このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
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下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成27年8月度 ミニ講座

 善を楽しむ   (信  昭和二十四年一月二十五日)

 私は熟(ツク)づく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしてゐる
処のものは
善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみ
の方がずっと多い
ようである。否楽しみは悪でなくてはならないよ
うに思ってゐる人も少なくないらしい。


 先づ一家の主人公であるが、生活に余裕が出来ると花柳の巷へ行
きたがり、二号などを囲いたがる
。而もそれが為の金銭は正当でな
い手段によって得る方が多いようであるが、勿論それは悪に属する
行為である。それが為危い橋を渡り、国家社会に損失を与へたり、
自分自身としても家庭の円満を欠き、不安の生活を送る事になろ
う。而も成功と享楽が人生最後の目的であるかの如く思惟し、不知
不識の裡に現世的地獄に転落するのであって、そういう人士は中流
以上に多い事であると共に、それ等成功者を見る大衆は外面の様相
のみに眩惑され、人生是なる哉と羨望しその真似をしたがるから、
何時になっても良い社会とはならない
のである。又正直者は馬鹿を
見るという言葉もあり、真面目に世渡りをしてゐる者は下積みにな
り、危い綱渡りをする者が出世をして豪奢な生活をするという現状

である。其他官吏の役得、会社員の不正利得、政治家の闇収入
等々、全く俯仰天地に愧(ハ)じない人は今日何人ありやと言いたい程
である。


 是に於て私は善を楽しむ事を教えたいのである。即ち相当社会に頭
角を顕わすようになっても柳暗花明の巷に出入りする事は出来るだ
け避け、余財あれば社会公共の為に費し、困窮者を助け善徳を施
し、神仏に帰依し、時々は家族を引連れ映画、演劇、旅行等を娯し
のである。斯ういう様な行り方であれば
一家は団欒し、妻は夫を
尊敬し感謝するようになり、子女の如きも先づ不良になる心配はな
であろう。従而経済不安もなく、不摂生もなく、健康も恵まれ長
寿も保ち得らるる訳で、日々を楽しみ心は常に洋々たるものがあ
る。明治の富豪として有名な大倉喜八郎氏は面白い事を言った、

「人間長生きをしたければ借金をしない事である」と、それは借金
程精神的苦痛はない
からである。


私も二十年間借金で苦しんだ経験があるのでよく判る気がする。然
るに現代人の中には暴露すれば法に触れたり涜職罪になったりする
ような事を為し、暗闇(クラガリ)の取引を好み、妻君に知れたら大騒動
が起るような秘密を作り、高利の借金をし常に戦々兢々として不安
の日を送ってをり、其の苦痛を酒によって紛らそうとする。酒が何
程高くなっても売れるのはそういう訳もあろう。従而健康を害し短
命となるのは言うまでもないと共に、斯ういう
泥沼生活に入ったも
のはなかなか抜け出る事が出来ない
のが通例である。先づ抜け出る
唯一の方法としては宗教に入る事で、それ以外に方法はない
であろ
う。

 私は以上の如き善悪二筋道を書いてみた。悪を楽しむ人善を楽し
む人
とである。読者諸士よ、卿等は何れを選ぶや、熟慮を望むので
ある。





     禁 欲   (信  昭和二十四年一月二十五日)

 昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければなら
ないように想われ、それが真理を悟り魂を磨く最良の方法とさえ思
われてゐた
。然し
私は反対である。以下判り易くかいてみよう。

 抑々、森羅万象一切は人間の為に存在してゐる事である。見よ、
の花、秋の紅葉、百鳥の囀り、虫の啼く声、明媚なる山水、月の夜
の風情(フゼイ)や温泉等々は、何が故に存在するのであろうかという
事を考えなくてはならない
。言う迄もなく、
神が人間を楽しませる
為に造られたもの
でなくて何であろう。

又人間が謡(ウタ)う美しき声や、舞踊(ブヨウ)や、文学芸術等も、勿論
それによって
当人も楽しみ、他人をも楽しませるのである。其のみ
ではない、人間生活に於て凡ゆる美味なる食物は固より、建築、庭
園、衣服等も必要の為のみではない、より娯(タノ)しむべき要素が含
まれてゐる。飲食を楽しむ事によって、栄養となり、生命が保持さ
れる、住居も衣食も必要だけの目的であれば甚だ殺風景のもので済
む訳である。子供を造る事も必要の目的のみでない事は言う迄もな
い。


以上の如く大自然も、人為的の凡ゆる物も、一方それを楽しむべき
本能を神が人間に与えられてゐる以上、それを娯しむのが本当
であ
る。それを拒否し、生存上必要のもののみに満足するといふ禁欲主
義は、深き神の恩恵に対する背反的考え方
である。又他の方面を見
る時、今日迄の特権者が利他的観念に乏しく、自分や自分一族の者
のみの快楽に専心し、社会や他人を顧慮せず、
衆と偕に楽しむとい
う、人類愛的思想の発露
が余りにも無かった。それは神の恩恵を独
占する
訳になろう。此意味に於ても私は富豪の大庭園を開放し、美
術品を公開し、衆と倶に楽しむべきが神慮に応える所以
である。


翻って想うに、古えの聖者が粗衣粗食極端なる禁欲生活をなし、
「祖師は紙衣の五十年」的生活に尊き一生を捧げたという事は、神
の恩恵に叛く訳になろう。それに気付かない世人は宗教家を観る
時、禁欲者でなくては有難くないように思う傾向があるのは遺憾で
ある。私は前述の如く禁欲に反対であるから普通人と同様の生活を
営んでおり、之が神意に添う
ものと考えてゐる。従而地
上天国と
は、人類総体の生活が向上し、芸術其他の清い楽しみは大いに発達
する世界を謂う
のである。

 又真善美という事は、真とは偽りのない事であり、善とは正しい行
であり、美とは美しい事
であるから、禁欲生活に於ては善はあるが
真と美がないばかりか、反って文化の進歩を阻止する事にもなる

ではないかと思う。彼の印度の社会が精神生活のみに偏した結果、
今日の如き文化に後れ沈滞せる国運を来した事を考えるべきであろ
う。





   健康の自由主義    (医革  昭和二十八年)

 病気とは体内浄化作用であり、それに伴う苦痛をいうのであるが、
之を逆の意味に解し、浄化停止を以て治病の方法としたのが医学の
考へ方
であった。そうして此
停止手段としては、身体を弱らすに限
るから、薬と称する毒を用ひた
のである。従って毒の強い程よく効
く訳で、近来医学の進歩によって、死の一歩手前に迄毒を強める事
に成功したので、決して治病の進歩ではない事を知らねばならな
い。その結果死亡率が減ったのであるから、つまり逆進歩である。
以下此意味をかいてみよう。


 誰でも病気発生するや、之は自然の浄化作用であるから、苦痛は割
合強く共、その儘放っておけば順調に浄化は行はれ、速く治る
ので
ある。処がその理に盲目である為早速医師に診て貰うが、医師も勿
論同様盲目であるから、専心浄化を停めやうとするので、茲に自然
治癒との衝突が起る。即ち浄化とその停止との摩擦である。その為
浄化は頓挫し、一進一退の経過を辿る事になり、衰弱死に至る
ので
ある。それが従来死亡率の高かった原因であるが、近頃は前記の如
生命を保ちつつ、浄化を圧へる事が出来るやうになった


というのは前記の如く強い薬が使へるやうになったからで、或期間
寿命を延ばせる
のである。然し無論全治ではないから、時が経てば
復び発病
する。此様にして人間は漸次弱って来たのである。故に

学の進歩とは治病の進歩ではなく、一時的苦痛緩和と若干生命延長
の進歩
である。此最もいい例としては借金である。元利合計請求さ
れた場合、一時に払はうとすれば破産するから、月賦にして気長に
払う事にする。そうすれば第一楽であり、暫くでも破産を免れられ
ると同様の意味である。


 右の如く医学の進歩とは、借金返済ではない、借金延期法の進歩
しかないのである。然し
之で一時なりとも寿命は延びるが、病の方
はそのまま固って了ひ、真の健康とはならない以上、溌刺たる元気
などはない。此際医師は斯う言うのである。何しろ貴方の躰はヒビ
が入ったやうなものだから、余程大切にしないといけない、軽はず
みをすると元通りになると注意されるので、患者はビクビクもの
で、その日を送る事になる。私は
此種の人を消極的健康人という
が、今日斯ういふ人は益々増えるばかりである。

此例として高度の文明国程そうであるのは、彼の英仏などを見ても
分る通り、近来此両国民の元気のない事甚だしく、我国とは反対に
人口増加率低下に弱ってゐるのみか、国民は安易を求めるに一生懸
命で、国家の前途などは二の次にしてゐる。斯んな訳で両国の国威
はガタ落ちで、植民地の維持すら困難となり、兎もすれば離れやう
とする現状である。又国際的正義感にしても麻痺状態で、彼の中共
の中国、南鮮侵略に対しても、只指を喰えて観てゐるばかりか、英
国などは逸早く承認を与へ、アメリカを吃驚させた位である。


その後も御義理的にアメリカに追随してゐるにすぎない有様であ
る。而も同国が戦勝国であり乍ら、戦敗国日本よりも食料不足に悩
んでゐるのもその現はれで、全く気の毒なものである。仏蘭西にし
ても御同様人民の闘志などは全然なく、アメリカが如何に気を揉ん
でも何等の手応えなく、只その日その日を無事安穏に過ごす事と、
享楽に耽る事のみ考えてゐるやうだ。以上によってみても、昔英国
が七つの海を支配し、仏国がナポレオン当時のアノ華やかさに比べ
たら、洵に感慨無量というべきである。此原因こそ全く恐るべき医
学の進歩にある以上、日本も殷鑑(インカン)遠からず油断は出来ない。


 次の米国にしても、近来医学の進歩につれて、病人は益々増へる一
方で、悲鳴を上げてゐる状態である。之に気付かない限り、何れは
英仏の後を追うのは必然であらう。私が先頃"アメリカを救う"の書
を発刊したのも此事を憂慮したに外ならないと共に、日本にもお次
の番が廻って来ないと誰か言ひ得やう。そうして右は大局的に見た
医学なるものの実体であるが、之を個人的に見ると猶更よく分る。


周知の如く今日医学の建前を基礎として、国民保健制度を立ててゐ
るが、之は日本ばかりではない。世界の文明各国は大同小異はある
が、何れも同様である。今それに就てザッとかいてみるが、何しろ
現代人の健康の低下と来ては洵に酷いもので、その為当局の社会衛
生上の注意も、益々微に入り細に渉り、煩に堪へない位である。ヤ
レ無理をするな、睡眠を多く取れ、風邪を引くな、暴飲暴食する
な、栄養を摂れ、防毒に注意せよ等々、全く毀れ物扱ひである。剰
(アマツサ)へ病菌の感染を極度に怖れ、結核や伝染病患者には近づくべ
からず、ヤレ手を洗へ、含嗽をしろ、消毒をせよ、マスクを掛け
ろ、濁った空気を吸ふな等々、その窮屈さは生きてゐるさへ嫌にな
る位である。之が文明のあり方とすれば、文明こそ大いに呪ひたい
位である。


 それに反し吾々の方の恵まれ方はどうだ。曰く食ひたい物を、
食ひたい時に、食ひたいだけ食ひ、寝たい時に寝、働きたいだけ働
き、無理をしてもよく、風邪引き結構、伝染病も結核菌も屁とも思
はない
。といふやうに人に迷惑を掛けない限り、自己の職業に差支
えない限りは、自由無碍、明朗闊達、何等不安ない日常を送ってゐ
恐らく人生之程の幸福はあるまい。之を称して私は健康
の自由主義
といふのである。今日荐りに唱へられてゐる自由主義
などとは、
比較にならない程の幸福さであらう。

 では右を実行した結果はどうであるかといふと、之又大したもの
だ。
私初め信者数十万人悉くそうしてゐるが、結果は一般人よりも
罹病率の少ない事は十分の一にも足りない位であるから、
病気の不
安など全然ない
と言っていい。その根本理由こそ今日の医学衛生の
考へ方は逆であるから、その又逆にすれば真の健康法となる
訳であ
る。以上によって医学の無智が如何に人間の自由を束縛し、無益な
労力と余計な金を使はせ、生産をマイナスにし、而も凡ゆる不幸の
原因を作ってゐるかといふ事
である。以上の如くであるとすれば、
今日之程重大問題はあるまい。又宗教に就いても一言言ひたい事
は、
宗教本来の使命は万人の不安を除き、安心立命を得させるにあ
以上、それが出来ないとしたら、存在の意義はない訳である。私
は之に対しても敢て考慮を求める次第である。





 「御教え集1号  昭和26年8月28日」の御教え抜粋

(前略)そこで、博物館には古い色んなものはありますが、美術的と
言うものは物足りない点があると思います。それで、
私は審美眼で
見て、良いものをと言う方針
にした。(中略)
古いと言うのは美術的より、よく保存されて来た。と言うそれを感
心する訳ですね。だから私はよく言う。これは「保存の美術だ」と
ね。そんな訳だから、私は敢えて古いものにこだわらない。
現代の
ものでも美術的の高いもの、それは陳列する積り
です。だから、唯
古いものに捉われると言う――一つの妙な癖を皆んな持つている
ですね。それで、そう言う点も大いに直したいと思つているんで
す。まあー出来て陳列したら分りますがね。


 誰が見ても理解出来ると言う事を主眼にした。大体美術の目的と言
うのは、人間が美術を楽しんで、不知不識に霊的に高くなる。趣味
を高める
んですね。その人の魂を清めるには非常に良い訳ですね。
それでないと、今の様にパチンコ屋だとか、ストリツプだとか沢山
ありますからね。いけないとは言いません。少しは良いですが、も
つと高いものを見せなければならないと言う訳です。
一般人が見て
理解が出来なければならないですから
、――考え込んだり、うなつ
たりしては、やつぱり駄目ですからね。目のきいた人でも、そうで
ない人も楽しめる――それに引きつけられる、と言う様なのでなく
ては本当の意味はないと思います。
そう言う方針でやろうと思つて
いる。


 それから、今やり始めているが、裏手の方ですね。あつちもウンと
面白いものを造る――あつと言うものを造る積りですが、あんまり
精しく言えないが。それで大体ここが完成する訳です。


 信仰には限らず、凡るものがそうですが、ここが完成しなければ本
当の発展がない
んです。丁度人間で言えば、立派な洋服を着たんだ
が、まだ靴下をはいてない。跣では歩けないから靴をはかなければ
ならない。ネクタイもしなければならない。そう言う訳で――揃つ
てはじめて人の前に威張つて出られると言う訳で、完成しなけれ
ば、そこに欠点がありますから発展がしない。ですから
この位の本
山が之だけ拡がれば、それだけ教線も拡がる
ものです。ですから、
相応の理と言つて神様の方は特にそう言う事はやかましい。それ
から、熱海は体で箱根は霊です。熱海は緯、箱根は経になる。です
から此処が済まないと熱海は出来ない。こつちの建築が済まないと
熱海の建築が出来ない。実にはつきりしている。瑞雲郷の少し先に
欲しいのがあるが、それを先に手に入れることは出来ない。実に順
序良く、隣から隣へと次々いつている。ああ言うのにも
非常に順序
がある。
「神は順序なり」と言つてね。順序を乱したりしている
から今の世の中は非常に乱れている
。そう言う事を知らないんです
ね。そう言う訳で、ここが出来なければ熱海は出来ない。それか
ら、ここも将来大きな本山にする処を買つてありますが、それも順
序があります。ここが出来て、熱海が出来て、それから又ここが
(本山)それからは小田原に出来るか、京都が先になるかも知れな
いが、そう言う順序になる。之は大きい順序です


 人間の個人としてもやはり順序がある。だから私は、順序だけはや
かましく言います
が、浄霊の時もそうです。一番先に重病人をや
り、それから軽い人にいくか。来た順序にするか。来ている人の年
とつた人からやる。それから、男と女だと、男を先にする。そうす
ると治りも良い。

 現界で順序をはずすと、霊界がはずれてしまう。そうすると、それ
が現界に写るから、何うしても滑らかにいかない
。だから、何かや
るとかと言う時は順序を注意
する様にする。

 何時も言う通り、その時の目的によつて、神様に対する物事は一番
先にしなければならない。神様の処に行く時に、他の用事をしてか
ら行くといけない。
そうすると人間の用事が先になり、神様の方を
下にみる事になる。
そう言う時は、むしろ神様の方に行かない方が
良い
。そう言う事に就てつまらない事ですが――何時か、私が玄関
から出ようとすると、叔母が横切つた。それで車に乗つたが、叔母
も乗つたが、車が走り出すと、それがとても気持が悪い。それで、
伊豆山から水口まで後戻りして一度家に入り、それから改めて東京
へ出直した。そう言う時にその儘行くと、自動車に故障がある。そ
れは
霊界が違つちやうからです。然し、あんまり五月蝿くするとい
けないが、
肝腎な事だけは心得ておくと良い。




   神は必ず救ひ給ふ両手両足を戴く 
           『地上天国』19号、昭和25(1950)年12月25日発行
     山形県北村山郡西郷村河島  大成大教会神成中教会 田中 誠(28)

 晩秋の早く朝霞を踏別けながら教修生の高橋さんが、
「おはよう御座居ます」
との声に僕は突然の事で驚き、
「何か浄化でも頂いたのですか」
と尋ねると
「先生お願い致します。咋日先生にお話した家の姉さんが急性間節
で、丁度今日で八日間村の医者の治療を受け毎日、日に一本ペニ
シリン注射を連続七本打ちその他の薬剤を用いてもなんの効果も無
く、苦痛と共に両手両足が全然不自由になりました。でも姉の家は
本教を種々の事情にて敵視していた
関係上、ただただ可哀想だお気
の毒だ救ってあげたいと思いながら、時期の来るのを待っておりま
した。ところが今朝行ってみると、毎日ペニシリン注射を打ち今日
で八本目です。でも全快すれば良いが結果はその反対に関節炎の苦
痛に激痛を加え、ただ煩悶に暮れていた様子、これこそ時期と思い
御浄霊の原理を話しましたところ、溺れた者は藁をも掴むの例えの
通り、姉さんが早速教会の先生に頼んで下さいと言うので御願いに
上りました」

との事です。

 私は光明如来様にお願い致し、高橋さんと一緒に行きますと家内
の者は喜んで迎えて下さいました。患者の前に座り見るや熱もあり
苦痛と共に全然関節はきかず経過を尋ねると、


「最初は軽度の風邪と思っていたのが、急に熱が出て一晩でこのよ
うな状態になり、早速家と親類の鍼灸の先生に診て貰ったところ

「熱があるので医療を受けなければ駄目です」と親切に医者に連絡
して二人で来て下さいました。医者の診た結果は急性関節で
「二十
四時間遅延すれば絶対癒る事なく、一生不具者で暮さねばならなか
った、早期手当してよかったね」
といわれ「この注射は化膿性には
一番効果のある優良剤ですから化膿止にペニシリン一日一本、三日
にて三本打てば癒る。」
と言いながら早速注射して頂き、その日は
帰りましたが、その後の苦痛はいよいよ激しく、一睡も出来ません
でした。なお三日目三本打っても治らず苦痛は増すばかりです。で
も医者は来る度毎に
「大変良くなりましたね」と言いますが自分と
しては何等良くもならず、早七本も打ちましたけど、寝返りさえ出
来ず、昼夜の苦痛のため体は日毎に弱る許り、泣く涙もなく苦しん
で来た。同患者の結果は大多数片輪になっている状態、自分はこれ
で治らなかったならば、生れもつかぬ片輪となって一生を過されば
ならぬかとただただ絶望に暮れていた訳なのですよ」


と涙ながらに物語る。その時私は大丈夫ですよ、安心しなさい。神
様は必ずお救い下さいますよ。といいながら関節炎についての説明
をし、御浄霊をしました。すると患者は今までズキンズキンと痛ん
だ関節は忽に三分の一位の痛となりお蔭様にてこんなに楽になった
のも八日以来今日が始めてと喜びながら前と同様の手足になります
かと心配に相尋ねました。私は


「勿論なりますとも神様より頂きし手足を神様はどうして不自由な
片輪にして置きましょう。神様は一人でも多くの人達をお救いし幸
福に導く尊い御慈悲の光明如来様ですから、安心しなさい」


と言い聞かせその日は帰りました。
 その後
「村の人達は医者が来ている間は心配そうに病気の様子を尋ねて下
さいましたが、先生の来るようになってから誰一人聞く人もなく、
反対にお医者様でも一寸は癒せぬ病気なのにどうして手を振り動か
しただけで癒るはずはない、と蔭口が聞えるようになった」


と高橋さんが私に言うので私は

「大丈夫ですよ今に見ていて下さい。物質万能の現代人には想像も
つかぬ光明如来様の偉大なる力に眼を醒す時が来ますよ」


と御浄霊を続け、三日目には一人で飯を食べられるようになり一週
間にて戸に掴まりながらとにかく起てるようになり、十日目で家中
を歩ける程になり、十五日目で教会に来られる程に良くなりまし
た。その後二三回の浄化を頂き、一ケ月にて全快致し本当に有難き
光明如来様のお蔭で新らしき両手足を頂き第二の人生を力強く安心
して踏み出せるのも全く光明如来様の御慈悲の賜物と、一家揃って
深く感謝致しおります。


 かような素晴らしき救の業を自覚せず世の人々は嘲笑嘲罵的な批
評、批判をする事でしょう。

 勿諭喰わす嫌いな人であり、憐な人であります。幸に私の一家七
人揃って御守様を頂き、
お光の中に安心して幸福を讃えて暮さして
頂いております事を感謝致して、その御恩の幾分なりともお報いし
たい
と思い、不幸の人達の御浄霊多忙な日を送っております。
     御恵の 万分の一に届かねど
           誠の御しるし受けさせ給え