによつて出ようとしている。薬
毒が沢山あるから日がかかる。浄霊を始めてから何の位になります
か。

   「三年位です」
 その位じやしようがない。私は歯を毎日浄霊してますが、之で三十
六年です。

   「傷口ですが、巻込んだ儘毛が生えて参りますが」
 それは切つたら良い。
   「その間に歯が顔出して居ります」
 色んな変化があります。結局、薬毒ですよ。ですから、薬毒を簡単
に思うが、薬毒は大変なもの
です。私は浄霊始めてから二十年にな
るが、未だ解決しない。今でも毎日やつてます。慣れつこになつて
了つたが、年々治つて来ます。薬を入れたのが昭和三年ですから
ね。未だ取れない。薬毒の少しひどいのは十年、二十年は何でもな
。だから三年位ではね。迷つたり、懊(ジ)れたりしては神様に申
し訳ない
命がないんですからね。それに感謝する事で、それに一
寸でも――何うかすると、御守護が切れます