このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成27年3月度 ミニ講座

序 文      (私物語  昭和二十七年)

 今日世界人類の約半数以上は、何等かの宗教信者であり、其中の
大部分はキリスト教、回々教、仏教の三大宗教が占めてゐる事は、
今更言う必要はないが、右の三大宗教の創立者は、キリスト、マホ
メット、釈迦の三聖者である事も分り切った話である。そうして彼
等が弘通の方法としての殆んどは、教へを基本としての、筆と口に
よった事で、それ以外の手段は余り用いなかったやうである。


 処が私に至っては全然異ってゐる。右の如く教へもあるにはある
が、それは一部
であって、全体としては人類が生きてゆくに必要な
凡ゆる文化面に及んでゐる
其中でも特に既成文化の誤りを匡し、
真の文化の在り方を種々幾多の方法と現実とを以て教へてゐる
。其
最も主眼としてゐるのは、病気と貧乏と争闘を此地上から消滅する
であって、之は常に私の唱えてゐる処であるから略すが、此様な
救世の大業を遂行しつつある私を知る人としては、私に就ての何や
かや出来る限り知りたいと思ふのは当然であらう。而もそういふ人
が将来世界中如何に多数に上るか知れないとしたら、
地上天国世界
の紀元を作る私
としては、後の世の為自分といふ者のあるがままの
姿を出来るだけ審らかに記いて置きたい
と思ふので、之からかくの
である。


 そうして私がついも思ふ事は、右の三大聖者にしても、成程立派
な教へを丹念によくも説いた事は、彼の仏典などが八万四千といふ
浩瀚なものであるにみて、其努力には頭が下る位であるが、不思議
な事には自己自身を少しも説かなかった。恰度立派な着物を纏ひ乍
ら、裸となるのを嫌ふかのやうに見えるので、感想や告白などは全
然知る由もない。つまり
腹の中まで曝け出さなかったのである。或
ひはそうする事を欲しなかったからでもあらうが、其点甚だ遺憾に
思ふのである。


 処が私は全然異ってゐる。何となれば私といふものの一切を、縦
横無尽に晒け出し、思ひのまま凡てを記いてみたい
からである。そ
うして文中不可解な点もあるだらうし、虚々実々、大小、明暗、有
限無限等々で、興味津々たるものがあるであらうから、
味はひつつ
人生を覚り得ると共に、
揺がざる魂の持主となるのは断じて間違ひ
ないと思ふ
のである。



    私の神秘      (私物語  昭和二十七年)

 私はいつも思ってゐる事は、私程不思議な人間は世界肇って以来
一人もない
事を信じてゐる。実に何から何迄不思議だ。自分でさへ
そう思ってゐるのだから、他の人としたら私といふ者の実体を想像
してみても、結局群盲的であらう。といふのは神秘性が余りに多い
からである。処が面白い事には人間の意欲の中で、最も興味を惹く
ものとしては、何といっても神秘性
であらう。そうして神秘といふ
ものは、凡ゆるものに潜んでゐる。彼の人類学者が古代の遺蹟や、
原始人の生活を研究するのも、其当時の神秘を探りたいからであら
うし、科学者が一生を賭してまでも物理現象を研究し、解剖し、専
攻するのも、無から有を生ぜしめたり、原子発見や物質転換の理を
知らうとするのも、其物の神秘を暴こうと思ふからであらう。又医
学者が一生を顕微鏡と首ッ引きで、死体解剖や動物実験に努力をす
るのも、生命の神秘を掘出そうとする目的であり、天文学者が望遠
鏡から大空を絶えず覗いてゐるのも、日月星辰、風雨、雷霆、気候
の変化などの研究に浮身をやつすのである。其他歴史家、地理学者
等もそうであり、文学者、美術家等がインスピレーションに触れる
べく、芸術的神秘を得やうとするのも同様であらう。此様に専
門々々によって形は異うが、神秘を欲する点には変りはないのであ
る。


 又話は違うが、男女の恋愛にしても根本は神秘的魅力である。相
愛する感情の波に揺れつつ離れ難くなって、遂には生命迄も犠牲に
するのも実に神秘である。といふやうに人生は絶へざる神秘との戦
ひであるとも言へやう。実に神秘なるものは、学理でも理屈でも分
らないと共に、其力は無限
である。従って今日の如く文化の進歩し
たのも、神秘探究こそ根本条件
といってもいいであらう。そうして

神秘中の神秘ともいふべきものは、何といっても信仰であって、
仏に対する信仰の神秘性は、恋愛以上
といっても過言ではあるま
い。とはいふものの単に宗教といっても、既成宗教は一部を除いて
は、今日殆んど神秘らしいものはないと言うのが実際であらう。成
程開教当時は相当神秘もあるにはあったであろうが、長い間に在る
だけの神秘は、最早暴き尽されて了ったのでもあらうが、そこへゆ
くと新宗教によっては神秘性が多分にあるといふのは、何だ彼んだ
言はれ乍らも今日既成宗教を圧倒して相当の発展をしつつあるとい
ふ事実である。恰度古女房と新婚ホヤホヤの若い女性との相違のや
うでもあるが、然し新宗教にも神秘性の多い少いのある事は勿論だ
が、其中で自画自讃ではないが、特に
我メシヤ教位神秘の多い宗教
は、恐らくあるまい
。何よりも本教発展の速かなるにみても肯れる
であらう。そうして其
奇蹟の本尊が私であるとしたら、私といふ者
に内在してゐる神秘力は、如何に豊富であるか想像もつかない
であ
らうから、私は出来るだけ分らしたいと思うが、此説明こそは実に
困難である。
どうしても或程度以上は、其人の智慧証覚に応じて覚
るより仕方がない
のであるから、精々身魂を磨いて覚者となる事
ある。では之から色々な面から、私自身を解剖し、赤裸々に露呈し
やうと思ふのである。




    私は神か人か    (私物語  昭和二十七年)

 私といふ人間程不思議な人間はあるまい。恐らく世界肇って以来
類型のない
事は確かである。私自身と雖も考へれば考へる程、不思
議の一語に尽きると思っている。そうして昔から知る限り、聖者、
賢哲、偉人等の伝記を見ても、私に当嵌るやうな人間は一人もな
い。そんな訳で将来いつの日か誰かが私を研究し、批判する事も必
ずや相当数出る
であらうから、それを考へ今出来るだけ私といふも
のの有りのままの姿を記き残しておこうと思う
のである。


 先づ私をかくに当って、一番不思議に思ってゐる事は、誰よりも
私自身である。それというのは余りの神秘性に富んでゐるからであ
って、此意味に於て主観と客観との両面から解剖してみやうと思う
が、之に就いては何年も何十年も私に接近してゐる者でも、今以っ
て本当には分らないらしい。否私の妻でさへ余り分ってゐないやう
である。勿論、私は宗教家ではあるが、釈迦、キリストのやうな一
宗の創立者でもなければ、飛抜けた人物とも思へまい。それは余り
にも間口が広すぎるからである。


 そうして私は右のやうな事は若い頃から思ってもみた事がない。
只普通人よりも何処か変ってる処があるやうだと、只漠然と意識し
てゐたにすぎなかった。その最も変ってる点といへば、私は歴史上
偉人として伝へられる如何なる人間でも、崇拝する気にはどうして
もなれない
。それは私として追ひつけない程の偉い人物とは思へな
からである。之は理屈でもなく自惚でもない。自然に湧いてくる
気持
で、寧ろ寂しくさへ思える事が屡々あった。又
今一つの特異性
といえば非常に正義感が強く、悪を憎む事人一倍
で、日々の新聞紙
を見てもその憤激を抑へるに随分骨折ったものである。そこで何と
かして此不正を減らしたいと考えた末、目を付けたのが新聞であ
る。処が当時一新聞を発行するには百万以上の金がなくては駄目だ
といふので、それを儲けるべく大いに活躍したが、事志と違ひ見事
失敗
した。然し之が宗教界に入る動機ともなったので、反ってプラ
スになった
訳である。


 それが大本教の入信であって、それまでの私は無神論のコチコチ
であった
が、大本信仰により
神の実在を肚の底から認識出来たので
あった。それというのは何しろ
驚くべき奇蹟が次から次へと出て来
ので、茲に心機一転百八十度の転換となったのは勿論、日の経つ
に従ひ益々奇蹟続出、遂には私の過去、現在、未来に亘る運命に就
いての霊的啓示をも受けると共に、自分は超人的力を与へれら、人
類救済の大使命を荷う
が判然とした
のである。そうしてその頃洵
に不思議な現象と思ったのは、偉大なる何者かが私を自由自在に操
り、一歩々々神の世界の実在を、奇蹟を以て会得させた
事で、其際

込上げて来る歓喜をどうする事も出来なかった程である。此気持た
るや
幽幻至妙言葉では現はせない心境であった。而も相変らず奇蹟
続出で、興味津々たるものがあった。
一日の内に何度心が躍ったか
は分らない
。その中での最も大きな奇蹟は、大正天皇崩御の年、即
ち大正十五年十二月の事であった。




(おかげばなし)
私の御浄化にて霊界の実相ハッキリ知らさる
                         大恵中教会 伊藤きみ
             『地上天国』57号、昭和29(1954)年2月25日発行

 明主様謹みて日々の御守護を厚く御礼申し上げます。
 この度頂きました御守護を拙文をもかえりみず御報告さして戴き
ます。

 私は結婚後数年になりますが子供が出来ず子供ほしさに昭和二十
三年九月二十五日入信致したのです。同二十四年十一月二十日光明
如来様を御奉斎さして戴きましたが、何しろ
本当の道を知らなかっ
ため月日のたつにつれて自然に遠ざかってしまいました。

  それから五年後の昨年二月末頃より風邪を引き、その時は神様と
いうことに気がつかないで、医師を頼って行き、その結果結核と言
い渡されました。実は兄さん達が、上の兄は昭和十四年十一月、下
の兄が十五年の二月共に結核にて亡くなり、また私は末子ですが家
を継がねばならず養子をむかえましたが、結婚後三年目の昭和二十
年に夫もまた結核で亡くなっているので、私も死の警告を受けたよ
うに悲観致し、それでも医師を頼り二、三日通っておりますうちに
肛門に痛みを感じ医師に相談しましたら「痔瘻結核」と申され三カ
月入院すれば良いと申しますので早速支度にかかりました。主人の
姉さんに看護して戴きたく来て戴きました。姉さんは救世教信者で
色々と有難いお道のお話を聞かされました。自分も現在世間をみて
も、またなお兄、夫のことを考えても、
このまま医師にかかってい
ては駄目だということに気がつきました
。それからは姉さんより御
浄霊して戴き一週間目になりましたら立つことも坐ることも出来な
くなり、泣きながら這って 御不浄へ行き、戻りはようやく歩いて床
につくとまたすぐ御不浄へ行きたくなり、それを繰返し繰返し苦し
んでいたが、姉さんより
「毒素が出ると楽になる」と力づけられ、
ソケイ部や患部を一心に御浄霊を戴きましたところ、夕方頃になり
ちょっと咳をすると同時に裾から悪臭のする汚物がどっと出て、そ
れからだんだんよくなり一週間目頃には止りましたが、また肛門の
脇が腫れて来ましたので、御霊紙をはり御浄霊を戴いている内化膿
して破れましたのでだんだん楽になって来、五カ月も経った時はも
うすっかり良くなっておりました。数々の御守護を戴きましてしみ
じみと有難さを感じさせられました。


 五月の二十日には御屏風観音様を御奉斎さして頂きましたとこ
ろ、大変体工合が良く家事の手伝いも普通に出来るようになりまし
た。お盆頃よりまた浄化を戴きましたので親戚の者はまた医者に行
くことをすすめましたが、
自分はどこまでも救世教にお縋りする気
でおりましたので教会へ来て会長先生に御相談申し上げましたと
ころ、御許しを得ましたので九月十七日より教会で御世話になるこ
とになりました。まず教会に来て感じたことはだんだん痰の多くな
って来たことでした。一日に二合の状態が二カ月近くも続きまし
た。それでも炊事にお手伝いなど大した苦痛も感じませんでした。
そして何ということなしに四十日目の十月二十八日の朝のことでご
ざいます。お勝手仕事をしておりますと段々体が寒く震えが出て来
ました。


実はお盆より毎日のように寒けがしておりましたので、いつもの寒
けだと思っておりましたところ、いつもとは違いだんだん震えが強
くなり自分ではどうすることも出来ませんでした。早速菅原先生よ
り御浄霊を戴いておりますと、先生の膝にわっと泣きくずれ「有難
うございます。明主様有難うございます」という事を泣きながらに
数回言い続けております内、先生は、『善言讃詞』を奏げて下さい
ました。その時は静かにしておりましたが『一天四海観音の仁慈の
御胸に抱かれん』というところまで来ますと、またわっと泣くので
す。そうして

霊「自分は救世主に救われた」
と申しのべ先生の帯にしっかりつかまり、
霊「先生有難いですね」
と涙ながらに何回も言い感謝の気持にひたるのでした。そうしてい
るうち先生が「休みなさい」と言うので、床につきましたが眠る事
などとうてい出来ず、まだ悪寒が止っておりませんでした。その内
子供が泣きじゃくりをして何か言う時のように「敬しく」と言って
はしゃくり上げ「惟るに」と言ってはしゃくり上げしている内、御
神前にて善言讃詞を奏げる声が聞えで来ました。すると有難いまま
に声を張り上げてついて行くことが出来ました。そして終ると同時
に足がばたばたになり足からすーっと霊が抜けて行ったような気持
になり震えも止り、楽になりました。この時私は霊界ということを
つくづく知らされ、神様の偉大な御力を知らされ、私は胸一杯にな
り明主様に御礼申し上げました。


 その後またいろいろと御守護を戴き菅原先生御本部御参拝のため
御出発の十一月三日の朝、前のように悪感がして来ましたら訳もな
く縁側に立ちしくしくと泣いておりますと先生がおらなかったた
め、浅子さんに御浄霊をいただきますと更に震えがはじまり縦横に
体をふり、出ない声で有難い有難いとのどをむしり、

霊「僕は健次郎だ、喉頭結核で死んだものだ。ああ苦しかった。有
難い有難い、辛かったよ。死ぬ時は淋しかったよ……」

と言い子供のことやらいろいろのことを語り合っている内に菅原先
生が見えられ、早速浅子さんと代り、先生より御浄霊を戴くと同時

霊「先生有難い」
と縋り付きますと。
先生「ああ有難いでしょう、救われますからね」
とおっしゃいました。

御浄霊を戴きながら善言讃詞を聞かせて戴きますと大変楽になりま
した
ので、先生はお休みなさいと申しますので、御神前を下らせて
頂きましたが、何となくお茶をのみたくなり、次の間でお茶を四、
五杯のみましたらお湯がなくなりましたので、先生がお湯を沸かし
て上げなさいと、おっしゃいました。みねさんが湯沸を持ったら、

霊「どうしてやかんをもって行くのだ」
泣きながら言うと、
みねさん「お湯を沸かすのだ」
と言うと、
霊「ああそう」
とあっさり言い安心しておりました。残りのお茶をのんだら、胸か
ら咽喉をかきむしり体を払いのけ、

霊「ああ気持が良い」
と胸をなで下し、
霊「僕の妹は偉い、医者に行かずよく救世教のお道に縋ってくれ
。全く偉い」

と言い「有難い有難い」と独言を言い手を三つ打って、
霊「明主様有難うございます」
と繰返し繰返し言い、その場に平伏してしまいました。

その時、先生より後を向かずに御神前に向いなさいと言われるか早
く、

霊「ああ済まなかった」
とくるりと向きを変え這ったまま御神前に行く時の早さと言った
ら、物凄かったそうです。そして御神前に平伏して、

霊「明主様申訳ございません。お許し下さいませ」
と泣きながらお詫びしておりますと、
霊「ああさようでございますか、お許し下さいますか、有難うござ
います。僕は果報者です。果報者です。ああ有難い有難い」

と自然に頭を上げ明主様の御写真を見上げておりましたら、明主様
より喉を御浄霊戴きまして、

霊「ああさようでございますか。今度は右でございますか。ああ気
持が良い」

と明主様に色々お礼をのべ、先生や辺りの方々にもお礼をのべ次の
間に下り、お茶お茶と騒ぎ出す。その様子はちょっとの時間も待つ
事が出来ないというようなようだったと言います。


  茶碗のへりをなでながら、
霊「おいしいおいしい十三年間お茶をのめなかった。家では毎日母
がお茶を上げて下さるが、お許しがなくてのめなかった

一杯が一年分と言い大きめの湯のみで飲みながら左のような事を言
いました。

霊「家の妹は気がつかずにいたが、この度の家の例祭に先生にお祭
をして戴いたらその時僕は大変嬉しかった。例祭は毎月やって戴き
たい
。今日先生が御本部御参拝に行くから一緒に連れて行って戴く
ようお願いしてくれ」

と申しました。そしてお茶を十三杯のみ、
霊「皆様いろいろと有難うございました。僕は休ませて戴く」
と言い寝間へ行きました。浅子さんが来て、
浅子「蒲団を掛けて上げましょう」
霊 「いいよ僕なんか死ぬまで一人でやっていたんだよ。大丈夫だ
よ。ああこのまま寝ようかな。ああ気持良かった」

と言いながら床に就いて、
霊「今までは妹を苦しめて悪かった。僕はね妹を憎くて苦しめたの
ではないよ。
自分が苦しいためお前に憑った。僕もこれからは神様
に協力して妹を必ず救ってみせます。お蔭様で僕、今日初めて救わ
れてこんな嬉しいことはなかった。ああ嬉しい、嬉しいいくら話し
ても十三年間のことは今日一日で話せないから、僕は帰るよ。さよ
うなら」

と言って帰りました。その時私は少し床に休んでおりましたが余り
にも霊がよろこばれたので、落着いていられぬ気持で先生に話して
家へ帰り、
頭付の魚や色々なものを作って供養を致し、先生の出発
時間まで間に合わせ、
お参りのお許しを戴けるように御屏風観音に
お願い
申し上げまして、私も駅まで行き先生にお願い致しました。

 その後十一月六日に同じく悪寒がして満子さんに御浄霊をしてい
ただいております内に、

霊「ああ有難い有難い俺は義雄だ(亡き先夫)兄さん方二人は救わ
れているけれど、俺は救われつつあるが、まだ救われていない。あ
あ苦しい苦しい」

と言い、いろいろとまだ語り合いました。御浄霊を戴いている内
に、

霊「はいさようでございますか。ああ有難い。お水のお許しを戴け
ますか。有難うございます」

そして、みねさんよりお水を持って来て頂いて手に取って二口三口
のみましたが、

霊「これよりお許しがない」
と言って茶碗を持ったまま頭を下げておりますので、
浅子「のみたかったらのんだらよいでしょう」
霊「いやお許しがなくて、とってものめない」
と茶碗を置いた。そうして、
霊「俺はまだ救われてないので苦しい。でも家内が伊藤家へ呼んで
くれたので、これまで救われた
。ああ良かった。有難い有難い」

と言い、(実はいろいろの事情で実家で亡くなり、実家のお寺にな
っておりますので)御浄霊を頂いているうちに、

霊「お水で一杯のお許しを頂けました」
浅子「お茶をのみますか」
霊「お茶のお許しはまだ頂けない。お茶をのめるまで救って戴きた
いために、家内に憑依させてくれ」

私「いいえ、それでは体がもちません」
霊「御浄霊を頂かないと救われない
浅子「お互に苦しんでいてはどちらのためにもならないでしょう。
霊界にも教会があるんだから、そこへ行ったらよいでしょう」

霊「俺はまだ罪が深くて行くことが出来ない。御浄霊を受けたいか
ら家内に頼むのである。それではお参りする時と、御浄霊を頂く時
だけ憑依させてくれ」

浅子「いつまで」
霊「一週間位頼む」
と固く約束をしてその日は帰りました。それから一週間というもの
は、朝夕の御参拝と御浄霊を戴く度毎必ず憑依現象となり、泣いて
御明主様にお礼を申し上げておりました。その一週間というものは
次のようないろいろな現象がありました。


 (その一)十一月八日あまりにも体工合が悪く昼頃より休み、夕
方になりなんとなくおむすびが食べたく、お願いして床の中で戴い
ておりました。その時、夜の御参拝で皆さんがお祈りしておりまし
た。その時です。私は今まで戴いておりました
おむすびが大変おい
しいのですが戴くことが出来ないのです。私は頭が重く枕から上ら
ず寝たまま大きな声で御讃歌を奏げさして頂きましたそうしたら
残りのおむすびを戴くことが出来ました
すべて明主様のお許しが
なければ何も出来ない
と言うことをつくずく感じさせられました。


 (その二)十一月十日昼食後のことです。胃の工合が悪く一人で
御浄霊しておりますと、その手がだらんとなり、のびなくなりまし
た。伸びないまま私は御浄霊をしておりました。
その時御明主様の
お言葉と私は感じました
"御神前へ来い"と言われました。でも私
は体がだるくて行けそうもありませんでした。
"大丈夫だ歩いてこい
"
と言われました。私は吾にかえり立上りますといくらでも歩けるよ
うな気がしました。私はあまりの有難さに御写真の前に平伏致して
おりますと、その時浅子さんが明日の例祭の仕度で教会におりませ
んでした。 "神様の御用でおらないのだから仕方がない。私が浄霊
してやる。忙してから早く頭を上げなさい"。私は、はっと思い急い
で頭を上げました。そうして御浄霊を戴きながら死霊が救われれば
楽になること、
神様にどんなことがあっても縋って行けるかという
ことなどまだいろいろ有難いことを伺わせて戴きました。私はこれ
程の有難い神様の下におり何で頭を横に振りましょう。私は御明主
様の御慈愛にただただ有難く嬉しく御浄霊を戴きました。そうして
その時、和服姿の御明主様がだんだん小さく遠ざかって行かれる後
姿を拝ませて頂きました。私はあまりの有難さに茫然としてしまい
ました。


 (その三)丁度六日目の十一月十一日は。支部の例祭日なので沢
山の信者さん達とお参りをさして頂いている内に震えが来てただた
だ有難く涙ばかり流れております内にお祭が終って御神前のお膳を
おさげさせて戴いたらもったいなくなって、急にしくしく泣き出し
てしまいました。それから大久保会長先生より御浄霊を頂きまし
た。

霊「大久保先生ですね、初めてお目にかかりますね。妹が色々お世
話になりました。お蔭様で救われました」

会長先生「御本部にお参りしましたか」
霊「ええお参りしました。 菅原先生について行ってお参りさして頂
きました」

会長先生「どこについて行った。肩に乗っかって行きましたか」
霊「いえ飛んでもない。もったいない。後について行きました。有
難うございました」

と言ったら、吾にかえると同時に、体に非常な疲れを覚えました。
その瞬間今度は亡夫の霊が憑依して、

霊「ああ胸が苦しい。脇が苦しい」
とさわぎ出したので先生が御浄霊して下さると「ああらくになっ
た」と言って喜びはじめ、

霊「家内に霊界人と言われた時はムッとしたが、よくよく考えてみ
ると自分は霊界人だった」

と言い、信者さんに向って、
霊「皆さん御浄霊は有難い。お守様かけただけでは駄目ですよ。一
生懸命御浄霊して下さい
。このお祭にどうして皆さん来ないでしょ
う。皆さん先生のおっしゃることはみんなその通りです。有難い有
難い」

会長先生「どうして救われた」
「御屏風観音様を祀って頂いて」
と言い、御浄霊を終り御明主様にお礼を申し上げ、先生や皆さんに
御礼を申し上げ御神前を下ろうとしましたら、大変疲れて歩くこと
も出来ず、皆さんに助けられ別室に約二、三十分休まして戴きまし
たら体が大変らくになり、何事もなかったように炊事の方のお手伝
いをさして頂きましたので信者さん方も大変ビックリしておりまし
た。


 十一月十二日、今日は約束をした一週間目の晩のお参り中に胸か
ら空気でも出るようなゲップが出て来ました。それから菅原先生に
御浄霊を頂き、それで先生は「あなたは気胸をした事はありません
か」と聞かれると同時に、

霊「しました。俺は気胸を三十五本した。今それが出ているのだ」
と、ゲップが出る度に一本二本と数えている内に喉から出せずに苦
しみ出し、背中と喉を御浄霊して戴くと一度に十一本出て楽にさし
て頂きました。

先生「いよいよ今日は約束の日ですから奥さんから離れて霊界へお
帰りなさい」と言うと、

霊「今日は帰ります。霊界は厳しいので必ず守らなければなりませ
ん。ああ有難い」

と言い、倒れるごとく横になった。
先生「御讃歌を聞かせて上げましょうね」
霊「終ったらお茶をのまして下さい」
先生 「何を聞かして上げましょうか」
霊「私わからないから、先生が有難いと思うところを聞かせて下さ
い」

先生が神恩と救霊の御讃歌を奏上すると、いかにも有難そうにうな
ずいて聞いていたそうです。

霊「ああ楽になった。先生この手はどこに置いたら良いでしょう」
と手をふりながらとっても言葉では言い表わしようのない喜び方で
あったそうです。


 その時先生は手を胸に抱かせてくれました。そうしましたら背広
姿の兄達が喜びに来てくれた姿が目の前にあらわれました。

 その時の嬉しさの顔や素振りは、はたで見る人も言いあらわすこ
との出来ない様子であったそうです。


霊「今までの家内の痰は俺の分もあったから多かったが、明日から
は半分になる

先生「御明主様に必ずお救い下さるようお願い致しますから、奥さ
んの体から離れてお帰りなさい」

霊「心残りで行けない」
先生「どうしてですか」
霊「お茶をのまない」
先生「そうだ約束のお茶早く上げなさい」

と私をおこして坐らせて戴きお茶碗をなで回しいかにも宝物にでも
ありついた時のような表現と言いましょうか、とってもおいしそう
に「おいしい。美味しい」と一杯をのみ干し二杯目を差出したの
で、浅子さんが受取ろうとしたら、驚いたようにして、

霊「俺の茶碗をなぜ取る。取ってはいけない」
と離さぬので、
先生「お茶を上げるのだから貸しなさい」
霊「ああそうか、先生なら良い」
と茶碗を渡し、同じようにして五杯目を飲み干し茶碗をにぎりしめ
て、

霊「ああこれが執着だ、いけない、取られるのではなかった。申訳
なかった、お許し下さいもう二杯のお許しが戴ける。はい」

と言って茶碗を惜しげもなく浅子さんに渡して注いでもらい。七杯
まで戴き 「美味しかった、御馳走さまでした」と、いとも満足そう
に茶碗を下に置いたそうです。


 お茶を戴いている時も「美味しい、有難い」を繰返していたそう
です。下座に少し下って手を三つ打って、

霊「ああ御明主様有難うございました。僕は果報者です。誠をもっ
て尽くします。菅原先生有難うございました。 皆さん有難うござい
ました。帰ります」

と言い、とたんに意識が不明にたったような様子で後に静かに倒れ
かかりましたので、そのまま横にさして戴いたそうです。

 その時御浄霊を頂いたそうです。その時の面相から、すべて死人
そのままであったそうです。


 十分位後に急に起き一瞬吾に返り、「先生どうかしたの、何かあ
ったの」と聞きましたら、先生は「霊が今帰りました」と言って御
明主様、御神前にお礼を申し上げ、「さあ皆さん夕飯にしましょ
う」 と次の間に下りましたが、私だけが残り憑霊現象になり「御屏
風観音様が無い」と言って坐ったまま東南を三回位往復して何をか
探し求めようとする姿であったそうです。


 それから御明主様の御写真をしばらく見つめておりましたら「伊
藤家の仏壇にあなたの位牌がありますから、それに憑依しなさい」

と明主様から御垂示を賜わりましたので「はいそうですか」と東に
向い、ああここだと深く頭をたれておったそうです。

 それから正気にかえり明主様にお礼を申し上げて御神前を下らせ
て頂きました。

 その時病気の気分は更になく、大変らくにさして頂き空腹さえ覚
えるといった状態でありました。

 その後、私も日増に楽にさせて頂いております。御明主様数々の
御守護を戴きまして誠に有難うございました。御許し頂けますなら
ばこの上共御神業のお役の一端を賜わりたく、伏してお礼申し上げ
ます。