このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
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平成28年3月度 ミニ講座

神は在るか    (信  昭和二十四年一月二十五日)

 此の問題に就いては昔から今日迄論議されていて、未だ解決は付
かないが、之に就て先づ私自身の経験をかいてみよう。といふのは

私は三十二三歳の頃までは極端な無神論者で、神社の前を通っても
決して礼拝をした事がない
。その理由は斯うである。

凡そ神社の神体なるものは、木製の御宮と称する屋根と扉のある小
さな一個の筥(ハコ)を作り、その中には金属製の鏡か石塊(イシコロ)か又
は文字の書いた紙片があるばかりで、それを拝むといふ事は何の意
味もないではないか、従而それを拝むなどといふ事は迷信以外の何
物でもないと決めてゐたのである。其の頃私は哲学に趣味を持ち、
当時流行してゐたドイツの哲学者オイケンの説に共鳴したが、その
中に斯ういう事がある。


 元来人間は、何かを拝まなければゐられないという本能がある
野蛮人は木か石で何かの形を造り、それを立てて拝んで満足してゐ
る。文明人はそれの高等なるもので、偉人などの死後その霊を偶像
化して拝む。其の際供物を供え、華などを上げるが、それは必ず拝
者の方に向けられる。神に捧ぐるものなら神の方へ向かせるべきで
はないか、そうしないのは全く自己満足の為でしかないというので
ある。というやうな訳で私は極端な無神論者であった当時の私を
省みる時、今日恐ろしい気がする位である
。故に今日無神論者の話
を聞いてもよく判り得るのである。そうしてゐる中に私は
運命の大
転換
をせざるを得なくなった
。それは事業の大失敗と時を同じうし
て、
妻の死である。永年に渉り粒々辛苦して作った財産も失ひ、反
って大きな負債を負う事になり、悲観のドン底に陥った
が、そのよ
うな時に誰しも辿るのは信仰への道で、苦しい時の神頼みである。


私も同様信仰を求めざるを得なくなり、種々の宗教を漁ってみたが
余り魅力を感ずるものはなかったが、中で独り当時流行の大本教に
魅力を感じたので遂に入信し、漸次熱心な信者となった。然し乍ら
私の疑ひ深い性格は全身全霊を打込むまでには到らなかったが、無
神論だけはどうやら解消した。
確かに神は此の世に在るといふ事を
知った
からである。

その事は次項に譲るが、当時私の生活は奇蹟の連続であった疑え
ば疑ふ程その疑ひを解かざるを得ない奇蹟が現はれる
。どう考へて
も理屈では解らない。
神は在るといふ訳で、一人の頑迷なる無神論
者も、神の前に頭を下げざるを得なくなったが、そればかりではな
い、
私の現世に生れた大使命を、或る形式によってマザマザと知ら
された。
愈々私も大決心をしなければならない
。それは一切を放擲
し、信仰、否人類救済の大聖業に邁進しなければならないといふ事
で今日に及んだ
のである。




   見神に就て  (信  昭和二十四年一月二十五日)

 忘れもしない。私が宗教研究を始めて間もない頃であった。或中
流家庭の廿歳になる娘が、肺病の為、数年間療養生活を続けて来た
が、どうしても治らないので、私は頼まれた。当時大本教信者であ
った私は、鎮魂帰神なる方法の下に霊治療を行ったのである。二三
週間の霊術によって非常に快くなった。
病気の原因は、四代前の其
家の当主の弟が、失踪行方不明となったまま終に野垂死
をした。勿
祀られる筈もなかったので、無縁仏となって地獄に落ちて居た

地獄の苦しみに堪えかね、正式に祭ってもらひたいと、その一念か
気附かせるべく子供を重い病人にしたが、気附いてくれないの
で、「此上は死なせる外はない」と想ひ、右の娘に憑依し生命を奪
おうとしたのである。


 右の事情が判った訳は斯うである。娘に霊療法を行った三回目で
あった。娘の傍に座ってゐた母親が突如として起ち上り、物凄い面
貌をしながら、私に向って掴み掛らうとするのである。と共に荒々
しい言葉で--

 「貴様は  よくもよくも俺が殺そうとした此娘を助けやがった。俺
は腹が立って堪らないから貴様をとっちめてやる」
--と言ふので
私は吃驚した。何故ならば、憑霊現象の事は予て聞いてはゐたが、
実地にぶつかったのは初めてだからである。私は--

 『マーマー座んなさい』
と言った処、彼は温和(オトナ)しく座った。
 『一体、貴方は誰方です』
と私は訊いた。それから両者の問答が始まり、知り得たのは前述の
やうな事情である。そこで私は-

 『人の生命を奪(ト)るという事は、もし成功すれば其罪によってヒ
ドい地獄へ堕ちなければならぬ』
と言った処、最初は疑ってゐた
が、私が種々説いたので、漸く納得がゆき、娘の病気を治すべく協
力を誓ったのであった。そうして右の母親なる婦人は年齢五十歳位
で、霊媒としては最も理想的であって、霊が憑依すると其間全然無
我になり、自己意識が少しも入らないからである。元来
霊媒として
の資格は自己意識の入らない程可い
としてあるが、斯ういうのは極
稀で、大抵は幾分覚醒状態であるから、それだけ自己意識が邪魔す
るのである。


 然るに一旦快くなった病状が、幾分後戻りの傾向が見えた処、或
日母親が訪ねて来た。

 「此両三日前から、私に何かの霊が時々懸るらしいから査(シラ)べて
もらいたい」

 というので、早速私は鎮魂帰神法を行った。彼女は瞑目合掌端座し
た。私が祝詞を奏上し、それが済むや否や彼女は口を切った。其時
の問答は左の如きものである。


 彼女の合掌してゐる手が動(ヤ)や震へ、呼吸が稍(ヤ)やせわしくな
った。之が神懸現象の普通状態である。

私『貴方は誰方です』
彼女「此方は神じゃ」
私『何神様でゐられますか』
彼女「魔を払ふ役の神である」
私『何の為に御懸りになりましたか』
彼女「其方が今病気を治してゐる此肉体の娘に最近悪魔が邪魔して
ゐるから、それを防ぐ方法を教へに来た」

私『では、どういふ方法で?』
彼女「毎朝艮の方角へ向って塩を撒き、大祓い祝詞を奏上すればよ
い」

私『有難う御座います。然し貴方の御名前は』
彼女「今は言う訳にはゆかぬ」
私『種々御尋ねしたい事があるが』
彼女「其方に浄めの業を教へる為に来たのであるから外の事は言う
事は出来ぬ。では直ぐ還る」


と言うや直ちに御帰りになった。と同時に彼女は眼を見開き、曰く

彼女「アゝ吃驚した」
私『何を吃驚しましたか?』
彼女「最初、先生が祝詞を奏上なさるや、自分の後の方からサーッ
という物凄い音がしたかと思うと、私の横へ御座りになった御方が
ある。見ると非常に大きい人間姿で黒髪を垂らし、白布(シロヌノ)のよ
うなもので鉢巻をされてゐる。よく視ると、衣服は木の葉を編んだ
如きもので、その木の葉の衣服は五色の色に輝き、燦爛(サンラン)とし
て眼もまばゆい美しさである。御身は非常に大きく、座ってゐて頭
部は鴨居に届いてゐる。その御方が自分の身体へ入ると共に無我に
なった」
--

というのである。実は私は最初「神じゃ」と言はれた時に、前々か
ら神にも贋神があるといふ事を聞いてゐたので、警戒してゐたが-
-右の話によって贋神ではなく真正の神様である事を知ったのであ
る。其後それが国常立尊という神様で、軍神(イクサガミ)の時の御姿で
ある事も判った。
国常立尊という神様は最高位の古い神様で、各所
に祭られておらるるのである。

 其後も私は此神様から種々の奇蹟を見せられ、且つ私に御懸りに
なり、種々の事を教へられ、御守護を受けた
事も一再ならずであっ
た。




   夢に就て      (信  昭和二十四年一月二十五日)

 私は夢に就てよく人から質かれるので、茲に語ってみよう。凡そ
人間と生れて夢を見ない人はあるまい。然し単に夢といっても種々
(イロイロ)ある。ザット種類を並べてみれば神夢、霊夢、雑夢、正夢、
逆夢等であって、
神夢とは神の御告げであり、霊夢とは守護神の警
であり、
雑夢とは他愛もない何人も常に見る夢である。正夢とは
読んで字の如く、夢の通りが事実に表はれ、逆夢とはその反対であ
る。


元来夢というのは幽冥という言葉を詰めたもので、その人の霊が睡
眠と共に離脱し、幽冥界に往く
のである。そうして其の場合潜在意
識や、常に希望してゐる事などが種々の形となって表われ、連続的
でとりとめのないもので、之は人間の作為
である。
神夢は信仰者に
限る
ので、その信仰する神霊が、何等かの必要によって夢を以て御
告げをされる
のである。
霊夢は守護神が夢を以て知らせるのである
から、大抵は守護神の創作により寓意的や比喩的なものが多く、夢
判断を要するものが多い
のである。曩に述べた如く、
現界は霊界の
移写
であり、種々の事象は先に霊界に起るから、霊界にゐる守護神
には前以て判る
ので、右の手段を執るのである。よく
虫が知らせる
というのは、守護神の知らせ
である。
 霊が幽冥界に脱出する時、霊と肉体とは霊線によって繋っており、
眼が醒めるや一瞬にして肉体に戻るのである。


 茲に注意すべき事がある。それは熟睡をすれば夢を見ないという
説であるが、之は間違ってゐる。尤も非常に疲れた時などは夢を見
ないが、
浅い眠りは夢を見るこれは気にする事は少しもない。浅
い眠りでも
夢を見るという事は、確実なる睡眠に違いないからであ
る。私などは人と談話をし乍ら薄ら眠い事があり、一分か二分夢を
見る事がある。電車の吊革へブラ下り乍ら夢を見る事もあるが、別
に何ともない。夢を見る人は頭が悪いように心配するが、そんな事
は決してない。私などは若い時は余り夢を見なかったが、その頃の
方が反って頭が悪かったように思う。




  「献上品の意味と先祖のお土産」 
                    (某専従者の言葉)

 献上品とは、神様に対して先祖からの手土産として差し上げさせ
て戴くもの。御参拝の時、どの信者も御玉串の外に夫々に献上品は
必ず持って行くのが慣い
でした。
 或る時、先生に献上品の意味をお聞き致しました所

御玉串は自分が神様に差し上げるもの、しかし参拝には先祖も子
孫の肩に乗って参拝が許されるのだから、明主様に御面会の時は先
祖も光を戴かせる為に、先祖も一緒に参拝して下さいと仏様に挨拶
して出掛けると良い
。その時、献上品を持参して受付に先祖から神
様へのお土産です」


と届けると先祖も神様に差し上げる事が出来るわけだから、それだ
け喜びの中でお光が戴ける
のですと仰言って下さいました。随って
土地の特産品、珍しいもの、初物等次々と御神前に献饌されました
が、その様な意味が含まれている事を教えて戴き、その後は献饌が
楽しくもあり、先祖様も大手を振るって参拝される姿を思い浮かべ
て、あり難く感じました。そして御神前の御供物は益々増えて大変
賑々しくなって参りました。



 《支部責任者から一言》

 メシヤ様のご在世中、渋井先生はこのようにご指導されていたようです。そうし
た積み重ねの中、祖霊も霊界でメシヤ様の御光と共にご奉仕を許され、神幽現一体
の活動により、多くの信者が許されて来たのではないかと・・・「五六七会」発展
の背景の一コマを見る思いがします。


 このようなご事跡をどのように現代に生かそうかと考えると共に、現界にある全
てのものは主神様、メシヤ様の御所有物でもあるので、献上品という品物では現在
はあまり相応しくないのではないかと考え、人間の想念が一番入りやすいお金を”御
玉串料”としてお届けするのがいいのではないかと考えました。

(人により色々とご意見もあると思いますので、読者の皆さん方におかれましては、
それぞれが思うようにされたらいいのではないかと思います。)


 そういう意味で、私を始め心ある方々は、祭典等の時には、自分や家族の名前の”
御玉串料”とは別に、『御玉串料  ○○家祖霊一同』としてお届けさせていただい
たり、自分や家族の名前と共に○○家祖霊一同として”御玉串料”をお届けする場合
は、自分や家族の名前だけを書いてお届けしていた”御玉串料”の額より、それに上
乗せしてお届けさせていただいております。(以前と同じ額で、○○家祖霊一同を書
き加えるのでは祖霊様に対して申し訳ないので・・・)

 メシヤ様への誠、祖霊様への誠ということを考えて・・・その結果が支部の会員
の皆さんの様々な奇蹟や証しとして現れているようにも思います。


 この「○○家祖霊一同」のことについては、先日3月3日の祭典の後、某支部責
任者から聞かれましたので、この度このような形で掲載させていただきました。何
かの参考になれば幸いです。




(おかげばなし)
   絶望の境より     
             『地上天国』2号、昭和24(1949)年3月1日発行
          小倉市上蒲生  日本五六七教会聖光会 山崎藤司(61)
 私事山崎藤司の妻靖子で御座います。主人の病気の経過これまで
になりました。お恵みをぜひ大先生のお耳に達しお礼申上げたいと
ペンを執りました。

 去年の十二月頃から、夜床につき朝起ると上半身に腫みが来、夕
方頃になると下半身がパンパンにはれて
参りました。医師の診断に
よりますと萎縮腎及脚気、糖尿病、喘息との事で御座いました。病
気もはかばかしくなく日々案じ暮しておりました時、小倉に布教に
来られました谷口先生(岐阜の高木教導所)から観音教団のお話を
お聞きする機会を与えられましたのが五月七日で御座いました。


「人の道」「生長の家」といろいろお話を聞きましたがどうしても
つかめずに終っていましたので、この度こそはと一里の山道を歩い
てお詣りさせていただきました。そして五月十九日には主人は会員
に、私はお守を受けさせていただき熱心に御手にお縋りする決心で
御座いました。五月、六月の例祭にはお詣り致しました。けれども

腫れはとれず呼吸も苦しく、翌日から歩いて行く事が出来なくなっ
終いました。それでとうとう谷口先生に家まで来ていただきお浄
して戴きました。そうするとどういう訳ですか楽にはならず、翌
日は腫がひどく苦しい
と申します。もうその頃は人間の体と思えな
い程に腫れ最後に○丸まで一升徳利程も腫れ、床に臥するすら出来
なくなって終いました。


若い息子達は案じて医者に診せました。「もうお気の毒だけど十日
ももてないでしょう」
と、ついに見離されて終いました。その頃本
人は
御浄霊をして戴けば戴く程腫れは苦しく極度に達し、達磨のよ
うになりました
ので、心がぐらつき疑いを抱き始め、楽にして下さ
ってこそ有難いのにと不平を申すように
なりました。そしてせめて
薬をのませてくれ、死んでもいい
とまで申すようになりました。


丁度その時、七月二十一日高木先生が例祭に見えられてその話を致
しましたら、田舎に来て下さるとの事でとにかく来て戴き、晩と朝
二回お浄霊をして下さいました。でも朝の時はくるしいから中止し
て下さいと本人がいい出しました。本人がそう申すなら一時中止し
た方がよかろうとの事で、私は泣く泣くお浄霊をしばらく見合せま
した。今よしたら折角毒をうかして下さったのにと思いますけど、
本人は苦しいからと申してききません。


それから腫れのとれる家伝薬を東京から送ってもらったのを(お浄
霊を始めたので飲まずにありましたのを)一週間程飲みました。高
木先生が来て下さった翌日から発熱し誰の目にも最後だと思いまし
た。それから薬により下痢が一日に十回位あり、腫れが少しずつ衰
えて来た
ようで御座いました。けれど、とうとう体が板のようにな
り、座る事も何も出来なくなって終い、それで本人も始めて薬は駄
目だと覚り、お観音様にお縋りして今度こそ本当に一途にお浄霊し
て欲しい
と申しました。


八月五日から又谷口先生に来て戴きました。その中次第に体が柔ら
かになって参りました。谷口先生が岐阜にお帰りになった後、中村
さんが
私達でも一生懸命になれば誠は通ずると言って下さいまし
た。私も大先生にお願いして一度だけ楽にして(床に休めるよう)
下さいと泣く泣くお願いしましたところとても沢山便が出るように
なり、日に増し腫れも減り、それに力を得て私も
一生懸命にお縋り

致しました

九月四日、中村さんがいらしって「大先生に御面会に上京するから
その時、五月七日十一時大先生に御面会して心でお願いして見ます
から貴方達も東の方に向ってお願いして下さい。どんな浄化があっ
ても驚かないように」
といわれましたので、
私達は十一時東の方に
向ってお願い
致しました。そしたら晩の十一時頃むかつきが来て
ドウ酒のような液体を洗面器一杯(一升位)あげ
、ひきつづき三回
液ばかり(約三升)あげ激しい下痢
を致しました。ほんとうに不思
議で有難かった事お察し下さいませ。その翌日から腫れもとれ手は
平常通りになり、もう腫れは下半身特に足だけに
なりました。お腹
もふくらましたり、縮めたり出来るようになりました。ほんとうに
不思議なこの御利益を皆で喜び合い次第にいい方に向って参りまし
たので、一まずお礼を述べさせていただきます。ただ今は腫れてい
る足腹からズブズブと膿汁が流れております
。どうぞ今後共お力を
いただかして下さいますよう遥かにお願い申し上げます。