このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成27年11月度 ミニ講座

運命と自由主義  (信  昭和二十四年一月二十五日)

 宿命と運命に就てよく質ねられるから説明をする。
 先づ宿命とはその人に与えられた決定的のものであるから、聊か
も換える事は出来ない
。然るに運命は限定された或枠内の中は自由
自在で、その人の努力次第で、枠内の最上位に迄は到達なし得ると
共に、その反対であれば下位に転落する
のである。

 今日人々の関心事となった自由主義なるものも右の運命とよく似
てゐる。何となれば
真の自由主義とは、或一定の枠内に制約されて
ゐるもの
であって、無限の自由は決してあり得ない。真の自由とは
限度のある、即ち有限の自由
である。故にその枠を越えた場合、そ
れは他人の自由を侵害する事となり、文化の反逆者となる事は、運
命の枠を越ゆる場合、失敗者となるのと同様の理である。





   主義というもの   (信  昭和二十四年一月二十五日)

 世の中の種々の思想や運動の動機として、何々主義と名付けて目
的を達成しようとする現実は、普(アマネ)く人の知る処である。然るに
此の
主義なるものは或る程度の成功はしても、究極に於て必ず失敗
し、消滅してしまう
事も、常に見る処である。之は如何なる訳であ
ろうか、大いに考えなくてはならないと思う。


 抑々、主義なるものは必ず対照的のもので、敵と味方と対立する
事になる
から闘争を生じ易い。即ち勝つか負けるかという結果にな
る。万一勝ったとしても、次にそれに対抗すべき新しい主義が又生
れるから闘争の絶間がない。事実近代に於ても次々生れては消え、
消えては生れる種々の主義がある。その重なるものに曰く帝国主
義、専制主義、全体主義、資本主義、共産主義、社会主義、自由主
義、民主主義、保守主義、進歩主義、個人主義、積極主義、消極主
義等々数え尽せない程である。元来主義なるものは限定的、排他
的、独善主義的であって、その国家、階級、団体のみの利益を主眼
としたものであるから、どうしても闘争の因を作る事になる。


 此の意味に於て人類社会永遠の平和と栄えを望むとすれば、今日
迄の主義と異なる処の--それは
世界的、人類愛的のものでなくて
はならない
と思う。近来米国に於て唱道され始めた世界国家や、M
RA運動等は右の如き意味のもので、吾等と同一目的たる地上天国
出現を目標としての運動と見るのである。





   夫婦の道     (信  昭和二十四年一月二十五日)

 近来、見合結婚が良いか、恋愛結婚が良いかは、相当喧しく論じ
られてゐる。然し乍ら之を霊的に解釈をする時は、どういう訳にな
るかを説いてみよう。


 我国は都会は固より如何なる山間僻地と雖も、必ず鎮守様即ち
土の神様が鎮まりゐます産土神社又は氏神様がある
之は恰度現界
に於ける区役所のようなもの
で、人間社会に於る冠婚葬祭は固よ
り、出産等に至るまで、産土の神様が担任されておらるる
のであ
る。昔から子が産まれるや、必ず御宮詣りに行く習慣があるが、之
は子供を授けて下さった神様に御礼詣りをするのである。之と同様

結婚に於ても産土神が男女を結合させるので、其際恋愛による場合
と、見合による場合と、孰れも産土神の思召による
のである。然し
それを知らない人間は、人為的に成立するものと思う為、世間に沢
山ある夫婦喧嘩の末、「貴様出て行け」などと言うのは、如何に間
違ってゐるかという事である。折角神様の思召によって結ばれた妻
であり、夫である
ものを、人間が勝手にどう斯ういう事は、神様に
対して甚だしい無礼となるではないか。如何に気に入らぬ夫でも、
気に入らぬ妻でも、
縁があって神様が決めて下さった以上、疎かに
思う事は申訳ない訳で、有難く感謝すべきである。故に其事を知っ
て、
感謝の心を持って見直したならば、好い妻であり、好い夫であ
ると、思えるようになる
事は請合である。

 今一つ重要な事があるが、それは子供の死であって、その原因た
るや夫の不品行に基く
のである。例えば妻以外の女との関係がそれ
で、
此罪は重大であって、殆んど死に価する程のもの
である。而も
世の中には妾を二人も三人も、中には拾数人に及ぶものさえあると
いう事を聞くが、実に恐ろしい事である。之等の罪を霊界に於る祖
霊は非常に怒るばかりか、子孫繁栄の妨げとなり、罪の重さによっ
ては一家断絶の不幸に陥る事さえある
ので、祖霊は極力止めようと
して凡有る手段を尽すが、なかなか目覚めないものである。而も罪
は益々増大する以上、早くその罪を贖わなければならない。それは
主人たるべきものが責任を負うべきであるが、そうなると家族の生
活や将来に悪影響を及ぼす事になるから、
祖霊は主人の身代りとし
て子供を犠牲に供する
のである。此様な事は世間にあまりに多いも
のであるから、読者諸士は注意を払われたい。必ず思当る事がある
筈である。


 そうして夫婦喧嘩の主なる原因第一が妻君の嫉妬、第二は生活
であろう。故に前述の如き霊界的事情を主人が認識するとした
ら、嫉妬の原因は無くなる訳で、夫婦は神様の御意志で結ばれた事
や、
妻以外の婦人関係は重罪に当る事を確認したならば、良き夫と
なり、良き妻となり、夫婦円満にならざるを得ないであろう。私
は、決して夫婦円満にする為の作話ではない、事実長年に渉り幾多
の経験と相俟って、
神様から教えられたものである以上、一点の嘘
はない事を断言する


 聖書の中から右に関した教を左に記してみよう。
 ○神の合せたるものを、人たるもの離すべからず。
 ○人は其妻に合ひ、二人の者一体となるべし。
 ○汝の妻をもて足れりとせよ。
 私は此一文を世の既婚者諸君に呈するものである。




   家相方位      (信  昭和二十四年一月二十五日)

 私は家相方位に就てよく質問されるから、大略を書いてみるが、
人間には人相という事がある如く、
家にも家相があるのは当然であ
ろう。
人間も人相の善し悪しによって運不運に大関係のある如く、
家相も善い悪いによって運不運に影響するのである。私の説く家相
は易者等のいうのとは相当相違点があるが、之は私は誰からも教え
られたものではない。自分の霊感と経験によるものである事を断っ
ておく。


 世間一般の家相見が鬼門の方角を重要視する事は、私も同様であ
る。只私の方との解釈が異うのである。抑々鬼門とは、艮即ち東と
北との間であるが、
此方角に限って何故重要であるかというと、此
方角からは頗る清浄な霊気が流れて来る。
昔から鬼門を汚してはい
けないという所以である。例へば便所、浴室、台所、出入口等があ
ると、それ等から発する汚濁せる霊気が、鬼門よりの霊気を汚すか
らで、其結果として病魔や禍いの原因である邪神悪霊が跳梁する事
になるからである。故に
艮から流れ来る霊気はより清浄に保たせな
ければならない。
此意味に於てもし出来得れば、艮の方角に小庭を
作り、それへ雄松雌松を植え得れば理想的
である。


 次に裏鬼門であるが、勿論艮の反対で、坤即ち西南の間である。
之は物質が流れ来るという福分の霊気であるから、より富貴を望む
上に於て重要
である。それには先づ石と水を配するのがよい。例へ
ば小さくとも池を掘り、石をあしらうといふ風にするのである。


 次に、入口は辰巳即ち東と南の間が良い。そうして門を入って玄
関に到るまで、漸次高くなるのが最もよく、凡て家の位置は坂の中
途又は坂の下、往来より低いのはあまり感心出来ないから、斯うい
ふ家は長く住む事は面白くない。
然し高所といってもその附近から
みて比較的高ければ可いので、相当離れた所に山や高山があっても
差支へはない。又玄関が門から入って後戻りする位置はよくない。
門から突当り、左右孰れか横の方にある玄関がよい。又玄関を入
り、突当りが突抜けになってゐるのも良くない
。之は運勢が止まら
ず、行過ぎる意味になる。又奥の主人の間へ行く迄に二三段高くな
ってゐるのは最も良い。


 家相を見るに当って、磁石を置く場所が正しくなくてはならない。
然るに多くの家相見は家を基本とし、家の中心から方位を計るが、
之は非常な間違ひ
である。抑々家とは人間の為の家であって、家の
為の人間ではない、人間が主で家は従である。家を建てるも壊すも
主人の意のままであるからである。従而家は主人が中心で、
主人の
安住所、即ち寝床がそれであるから、寝床を中心に方位を計るべき

である。そうして家の形は大体に於て凹みのある形はよくない、
所々出張る個所があるのがよい。
鶴翼の陣といって玄関から両方
へ棟が長く出る、
これも良いのである。

 次に畳数であるが、十畳は火水又は結びの間といひ主人の居間に
適し、八畳は火の間で、火は上位であるから之も主人の居間によ
く、六畳と三畳は水の間であるから、妻女の居間によく、
すべて畳
数は偶数がよく四畳半、七畳九畳等は不可
である。故にそういう畳
数の場合は板の間を混ぜて偶数にすればよいのである。又床の間は
向って右、違棚は左が原則であるが、入口の関係上其反対でも差閊
えはない。床のない部屋なら、入口より離れたる処ほど良く、入口
に接近したり、後戻りして床に面する形は最も不可である。

 洋間は二階は面白くないから下に作るべきである。それは洋間は靴
穿きであるから道路と同じ意味になり、上下逆になるからである。


 次に方位であるが、何歳の年齢は何の方角が良いなどというが、之
はあまり意味がない。よく
鬼門への引越しは悪いというが、之は反
対である。前述の如く鬼門は
清浄な霊気に向うのであるから極めて
良い
のであるが、茲に問題がある。それは鬼門に移住する場合、そ
の人の業務や行為が正しくなければならない。
何となれば鬼門の霊
気は浄化力が強いから、邪念や不正行為のある場合浄化の為苦痛が
早く来る
からである。今日迄の人間は邪念や不正業務等の人が多い
為それを悚れ、鬼門を嫌う事になったのである。





「御教え集2号  昭和26年9月5日」より抜粋 

(お  伺) 島根県大社町、小銀政一郎(四十六才)の御浄化に付き
御教示並びに御守護の程謹んで御願い申上げます。二十三年秋、風
邪から咽喉部を痛め、医師の診断では右肺に空洞二カ所あるとの事
でありましたが、別段自覚症状もなく食欲も普通に御座いました。
処が本年五月喀血致し、六月上旬に少し無理をした為か、青黄色の
非常に濃い痰を吐く様になり、発声不能となり不眠症にもなつて参
りました。七月上旬より御浄霊を戴いているので御座いますが、当
時脈搏は早い上に微弱で、熱は大変低う御座いましたが、衰弱は余
りありませんでした。御浄霊は本人の妻が早速入信し、近所の熱心
な信者と力を合せて致して居り、専門教師よりは一週間に一、二回
位受けて居ります。


現在は御蔭様にて腹痛も下痢も快癒し、庭の散歩や家族との談笑に
も疲れを憶えません。殆んど菜食とし食欲も御座います。然し発声
は出来ません。更に八月二十五日頃より御浄化を戴き、九度ばかり
に発熱し、寝汗も出、喀痰は多量に吐き、尿は色の濃いのが沢山出
て居ります。背面の特に左半身に毒素多い為か仰向いて寝る事が出
来なくなりました。本人が御浄霊を受ける迄に用いました薬剤は葡
萄糖、カルシウム、ヴイタミンの混合剤二十本位、エフエドリンを
約半年服用して居ります。


尚本人は十一年前炭坑内にて落盤に会い、頭、肩特に胸部と腰椎を
強打され、右下肋骨四本骨折して居り、現在も腰椎部には偶に鈍痛
がある由で御座います。此の打撲と現在の病気と関係が御座いまし
ようか。又発声不能であつても喉の痛みは始めからないのだそうで
御座いますが、軽症の故でありましようか。尚病人は身体に比し、
顔は一見死人の如く、肉の落ちた面貌ですが、大体顔は生れつき痩
せている由であります。今日迄六十数回の御浄霊にも、顔には余り
変化は御座いません。


 お伺いに対するメシヤ様の御垂示は、最後に掲載しています。回
答を見る前に、このような質問に皆さんであればどのように答えら
れるでしょうか?

少し時間を掛けて考えて自分の答えを出してから、メシヤ様の御垂
示を拝読して下さい。よろしくお願いします。


 回答は〔御 垂 示1へ〕このページの最後に掲載。





 医学の頼りなさ霊界にて救われた主人  
             『栄光』213号、昭和28(1953)年6月17日
           神戸市長田区西代  神照中教会 真田喜久子(40)
 明主様、謹みて御礼御報告させて戴きます。昭和二十五年十月入
信以来、数々の御守護戴きまして、日々感謝で明け暮れさせて戴い
ております。

 特に私の主人の病気に関しましては、如実に医学、薬毒の恐ろし
さを教えられましたと共に、益々救世教の尊さを深く感じさせて頂
きました。主人は若い頃から胃が悪く、その都度薬びたりの有様で
したが、段々と年を重ねるに連れまして悪化して参り、遂に薬では
胃痛を圧えられぬようになり医者からは胃潰瘍と診断され、あらゆ
る手当も効無く激痛と食欲不振のため、衰弱を加え約二カ年間就床
の上苦しみ通しましたが、入院手術の結果数時間後に帰幽致しまし
た。


 しかも二年間、胃潰瘍の痛みとのみ思い込んでおりましたが、入
院後手術の前に医者は
「胃が潰れて急性腹膜炎を起しているから、
手術をしても三分位より見込は無いが、手術より方法はない」
と申
しましたので
本人並びに親戚の同意で手術致しましたところ、慢性
盲腸炎と判明、胃の方はつぶれているどころか、何んともなかった
のでした。
切開して痛みの原因が判った約二時間後に苦悶の内に他
した訳ですが、その面貌はあたかも医学への憤激を感ぜずにはお
れぬ程の苦しみ悶えた恐ろしい程の何んとも言えぬ面相
でした。


 それから数時間後死体を自宅に運び安置致しまして、ひたすら
達の不徳を御詫び
致しまして死体に御浄霊させて頂きましたとこ
ろ、全身硬直のため、合掌の両手を包帯で縛っておりましたのです
が十分余りの御浄霊で全身の硬直も柔かくなり、包帯もはずして
楽々と合掌させて頂け、しかもいつの間にか面貌の恐ろしいような
のが霊魂の安らかに救われたのを物語るかのように、優しい面相に
変えて頂けまして死後の体にまざまざと御神力の有難さを見せて頂
きまして、居合わせた未入信の親戚知人もびっくりする有様で、私
もかねて聞いておりましたものの、余りの有難さに思わず御慈悲に
感涙致しました。恐らく科学では説明のつかぬ奇蹟であって、神様

の御力と御慈悲でなくて何でありましょう。

 その後御屏風観音様に御願い致しまして「もし主人の霊界での働
きを見せて頂けますようでしたら、御知らせ下さい」
と御念じさせ
て頂きましたところ、早速その晩夢で見せて頂きましたが、生前と
うって変って元気で建設の模型を造る働きをしている姿
で、大変安
心致しております。申訳ないことですが、
入信させて頂いておりな
がら
主人の無理解のため、尊い御道に御すがりもしなかった私達の
御無礼の点深く御詫び申し上げます。
この度御守護によりまして光
明如来様を御奉斎させて頂き、今度の主人の死によりまして、医学
の恐ろしさをイヤという程知らさせて頂きました。

 この上は主人同様医学の犠牲になりつつある世の人々に一刻も早
く御道のことを御知らせすべく、今後益々御神業に励まして頂く決
で御座います。到らぬ者では御座いますが、何卒今後共御守護御
願い申し上げます。

 明主様、有難う御座いました。




   〔御 垂 示 1〕
 こう言う生まれつきの人はありますがね。痩せていて顔色が悪く。
そう言うのは本当じやないですね。そう言う人は患い始めると割合
ひどくなり易いですね。今の症状と言うのは、あんまりはつきりし
ていないですね。声が出ないと言うだけの様ですね。あとは疲労位
ですね。落盤で打つたと言うが、そう言うものがあとに残るもので
はない。そう言うものは順調に治るものですからね。つまり、
何処
かに故障があれば薬です
よ。エフエドリンを半年飲んだ。カルシウ
ム、葡萄糖――之ですよ
。この毒がうんとありますからね。それか
ら、発声不能は何かの薬が喉に出て来る。それで、そこにオデキの
様な――固りが出来、発声弁を動かない様にする。弁の根元の方に
薬毒が固まつている。
それで、この
薬がとれるに従つて治ります
らね。余程頑固な薬だとみへますね。何んでも、
病気は薬だと思え
ば間違いない
。然し、どうもそう思はない様ですね。やつぱり薬を
信じている迷信が、そうさせるんです。私が色々書くんだが、どう
も徹底的にはね。