このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
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は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
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平成27年7月度 ミニ講座

気候と天候   (信  昭和二十四年一月二十五日)

 気候と天候に就て霊的解釈をしてみるが、科学的解釈に馴れた現
代人には、私の説は首肯出来兼ねるかも知れない。然し乍ら
之は神
示によるもの
で、私としては確信を以て発表するのである。先づ一
口に言えば、
気候の変化も、天候の好し悪しも、人間が作るという
である。というと甚だ不思議に聞えるかも知れないが、之から私
の説く処を玩味されたいのである。


 吾々が吾々の五感によって知り得る現界以外、霊界からの影響も
読者は大体認識されたと思う。これに就て先づ
気候の変化の原因
かいてみるが、冬の寒さから夏の暑さに至るまでを四季に分けられ
てゐるが、その時々の流れに従う気候の変化が順調に推移するのが
本来であるに拘わらず、時によると異変する事がある。それは何の
為かというと、
全く人間の想念が、霊界に反映するからである。例
えば人間大多数の想念が正しく温和であれば、気候もその如く温和
順調であるが、平調を欠く人間が多い場合、即ち愛の熱に乏しく冷
やかな人間の想念は、その時あるべき気候よりも寒冷となり、その
反対に何かの出来事に昂奮し、情熱の適正を欠く場合、その時ある
べき気候に対し温熱が過ぎるという結果となる
。以上の外に人間が
悪に属する想念、即ち不平不満、呪ひ、自暴自棄等の多い場合、そ
れが霊界に反映して、何となく陰欝の気が漂うのである。


 次に人間が発する言霊であるが、之も頗る重大なる影響を与える
もの
で、悪に属するもの即ち他人の悪口、不平、愚痴、偽り等の言
葉は霊界を曇らせる事夥しい
のである。以前私の友人であった或宗
教者は、人の発する言霊が見えるので、例えば悪に属する言霊を発
する時はドス黒い煤のようなものが、煙の如く口から出るのが見え
るが、善に属する言霊の場合は、白色の薄光りのようなものが見え
そうである。
此悪の言霊から発する煤の如きものが霊界を曇らす
ので、之が増量し、或程度を越ゆる時、それを払拭消滅すべく自然
浄化作用が発生する
。恰度家の内外に塵埃が溜れば、人間がそれを
掃除すると同様の理で、
豪雨、颱風、雷鳴や洪水、大火、地震など
もそれであって、拭き払ひ洗ひ流し、焼却するという訳
である。そ
れには分担さるる神々があって行うので、神道で唱える祓戸四柱の
神で、
気吹戸主神、瀬織津比売神、速秋津比売神、速佐須良比売神
の御名によって、世界的浄(キヨ)めの業を行い給う
ので、何れも多数
の龍神を使役せらるるのである。


 茲で、阿波の鳴戸に就て解説してみよう。前述の如く風水火の浄
化によって集溜されたる汚物
は、如何に処理せらるゝかというに、
各河川を通じて海に流れ、阿波の鳴戸の海底深く沈下さるるのであ
る。勿論全世界の汚穢であるから、その量は蓋し驚くべきものがあ
ろう。然るに地球の中心部は学者もいう如く、巨大なる熱塊、所謂
地熱であるから、
鳴戸の海底深く沈下せる汚物は、絶えず此地熱に
よって焼尽される
訳で、日本は世界の汚物消却場といっても可い訳
である。


 人間が以上の如き理を知ったなら、悪の想念や悪の言霊は出来る
だけ無くすよう、心掛くべき
である。




     地震に就て   (信  昭和二十四年一月二十五日)

 此の稿は昭和廿三年六月廿八日、福井市を中心として大地震があ
った直後、参考の為
地震に就ての私の所説を書いたのである。

 抑々、神道の天地創造説によれば、宇宙太初(ウチュウノハジメ)は水蒸気
のような水泡のような物質であったが、創造的活動が開始され、分
裂作用によって、軽きものは天となり、重きものは地となり、天に
は日月星辰が生れ、地は泥海の如き半固体となった。天理教で唱え
る所謂泥海時代である。それが年代を経るに従って漸次固体化し、
植物及び鉱物等が発生し、次で生物が生れ、最後に造られたのが人
間であって、以来進化を続けつつ現在の如くなったのである。


 以上の如く、泥海が固体となるという事は大自然の硬化作用に因
ので、硬化するに従い地球の容積は減ずる。所謂地殻の収縮であ
る。此の
地殻の収縮が地震の原因であるから、古い時代程地殻の収
縮が大きい為、地震も大きかった
のである。即ち日本に就ていえ
ば、日本海は地殻の大収縮によって陥没し、海が形成されたもので
あるから、其れ以前は日本と朝鮮とは陸続きであった事は、日本の
各地に象の骨を発見する事によってみても、南方から象が侵入し来
った事は信じ得らるゝのであって、其の時代に船で渡来する事は勿
論不可能であったからである。


 よく日本に地震が多いのは火山国であるからという説があるが、
之に対して私は異論がある。何となれば火山が地震の原因であると
すれば、地震は山嶽地帯に多く起るべき筈なるに拘らず、事実は海
に近い所に頻発するのである。然らば何故海に近い処に多いかを解
説してみよう。


 元来、日本の国の創成は比較的新しい為硬化が後れてをり、古い
国程硬化が進んでゐるから地殻の収縮が少く、地震が少ない
訳であ
る。勿論火山に因る地震もあるが、あまり大きいのはないのであ
る。


 元来日本の土地は、古代に於ては、今日の三倍位の大きさであっ
たのが、その三分の二が陥没し三分の一の大きさになってゐるので
ある。そうして
日本の地震が日本海の海岸地帯に多い原因は、日本
海の陥没運動が未だ持続してゐるからで、謂はば海岸地帯には断え
ず小陥没が起っており、それが陸地に影響するのである。
之が地震
の原因
であるから、震源地は近海の海底であって、此の證拠として
関東大震災直後、陸地が一尺以上低下せる所が各地に出現した報告
や、越後新潟地方の一部の地盤が年々沈下し、今日の割合を以てす
れば百年後には海中になるという事で、住民は戦々兢々としてゐる
という、最近の新聞記事によってみても明かである。又日本海に面
した所は年々数呎(フィート)づつ陸地が縮少するに反し、太平洋岸は
年々数呎づつ拡大しつつあるという、此の二つの事実に就て、私は
左のやうな理由によるものと考えるのである。


 地球は地殻の収縮によって、海底は年々沈下し、深くなりつつあ
る為、海面も低下する。勿論太平洋岸の海面も低下する結果、それ
だけ陸地が現われるという訳である。
元来陸地は略(ホ)ぼ完成に近い
が、海底は未完成であり、軟弱性が未だ残存してゐる為、特に海底
陥没が絶えない
のである。然るに日本海の方の海岸縮少は、海底低
下よりも陥没作用の方が勝れる事に因る為であると共に、太平洋岸
の地震の方が先に起った為でもある。


 海面低下に就て、特に太平洋岸に面する海岸の岸壁を見る時よく
判るのである。海面から低きは二十呎位から高きは百呎位の岸壁
に、元波涛に洗われた痕跡が鮮明に露われてゐる。又中華民国内の
原野から山塩が多く産出するが、之は旧(モト)海であったからで、海
面低下によって表われた大平野である。此の理によって学者の唱え
氷河時代の遺跡というのは、実は波涛の痕跡であって、高山にあ
るものは噴火による隆起と共に成立したもので、誰も知る東京の下
町地帯も旧(モト)は海であり、旧(モト)浅草で海苔が採れたという事
は、其の辺まで海であったからである。


 地震の原因は地殻の収縮であるという事を述べたが、次の如き現
象もある。それは地震発生以前、その範囲内に局部的隆起が起る事
がある。即ち前兆ともいうべきもので、地殻収縮の場合、地下深く
局部的間隙が起る。その間隙に上昇地熱が充填され、膨脹する為で
ある。以上の如くであるから、
地震の原因は海底陥没の波動が、陸
地に陥没を起させるという理を知識すべき
である。

 大きな地震の直後必ず津浪が起るが、之は如何なる訳かという
と、海底陥没による凹所(オウショ)へ向って、海流の充填作用が起り、
勢余って必要以上に海水が集注する為
、氾濫の形に転じその氾濫が
津波となるのであるから、此の津浪は短時間にして旧に復すのであ
る。


 私は特に学者諸君に向って注意したいと思う事は、今日迄地震の
研究
は陸地を主として行われて来たようであるが、前述の如くその
原因が海底にある以上、海底陥没の前駆として、潮流に異変が生ず
訳であるから、今後は沿岸潮流の研究こそ、切に希望する処であ
る。


 万有硬化に就て今少しく説明しよう。神道の多くは日本の国は最
初に出来た国といふが、私はそうは思わない。それを解くに当って
鉱物の例を書いてみるが、先づ
陸地に於ての硬化作用は、土が硬化
して石となり、石が硬化して金属が発生する
、それが実物によく表
われてゐる。例えば火山灰が硬化したのが凝灰岩であり、それが硬
化して石灰岩となり、石英粗面岩又は石英斑岩となり、黄銅鉱又は
黄鉄鉱が発生し、次に金銀が発生する。又粘土が硬化して粘板岩と
なり、頁岩となり、黒鉛や方鉛鉱、閃亜鉛等が発生し、錫が発生
し、銀が金が発生する。又赤土が硬化して褐鉄が発生し、硫化鉄、
磁鉄等々が発生する。又石英から水晶が発生する。石炭及び亜炭は
古代樹木が火山灰に埋没され、地熱によって燃焼炭化したものであ
る。其他
凡ゆる鉱物はその土壌の性質と、地霊の濃淡、気候の変
化、年代の長短、其の土地の植物の成分が雨水によって地中に滲透
する事等によって、凡ゆる種類が発生する
のである。然るに鉱物の
最も硬化せるダイヤモンド及び白金の産出がないにみても、日本は
その創成が比較的新しい国である事が判るのである。





     薬の逆効果      (医革  昭和二十八年)

 次に薬の逆効果をかいてみるが、再三述べた如く、今日迄広い世
界に
薬で病が治った例しは一人もない事である。勿論治るといふ事
は、手術もせず薬だけで再びその病気が起らないまでに根治する事
であって、之が本当の治り方
である。処が事実はその悉くが一時的
効果でしかない
のは、一例を挙げれば彼の喘息である。此病気に対
する特効薬エフェドリンの如き注射にしても、成程最初は一本でピ
タリと止まるが、それは或期間だけの事で、暫くすると又起るとい
ふやうに、その期間も漸次狭まり、初めの内は一ケ月に一回で済ん
だものが、三週間、二週間、一週間といふやうになり、遂には一日
数回から数十回に及ぶ者さえある。


そうなると自分で注射器を握り、その都度射つのであるが、斯うな
ると最早死の一歩手前に来た訳で、先づ助からないとみてよから
う。処が喘息ばかりではない、
凡ゆる注射もそうであるから、実に
恐るべき問題
である。勿論服薬も同様であって、世間よく薬好きの
人とか、薬の問屋、薬詰めなどといはれてゐる人もよくあるが、斯
ういふ人は死にもせず、健康にもならず、中途半端で年中ブラブラ
してゐて、生きてゐるのは名ばかりである。


処がそういふ人の言ひ条がいい。"私が生きてゐるのは全く薬のおか
げです"
としてゐるが、実は
薬の為に健康になれないのを反対に解釈
した
ので、薬迷信が骨の髄まで沁み込んでゐる為である。之を一層
判り易くいえば、如何なる薬でも麻薬中毒と作用は異らない。只麻
薬は薬の効いてる間が短いから頻繁に射つので、普通の薬は効いて
る間が長い為気が付かないまでである。此理によって
麻薬は急性、
普通薬は慢性
と思えばよく分るであらう。

 そうして薬に就いて医学の解釈であるが、それはどんな薬でも余
毒は自然に排泄消滅するものとしてゐる考へ方
で、之が大変な誤り
である。といふのは元来人間の消化器能は、消化される物とされな
い物とは自ら区別されてゐる
。即ち
消化されるものとしては、昔か
ら決ってゐる五穀、野菜、魚鳥獣肉等で、それらは
人間の味覚と合
ってゐる
からよく分る。之が自然に叶った食餌法である以上、之を
実行してゐれば病気に罹る筈はなく、いつも健康であるべきであ
る。それだのに何ぞや、アレが薬になるとか、之は毒だなどといっ
て、人間が勝手に決め、食ひたい物を食はず、食ひたくない物を我
慢して食ふ
など、その愚なる呆れる外はないのである。又昔から良
薬は口に苦しといふが、之も間違ってゐる。
苦いといふ事は毒だか
ら、口に入れるなとその物自体が示してゐる
訳で、毒だから浄化が
停止され、一時快くなるので効くと誤ったのである。


 元来消化器能なるものは、定められた食物以外は処理出来ないや
う造られてゐる
以上、薬は異物であるから処理されないに決ってゐ
る。
それが体内に残存し、毒化し、病原となるので、此理を知った
だけでも、人間は大いに救はれる
のである。而も薬剤の原料は悉く
である事は、専門家もよく知ってゐる。それは新薬研究の場合、
必ず毒物を原料とする。彼の梅毒の特効薬六○六号にしても、耳掻
一杯で致死量といふ猛毒亜砒酸である。又近来流行のペニシリンに
しても、原料は水苔であるから毒物ではないが、人間の口へ入れる
べきものではない。魚の餌として神が造られたものであるから、人
間に役立つ筈はない。又よく薬の分量を決め、破ると中毒の危険が
あるとしてゐるが、之も毒だから
である。


 以上によって薬と名の付くものは悉く毒であり異物である以上、
消化吸収されず、体内に残って病原となるといふ簡単な理屈が分ら
ないというのは、全く医薬迷信の虜になってゐるからである。





  信仰上の間違いに気付き危く一命救わる
          『地上天国』62号、昭和29(1954)年9月15日発行
         愛知県知多郡師崎町大字片名  中京大教会 磯部暉一(34)

  明主様日々の御守護誠に有難うございます。何から御礼申し上げ
てよいか数え切れない程の御守護の数々、特にこの度申し上げるさ
え恐れ多き間違いを犯しておりましたにもかかわらず、長女美津子
(当時五歳)を通じて、お気付け並びに御守護賜わりまして誠に有
難うございました。拙文ではございますがここに謹んで 御礼並びに
御報告申し上げます。


 昭和二十八年十一月三日河和支部の例祭に美津子を連れて参拝さ
せて頂いて、夕方帰って参りましたところ、何だか元気がなく夕飯
も食べずに床に就きましたが、少し熱がある程度で別に苦痛も訴え
ませんので、風邪の浄化だろう位に軽く考えて浄霊させて頂いてお
りました。 ところがそれから一日二日と経っても全然食欲なく、水
を少々飲むだけで、思いなしか顔がいかにも淋しげで何となく気に
はかかっておりました。ところが四日目位から衰弱はなはだしく、
抱いて用便をしてやるようになりました。それでいて容体と言え
ば、熱が少しあって呼吸が幾分早いというだけで、目を覚ましてい
れば唇の色もよく、これで食欲がないとは不思議な位でしたが、一
旦眠ると面相はたちまち一変して、それは子供の顔ではなく、老人
のしかも死人を思わせるような、何とも言えぬ、淋しい顔になって
しまう
のでした。そうして時々急に怯えたように頓狂な声を出し
て、ふとんから上半身を乗出し「お母ちゃん、お母ちゃん……」と
悲壮な声で泣き叫ぶのです。その泣き叫ぶ声はこの世の者とは思え
ぬ程の、悲しい骨身に応える泣き声
でした。しばらくそうして暴れ
ておりまして少し温和しくなった頃、水を口元に近付けると口を開
きますので、飲ませてやりますとようやく正気に返っておとなしく
なります。岡崎支部長先生には毎日御浄霊をお願いしておりました
が、日が経つにつれ夜となく昼となく眠る時間が段々と多くなって
参りました
。(脳膜炎の微候は見られず)総てを神様にお任せ申し
上げているつもりなのに、なぜかじっとしてはいられない程気がも
めるのです。ああこんな事で神様に申訳がない。人間の力でどうに
もなる訳じゃなし……と思っても、やっぱり気になり今更ながら自
分達の執着の深さに呆れるのでした。


 今考えますと、早やこの事がある二週間程前に妻を通じて夢によ
って、今日あるを警告されていたのでございます。と申しますのは
明主様がある人に向って
「お前は大変な間違いを犯しているからす
ぐ改めればよいが、気付かずにいれば子供の生命が危いぞ」
と言わ
れているのを聞いていた、というのです。目が覚めてから妻が、今
こういう夢を見ましたと申しますので、一応自分達の事を振返って
みましたが、これと言って思い当る節もございませんでしたが、以
後心のどこかに夢の事がこびりついて離れませんでした。


 六日目の十一月八日、明主様御西下の際名古屋金山体育館に、御
奉迎させて頂きに参りまして、子供の御守護を一心に御願い申し上
げました。その時刻家ではそれまで日頃から好きな物を、どんなに
すすめても絶対口を開かなかった子供が、自分から「柿が食べた
い」と、申したそうです。この時の嬉しかった事は何にたとえよう
もなく、 早速柿をむいてやりますと、さも美味しそうに一つ食べて
しまったそうです。そうしてその日の夕方には、子供茶碗に半分位
御飯を食べさして頂きました。ああこれで救われたのだ。「明主様
有難うございました」と御神前にて御礼申し上げ、家内一同喜んで
おりました。


 ところが翌朝一回だけ少し御飯を頂いたのみにて、九日、十日、
と全然食べようとしないのです。これはおかしい、浄霊していて、
しかも薬毒が全然入っていない子で、一週間以上も変らないのはど
うも変だ。またしても以前妻が見たと言う夢の事が、とても気にな
って、やはり
これは何かのお気付けではないかと、色々考えさして
頂いたのでございますが、 曇り多き身の事とて、重大な間違いを犯
しておりながら、気が付かなかったのでございます。


 そこで十日に中京大教会へ御守護の御願いをさせて頂き、また万
一の場合を考え、村の医者に診せましたが、丁度子供が目を覚まし
ている時に来てくれましたので、医者は何か何だかさっぱり分ら
ず、「肺炎になるといけないから注意するように」と言って帰りま
した。それよりはもう何も思う事なく、ひたすら明主様に御守護を
お念じしつつ、浄霊を続けさせて頂いておりましたが、十一、十二
日と、依然として食欲なく、日増に衰弱は加わるのみにて、今は
だ死を待つばかり
となりました。


 支部長先生に毎日お願いし、皆で一心にお縋りさせて頂いており
ましたが、十二日の夕方ふと岡崎章様(支部長先生の息子様)をお
願いしてみたくなり、来て頂きましてその折

「どうも、との子の今度の浄化はただの浄化と違うような気がしま
す。何かのお気付けではないでしょうか」

と気になるまま夢の事も話し、色色語り合っておりますうち
「もしかしたら天井に何か上っておりませんか」
と申されますので
「御奉斎のお部屋の上は何も上げてありませんが、土間と台所の上
には薪が上っております」

とお答えすると、非常にビックリされて
「それは大変だ。大変な御無礼です。そのお気付けでしょう」
と申されましたので、早速お詫び申し上げ、御神体をお巻きさせて
頂きまして、翌日は朝から雨でしたけれども、早速信者の方々にも
手伝って頂いて、十三、十四日両日で、全部きれいに下さして頂き
ました。その間も子供の容体は、刻一刻悪くなる一方でございまし
た。


 子供ながら一切の物の執着から離れ、最初のうちは物こそ食べま
せんでしたが、絵本を見せてやりますと、嬉しそうに見ておりまし
たがもうそれも見なくなり、浄化する前に着せて着せてとせがんだ
振袖の着物を出して、これが最後かと、そっとふとんの上からかけ
てやりますと、それも要らないと言い、死人のような物淋しい子供
の寝顔を眺めて、親の間違い故に罪もない子供を身代りにするのか
と思うと、お恥ずかしい事ですが、子供ふびんさに、熱いのが込上
げて来ると同時に、もしこれが自分だったら……と思うと、子供で
すまさせて頂く明主様の大慈大悲に感涙が、後から後から止めどな
く落ちるのでした。


 この上は親として出来るだけの事をしてやりたい。せめて霊なり
とも救って頂きたいと罪多き身の不遜をも顧みず、十四日の夜明け
を待って、支部長先生に御報告申し上げ、明主様へ御守護の御願い
をして頂くよう、御一緒に中京大教会へお参りして頂き、渡辺先生
に御報告申し上げ、御守護の御願いをして頂くようお願い申し上げ
ましたところ、早速お許し頂けて、お電話にて御守護の御願いをし
て頂きました。その時電話をおかけ下さった大野様が独言のように

「午後三時頃に明主様の御許へ通ずるからそれまで生きておれよ」
と言っておられるのを聞いて家へ帰りました。

  岡崎先生に御浄霊をお願いして、自分は掃除をしておりました。
すると、子供の側についていた妻が突然「アッ、ただ今御守護が頂
けたような気がします。美津子の左肩の所でパッとお光を拝ませて
頂いた」
と申すのです。時刻は丁度午後三時きっかりでございまし
た。一同子供の枕元へ駈けよりました。今まで何とも言えない重苦
しい空気に包まれていた部屋に、今は明るく光が満ちているのを、
ひしひしと身に感じ、感謝と祈りの一瞬が過ぎました。


 夕方までに掃除を終え、御詫びと御守護を念じつつ、御神体を御
奉斎させて頂きました。


 その晩は思いなしか、子供の顔から淋しさが幾分取れたような気
がしました。ところが夜が明けてビックリ致しました。ああ何たる
奇蹟何たる御守護でございましょうか。昨日までの老人のような死
顔はどこへやら、衰弱はしているけれども、それは子供の可愛いら
しい寝顔でした。


  早速一同御神前にひれ伏して御礼申し上げると共に、今後の御守
護を御願い申し上げ、十二日振りにて明るい朝食にかかりました。
支部長先生にも、早速事の次第を申し上げると、大変喜んで下さ
り、今更ながら神様の大慈大悲に感泣すると共に、
いかなる間違い
でも改めれば、そして心よりお詫びすればかくも簡単にお赦し頂け
るという事
を、そうして幾ら米を山程積んだとて、神のお許しなく
ば一粒も食べさして頂けない、地上の有りとあらゆる物すべて神よ
りのお預り物であるという事
を、如実に体験さして頂きました。そ
れよりは日増に食欲もつき、あれがほしい、これが食べたいという
度毎に家内一同ただただ感謝の涙でございました。


 御守護のお願いをしてより九日目の二十三日には、半日ふとんの
上にて坐らして頂き、翌二十四日には半日起きていましたが、その
歩き振りを見ていますと、あたかも歩き出しの幼児そのままでし
た。本当に生まれ変らせて頂いたのでございます。その姿を眺めて
「よかったなあ……」と一言、後はただ感涙に咽ぶのみでござい
ました。そうして二十五日には、もう以前と変りなく友達と遊ぶよ
うにならせて頂き、近所のお道に反対の人達も、余りにも回復の早
いのに唖然としております。


けれどもどこまで頑な心の人達でございましょうか。それはそれで
認めていながら、
依然としてメシヤ教の事となると、少しも理解し
ようとしないのみか、反って冷笑している
のでございます。この人
達もやがては神の存在を認め、明主様の御前にひれ伏すでありまし
ょう事を思えば、他人事ながらお気の毒でなりません。それに引替
神の大愛に抱かれ、朝な夕なに明主様の御尊影を拝させて頂く信
徒としての幸福
を、今更のごとくしみじみと感じさせて頂くと共
に、誠に至らぬ身ながら、未曾有の救世の聖業の末端の一員として
お使い頂けますよう伏して御願い申し上げます。


 なお大層中し後れましたが、美津子生後一年二カ月頃だったと思
いますが、
急性紫斑病と言って、千人に一人か、万人に一人しかな
いという珍しい浄化を頂きました。余り長くなります故その時の模
様を簡単に申し上げさして頂きます。


 夕方まで元気でピチピチしておりました子供が、一夜にして顔、
手、足一面暗紫色の斑点が互いに重なり合い、それがまた毬のごと
く腫上り全く怪物そのままの姿、我が子ながら顔をそむけずにはい
られませんでした。それがまた一昼夜にしてさしもの腫れも引き、
僅か一週間という驚くべき短期に、跡形もなくきれいにして頂きま
した。後で聞いた話ですが、妻の実家の父がお道の事が分らぬ故、
心配して医者の所へ聞きに行ったそうですが、医者は容体を聞いた
だけで「お気の毒だが絶対治る見込はない」とはっきり言ったそう
です。


 こうして一度ならず二度までも当然亡き命をお救い頂き、何と御
礼申し上げてよいかその言葉に苦しむ次第でございます。安らかな
寝顔を、そして元気に遊ぶ子供の姿を眺める度毎に当時の事を回顧
し、感謝と御報恩の念を一層深めるのでございますが、曇り多き身
の一向に御用らしき御用も出来ませんのを非常に申訳なく存じてお
ります。

 明主様本当に有難うございました。
 御讃歌
  如何ならむ 罪も赦させ如何ならむ
         罪も尤むる天地の神
  人びとよ 悔改めて世の峠
         安く越えなむ備えせよかし
  諸人よ 心ゆるすな巖しき
         神の裁きのやがて来たらむ