このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成27年4月度 ミニ講座

私の考え方 (栄百六十二号  昭和二十七年六月二十五日)

 私は何事でも、非常に深く考える癖がある。例えば或計画を立て
たとする、それが大抵の人は、成可早く着手しようと思ってヂット
しては居られないばかりか、行り始めたらどうにかなるだろう位に
運命に対する依頼心が強い
が、偖始めてみると仲々そんな訳にはゆ
かない
で、大抵は〓(イスカ)の嘴(ハシ)と喰違い失敗するのである。とい
うように失敗の場合を考えないで、成功の場合のみを考えるから危
険千万
である。処が
私は反対で最初から失敗を予想してかかる。若
失敗したら斯ういうように建直すという案を予め立てておく
ら、よしんば失敗しても余り痛痒を感じない、暫く時を待つ、そう
すれば致命処ではなく、容易に再起が出来るのである。


 そうして金銭に就てもそうである。之を私は三段構えにしてい
第一の金を遣って足りなければ、第二の金を遣い、それでも足
りなければ第三の金を遣う
。というようにすれば決してボロなど出
す気遣はない。というように
凡て準備を充分調べておき、何事も念
には念を入れて行る
から、之を上面から見ると間怠いようだが、失
敗がないから案外早く進捗する。其為無駄な費用も、時間も労力も
省けるから、算盤上予想外な利益になる。私は皆も知る通り、随分
大胆な計画を次々立て、実行するが、不安がなく、気楽な気持でス
ラスラゆくのである。


 右のように最初から、準備万端整っても私は直ぐに掛る事はしな
で、徐ろに時を待っている。すると必ず好機会がやって来るから
其時此処ぞとばかり乗り出すのである。そうして
出来るだけ焦らな
ようにする。人間は決して焦ってはいけない焦ると必ず無理が
出る
。無理が出たらもうお仕舞だ。世間の失敗者をみると、例外な
焦りと無理が原因となっている。それに就ていつも想い起すの
は、彼の太平洋戦争の時である。初めの間はトントン拍子に旨く行
ったので、いい気持になり慢心が出て来たので様子が大分変って
勢が悪くなって来ても、何糞とばかり頑張り、無理に無理を重ねた
ので、其結果あゝいう惨めな結末になった
のである。其頃私は斯う
焦りが出た以上もう駄目だと考えたが、其頃は人にも言えないか
ら、我慢して了ったのである。という訳で最初から敗戦の場合を考
慮していたなら今少し何とかなったに違いないと、実に残念に思っ
たものである。全く当事者の浅慮が原因であったのは言う迄もな
い。


 右のような訳であるから、私を見たら或時は頗る短兵急であり、
又反対に悠々閑としている事もあるので、先づ端倪(タンゲイ)すべから
ずであろう。それも
これも神様の御守護の厚い為は勿論だが、私の
する事、為す事、実に迅速に捗んでゆくので、吃驚しない者はな
い。本教の異例な発展の速度をみてもよく分るであろう。


次に注意したい事は、人間は精神転換をする事である。それは無暗
に一つ仕事に噛り附いている人がよくあるが、斯ういう人は割合能
率は上らないものである。つまり飽きたり、嫌になったりしても我
慢するからで、之がいけない
のである。寧ろそういう時は遊び事で
もいいから転換する
に限る。よく芸術家などで
気の向かない時は、
決して手を出さない
話をよく聞くが成程と思うので、寧ろ或点は我
儘な位が、反って能率が上るもの
である。其様な意味で
私は仕事に
固着する事を嫌い、それからそれへと転換して行く
、そうすると気
持もよく、面白く仕事が出来るから頭脳の働きもいいのである。と
はいうものの其人の境遇によってはそうもゆかないから、
右の理を
よく弁えて、臨機応変に行ってゆけば、余程有利である
という事を
教えた迄である。





    【御 教 え】     (御教え集1号  昭和26年8月1日)

 癌にはレントゲンとかラジウムが良いとしているが、癌の破壊作
用としてやるんですが、癌だけ破壊するのは結構ですが、癌を破壊
する為にその局部の筋肉迄破壊
して了う。肋膜に水が溜るから水を
取る。
実に単純なんですね。水が溜つたから水を取るのではなく
て、水の溜る原因は何処にある――それを溜らない様にする、と言
うそこに気がつかない。
熱が出るから氷で冷やす。悪い処があるか
ら手術する。実に単純な考え方で実に野蛮極まる。つまり悪い処が
出来たら取ると言うのは薬剤迷信の考え方と同じ
です。医学とか―
―医術なんて科学性は全然ないですね。ですから
そこに気をつかせ
ると言ふのが我々の仕事
なんです。だから救われた人だけは、それ
だけ気がついて識るんです。今の処はそれより他にないからやつて
いるんです。


 それから赤痢が今年は流行ると言うので大騒ぎですが、赤痢の原
因が頭にある
と言つたら、医学の方ではびつくりして了います。赤
痢は黴菌によつて起るんだと言う事になつているが、実は黴菌は御
自分の体にわく
んです。伝染するのもあるが、集団赤痢は伝染する
んです。伝染するのは、黴菌をつくつて皆んなに移させるんです。
だから良い役目をするんです。よく黴菌が何処から出るかと言う事
を大騒ぎするが、結極何処から来るか判らない。それは頭の中にわ
んです。それが赤痢として出るんです。だからこんな結構な事は
ない。そんな事を知らないから人間は悪い事をする。
悪い事をして
いる人の魂を治すと言う事は何う言う事かと言うと、霊が曇つてい
るから、その曇りを取ると言う事
です。




    御面会日の質問(1) (御教え集1号  昭和26年8月1日)

(お  伺)私の息子二十四歳は本年一月より体具合が悪く、医師の診
察を受けました処、
膀胱及び腎臓が悪いと云われ色々と医療を加え
て行く中に、二カ月目に膀胱腎臓結核と云われ、腎臓の手術を勧め
られましたが、その儘で切らず三カ月放任し、五月中旬頃より御浄
霊を受けております。お蔭様で腰痛は取れ、今迄小用する度に膀胱
が痛みましたがそれも少しは取れましたが、まだ小用する度に少し
痛みます
。最近は特に食事が進みません。


因みに昭和二十三年九月長女清野(十九歳)は腸結核にて死亡、続
いて二十四年六月夫は心臓、肝臓、腎臓病にて死亡、本年七月十九
日次女厚子(十九歳)は喉頭結核にて死亡しております。家には光
明如来様、御屏風観音様共御奉斎させて戴いております。御浄霊は
特に何処をさせて戴いたら宜敷いでしようか
、又子供の死亡は成長
してから死にます。幼い時は皆元気ですが、何か霊的に関係が御座
いましようか
御伺い申上ます。


(メシヤ様の御垂示は、次の御教えの後に記載していますが、皆さん
だったらどのようにこの質問に答えますか?考えてみてくださ
い。・・・このような積み重ねが大切です。)





     薬毒(一)    (医革  昭和二十八年)

 茲で薬毒に就いて、一層詳しく説いてみるが、曩にかいた如く
は悉く毒
であって、毒で浄化を停止する。それが種々の病原となる
事は大体分ったであらうが、薬にも漢薬と洋薬との二種あり、どち
らも特質がある
から、一応は知っておく必要がある。勿論効果に於
ても夫々の違ひさがあって、例へば
漢薬であるが、勿論草根木皮が
原料となってをり、伝説によれば支那前漢時代、神農といふ神の如
き偉人が現はれ、病を治す方法として山野から種々の草木を採取
し、之を薬として服ませた処、苦痛が減ったので、之こそ病を治す
ものと思ひ、それから今日迄続いたのである。


勿論今日でさへ薬は毒である事を知らない位だから、況んやその時
代に於てをやである。何しろ一時的乍らも苦痛が緩和するので、薬
の効果を信じ今日に至ったのである。


そうして漢方薬は量が非常に多いので、左程でない毒も案外害は大
きい
もので、而もお茶代りに飲む人さえあるのだから厄介な話であ
る。又漢薬常用者は、特に顔色が蒼白であるからよく分る。中国人
の殆んどが黄色なのはその為であらう。


又之が腎臓に及ぼす影響も相当なもので、浮腫の原因となる。中年
以上の婦人で青ん膨れの人をよく見受けるが、之と思へば間違ひな
い。そうして
漢薬中毒の痛みは鈍痛が多く、昔花柳界の女で持薬と
して〓菜(ドクダミ)、ニンドウなどを飲んだのは、花柳病予防に効果
があるからで、つまり湿疹や腫物などの浄化停止に効く為からであ
る。又昔の婦人によくあった癪(シャク)、寸白(スバク)、冷え症などもそ
れであり、男の疝気(センキ)といって睾丸の痛む病気も同様である。そ
の他男女共通の病としての胃痙攣、脚気、リョウマチ、心臓病など
もそれである。





   御面会日の質問
   〔御  垂  示〕         (御教え集1号  昭和26年8月1日)
 之は、やつぱり医学の犠牲になる訳ですね。反つて、一人子供が死
ぬと、この次には用心して医者を余計頼るから死ぬ。そう云う時、
お医者様はおどかしますからね。手後れだとか云つて、別に手後れ
じやないですね。やはり、
系統とか、血統とか、体にもそう云う点
はある
んですね。腎臓の系統ですね。ですから腎臓を良く浄霊して
やればいい
ですね。それから、膀胱は痛い所、そこを浄霊する。こ
う云うのは、小便に相当薬毒が入つているから、膀胱の粘膜を刺戟
する
んですね。こんなのは何でもないですよ。少し気長にやれば治
ります。腎臓を切らなくて良かつたですね。小用する度に少し痛む
というのは、腎臓から尿道に行く出口あたり
でしようね。




(この実話は色んな所に学ぶポイントがありますので、自らの信仰と
較べながら読んで学んでいただければ幸いです。また、次のお陰話
も同様で、大切なことがありますのでを言わんとする所を汲み取っ
て頂ければありがたいです。)


  実 話 矛盾      メシヤ中教会会長 藤枝 茂
           『地上天国』60号、昭和29(1954)年7月15日発行

 信者K君夫婦は非常に幸福な人生のスタートを切った。二人は最
恋愛によって結ばれ、両家共信者となるに及んでその結婚に対し
ては両親の快諾を得て華燭の典をあげた。
二人共信仰は至極熱心
新しい家庭の設計にも総て御教えによるという方針をたてた。お父
さんは非常に理解のある人で、若い二人の為にささやかながら新居
を建てその前途を心から祝福した。


しかしここにただ一つ誰も口にはしなかったが一つ気にかかった事
がある。それは若い奥さんの健康で以前から肋膜がこじれて肺浸潤
との事だった。見た目も弱々しく微熱が続いていた。それでも御浄
霊の御蔭で次第に元気になり、その内姙娠した。「赤ちゃんの出来
た事は結構だけれど、果してあなたに産めるかしら」
と周囲の人が
盛んに騷ぎ立てる。
本人も心配になって来て、自分が前に病院に出
ていたので知り合いの医者の意見を聞いたところ、言下に「もちろ
ん今の内に堕さなければあなたの体が参ってしまう」
と言われ
迷っ
て支部へやって来た


支部の先生からは間違いを諄々と諭され「それだからこそあなたは
御守様を頂いたんじゃありませんか。神様から授かったんだから大
丈夫産めますよ、安心してせっせと御浄霊を戴く事ですね」
確信に
充ちた話を聞いている内に
心は決った。よくしたもので、その事あ
って以来
信仰には一段と拍車がかかり特に熱心な部類の人に入って
来た。


  いつしか微熱もとれ、あれ程皆が危ぶんだ御産が月満ちて割合軽
くすんだ
事だった。最初から思うとこれは全く奇蹟だ。その上産後
の肥立ちもよく、かたわらの赤ちゃんを見やる二人の心は
いつも信
仰の尊さに感謝
が込上げて来た。これは天から恵まれた子だからと
言って恵子と名づけた。その上一層驚いた事には、規定の安静が終
って立上ってから、奥さんの体がめきめきよくなり産前とは打って
変った健康になって来た
事だ。


A君は嬉しくてたまらず熱海の御奉仕隊にぜひ参加させて貰いたい
と、仕事に精を出して余暇をつくっては出掛けていった。赤ちゃん
は手数のかからない大人しい子で、これも御恵みだと感謝
した。時
がたつにつれて奥さんの方はいつの間にやら胸の方もよくなり、妙
に薬やけした皮膚も次第に美しくなって来た。


 それから十カ月もたったろうか、ある晩の事二人連れで悄然とや
って来た
。何という顔だろうか歪んでいる。一体何事だろう。と私
はその口の開かれるのを今や遅しと待った。
「先生恵子が死にまし
た!!」
「エッ!!」私は愕然とした。「いつ? 何で?」二人の
涙ながらに語るのはこうだ。


昨日まで元気で平常と大して変らなかったが、少し熱があったので
思い出しては御浄霊していた。明け方の三時頃御乳が欲しそうだっ
たので与えると、少し飲んで寝てしまった。別に吐きもどうもしな
かったと言う。朝六時半頃起きて御浄霊をと思って見ると死んでい
。仰天した二人は今一度甦らん事を願い、一心不乱に御念じしつ
つ御浄霊をした。しかし一度帰幽した霊はもう戻らなかった。以上
のように
ほとんどさしたる浄化とてなく、フッと召されたのであ
る。用心深い奥さんの事だから勿論窒息等とは考えられない。それ
は丁度静かな池に投げ込まれた石のようなものだった。


 「先生一体なぜ恵子は死んだんでしょう。それを教えて下さい」

 私はじっと二人の顔を見た。
  先だってまでのあの喜びに充ちた顔がこうも変るものだろうか。
子供を亡くした経験のない私にはそれがどれ程な悲しみかは勿論判
らない。「それは全く御気の毒です。さぞ力を落されたでしょう」

私の口からは全く月並な言葉しか出て来ない。しばらく沈黙が続い
た。
神様はどうしてこんな苦しみをお与えになったんだろう。私は
二人の入信当時の事を考えていた。


「これはきっと深い神様の御思召があるんですよ。はじめあの赤ち
ゃんが出来た時、あなたは堕胎しようと思ったんじゃありません
。もしこの御道を知らなかったらきっと闇から闇に葬ってしまっ
たでしょう。そしてもし堕したとしたらあなたの体だってどんな恐
ろしい結果になったか判りませんよ。知らぬ間に死んでいったとい
う事は、恵子ちゃんの寿命なんです
あの子はあなたを助ける為に
生まれて来た
んだ。御教えにも祖先の罪が余りにも多い場合、子供
が背負って逝く場合がある
とあります。今度のはきっとそうに違い
ない。赤ちゃんは親孝行をした訳だからそのつもりで供養して上げ
て下さい」


二人は頷いたが、決して判りましたという顔ではなかった。今こん
なに悲しんでいる時にそう思いなさいと言う事は無理かも知れな
祖先の罪というものは目に見えないのだから……。二人はすご
すごと帰っていった。一人部屋に残された私は思った。
これも神様
がなさった事
に違いない。当然ない生命をあそこまで育てて下さっ
たのだから……。だがそれは第三者である私には思えても、当事者
となったらなかなかそうは思えまい
。私は心ひそかに念ずるより道
がなかった。


 それからしばらくは信仰も灯が消えたようだった。その内あれ程
大きかった心の負傷(いたで)も癒えて来たのか、以前のような

のある信仰に立ち直って来た
。約一年が経過し、また姙娠したとい
う事をきいた。順調に月を経て今度は以前にもまして安産、非常に
元気な児を授かった
。そして前の児の時は足りなかったお乳も十分
出るので喜んでいるとの事だった。


その内K君がひょっと訪ねて来た。私は久しぶりにあの素晴しく明
るい元気な彼の顔を見た。


「先生!! 今になってやっとなぜ恵子が死んだか判りました。恵
子は生まれつきとても育たない大変な病人だったんです。それは今
度産まれた赤ちゃんを見て知りました。血色と言いお乳の飲みっぷ
りと言い、しかも浄化力の旺盛な事、死んだ恵子は産まれて二週間
も便が出なかったんですからねえ、私は悲観して一時は信仰を捨て
てしまおうかと思った
んです。しかしここまで来られた事は全く御
守護
でした」


私はほっとすると同時に嬉しくてたまらなくなった。神様は何と鮮
かに目の前に御見せになった事だろう。しかも
神様を疑った御咎め
もなく
……。神様のなさる事に矛盾はないそう見えるのはその人
の見方が短見
だからだ。神様はいつでもどうしたら幸福にしてやれ
るかとあらゆる方法をとって下さっている
。しかしそれには法則が
ある
浄化という法則が……。

そしてK君が中途半端にならずここまで歩んで来て、遂に神様の大
愛が判らせて頂けたのは、やはり
御浄霊によって多くの人を助けて
上げて来たその功績によるもの
だろう。やきもきする事はない。
様はその人の思う以上にして下さっている
のだ。問題は長い目で見
る事
だ。





   御利益御守護を賜りました回顧 
            『地上天国』2号、昭和24(1949)年3月1日発行
     東京都目黒区大岡山 日本五六七教会 岡田教導所 岡田武蔵(34)

 昭和二十三年一月九日、七年振りで故国佐世保に上陸、マラリヤ
患者に「キニーネ」を渡すというので単独交渉したが部隊のない悲
しさ、軍医はようやく一日分を出してくれた。一月十六日午前十時
に品川駅到着、懐しの故郷は無惨の焦土、少年時代より見慣れた大
岡山駅付近の商店街は見る影もなく、きっと自分の家もなくなった
ろうと思いながら道を歩む、路上に行き交う人々の顔もなつかしい
顔は見当らず心細い限りだ。


「無理もない、終戦以来三年間も音信不通だもの、もし誰も残って
いなかったら足を棒にしてでも知人を歩かなければならない」
等と
ぼんやり考えながら歩いた。自宅より二町ばかり手前から家の青い
樹木がみえる、やれやれと思うと急に疲労が加わわってようやく家
に到着、長兄初め一同待っていてくれた。迎えに出かけた次兄とは
行き違いになったが話を聞いてみると
三人共観音様を信仰し、その
御利益で病貧等が救われるという
「理屈抜きで考えろ、病気が治
れば手段方法等問題じゃなかろう、良いからすぐ御守を受けなさ
い」
という調子です。


 昔から信仰心の厚い長兄はともかくとして相当に唯物的だった次
兄がすすめるのには驚いた。持病のマラリヤが薬も使わずに治るか
しらと思いながら半信半疑で話を聞く。


「上陸の際キニーネを沢山くれなかったのは観音様の御守護があっ
たからだ。急にこんな事を言っても解らないだろうが、お前の戦死
公報は一昨年の暮に来ていたよ、しかも神様にお伺いしたら
『無事
だ、安全に帰るよう守護してとらせる』
というおつげであり、観音
様を信仰するようになってからは毎日蔭膳を供えて御守護をお願い
していた
のだ」


といわれ、成程そう言われてみれば思い当る事ばかり、全く不思議
に命永らえてよくもまあ無事に帰れたもの
と思い出しては寒気がす
る程だ。


 顧りみれば昭和十七年暮以来北支において数回の戦闘に参加した
が負傷一つせず始終元気
だった。昭和十九年春南方に転進したが、
我が船団の大部分はヒリッピン南端やニューギニア、ビアク島にお
いて殆んど全滅し、私の属した師団も大損害を受け結局ジャングル
を転進中米軍の包囲攻撃をうけて完全に全滅した由である。


 当時私はマラリア発病のため二、三名の兵を率いて師団主力より
数日行程遅れて追進中だったため、包囲圈に入らなかったのだ。し
かも病兵も一人たおれ二人倒れ最後の一人を途中の野戦病院に送り
届けた時は、私も相当な熱に悩まされていた。ただ一人になった私
は続いて病疲れた身体を、ひきずるようにして海岸添いのジャング
ルを前進した。三日四日と経過する中に私は自分の運命を甚だ心細
く思った。


その日は殊に気分が悪く遂に一歩も進めぬ状態となってしまった。
フト傍に適当なニッパヤシの茂みがある。今夜はこの下で眠ろうと
応急の屋根を作りグッタリと目を閉じる。何時間を経たか知らない
が気がつくとなつかしい母親の姿が浮び上る。ああお母さん!と呼
べど答えぬ母の幻影は消えさり、後は果知らぬ沈黙がつづく。


突然バッサリと屋根が落ちてきた。「敵襲」と軍刀を握って飛び起
きたが周囲は深沈たる烏羽玉の闇、見ゆるは直径一寸もある大蛍の
燐光のみ不気味だ。嫌な晩だなと思うと余計頭はヅキヅキと痛みい
よいよ眠れない。「ここで俺も最後なのかな」途中で散見した落伍
兵の気の毒な死体が目先にちらついてまんじりともせぬ夜が明け
た。翌朝はどうしても頭が上らない。「ああ水が飲みたいのどが渇
く、誰か通らないかな」赤道直下の太陽は滅法に暑く日中の暑気は
地獄の熱火とばかり焦げつくが、人里遠いジャングル、人ッ子一人
犬の子一匹姿さえも見えぬ、何時間否何日かさえ知らぬ間私は意識
を失っていたらしい。


「痛タ、痛タ、痛タイ」私は自分の声に気がつくと綺麗な室の内、
白い敷布、黒い顔赤い顔の敵兵の姿。「しまった捕ったのか」と思
うと再び気を失ってしまった。大分後から黒んぼ兵に教えられたの
ですが、ジャングルの中に軍刀を持った奴が寝ているのを、土人が
発見して米軍に報告した。やって来てみると死んでいるのか眠って
いるのか解らない。身動きすれば一発「ドカン」をやるのだがと取
敢えず見張の土人と一日中つけていたが全然身動きもしない。よう
やく安心して近づいてみると微かに脈があり、マラリヤ罹病死の直
前だという事が解ったので、キニーネ五、六本を臀部と太股に注射
した上病院に担ぎ込んだ。二日経ち三日経っても気がつかぬので
「こいつは駄目かな」と思っていた。


 「よく治ったものだ。全くお前は命を拾ったよ」と口々にいい聞
かされ、「戦争も日本の降伏ですでに終っている。未だ終戦を知ら
ぬ日本兵がジャングル内に大分いる、日本兵は一人になっても仲々
降伏しないので厄介だ、食糧に困れば出て来るだろう」といってい
た。やっと安心したが豪州軍に引渡され
大変優遇され、彼等部隊で
はただ一人の日本人だったし、中年の豪州兵は仲々親切で給与は彼
等と同様その上残パンや卵は沢山くれるという次第
で、
健康はグン
グン回復
した。和蘭軍に引渡された後も健康兵として珍らしがら
れ、重労働だからとて常に二人扶持あるいは炊事当番をやらされ、
文宇通り裸一貫の一ケ年半をチピナンの刑務所に勧め仲間の日本兵
からは常に羨望の的でした。


 最後に戦犯容疑者としてジャワに収容された時である。それまで
宣伝報道に関係していた者は重くみられ、軽くて五、六年、悪くす
ると首がとぶ
との風説専らであったので、なんとか逃れたいと思い
嘘をつき、田中と変名していたのですが、最後の調査の時(最初の
調査から一ケ年半経過していた)
フト真実をいう気になり(後から
聴くとこの点を非常に兄達が心配していたそうです)スラスラと真
実を淀みなく申述べたのです。調査官は暫く私の顔をみていたが、
始終額ずかれ「お前のいう事は真実と認める」と調査終了後数日に
して
釈放の手続きをしてくれた夢に夢みる心地とは将にこんな事
をいうのであろうかと私の喜びは頂天でした。

 その他腰から下はひどい疥癬にかかり膿は出るが手当のしようも
なく放置して置いた事や、海岸でコンソリー戦闘機に急撃され海に
落ちて助かった
り、砂浜で同様急激され五十米の低空であわや銃弾
を喰らわせられるかと思ったが、射撃もしないで急反転上昇して飛
び去った
。首を上げてみると奴はハンカチを振っていた。種々数々
の事件で頭は混乱する。


 思い出の種々。「全く世に有難き御加護を賜るかな」早速ながら
その月の一月十八日御守を戴きその後兄の下で勉強させて戴いてお
ります。井口先生の有益なお話も半信半疑ながらその帰途小泉先生
の奥様に初めて御面会すると
「お兄さん達と同じような仕事をしな
くても、貴方は自分の仕事をやりながら協力すればよいので、無理
に同じ仕事をなさいとは申しません。
良いと思ったら早く掴む事
すね。」
この御言葉は未だに私の脳裡につよく印象づけられており
ます。

     讃えても讃へ尽くせぬ御恵みに 
          報はむすべのなきぞ悲しき
 以上御讃歌を詠ませていただきまして筆を止めます。