このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成27年1月度 ミニ講座

新年の学びは、メシヤ様の御神格についての学びと確認です。よろ
しくお願いします。




   神人合一    (栄百五十五号  昭和二十七年五月七日)

 よく昔から神人合一という言葉があるが、実際からいってそうい
う人は、今迄に一人もなかった
と私は思っている。成程釈迦、キリ
スト、マホメットの三大聖者にしても、神人合一の如く見ゆるが、
実は神意の伝達者であって、判り易く言えば神の取次者であった

である。という訳で世人は
神人合一と、神の取次者との区別を知ら
なかったのである。即ち神の取次者は神憑りや、神の命によって行
動するのであるから常に神や仏陀を祈り、其守護を仰ぐ
事にしてい
るのである。


 処が私はそういう事は全然やらない。信者も知る如く、神を祈る
事もないし、神の指示を仰ぐ事もない
。只自分の思うがままを実行
していればいい
訳で、甚だ簡単である。としたら今迄に例のない事
とて、変に思うかも知れないから、茲に差支えない点だけをかいて
みよう。いつも言う通り
私の腹には光の玉がある之は或最高の神
様の魂
であるから、私の言動凡ては神様自身が、私を自由自在に動
かしている
のである。つまり神と人との区別がない訳で、之が真の
神人合一
なのである。

 従って私に在られます神霊は、最高の神位であるから、之以上の
神様は世の中にない
のであるから、他の神様に頭を下げる意味はな
ので、何よりも信者が日々顕わしている奇蹟がそれを證拠立て
いる。其奇蹟たるやキリストの顕わした奇蹟以上の奇蹟が、常に顕
われているので、私の弟子でもキリストに較べて何等劣る処はない
のであるから、此一事だけでも私の神格は想像つく筈である。


 今一つ言わねばならない事は、今日迄の悉くの聖者は、将来天国
的世界が実現するという予言はしたが、自分自身造るとは曰われな
かったのは、全く神格が低く力が足りなかったから
である。
私は自
分自身が病貧争絶無の地上天国を造ると宣言している
のは、右の理
由によるからである。という訳で今後私は今迄にない幾多の驚くべ
き経綸を行うから、それをよく見て貰いたいので、到底人間業とは
考えられないような事が、ドシドシ出て来るであろう。




   御講話抜粋  (御教え集9号  昭和二十七年四月五日) 

 それから、近頃よく感じる事があるんですがね。私が一寸、簡単
に言つた事でも、非常に重要な事がある
んですよ。ですから、それ
を聞いた人は――何時の間にか忘れちやつて、旨く行かないことが
よくあるんです。よく聞いてみると、こう言う点があるんですね。
即ち、宗教の教祖なんて言うと、神憑り式です。神憑り式と言うよ
りか、神様に御伺いを立てる行(ヤ)り方ですね。神様に伺うとこう言
う御示があつた。そう言うと、大変有難く思うんですよ。そこで聞
いた人は、之は神様のお指図だとか、戒めだとか言つて、非常に強
く印象されるんですね。処が、
私がチヨイチヨイと軽く言うから、
そう言う様な――何んて言うか、有難味と言いますか、強い刺戟を
受けないですね。そう言う事がよくあるんです。


 それから偶に、昔から之は始終あるんですが、信者の中に神憑り的
になつて、神様はこう仰言るとか言つて、それを一々信ずる人があ
るんです。処がそう言うのは、神様と言つても、下――下級の神様
だから、いずれボロを出しちやうんですが、一時迷わされちやうん
です。

 そこで、私の神様――と言うのは変ですが、はつきり言つて見る
と、
今迄の教祖とか、そう言う人達と違うんですよ。違うと言う事
は、
位が違うんです。仮りにキリストにしろ、天の父の思召しによ
つて、自分は生まれたとか、或はエホバがこう言われたとか、そう
言う事をよく言われてますね。それから天理教祖とか大本教祖にし
ろ、神様はこう仰言つたとか、ああ仰言つたとか、よく言うんで
す。そして、そう言う神様を始終拝む
んですよ。
私は拝まないんで
す。と言うのは、私の腹に居られる神様は――私が言つたりしたり
する事は、神様が直接するんですから私が拝む事はない。それか
ら、拝むと言う必要はないんです。
私のお腹の中に居られる神様は
最高の神様
ですから、拝まれるのは当り前ですが、こつちで拝む神
様はない
んです。みんな下の神様ですから、私の思う儘にやつて居
れば、それが最高の神様がやられているんですから、そこで私は、
神憑り的な――私が御神体に向つて礼拝しないと言うのは、そう言
う意味なんです。


之は今迄の宗教には一つもないんです。それは、釈迦でもキリスト
でもマホメツトでも、やはり神様を拝んで、お指図仰いだり、色々
する
んですが、
私はそう言う必要はないですから、それ丈に力も―
―まあ
字を書いても、その字が働くと言う様な訳でね。之は本当言
うと、字を書く前に羽織、袴で祝詞を奏げて、神様にお願いして、
そうしてやるもの
です。それは、今迄何処の宗教の教祖にしろ、
色々な――御守等作る場合も、そうしている
んです。私は、裸でア
グラかいて書く事もあるし――それで良いんだから、別に面倒な事
を言わなくてもね。
そう言う事を知つて貰えば良いんですね。だか
ら、他に神憑り等出ても、問題にはならない訳ですね。こう言う事
は、今迄余り言いたくなかつたから言わなかつたんですが、そうで
ないと、他の神憑りを大層有難く思いますから、それでお話しする
訳です。




   御講話抜粋  (御教え集9号  昭和二十七年四月六日) 

「それから神憑りに就いて昨日私は話したが、大変良い話だつたと
言う人がありましたがね。それと、
私は神様は拝まないんですよ。
何の宗教でも、今迄何んな教祖でも、必ず神様を拝んだものです。
それを、私は拝まない。と言うのは、
私に憑いている神様は、一番
高級だから拝むものがない
んです。みんな下ですからね。それから
もう一つは、よく神様に御伺いを立てるとか、或いは神様に御知ら
せを戴くとかして言うんですが――大変有難く思うんですが、
私は
簡単に、普通の事の様に言うんです。うつかりして軽く見るんです

ね。その為に忘れちやつたり、うつかりして、何かあつた時、之は
先に明主様に御注意戴いた事がある。
御言葉にある。と、気が附く

事が、誰方もあるんですがね。

私は神様に御伺いして、それを御取次するんでなくて、私の口から
出る事は、神様自身が言う――こういう事になる
んですね。最高の
神様ですから
ね。だから、私が神様に御願いするとか御伺いすると
か、そう言う事はない
んですよ。そこで、御守なんか書く時に、普
通なら何の宗教の教祖でも、そう言う時には、羽織袴で祝詞を奏げ
るものですがね。私なんかそうでない。夏なんか裸でアグラかいて
やりますからね。見る人は有難く思いませんよ。私はそれで良いん
ですよ。
神様自体が書くんだから、何うしようもない。こう言う事
は今迄言わなかつた。そう言う事も心得て良いですね。


 もう一つ例えて言えば、信者の人で色んな奇蹟をやりますが、奇
蹟も、やつぱりキリストがやつた位の
奇蹟は毎日やつてますから
ね。之は、時間があつたら読もうと思つたが、時間がないから止し
たんですが、キリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。之は全然理窟がつ
かない程の奇蹟です。


 それから、原子爆弾で助かつた御蔭話ですね。之も、七つ許り来ま
したからね。私は、それを発表する様に言つてあるんです。之も、
今度良く説明を附けて、この次あたりに読ませますがね。そんな訳
で、私の弟子がキリスト位の奇蹟をすれば、やはりキリストも私の
弟子になる
んです。
それをはつきり分つて居なければ、キリスト教
信者なんか誤解します。


と言うのはもう一つ言つておく事は、キリストは贖罪主なんです。
贖罪主と言うのは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなもの
です。若し会社で色んな過ちがあつたりしますと、専務が代表者に
なつて、許して呉れと言つて社長にお詫びします。贖罪主と言うの
は、そう言うものです。万民の罪を御自分が負つて、万民になり代
つて十字架にかかる。贖罪主とは別に、社長――即ち、
よし許すと
言う、許し主
がなくてはならない。私は許し主なんです。ですか
ら、そう言う点は非常に――
主人と家来程違うんですね。こう言う
事も、今迄も言いたかつたんですが、余りかけ離れているから、誤
解されますので言わなかつた。明主様は、誇大妄想的な脱線だ。
と、未信者は言いますから、言わなかつたんですが、もうソロソロ
言つても良い時期になつたので、言つたんですがね。そう言う事も
知ると、余計色んな事がはつきり分る訳ですね。その位にしておき
ます。




   御講話抜粋  (御教え集9号  昭和二十七年四月七日) 

「それからこう言う事を知らなければならないんですがね。それ
は、昔から宗教の教祖とか言う人が、何でも一々神様に御伺いする
んですね。そうすると御託宣が出て、神様がこう仰言つた。とか言
んですがね。そうすると、それを聞いた人は大変有難がるんで
す。有難く思うんですね。処が
私はそんな事はしないですね。唯、
其場々々で簡単に言つてのけるので、有難味がないんですね。だか
ら、ともすればそれを
軽く思つて聞き逃しちやう訳ですね。で、
かあると、こう言う事を以前にお聞きした。之だと言う事に気が附
んですが、初めは中々そう思わないんです。それですから私の言
う通りやらない人も随分ある
んですよ。それは何う言う訳だと言う
と、私は神様に聞く必要はないんです。
私のお腹に居られる神様は
最高の神様です。自分が言う事行る事が、その儘神様が行つている
事と同じですからね。つまり直接なのですね
。処が、今迄の宗教の
教祖と言うのは間接
なんです。キリストにしろ、自分はエホバの命
に依つて生まれたとか、天の父だとか、何とか言いますが、あれは
やつぱり間接的なんです。


で、私に居られる神様は、エホバと同じなんですからね。そこで、
私は神様を拝んだ事がないですね。何処の何の宗教でも、御祭だな
んて言うとやつぱり神様に、教祖が恭しく礼拝するものなんですが
ね。私はやらないんです。と言うのは、
私が拝む神様はないんです
よ。若し神様があるとすれば、私より皆下だからね。だから、神様
の方で私を拝んで良い
んですよ。それですから、御守を一つ書くに
も、普通は斎戒沐浴して、羽織袴で恭しく書くんですが、私は夏な
んか裸でアグラかいて書く。だから知らない人は有難味はないんで
すがね。私は何んでも無造作にやつてのけるんです。難しくする必
要がない
からですよ。ですから、反つてその点を逆に考えられるん
ですね。逆に思われるんですね。誤解されるんですね。


然しそれは、段々分つて来れば良いと思つている。だから一時的誤
解は私は何とも思わないですがね。こう言う事も余り生神様らしく
思わせることになるので、私は好かないので余り言わなかつたんで
すが、その為に
私の言う事を軽く見る場合がよくあつて、その為に
間違がよくありますから
、その為に言つておいた方が良いと思つて
お話するんです。だから、
その点を良く心得て居て、他の宗教や、
教祖と較べればはつきり分るんですよ。


一番分るのは、キリストの奇蹟なんかは、非常に有名になつてます
が、私の弟子で、キリストと同じ様な奇蹟は盛んにやつているんで
すからね。それ以上の奇蹟さえある
んです。時間があつたら読もう
と思つたんですがね。奇蹟以上の奇蹟と言うんですがね。今度新聞
に出しますが、読むのは時間がないから略しますが、百姓夫婦で、
最初田んぼに入つて、電線が切れて落ちたのを、うつかり掴んだん
です。六十ボルトで――感電してひつくり返つて倒れたんです。そ
れを見て、亭主が、之は大変だと入つて掴んだ処が、又ひつくり返
つたんです。電気の方では、水に入ると五倍の電流が流れると言う
んですね。ですから、その電流を食つて、身体が仮死状態になつ
た。処が良い塩梅に助かつたと、本人が書いたものなのです。之
は、全然学理で理窟のつけ様がないんです。精しく書いてあります
が、新聞に出て見れば解ります。


 それから原子爆弾の御蔭話も、そういつたので七つ許り集まりま
した。之も、新聞に出しますがね。之なんかも、随分奇蹟がありま
した。殆ど、信者で――御守を受けたのは、一人も被害がなかつた

んですからね。だから原子爆弾も恐るるに足らずですよ。必ず助か
ります
。又、原子爆弾で半分死んだ様な人でも何でもない。やつぱ
り浄霊で治つちやうんですからね。だから、是奇蹟なんて言うの
は、キリストでも――あの時分には電気や何か無かつたから仕方が
ないが、それはキリストの奇蹟以上ですよ。今話した、
キリストや
何かも間接的の力
であつて、私は直接だと言う事は、之丈を見ても
証拠附けられるんです。




 (おかげばなし)
   喘息患者へこの御神徳   
           『地上天国』52号、昭和28(1953)年9月25日発行
           大分県別府市北町二丁目 南光中教会 佐藤成八郎(25)

 陽光がじりじりと照りつける真夏の一日、私は常例のごとく布教
先の信徒宅で汗をかきながら浄書を続けていました。

  ところが近所のE婦人(この人は珍しく面白い人であります。と
申しますのは自分の御浄霊はまだ一度も受けたことのない人です
が、自分の家の大家さんが別府でも有名な病院に半年間もリューマ
チス、神経痛、関節炎で入院して治らず帰宅して寝ていましたが有
力な○信徒の浄霊僅か三回で起きられるようになり、十日 で二百メ
ートルもあるその○信徒宅へ通うようになりましたのを目のあたり
にみて、救世の大神力に驚かせられているから病人には知っている
限り本教の話をしてやり、そして医者よりも救世教の浄霊をと勧め
るなかなかたのもしい人であります)
このE婦人がやってきて私に
頼みごとがあるといわれます。私は考えました。「ははあ! いよ
いよ彼女も御浄霊をしてくれというのだな……」と一人心の中で笑
っていましたが、あに計らんや彼女の言葉は私の予想とは全く異
り、やはりいつもの調子で「先生、実はお願いがあるのですが」
口を滑らした。すなわち話の内容はこうなのであります。

 彼女の友達の主人が喘息と肺病で毎日のごとく苦しみ続け、医者
からも駄目だといわれ一家途方に暮れています。どうぞ一度だけで
もよいから御足労を願う訳にはいかないでしょうかというのであり
ます。


  聞くところによりますれば、その患者は別府から汽車で四十分、
そしてまた駅から徒歩二十分も要する○村に寝ているとのことであ
ります。往復二時間それに汽車の連絡時間も考慮してみますとやは
り半日仕事であります。余りにも頼むので私は承知してやり、早速
翌日午後患者宅を共に訪問しました。すると素早く患者の妻らしき
人が戸口まで飛んで出て来て、E婦人に嬉しそうに喜んで話してい
ました。


「今日はね、どういう訳か判らないけれども熱は出ないし、咳もほ
んの少ししか出ないのですよ、ほんとに不思議ですわ救世教はほん
とに有難いですね……」

と行くなり早速この言葉です。私は嬉しかったです。そして心の中
で大光明如来様に御礼申し上げ今後の御守護を深く御願いしまし
た。それからしばらく患者にも両婦人にも色々と御神力の奇蹟を聞
かせてやりました。彼はあるいは笑い、あるいは涙を流して首を傾
け話を聞いていました。


 常ならばこの患者は断えずひどい咳をし、その咳が谷を越えて向
うの丘の家にまで聞えるとのことです。それ程に全く大きな咳であ
ります。

 そしてそれが一日中でありますからたまらないでしょう。食欲も
ほとんどないのです。また身体も六尺に少し足らない位の大男です
が、それが喘息で倒れてこの始末という訳であります。


  なお彼は医者にかかってる内に次第にひどくなり、遂に起きるこ
とさえできなくなった
という全く本教に持ち込んでくる常例の医学
の犠牲者
であります。しかもこの患者には少しおかしなところがあ
り、夜になると変な声で唸ったり、譫言をいったり、体的には上向
きに真直ぐ寝ていれば一番楽で、横向きでも、伏せ寝でも、また坐
ることさえもできないというのであります。こんな喘息も珍しいと
思いました。喘息といえば大抵は背を丸く猫のようにすると楽にな
るものであるのに……。


 右のごとく一日中の大きな咳が連続で飛出し食欲もなく、その上
夏の真最中なので衰弱は一層ひどく、このように酷い病苦を私が大
光明如来様に御守護をお願いして訪問しただけでもこんなに大きな
御守護が頂け、しかも咳が出ないだけでなく、食物も相当にいただ
けた
のであります。両婦人はほんとに夢ではないかとばかり目をこ
すり非常に喜び、早速教会へお参りしようと私について別府へやっ
てまいりました。


 E婦人は再び例の調子で語り始めました。
「先生!ほんとに有難うございました。あんなにおかげを頂いて私
の先生(患者の妻のこと)も患者も非常に喜んでいます。あんなに
喜んでいるのですからこれからもどうか続けて助けてやって下さい
……」

と。別府からそこへはどうしても半日はかかりますので、私が行っ
たのでは他の人の御浄霊ができかねますから何とか都合のついた時
に行くことにし、取敢えず私の代りに○信徒に行って貰うようにす
るからと約して別れました。


 ○さんは自分の職業があるので早朝四時半に汽車で趣き、八時に
帰ることにし、私が五日位に一度という風にして通いました。御浄
霊を続ける内に患者の咳も軽くなり、また咳の度に痰がコロリと切
れるようになり、呼吸が楽に食事がとれ、順調に快方へと向ってい
きました。ところが十日位も経過した頃、八月十一日、この日は中
教会のお祭なので昼まで浄霊を済ませて参拝の寸前、患者の奥さん
があわただしく飛込んで矢継早に「先生!主人が、主人が」と息を
はずませて申します。


私は
「二階に上って大光明如来様に御守護御願い申し上げてお参りし落
着いてから話をしなさい」

といったら案外素直に飛んで上り、それから話し出しました。
「今朝九時過頃より突然浄化して息の根も切れるように苦しみ、も
う駄目だと本人がいうので親族一同大変驚きました。もうこれまで
かと思ったが本人は苦しい心の底から息を切らして"一応先生に来て
頂きたい"というので、早速先生恐れ入りますが今からすぐにでも行
って頂けませんでしょうか?もう死んでいるかも知れませんけれど
……」
と。


 汽車の時間表を見ますと一時五十分です。しかも一時よりは中教
会のお祭です。私は彼女にいいました。

「奥さん!私は救世教の教師としてどうしても中教会のお祭には参
拝しない訳には参りません
。一時五十分の汽車までにはきっと間に
合うように行きますから駅で待ってて下さい。あなたの主人は今き
っと楽になっているはずです。そして私が行きさえすれば主人はき
っと食べられるようにして上げられるから、好きなスシでも果実で
も、何でも買って行って下さいよ……主人が自らこの大浄化を神に
縋ろうという気持はきっと御守護を頂いて楽になるから……」

といいましたが奥さんは、
「そんなことどころではない。もう死んでいるかも知れないと思っ
ているのに、そんな、そんな……」

と頑張る。

「だって奥さん!そんなに私のいうことを反対してもしようがない
じゃないかね。
ほんとにそうなればとなぜ祈らないのです。他人で
ある私がこんなに心で祈り、かくなるべく努めているのに奥さんた
る者が私のいうことを反対する意味が分らん、
私以上に神に祈るべ
ではないでしょうか。祈りましょう、共に……思い出してごら
ん。最初私があなたの家を訪問した時でも大光明如来様に嘘のよう
に楽にさせて頂いたじゃないかね。
あの事実を見ているあなたは今
より一層に神に祈らねばならない
はずです。祈りなさい……」
婦人は涙ぐんで改心しました。
「じゃ奥さん!私はすぐ中教会に参拝してあなたの主人の御守護を
御願いするから奇蹟を信じてあなたも心の内で合掌し、今私がいっ
た通りにして駅で待ってて下さいよ」

と私は婦人を力づけて家を飛んで出ました。

 中教会に着くや早速この患者の御守護をお願いし、会長先生に右
の意を話し駅に向って駈け出しました。それから一時間余、奥さん
と一緒に患者の家へ着きました。さあさあ大変有難や!有難や!一

大奇蹟が起っていました。というのは着くや否や親戚の一人が飛び
出て来、奥さんが飛びつく、

「どう!主人は?まだ大丈夫?息をしてる?……」
としゃくる。出て来た人は
「奥さん落着きなさい。そんなに大きな声を出しては当人が目覚め
ますよ……」

奥さんはうるんだ眼を上げながら不思議そうに親戚の人の顔を見
る。その人は静かに語り始めました。


「それはそれは不思議でした。一時がチンと打つとです。狐にでも
つままれていたかのように苦しみが急に止み、主人はそれはそれは
楽になり、とっても喜んで眠りました。あなたが帰るまでもう息を
引取りはせぬかと不安で不安でたまりませんでしたが不思議なよう
に、チンと一時が打つと咳も苦しみも突然に止み楽になっていった
のです。ほんとにほんとに不思議で……」

その婦人がそこまで語ると不思議そうな不安そうな目付でじっと聞
いていた奥さんは、

「わあ…」
と泣き始め
「先生、先生!………」
と私にとりついて泣き出しました。終にはその声もいつか
「有難うございます。明主様有難うございます」
に変ってまいりました。しばらくして奥さんは
「先生!信ずることのできる人は真に幸福であることが分ります。
今日まで五十年私はつまらぬ苦しみをしてきました。先生のいわれ
たことが後ればせながら今になって初めて解るようです」

と心の底から悔い、泣き、喜んでいました。
 患者にもその意味を話しますと
「有難い、ほんとに有難い。元気になってからは一心に神様のため
に尽くさせて頂こう

と嬉し泣きに涙を流していました。
 明主様、日々の御守護厚く感謝申し上げます。