このミニ講座は月に一
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平成26年9月度 ミニ講座

本教を認識せよ   (光四十四号  昭和二十五年一月七日)

 世間の評判によれば、本教は頗る多額な収入があり、教祖初め幹
部は豪奢な生活をして居るとの事である、これに就てその噂の出所
等その真相を発表するのも無駄ではあるまい。


 抑々右の如き噂の源はといえば、昨秋当時の新聞を賑はした彼の
脱税問題の際、朝日紙が本教資産二、三十億と記いた事や、数ケ月
前の文芸春秋に五十五億と出たり、読売紙が一日の収入壱千万円以
上などと書いた等本教に関心を持つ限りの人は右記事は見たであら
う、それ等が拡がって今日の如き誇大な噂となったのであるから、
迷惑するのは本教だけである、というのはそういう記事が表はれる
や、其直後から当分ユスリや金貰い連中が何だ彼んだとうるさくタ
カって来るにみても明かである。


 ここで本教の歴史をかいてみるが、昭和十年一月、大日本観音会
の名の下に宗教団体として発足したのであるが当時は頗る微々たる
もので信者の数も数十人に過ぎなかった
、そうしてこれより先昭和
元年頃霊的治療の研究を開始し、特殊の療法を創成し、昭和九年五
月民間療法的に創め
たのが抑々でその翌年一月宗教となり、翌十一
年弾圧を受け一年数ケ月浪人生活を続け、昭和十二年秋民間療法専
門に再発足したところ、数十人の門弟が出来た為生活の安全を得た
事と、当局の取締りがあまりに厳しいので十五年秋廃業する事とな
った、其後戦争等もあり爾来七年間岡田式浄化療法の名によって技
術者養成に専心し、数百人の門弟を造った
のである。


 然るに終戦となるや信教の自由が許されたので、廿二年八月宗教
法人の許可を受け、此時から表面的宗教活動に移った
のであるから
素晴しい発展を遂げたのも僅々二年有余であって、新聞で言うよう
な馬鹿げた収入がある筈がないのである、本教と雖も魔法使でもな
ければ闇屋でもなく営利事業でもない、
収入全部は御利益に対する
謝礼と本教事業を支援する意図からの献金
であってそれ以外は何に
もないのである、而も
本教は搾取は絶対にやらない方針で、収入悉
くは自発的のもののみ
である、以上は一点の修飾もなくありのまま
の事実であるから、新聞や雑誌の記事が如何に誇大的デマであるか
は今更言う迄もない。


 そうして収入の使途であるが、本教は創業早々の事とて本山とい
うものがない、凡そ如何なる宗教と雖も本山の無いものは一つもな
い、という事は信仰的機関がなければ、礼拝したり集合したりする
宗教活動が出来ない
からである、彼のキリスト教に於るカソリック
でさえ昔からローマにバチカン宮殿の如き荘麗なものを有っている
に見て明かである、従而本教に於ても本山を建造しない訳にはゆか
ない
ので、収入の大部分はこれに当てている、熱海、箱根、小田原
に於る目下建造中の相当規模のものをみれば直ちに首肯し得るであ
ろう、而も右の外本教位印刷物を多数刊行しているものは外にある
まい、即ち光新聞、雑誌地上天国其他十数種に上る単行本を見れば
判るが、右の如き出版事業や、其他各地方に派遣する数千に上る布
教師の旅費等を合算すれば実に多額に上るので、本教が急速なる発
展時代としてはまたやむを得ないのである、斯様な現状であるか
ら、相当の収入があってもプラスマイナスでいつも不足勝である、
昨秋の税金の如きは完納までに如何に全信者が苦心惨澹したかは世
間は知る由もないのである。


 よく本教に対し疑惑云々と謂はれるが、これ等は何の疑惑かさっ
ぱり判らない、もし金銭上の疑惑とすれば前述の如くであるから一
点の不審はあるまい、故に右に従えば神社仏閣の賽銭も既成宗教の
収入も全部疑惑をかけなければならない事になる、然し余りに短期
間に収入が多いから疑惑があるとすれば実に笑ふに堪えない話であ
る、何となれば右は
本教の御利益が如何に卓越してゐるかを見ない
からで、実に無責任極まる観方である、それに就てその真相を赤
裸々にかいてみよう。


 本教が常に言う通り御利益の顕著なる事は宗教史上未だ例がある
まい、
十数年に渉って治癒しない難病や、医師から死の宣告を受け
た絶望的患者が、短期間に起死回生健康を恢復したり、医者と薬か
ら離れられない家庭が、本教入信によって無病家族となる等
によっ
て、
絶大な感謝感激は安閑としてはおられないその表はれが献金
となる
のであるから、お義理やお附合で出すものより、その額も違
うのは当然である。


 右のような訳で、どうしても世間並より収入は多い事になる、と
すれば世間の疑惑なるものはナンセンス以外の何物でもない事にな
らう、而も
治病以外不良児が優良児となり主人の品行が改善し夫婦
円満となり、貧乏からも抜け出られ不幸から幸福へ転換し、歓喜の
生活者たる実例は枚挙に遑がない、而も日に月に漸増しつつある現
であって、之等多数の生きた事実によってみても如何に社会全般
の福祉に貢献しつつあるかは本教に触れるものの何人も礼讃して止
まない処である。


 又、豪奢な生活云々の如きは、之も馬鹿々々しい話で、顕著な御
利益の為金銭以外食料品など余る程寄贈される
ので、知らない者か
らみれば豪奢に見えるのである。


 ここで、今一つ言いたい事は、日本人は新しい有能者が出た場
合、良い事には眼を蔽い悪い事のみ取上げよってたかって抹殺しよ
うとする悪い癖がある
そういふ人に限って常に何か非難攻撃の材
料がないかを注視する
例えば十のものなら正が九で、欠点が一と
すれば、その一で九を塗潰し、十全部が欠点ばかりのように宣伝し
たがる
事は人の知る処で新聞のデマ記事などもそれである。


 右のような訳であるからこれでは卓越した型破りの人物などは到底
出られようがない、
全く嫉視羨望によるケチな島国根性の表はれ
しかない、聞く所によれば彼の米国などは日本と反対であるそう
だ、これはと思う人物が現はれると、それを益々大きくなるように
援助を与えるというのだから、同国各界に卓越せる人物が多く出る
のは当然であって、それ等の人物によってこそ米国今日の大をなし
た所以であらう、勿論大人物とは悉く型破りであるから既成の学理
や文化の枠には、ハミ出るに決ってゐる、そのハミ出た面を攻撃の
材料とするのであるから、日本に大人物が出ないのは当り前であ
る、特に今日の政治家などを見ればよく判る、国会などでも些末な
理屈や揚足とりに汲々として肝腎な国民の福利に関する面に至って
は甚だ熱が足りないやうである、昔のやうな国会に於ての大演説や
名演説など近来殆んど聞かないのもその現はれであらう。


 自画自讃ではないが、本教などはよく宗教界の型破りといはれる
が、異常の発展もそのためであろう、とすれば先づ
本教を検討する
場合、何よりも先づ本教出版の全部の印刷物に眼を通す事
である、
何となれば本教に非難を浴せる人の殆んどは本教の出版物も見ずし
て新聞のデマ記事や、反対者の偽言、世間の噂等を早呑込みにし、
自己判断で是非を云々する
のであるから、的外れは当然で、その無
責任なる態度は大に反省の要があろう。





  恐怖を除く    (光四十四号  昭和二十五年一月七日)

 吾々の目標とする処は、常に言う如く人類救済にあるのである、
としたら、人類救済といふ事は一言にして言えば、
人類社会から一
切の恐怖を除く事
である、勿論その最大なる恐怖としては病気であ
り、
貧困であり闘争である。

 右の三大恐怖の中その主座を占めてゐるものは何といっても病気
である、病気の恐怖ほど常に人間を脅かすものはない、何人と雖も
一生を通じて此不安から全く免れるものは一人もないといってもよ
からう、次に第二の恐怖としては貧乏であるが、その原因の大方は
病気からであるのは勿論で、
此病気の恐怖こそは如何に文化が進歩
しても減らないのみか、寧ろ増しつつあるとさえ見らるる
事実であ
る、処で今日病の原因は殆んど黴菌としてゐるから黴菌の恐怖に至
っては昔人には見られない程である、それが為健康診断各種の予防
注射、レントゲン写真等凡ゆる手段を講じつつありそれが為保健所
や療養所、官私の病院や国立療養所町医等々病患を防止する為の凡
ゆる施設は至れり尽せりと言ってもいい程で、之等に要する莫大な
費用と労力は計算の出来ない程で民衆の負担も蓋し容易ならぬもの
があらう。


 次に貧困の恐怖であるが、此原因の最大なものは前述の如く病気
であらう、之が為個人としての療病費の多額や、罹病中の職業の放
擲等による損害は固より特に患者が主人である場合、不幸の結果は
遺族の生活難は免れ得ない処である、終戦後犯罪激増の大半は之等
の原因も大いにあらう、勿論抑々の原因が戦争の為もあるが、戦争
の被害は一時的で病気の方は永久的
であるにみて最も深刻性があ
る。


 次に戦争の恐怖も如何に大きな悩みであるかは、今現に世界人類
が嘗めつつある事実によっても明かである。というのは米ソ間の深
刻な摩擦で戦争が何時勃発するか判らない状勢にまで切迫してゐる
事である、而も原子爆弾という空前な恐るべき武器が表はれた今日
としては、もし第三次戦争が始まったとしたら、人類の破滅は必至
であるとさえ言ふ学者がある位だから想像に難からずで、今日人類
にとって之程の恐怖はあるまい。


 以上の三大恐怖の解決こそ人類に与えられたる一大課題である、
実に今日迄の人類はあまりにも苦悩の絶間ない世界であった、此世
に確かに神がありとしたら神の大愛は此様な世界をそう永く許容し
給う筈はない。


 必ずや此様な苦悩の時代は打切りとなって善美なる地上天国が生
れなければならない
筈である、何よりも此事を絶対確信してゐる吾
は不動の信念を以て邁進しつつあるのである、キリストの天国は
近づけりと予言された意味もこの事でなくて何であらう。

 以上の意味によって右の三大恐怖の解決こそ宗教の真の使命であ
る事を痛感するのである。





   胃病と心臓病       (医革  昭和二十八年)

 前項に於て結核は詳しくかいたから、今度は胃病心臓病に就い
てかいてみよう。それは凡そ人体中最重要機関としては此三つであ
るからで、此三つの基本的活動によって、人間の凡ゆる機能は活発
に運動し、健康は持続されるのである。昔から人間を小宇宙と曰は
れたが、全くその通りであって、即ち
心臓は太陽、肺臓は月、胃の
腑は土
といふ訳で、言はば火水土の三位一体である。従って此三機
能の関係を基礎として、病理を立てたものでなければ、真の医学と
は言へない
のである。そうして三機能の中でも特に重要なのは、火
と水との関係
であって、言う迄もなく火は経に燃え、水は緯に流れ
ると共に、火は水によって燃え、水は火によって流動するのであ
る。
恰度夫婦関係のやうなものであって、若し水がなければ、地球
は一瞬にして爆破し、火がなければ一瞬にして氷結するのである。


故に人体と雖も火の心臓によって水の肺臓は活動し、水の肺臓によ
って火の心臓は活動してゐる
のである。又
人間の想念にしても、愛
は心臓が原であり、理性は肺が原である
から、事実にみてもよく分
る。愛情の炎とか〓の熱などといはれるし、それと反対に冷静の
眼、理智的判断など肺の働きをよく示してゐる。つまり
此両機能は
陽と陰、持ちつ持たれつの関係にあり、両者夫々の本能を発揮出来
れば、人間は霊肉共に健全である
のである。

 そうして次のであるが、之は飲食物を処理し、肉体を養う機関
であるから、火と水の活動が旺んであれば、それだけ胃の活動も活
発になる
訳で、大地と同様太陽の光と月の水とが充分であれば、土
は活発となり、植物はよく生育するのである。従って
人体は此三位
一体的活動を促進する事こそ、健康の根本的要諦
である。此意味に
於て右の三機能の内の一つの良否でも全体に影響する以上、医学の
やうに肺が悪ければ肺を、心臓が、胃が悪ければ、それのみを治そ
うとするのは、如何に間違ってゐるかが分るであらう。では之から
胃と心臓に就いて解説してみよう。


 今迄説いた如く、如何なる病気も其原因は悉く薬毒である事は勿
論だが、其中でも此
胃病位薬毒が直接原因するものは外にないので
ある。何しろ薬を飲むや一番先へ胃に入るからである。故に全部の

胃病は薬で作ったものであるのは争へない事実である。先づ此病気
の始まりは人も知る通り食中(アタ)り、食過ぎ、運動不足等の為、胸
焼、靠(モタ)れ、胃痛、消化不良、重圧感等の苦しみが起った場合、

放っておけば自然に治るべきものを、薬迷信の為必ず何等かの胃薬
を飲むので、一時はスーッとするが、暫くして再び同様の苦しみが
起る
。それは最初の浄化を薬で抑へたからで、毒はそのまま残ると
共に、その時飲んだ薬毒も加はるので、起る毎に少しづつ悪くな
り、期間も縮まってくる。というやうに繰返す内遂に慢性となって
了ひ、名の付くやうな病気になる。


 即ち胃アトニー、慢性胃痛、胃痙攣、胃下垂、胃潰瘍、胃癌等々
であるが、之を説明してみると、
胃アトニーは胃酸過多症とも曰
ひ、酸が多すぎる症状
で、此原因は自然は消化を援ける為、不断に
胆嚢から胆汁を胃に送ってゐるが、薬毒という異物が消化を妨げる
ので、胆汁は多量に要するから
である。又
慢性胃痛は一旦吸収され
た薬が毒化して還元し、胃壁を刺戟するから
であり、胃痙攣は胃薬
が胃底に溜り、或程度を越すと急激に浄化作用が発るから
で、之も
医療は激痛緩和の為麻痺剤等を用ひるので、一時は楽になるが癖に
なり易い
ものである。

 次に胃下垂であるが、之も医療で作る事がよく分る。即ち消化の
いいものを食ひ、消化薬を飲めば胃の活動の余地がないから、胃は
弱って睡眠状態となり、弛緩する
のは当然である。従って此病気を
治すのは訳はない。薬を全廃して普通食を普通の食べ方にすれば自
然に治るのである。之に就いても注意すべきは、よく噛むのを可い
としてゐる事で、之が大変な誤りであって、よく噛む程胃は弱るに
決ってゐるから、
半噛み位が最も可いのである。

 次に胃潰瘍であるが、此原因は胃薬永続の為である。何しろ胃薬に
は消化剤として必ず重曹が入ってをり、重曹は食物を柔かにすると
共に、胃壁までも軟かにブヨブヨにして了ふので、その為粘膜に極
微な穴が穿き、其処から絶へず血液が浸出する場合と、固形物が触
れ亀裂を生じ、出血する場合との両方がある。又
出血にも二通り
って、一は少しづつ胃底に溜り、黒色の粒となって、糞便に混って
出る場合
と、液体となって嘔吐で出る場合とがある。嘔吐は珈琲色
の液で、其中に点々と血粒を見るが、
珈琲色は血液が古くなったも
である。而も驚く程多量に出て洗面器一杯位毎日吐く人もある。
然し斯うなっても割合治りいいもので、其際の鮮血は新しい血液で
あるから、衰弱も相当するが、心配する程の事はない。


 処が此病気も服薬を廃めて、血の出る間だけ流動食にし、血が減
るに従ひ粥から普通食に移るやうにすれば必ず治る
のである。茲で
注意すべきは、潰瘍の場合流動食、安静、止血剤等で一時固めるの
で、此固りが癌に見られ易く、斯うなった人は胃の周囲に薬毒が充
満してをり、之が濁血、膿、ヌラ等になって、絶えず胃に還元し嘔
吐するのである。勿論胃の容積も減るから食欲不振となり、衰弱斃
れるのが殆んどである。又癌の場合肉食多量の人は、肉の毒も加は
って経過も不良であり、肉食人種に胃癌の多いのも其為であるか
ら、之を治すには
肉食も廃め、菜食を主にすればいい。

 茲で消化不振又は嘔吐感に就いて注意したい事がある。それは彼
幽門狭窄症であって幽門なる器能は胃で消化された食物が腸へ下
降する通路になってをり、此周囲に薬毒の固結が出来ると、圧縮さ
れて狭くなり、通り難いから逆流する事になる
ので、之も服薬を廃
めれば自然に治る
のは勿論である。


 次は心臓病であるが、此原因は至極簡単である。即ち心臓近接部
に毒素溜結し、圧迫の為脈膊不正、心悸昂進と共に、肺も圧迫され
るから呼吸逼迫する。之が普通の弁膜症
であるが、此重いのが彼の
狭心症
であって、之は心臓の周囲全体に毒素溜結し、全体的に固る
べく収縮するので、心臓は強圧の為、激烈な痛みと非常な呼吸困難
を来すので、生命も危くなるのである。之等も浄霊によれば割合簡
単に治るが、右は普通の狭心症であって、之と似て非なるものに心
臓神経衰弱というのがある。之は突発的で命も危いかと思う程の苦
痛が、数分乃至数十分でケロリとして了ふ。之は心臓病で死んだ霊
の憑依であるから、之は霊的病の項目に譲る事とする。





参考文献   ○ヽ(ス)の一声(一)       
                 神成大教会  岡庭真次郎

           『地上天国』52号、昭和28(1953)年9月25日発行

 観音様に就いて
 明主様が以前冠句を遊ばされた当時有象無象の題で「有象無象の
百万言より○ヽ(ス、表示できないため代用)の一声」
という句の
あった事を思い出しましたので、明主様の御教えと題させて頂くつ
もりのを、○ヽの一声と改題させて頂きます。


 今迄お観音様の事は色々と御教えのままに書かせて頂きました
が、今度は少し変った意味から御教えのままに記させて戴きたいと
存じます。


 新しい信者さんの中には救世教は今日迄はコーだと言って明日か
らアーだと変る。一生懸命やらして戴いていても安心が出来ないな
どと愚痴をこぼされる方が時たまにおり、事実私なども耳にした事
があります。
救世教はお観音様の御心のままに御用をさせて戴き、
そして進展発展し遂には世界中を光明世界に改造しなくてはならな
い大御神業
であります。

 昭和六年頃と思いますが明主様にはこの大神業について御話し下
されましたが、今日迄釈迦、キリストその他あらゆる偉人は沢山出
たがその人一代の内に出来ないものをその弟子やその末葉で出来る
筈がない。
今度こそ私が実現さすのだ万一私が出来なければ、神様
はこの世界を今一度練り直さねばならないから私が必ず実現さす

とはっきり御聞かせ下さいました。このように確言の出来る御方は
今日迄世界中にありません。


ところが明主様には今年の春季大祭におかれまして、『私が年を取
ってしまっては駄目だから、私は九十歳迄は仕事をするから未だ二
十年は仕事が出来るから心配ない』
との御言葉の御力強さ実に有難
くて涙が吹き出て止めようもありませんでしたが、この大神業こそ
は私共が毎日御称えさせて戴く善言讃詞に御予言遊ばされてある通
りであります。
『世尊観世音菩薩此土に天降らせ給い光明如来と現
じ応身弥勒と化しメシヤと成らせ』
とあるごとく、なお又三十三観
音とか申されて色々に御姿を御変えになられ千変万化虚々実々神変
不思議の御活躍であらせられますので、
到底人間の浅智慧などで分
るものでは決して無い
人間の智慧や科学で分るような事であった
ら決して出来ない
とは、明主様の折に触れての御言葉通りの事で、
従って
私共信者とても誰がどんな御用で活躍されている事かも知れ
ません。


 明主様にはいつも人のやっている事には一切批判はいけない
分の与えられた御用を熱心にやっていればよい
と御諭し下さいまし
た。特に最近栄光紙上にても『裁く勿れ』の御文章によって御教え
賜わりました。
自分は自分の命じられた御用に一心になって進めば
よい、ただその内にも叡智を働かせて行かなくてはいけない
と御教
えを賜わりましたが、お観音様は兄の花姫尊と申し上げ、兄の花と
は万木に魁けて咲く梅の花の事で梅の花は梅花即ち言霊で行けば倍
加でありますから
私達は信者とならせて戴いた以上倍加運動に参加
させて戴く事でありますから、一人から二人、十人、百人、千人と
倍加さす御用で、これこそ世界中の人民を信者となし終るまでの継
続運動で、これに対して勇往邁進させて戴く事こそ信者の本分
であ
らねばなりません。
これを怠れば神様に対し奉り御救いの御恩を忘
れた罪人
とならなくてはなりません。

神様はその時期により御神業の変る如く、お観音様の時代は絶対慈
悲の御神業で善悪無差別の御救い
でありますが、『光明如来と現じ
応身弥勒と化しメシヤと成らせ』
と進展を重ねるに従って大千三千
世界の三毒を滅し五濁を浄めとなると、観音様は阿修羅王となって
悪魔と戦う事になる。との御言葉でありました。
今後いよいよとい
う時期に至ればいつまでも
慈悲なぞと言って居らせられない事にな
るは当然の事
で、いよいよ善は助けられ悪は最後の清算によってた
だただ滅びるより外手の無い事に立至る
のであります。本年六月十
五日箱根地上天国完成記念祭の御教えにこの事をはっきりと、
今日
を契機としていよいよ最後の審判に入って行く
のです。との御教え
で、どうしても救世教に御辞儀しなかったら、つまり生きては行け
ない事になる
わけです。と仰せられました。その時期がとうとう来
てしまった訳であります。


 明主様は、御神業のお話でいつも感じさせて戴く事ですが、いか
なる時でも決して法螺はお吹きにならないで、いつも内輪に仰せら
れるのであります。その内輪に仰せられてもいよいよ神様に頭を下
げない人間は駄目になるより外に道の無い事が迫って来たのであり
ますから大変な事ですが、これを
最後の審判と言って罪と手柄と差
引して善が多ければ助かるし又悪が多ければ滅びるより仕方が無い
のだ
と御教え下さいました。

大本教の霊界物語に大活躍している梅公宣伝使とか梅公さんと言う
人物がありますがこの御方こそ明主様の御事と御教え賜わりました
が、魔か人かはたまた神か、梅公さんの今後の活躍こそは大変であ
ると書かれてありますが、明主様の今後の御活躍こそは千変万化
虚々実々応身転心、自由自在御心のままに世界を転化光明世界を出
現遊ばされるのであります。


明主様にはこのような大変な掛仕事を余裕綽々として信徒にも御教
えを賜わり、御守様、御書体等の御揮毫から書画、骨董等の御買入
や御手入を遊ばされ御手ずから御花までも御生け遊ばされ、又一方
におかれては熱海京都の御建設の御指揮。到底人としては出来得な
い御日常を何の御疲労もあらせられずと承ります。


昭和五、六年頃から御側近に御用させて戴いた私達にも御多忙の中
で日常に関する御注意から今後の世界の動き迄事細かく御教えを戴
きましたが、現在の御活躍はその頃の何倍かの御多忙と存じますが
実に恐れ入った御体力で、これこそ本当に神人と申し上げるより外
に言葉はありません。


その頃御神体は大聖観世音と御書きになられておりましたが、昭和
十年四月二十九日書を書くから墨をすれとの御言葉に皆皆で大鉢に
一パイすりました。仕度が出来ますと御神体大聖観世音と御揮毫。
私も御手伝いさせて戴きましたが百体を御書き上げになられた時間
はただの五分間
で一同実に驚き入ったる神業とただただ感に堪え驚
いた。驚いたと申す外言葉はありません。あの御立派な御筆勢で実
に見事なる御書体をただの五分間で百体、到底真似すらも出来得な
い事で、これこそ
真の神業なのであります。

 昭和十年二月二十三日相変らずの御多忙であられ、沢山の患者の
御浄霊を終られて後直ちに御観音様の御姿を御書きになられ、私は
御側で拝見させて戴いておりましたが、御筆を御揮いになられなが
ら、
信者が毎日、御神徳々々々と慾張って御神徳を戴きたがってい
るが、
何よりの御神徳は自分が日々平常通り無病息災で御用させて
戴いておられるのは一番の御神徳だ
との御教えを賜わりました。私
はハッと驚いて、実に申訳ない事とて恐縮致しました。
毎日丈夫で
御用させて戴いているその一番の御神徳
は慣れっこになって遂に忘
れてしまっていた申訳無さ、それどころか
何か物質的に戴きたいよ
うな希望ばかりを持っているのが一般信者の通例
となってしまった
事の甚だしさに、今更ながら申訳無く穴でもあれば入りたい位で実
に申訳無くただただ恐縮致しました。


 神様になれ過ぎて遂にこのようになり勝ちなのが信者の常であり
ますから、御互に気を付けるべき事と存じまして記録の中から引出
させて頂きました。


 御観音様はこのような意味で時期に依り御名前の変られる、その
都度御神業も変るのが本当
なのであり又それでこそ世界中を地上天
国とする事が出来るのでありますから、特に今後こそは一大転換期
となった事ですから、
何事によらず明主様の御命令通りに働
かせて戴く事
であります。決して自分等の考えなぞ口にするべき
で無い
と存じます。常日頃御用させて戴いておりましても、折に触
れての御教えに
人間はスナオになれ我を捨てなくてはいけない、神
様は我が一番御嫌いである、我のある内は御神徳は戴けない
と特に
我の強い私に御教え賜わり誠に恐縮致した事でありました。