このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成26年8月度 ミニ講座

今月の学びは、自観叢書九編、6月の学びの続きです。今回の御
教えだけ読むと何が言いたいのか判りにくいかもしれません。その
場合、再度6月の御教えを拝読していただいて、今回の御教えを読
んでいただくと流れがわかると思います。よろしくお願いします。



   天理教    (自叢九  昭和二十四年十二月三十日)

 此事柄は、他宗を非難する事になるのでかきたくはないが、何かの
参考になると思うからかく
のである。之は大本教時代の事であった
が、私が小間物問屋をしてゐる時に使った蒔絵師で、熊井某という
男があった。之は熱心な天理教信徒であって、支部長となる事にな
った処が、其当時百二十人信者が出来なければ、許可を得られない
というので、彼は半分位の信者はあるが、後の半分六十人を私に作
ってもらいたいといふ
のである。処が私は天理教ではないので断は
った処、信者でなくもいいといって懇請されたので引受けて、兎も
角も六十人作ってやった


いよいよ支部の発会式もすんでから間もなく彼は病気に罹った。勿
論天理教の先生に、お取次をしてもらったが仲々治らないので、私
にやってもらいたいと頼むので私は行って治療してやった処、非常
によくなるので、彼は続けて欲しいと懇望した。然し
私は考えた
もし治ったとしたら、変な事になる。何れは知れるに違いないか
ら、天理教から怨まれるに決ってゐる。而も彼の家は遠方で、一回
治療に行くのに三四時間かかるので、暇をかいて骨折って怨まれ
て、大本教の宣伝には全然ならない
という訳で、やめて了った。処
がそれから二三ケ月経て、彼は死んだのである。


 右とよく似た話があった。大本教関東別院が横浜にあった。そこへ
出口先生は始終滞在されてゐた。その随行の大幹部である某女史が
病気で、漸次悪化の状態である。出口先生は治すべく凡ゆる方法を
つくしたがよくならない
。偶々私が見兼ねて治療してやった処が、
今迄歩けなかった足が、一回で歩けるようになった
ので彼女は驚喜
し是非続けて欲しいといはれたが、此時も
私は考えた。もし私が全
治さしたら変な事になる。数十万の信者から生神様とされてゐる出
口先生が治らない病気を、一信者たる私が治したら大問題となる。
折角骨折って治してやって異端者として多勢から怨まれ憎まれて
は、馬鹿々々しいと思ったからやめてしまった
が、それから数ケ月
後彼女は死んだのである。




  死人に鞭つ    (自叢九  昭和二十四年十二月三十日)

 之も矢張り私の妻が胃痙攣を起した時の事、胃部の激痛の為ノタ打
廻るのである。早速私は胃部に向って治療を加えた処、痛みは緩和
されたが全く去らない。然るに痛みの個所は一寸位の円形で、漸次
上方へ向って進行しつつ咽喉部辺に来たと思ふや、妻は、「モウ駄
目だ。」と叫んだ。そこで私は、「之は憑霊だな。」と想ったの
で、「お前は誰だ?」と訊くと、憑霊は言はんとしたが口が切れな
い。仍で私は、「三月程以前に脳病で死んだ○○の霊ではない
か。」と気がついたから訊いた処、「そうだ」といふので、それか
ら種々の手段で聞質した結果、憑霊の目的は、私が其霊の生前の悪
い点を人に語った事が数回に及んだ
ので、憑霊は、「是非それをや
めて呉れ。」と言ふのである。私は謝罪し今後を誓約したので、霊
は喜んで感謝し去った。去るや否や忽ち平常通りとなったのであ
る。そうして
昔から死人に鞭打つなと言ふ事があるが、全くその通
りと思った
のである。



   霊的肺患    (自叢九  昭和二十四年十二月三十日)

 私は先年、私の妻が突然発熱、咳嗽、血痰等の肺患三期位の症状を
起した
ので、早速私が治療したが、頗る効果が薄い。二三日経ても
症状は一進一退である。そこで、之は霊的ではないかと想った
で、憑依霊の有無を査べてみた所、果してそうであった。その憑依
霊は、一年程前私が扱った青年の結核患者
であって、終に死亡した
が、その青年は父親と二人暮しで、長い病気の為、金銭を費ひ尽
し、赤貧洗ふが如き状態であったから、
死後の追善供養など殆んど
行はなかった
のである。従而、霊は霊界に於て孤独不遇であるか
ら、私によって祀って貰ひたい希望で、私の妻に憑依したのであ
る。--といふ事が判った。そこで私は、準備もあるから明晩祀っ
てやる故、それまで此肉体が苦しむから放れて待ってをれと言った
処、快く承諾し離脱したのである。離脱するや、妻はケロリとな
し、何等平常と変りない状態となったので、私はあまりはっきりし
てゐるのに驚いたのである。右の霊は、今でも私の家に祀ってあ
る。




   間違ひ信仰    (自叢九  昭和二十四年十二月三十日)

 斯ういう面白い事があった。私が一番最初の弟子であった山室某な
るものに、昭和六年麹町五丁目の或裏へ一軒の家を借り、治療所を
開始さした事がある。そこへ近所の風呂屋の親父が脚が悪いので治
療に来た処、非常によくなって今少しで治るという時、バッタリ来
なくなった。近所の人が来ての話で、その訳が判ったというのは、
その親父は真宗のカンカンの信者であったので、もし観音様ですっ
かり治るとすると、阿彌陀様の信仰をやめなければならない
事にな
る。そうすると死んでから阿彌陀様の傍へ行けないから、すっかり
治らない中にやめた
というので、その話を聞いて私は唖然として苦
笑したのであった。


 之も右と似た話であるが、五十歳位の藁麦屋の親爺で、手首が痛く
て曲らないので治療に来た事があった。一週間治療したが更に効果
がないので、之は霊的だと思ったので、「貴方は何か信仰してゐる
か。」と聞いたら、二十年来不動様の信者だというので、私は合点
が行った。尚聞くと、「毎朝不動様へ自分がお盛物を上げる。」と
いうので。「それをやめてみなさい。」と言った処、彼は「デハ明
朝から家内にやらせる。」と言って、彼はその日からやめた処、直
に治って了ったので、驚いて早速観音信仰へ転向したのである、処
が彼曰く、「家の伜が慢性頭痛で困ってゐるが、治して貰いた
い。」と言うので、彼の家へ行ってみると、天井に何本も釘が刺し
てあった。之は不動信仰者の家にはよくみるが、私はこれだなと思
って、早速釘を抜かした処忽ち治って了った。又斯ういう事もあっ
た。或自動車屋の主人が、「私は不動様へお詣りに行くと、その後
で必ず自動車がヱンコするが、どういう訳か。」と訊くので、私
は、「それは当りまえだ。不動だから動かなくなるのだ。」と言っ
て大笑いした事があった。


 右の例にみても、何でも拝みさえすればいいという事は考えもの
ある。というのは、
その人の身魂の高下と因縁によって、拝む神仏
も相応しなければ反って逆の結果になる
からで、大いに慎しむべき
である。




  夜の終り近づけり汝等悔改めよ 
            (光四十二号  昭和二十四年十二月三十一日)
 大聖キリストの曰った「世の終り近づけり汝等悔改めよ」と、又一
「天国は近づけり汝等悔改めよ」との此二つの警告は此意味を本
当に説いたものは未だ曽つてなかったようである、勿論時期到らな
かった為でもあるが、私が常に言う処の今日迄は夜の世界であった
からで、それが時期愈々来って夜の世界は茲に終焉を告げ昼の世界
に転換する事となったという意味とよく合致している事である、即
世の終りとは夜の終りであり、天国とは昼の世界を言うのであ
る、即ち今日迄の苦悩に満ちた暗黒世界は夜の表徴であり、
昼の世
界とは光明遍く罪悪も苦悩も打断れた歓喜の世界
である、此説明を
聞いて納得のゆくものは勿論信仰心を有する人であり信仰心の全然
ない唯物主義者は之だけでは判り得ないであろうから彼等をも判ら
せるべく此
夜昼転換の真相を茲にかくのである。

 抑々夜昼転換の順序であるが、之は私の常にいう如く眼に見えぬ
幽幻界から始まってそれが霊界に移写し、それが又現界に移写する
のである、茲で最初の転換である幽幻界とは三次元の世界で此時が
西暦一八八一年
次の霊界即ち二次元の転換が一九三○年であり次
の現界の転換こそ今や目捷に迫りつつある一大危機の開始である、
一言にして言えば、世界は今や黎明の寸前にあり正に東天に太陽が
上らんとしている時である、とすれば現在の霊界は科学的にみて如
何なる状態にあるかを説明してみよう。


 いうまでもなく霊界に於ては夜の期間中は水素が主で火素が従であ
ったものが
昼の世界に入るや其反対に火素が主で水素が従となる
である、即ち
暗が明に変るのである、それだけなら別段心配する事
はないが、実は之によって
空前の大変化が起るのである、といふの
は未だ嘗て経験にない程の
破壊と創造が行はれる、即ち霊界に於て
は濁が清となり、そのまゝ現界に移写される
から現界は如何に大い
なる変異を起すか想像にあまりある、勿論霊界に火素が殖える結果
として浄化力発生と共に時の経過に正比例して漸次強化される
ので
ある、其の表れとして善悪正邪は明かとなり
全人類に浄化が行はれ
、元々人間の病気とは火素による浄化作用であるから体内に汚濁
を多量に保有してゐる者ほど強烈なる浄化が行はれるのは当然
であ
る、然し今日迄の病気なるものは浄化が至極緩慢に来たので生命の
危険に迄は及ぼさなかったが、最後の世の病気は頗る急激なる大浄
であるから極めて迅速な経過をとる、例えば頭痛咳嗽下痢等二つ
か三つ位の症状なれば生命が脅やかされる迄には至らないが、之が

七つも八つも一度に発生するとすれば到底堪えられるものではな
い、此場合医師に診せるも全然病原が分らないから急速の死は免れ
ないのである。


 何と恐るべきではないか、斯様な大浄化が人類を襲う結果一大恐怖
時代が出現し滅ぶ者数知れずという事も想像され得る
のである、此
事に対してもキリストは
最後の審判の言葉を以て一大警告を発せら
れてゐる
、ただ今日迄此審判の真相と時期が判然と分らなかったの
で人類は真の自覚を得られなかったのである、然るにいよいよ時の
迫った今、
神は私をして茲に一大警告を与えるべく、具体的に書か
しめ給うたのである。


 以上の意味に於て、大審判が今や全人類の頭上に蔽ひ被らんとする
此秋(トキ)一人でも多くの人間を救ひ給ふのが神の大愛
である以上大
審判の執行者であり人間の生命を握られ給うのであるから
神の御手
に縋って罪を許されるより外に此難関を切り抜ける方法は絶対ない

のである、即ち人類が負へる罪の重荷を神の御手によって取除かれ
清められる以外救はれる道はない
からである。


 私は此最後の救の執行者として、神の委任のままに責任を遂行すべ
茲に一大警鐘を鳴らすのである以上、耳を塞ぎ聞くを欲せざる人
は自から滅びの運命を選ぶ人
と言ふより外に言葉はない、愈々の時
になって悔改むるも最早取返しのつかない事を警告して筆ををくの
である。




   日本文化の特異性 (光四十三号  昭和二十五年一月一日)

 日本人諸君に対って大いに言いたい事がある、といふのは、日本の
国柄
日本人としての特異性である、之が心底まで判ったとしたら
決して敗戦や亡国のような悲惨な運命にはならなかったのである、
よく自分を知るという言葉があるがそれを推ひろめて自分の国を知
らなくてはならない、昔のように鎖国時代なら兎も角、現在の如く
すべてが世界的となり国際的となった以上、どうしても自分の国を
知る事が肝腎
である、即ち
我邦としては如何なる役割をなすべきか
充分知る事
である。

 右の如く日本の存在理由を認識出来なければ国家の大方針は確立さ
れる筈はないのである、何よりも終戦迄の日本を見ればよく分る、
それ迄は国内的には、軍閥と称する特権階級が絶対権力を揮って少
数者の意図の下に勝手放題な政治が行はれたのである、それが為一
般民衆は権力者に対し、何等の発言権もなく、唯々諾々として奴隷
化されていた事で之は今尚記憶に新たなる処である、成程明治以来
憲法を制定し、代議政体を作り、民意を尊重するかのように見せか
けて、実は政権は少数者の手に握られ、終に無謀な戦争を惹き起し
たのである、恰度羊頭を掲げて狗肉を売るのと同様である。


 茲で、日本歴史を省りみてみよう、実に此国は神武以来内乱の絶間
がなかった、政治は全然武力に支配されて了った、武士道の美名に
隠れて個人としては殺人行為の優れたものが勲力を得戦争の勝利者
が時代の覇者たり得たのであった、以上のような暴力的太い線によ
って引きづられて来たのが、終戦迄の日本であった、その太い線が
敗戦という一大衝撃にあって、もろくもたち切られたのである、此
意味を日本人全体が深く認識しなければ平和国家としての真の国策
は生れないのであらう。


 右に対し重要なる事は日本の再認識である、といふのは元来日本と
いう国は吾々が常にいう処の封建的武力国家とは凡そ反対である

和的芸術国家
でなくてはならない、それが日本に課せられたる天の
使命
である、随而、再建日本といふ事をよく言うが、ただそれだけ
では大した意味がない、文字通りとすれば軍備のなくなった民主的
国家というだけである、それも勿論喜ぶべきではあるが実は
世界に
対し日本の特殊的役割を自覚し全人類の福祉により貢献すべき
でそ
れが
新日本としての真の役割である、吾等はその理由を順次かいて
みる事にしよう。


 先づ何よりも日本国土の風光明媚なる点である、之は恐らく、世界
に比を見ないであらう、外客が称讃の声も常に聞く所である、又気
候に於ても春夏秋冬の四季が鮮明であるといふ事にも大きな意味が
ある、それは山川草木は固より風致に於ける絶えざる変化である、
此四季に就ては、先年高浜虚子氏が、世界漫遊後の言に徴しても明
かである、氏は「日本程四季のはっきりしてゐる国は世界中何処に
もない、俳句は四季を歌うのであるから日本以外の国では本当の俳
句は出来ない」との事である、其他、草木、花卉、魚介の類に至る
まで日本程種類の豊富な国はないといはれる。


 特に、日本人の特異性としては手指の器用である、という事は美術
工芸に適してゐるという事で何よりの證拠は前述の如く殆んど戦国
時代の続いた過去を有つ日本が幾多の優れた美術が作られた事で、
今に於てもその卓越せる技巧に驚歎するのである。


 大体以上の理由によってみても日本及び日本人が如何なる使命を有
するかはよく分るであらう、之を詮じつめれば日本全土を打って世
界の公園たらしめ美術に対する撓まぬ努力によって最高標準にまで
発達せしめるべき
である、即ち吾等の唱える観光事業と美術工芸の
二大国策
を樹立し、それに向って邁進する事である、此結果として

全人類に対し思想の向上に資するは勿論清新なる娯楽と慰安を与え
る事
である、一言にしていえば高度の文化的芸術国家たらしめる事
である。


 現在、全人類は戦争を恐れ平和を如何に欲求しているかは、今日程
痛切なる時代はないと言ってもよかろう、吾々が常にいう如く
戦争
の原因は人間に闘争心が多分に残っているから
である、勿論、闘争
心とは野蛮思想に胚胎する
のであるから、いはば口には文化を唱え
乍ら実は野蛮性の脱皮は未だしで此解決の方法こそ人類の眼の向ふ
処を転換させる事である、その転換の目標こそ芸術であらねばなら
ない、言ひ換えれば闘争という地獄世界を芸術という天国世界に転
換させるのである、要するに恒久平和の実現は、武器の脅威で作る
のは一時的でしかない、どうしても
根本としては思想の革命であ
る、
思想の革命とは宗教と芸術以外決してない事を断言するのであ
る。

 以上の意味に於て再建日本といはず再建新日本といいたいのであっ
て、その国策としては勿論芸術化国家以外にないのである。




   結核の病原         (医革  昭和二十八年)

 今最も日本で難問題とされてゐる結核に就て、徹底的に説明して
みるが、結核は大体感冒から始まるとしてゐるが之は誤りで、実は
斯ういう理由によるのである。既記の如く感冒に罹るや、液体毒素
即ち痰が一旦肺臓内に停滞する場合、医療は之を凡ゆる手段を以て
排泄させないやうにする。其為解熱し咳といふポンプ作用も停止さ
れるので、痰はそのまま肺臓内に残り固り、治ったやうに見へる

である。


そこで安心してゐると又風邪を引く。何しろ折角出やうとした痰を
固めた以上、再び浄化作用が起る
からである。その時医師に診て貰
うと、風邪の症状の外に肺内に痰の固りがあり、ラッセルも聴え、
レントゲン写真にも溶けかかった痰が雲翳状に映るので、茲に結核
初期と診断
するのである。之によってみても分る如く、
初めから肺
に病はなかったのを、医療が凡ゆる手段を以て作った
訳である。

それを一層詳しくかいてみるが、元来体内各局所に固結した毒素が
浄化作用発生するや、一ケ所乃至数ケ所から溶けはじめた痰は、間
髪を入れず肺を目掛けて浸入する
のである。そうして毒素固結個所
としては、頭脳を中心に首の周り、肩、肋骨附近、背部、腹部、股
等の順
になってをり、之によってみても
結核の根本は体内全部とい
ってもいいのである。此発見こそ全く世界的のものといってもよか
らう。


 以上によって肺臓なるものは、言はば痰排泄の為の取次所の役目
をしてゐるのである。処が之を知らない世人は、よく胸の病などと
いふが、之はナンセンスで全然的外れであり、全く
医学が胸部疾患
に作り上げたものであるのは明か
である。そうして何といっても医
学は、結核問題の焦点は結核菌とされてゐる。之に就ては医学の盲
点を充分開明しなければならないが、右の如く肺内の痰の固りが古
くなって、腐敗するから菌は湧いた
のである。腐敗すれば微生虫が
湧くのは物質の原則
であり、而も体温といふ好条件が拍車をかける
に於てをやである。その結果菌は益々殖え、肺胞を蚕食するに至
り、空洞が出来るので、それが写真に映るや医診は悪性と断ずる
為、それを曰はれた患者は精神的大打撃を受け、失望落胆急に悪化
するのは誰も知る通りである。以上の如く、最初の風邪から真症結
核になるまでの経過をよく検討してみると、全く
誤れる医療によっ
て作られた
事は、余りに明白である。

 又肺浸潤肺の外部にあった薬毒の固りが溶けて、肺に浸入し痰
になって出やうとする病気
で、之も自然にしてをけば出るだけ出て
完全に治る
ものを、医療は固めて出さないやうにするから、結核に
迄進展するのである。又
肺門淋巴腺肺尖加答児は、首肩の凝
りが溶けて肺の上部から浸入
する、それを曰ったもので、之も自然
なら簡単に治るのである。又
肺壊疽肺の内部から外部へかけての
腫物
であり、粟粒結核肺胞に出来た湿疹であるから、放ってお
けば血膿が出るだけ出て必ず治るのである。その他
喀血及び血痰は
濁血が出るので、結構な浄化作用
であるから、医学でも喀血性は治
りがいいとされてゐる。斯うみてくると
結核は治るに決ったもの
あって、治らないのは
医療が治さないやうにするのである。此事が
分ったなら結核医学は百八十度の転換とならざるを得ないであら
う。今日結核が益々増え、その対策に腐心し、莫大なる国費を支出
しつつあるその無益なる努力は、到底黙視し得ないのである。


 茲で菌に就て徹底的に説いてみるが、医学に於ては菌の感染を恐
れ、菌さへ殺せばいいとして、全世界の学者は殺菌の研究のみに耽
ってゐるが、此考え方こそ抹梢的浅薄極まるものである。といふの
は菌の感染は結果の問題であって、根本は菌そのものの発生原の探
究である。何となれば菌と雖も突如として空中に湧いたものでもな
く、何処からか飛んで来たものでもない。湧くべき理由と湧くべき
根拠地があって湧くのである。従って仮令菌だけ全滅させる事が出
来ても、その根拠地即ち原地がその儘であるとしたら、無意味であ
るのは分り切った話である。では
菌の発生原地とは一体何処にある
かといふ事が問題の根本であり、それが分ると共に、原地の潰滅も
可能であるとしたら、茲に結核問題は解決するのである。それらを
以下詳しくかいてみよう。


 之を説くに当っては、先づ人間の霊に発生する曇りを知る事であ
る。本来
霊の本質は無色透明にして、最も稀薄な一種のエーテルで
ある。此エーテルはその密度の高い事は、今日の顕微鏡の何百倍で
も見る事を得ない程の超微粒子であって、
それへ発生する曇りとい
うのは不純水素の集合体
であって、即ち純粋水素中に異物が混合し
てゐるのである。では右の如き
不純水素が何故発生するかといふ
と、之こそ濁血の霊化したもの
である。既記の如く人間は霊主体従
であると共に、霊体一致でもある
からである。


此曇りが日を経るに従ひ、或程度濃度化するや、それへ一種のバク
テリヤが発生する
此バクテリヤの本質は植物性無機物であって、

之が又日を経て有機化するので、之が即ち黴菌の幼虫であり、育っ
て一人前になったものが顕微鏡で見得る菌である。従ってヴィール
スとは幼虫から菌になるまでの中間粒子
であるから、顕微鏡では見
得なくとも、確かに在る事は医学でも認めてゐる通りである。斯う
分ってくると右の
霊の曇りこそ、実に黴菌発生の原地である事は余
りにも明かな事実である。


 以上によって、仮令、医学によって予期の如く菌を殺し得たとして
も、肝腎な発生原地がそのままであるとしたら、後から後から無限
に発生する以上、笊に水汲むやうなものである。それは今日迄殺菌
薬や殺菌法が現はれても一時的で、いつか消えて了うのもそれをよ
く物語ってゐる。では根本である
菌の原地を潰滅するにはどうすれ
ばいいか
といふ其方法を次項にかいてみよう。



愈々駄目だと思った 胃癌より救われた喜び
            『アメリカを救う』昭和28(1953)年1月1日発行
        佐賀県神埼郡東背振村大字大廻  帰一中教会 古川三郎(54)
 私は現在ごく田舎の一農夫であります。若い時は種々な役人生活
をしておりましたが、昭和八年より郷里で農業に従事しておりま
す。慣れない労働のためか又は若い時に大酒を飲んだためか、胃病
に悩まされ常に薬を離した事がありませんでした


ちょうど二十五年六月より病気は急に悪化し、労働に堪えないよう
になりましたので、あちこちと病院通いは勿論、人に話されないよ
うな草根木皮を服用したり、その暇には神様参りを致しましたが一
向に効果なく、身体は衰弱するのみで、精神まで萎縮しました。


ある日『民間家庭療法』という著書を読んでおりましたところ、私
の病状が胃癌そっくりの症状でありますので、二十五年八月保健所
で診察を受けましたところ、
胃癌だと直接言われましたので、私は
吃驚仰天死刑の宣告を受けたような気になりました。このような気
持は経験者でない限り分らない悲しみと思います。


右のような状態で、私もいよいよ駄目だと絶望的な気持になりまし
たものの、子供等の将来の事が心配でなりません。親が子を思う事
は誰しもの事でありましょうが、死病を担いでいる親の心は又格別
の事であります。故に私は田畑、山林、家屋等の家財台帳やその他
必要事項を記録し、家の沿革史として子供等の将来の参考資料とし
て残す事にしたのであります。しかし元来勝気な私はどうかして病
気を征服したいと色々と苦悩し、神経衰弱の一歩前までになりまし
た。


しかし神仏はまだ私を見捨て給わなかったのでしょう。二十六年正
月、ある用件で隣村の中牟田様方を訪れましたところ、偶然にも光
明如来様の御利益を承り、しかも中牟田様は既に入信しておられか
つ又、幸にも佐世保支部より矢川先生が御出になっておられました
ので、早速御浄霊を御願いし、続けて
七回の御浄霊でほとんど恢復
にむかい、その後とぎれとぎれに四回程御願いしましたところ完全
に恢復し、本年は春の副業から麦の穫入、田植と働き、今では体重
も病気前と変らないように肥え、悩み続けた過去を考えますと無駄
な事ばかりだったと思います。全く光明如来様の御利益が不思議で
ならず、ただ感謝の心持で一杯であります。


ただ今では一家円満農業に励んでおる次第であります。光明如来様
は私の身体を造り直して下さいました。なお絶望していた気持まで
朗らかに更生さして戴きましたが、私のごとき田舎者の無学では感
謝の意志さえ表示出来ませんので、以後はこの有難い光明如来様の
御手におすがりして、病気や貧乏の色々ごたごたのない立派な自由
国を作りたいと思います。終りに光明如来様へ御導き下さいました
中牟田様、矢川先生に御礼を申し述べ、あわせて私と同じ様な病で
悩んでおられる御方がありましたら、ぜひ一日も早く御利益を御受
けなさるよう御奨め申し上げます。明主様誠に有難うございまし
た。               
(昭和二十六年十二月一日)