このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
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 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成26年7月度 ミニ講座

今月の学びは「薬毒について」徹底して学ばせていただくべく編
集しました。信仰の徹底されている方々は確認の意味で、今一度白
紙になって学んでみて下さい。



             薬毒に就いて             

「天然痘毒素の外に薬剤の毒、すなわち薬毒といふ毒素が、如何に
恐るべきものであるか
を説明してみよふ。

 古今東西を問はず、病気に対する薬物療法は、人類に如何に根強
く浸潤したであらふか。病気に罹れば薬を服むといふ事は、腹が減
れば飯を食ふといふ事程、それは常識となってゐる
。然るに驚くべ
し、
薬物は"病気を治癒する力"は全然なく、反って病気を作る即ち
病原となる
-といふ、恐るべき毒素であるといふ事を、私は発見し
たのである。到底信じ得べからざる大問題であるが、然し、真理は
飽迄真理であって、奈何とも為し難き事である。


 昔有名なる漢方医の言に、「元来薬といふ物は世の中にない。皆
毒である。病気の時薬を服むのは、毒を以て毒を制するのである」

と言った事を私は何かの本でみた事がある。実に至言なりといふべ
しである。又、毒薬変じて薬となる-といふ諺もある。(中略)


 私は、最初の方で病気の原因は、浄化作用であり、浄化作用は苦
痛が伴ふ-その苦痛が病気である
-と説いてある。即ち人間は誰し
も苦痛は厭だ、早く免れたいと思ふのは判り切った話である。その
場合、
苦痛を除るには、二つの方法しかない一つは完全に除る
といふ事、
それは排泄さるべき毒素を、全部排泄さして後へ残さな
い事
である。今一つの方法は、一時的苦痛から遁れる事である。
れは、苦痛の起る以前の状態に還元さす事
である。それは、浄化作
用を停止し、浄化作用の起らない時の状態にする事
である。処が、
前者の完全排泄は自然治癒法であるから時がかかるのであるから、
早く苦痛から逃れたい-といふ事が、今日迄の薬物療法は固より、
凡ゆる療法を生み出したのである。又、今日迄の医学では、右の原
理も分らなかったのである。」   
(「薬剤の毒(一)」医試  S14)



「人間が病気に罹るとする。熱が出る、痛み、不快、咳、痰など
出る。
薬を服むと軽くなる。丁度、薬によって病気が治るやうにみ
える
。然し、度々言った通り、薬と称する毒を服んで全身を弱らせ
る。弱らせるから浄化作用が弱る。苦痛が軽くなる
-といふ訳であ
る。処が、それだけなら未だいいが、その
服んだ毒は如何なるであ
らふか、それが問題
なのである。

 茲で説明をしておくが、人体には毒素を嚥下すると、解毒又は排毒
作用が行はれるやうになってゐる
。然し、毒といっても殆んどが食
物の毒である。であるから、
人体内には、食物だけの解毒作用の力
はあるが、それ以外の毒素の即時解毒作用の力はない
のである。で
あるから、
食物以外である所の薬毒の解毒作用は全部行はれないの
で、或程度体内に集溜する
。それは矢張り天然痘毒素の場合と斉し
く、
神経の集注個所である。

故に、斯ういふ理屈になる。陰性天然痘毒素の溜結が浄化排除作用
が起った時、それを止めて新しき薬毒を加へる-それが薬物療法の
結果である。従而、今度は
二元的毒素となって溜結する。それの浄
化作用が起る。故に、
第一次浄化作用より、第二次浄化作用の方が
毒素の加増によって悪性
なのは勿論である。故に、第二次浄化作用
即ち再発の場合は初発より押並べて悪性であるのは、此理に由る
である。右の理由によって、第三次、第四次も起り得るのであ
る。」              
(「薬剤の毒(二)」医試  S14)



「今日迄、(中略)病気療法の方法は尽く浄化作用停止又は一時的
苦痛軽減の方法
以外には出でなかった事は再三述べた通りである。
そうして最も効果ありとしたものが、薬剤療法であった。


 そうして薬毒なるものは、啻(タダ)に浄化作用停止だけではなく、
その人
間の健康に及ぼす悪影響は実に想像されない程の恐るべきも
がある。私の長い経験によれば、凡ゆる痛苦は悉く薬毒の結果
あって、
痛みも発熱も不快感も疲労も神経衰弱も原因はそれであ
り、全身的新陳代謝の衰耗も機能の弛緩も、咸(コトゴト)く薬毒の結果

である。従而、人間の健康の良否も病気の軽重も"薬毒の多寡に因る
"といふも過言ではない
のである。


 今日迄、人間が一度病気に罹るや、浄化作用を薬毒によって停止
するが、それ以外、薬毒なる新しい毒素を追増する
のである。その
例として、何よりも周知の事実は、医師が医療を行ひつつ、余病が
発生する
といふ事である。最初の病気を治癒する目的であるに拘は
らず、第二第三の病気が発生するといふ事は甚だ不合理
ではあるま
いか。即ちその療法が適正であるならば、最初の病気が軽減しつつ
余病など発生すべき訳はない
筈である。


即ち拾の病気と仮定して、時日を経るに従ひ、九となり八となり七
となるやうに、漸次軽減しなければならない筈である。然るに何ぞ
や治療を施しつつあるに関はらず、十一となり、十二となり、十三
となる--といふやうに増加するとは洵に不可解極まる話である。
之に対し、患者も医家も、何等の疑念を起さないのであるが、これ
は全く、医学が一種の迷信化するまでに到ったためであると思ふの
である。


 故に、私は斯う想像するのである。日本人が薬剤使用を全く中止
し拾年経たなら恐らく病人は半減する
であらう。従而日本人の寿齢
は延長し、数十年を経るに於て平均寿齢八拾歳位は易々たるもので
あらう。何となれば短命とは病気に因る死であるからである。所謂
不自然死である。病気が減少すれば自然死が増加する。自然死とい
へば、少くとも九拾歳以上でなければならない筈である。又人間が
死に際会して苦痛が伴ふといふ事は、天寿ではない
からであって、
天寿を全うして死ぬといふ場合は、例へば樹木が樹齢尽きて自然に
仆れるが如く、聊かの苦痛もないのが当然である。そうして
死の苦
痛の原因は
何か、言ふ迄もなく、薬剤其他の方法によって浄化作用
の停止を行ふから
である。即ち自然である浄化作用を、不自然なる
抑止をする--その摩擦が苦痛となるのであって、而も、衰弱し切
った肉体であるに於て、苦痛は倍加するといふ訳である。


 古から"人は病の器"といふ言葉があるが、之は大いに謬ってゐ
る。実は
"人は健康の器"であり、健康が原則であらねばならない
である。神は人間をして、神の理想を此地上に顕現せんが為に生ま
せられたものである--と私は信ずるのである。従って、其使命を
遂行するに於て不健康であってはならない。故に不健康といふ事
は、人間が何等かの過誤即ち神の摂理に反してゐるからで、その

誤の最大なるものが"薬剤使用"
である。(中略)

 私は爰で、今一つ重大な事を述べなくてはならない。それは薬毒
保有者は、左の如き悪影響を受ける
事であって、それが多量ほど甚
だしいのであるが、世人は全然気が付かない事である。


一、常に不快感のある事。         
二、頭脳の活動が鈍くなる事。
三、身体の動作が弛緩する事。      

 右の三項目に就て詳説してみよう。

一、の不快感は、薬毒集溜個所に微熱があるから、局部的又は全身
的に悪寒があるので、常に普通以上寒がるのである。又、何事を為
すにも億劫(オックウ)がり、寝る事を好み物に倦(ア)き易く長く一つ事に
携はる事が出来ない
のである。そうして
物事の解釈は凡て悲観的
なり、
常識を欠き、陰欝を好み、従而、晴天の日より雨天の日を好
のである。又
腹立ち易く、甚だしいのは自暴自棄的になったり
常にクヨクヨとして、些かの事も気にかかりヒステリー的とも
なり、自分で間違ってゐる事を知りながら、どうする事も出来ない
といふ状態
で、又それを煩悶するといふ事になり、最も甚だしいの
は厭世的(エンセイテキ)となり、廃人同様となる人さへある。(中略)


二、現代人は非常に頭脳が鈍くなってゐる。従而、記憶の悪い事も
夥しい
。(中略)
 又、現代人は簡単明瞭な所説では、充分頭へ入らないやうである。
諄々(クドクド)しく、微に入り細に渉り、又種々の例證を挙げて説か
なければ、会得が出来ないやうである。本来、
頭脳の良い人は、一
言でその意を悟り得る
のである。昔の諺に"一を聞いて十を知る"と
いふ事があるが、現代人は"十を聞いて一を知る"のが関の山であら
う。又、実際よりも理論を重んずる傾向があり、その為に、医学な
ども理論に偏し、実際を無視したがるのである。(中略)


三、現代人の動作の遅鈍なる事は、また甚だしいのである。之は、
国民の大部分がそうであるから気が付かないのである。特に、都会
人の歩行の遅い事は驚く程である。之は
身体が鈍重である為であ
る。(中略)

 従而、人間の不幸も争ひも、その根本は、薬毒にあるとい
っても過言ではないのである。故に、薬毒のない人間の社会が出現
するとしたら如何に明朗であるかを私は想像するのである。全く薬
毒が無くなった人間は、頭脳明晰で、爽快感に充ち、生々溌剌とし
てゐるのである。」         
(「薬毒」明医一  S18.10.5)



「(中略)今日迄、(中略)凡ゆる病気治療の方法は、悉く浄化作
用の停止
以外には出でなかった事は既に述べた通りである。そうし
浄化停止に最も効果ありとしたものが薬剤使用であった。然るに
薬剤なるものの本質は悉く有毒物であって、人体を毒作用によって
衰弱せしむる
のである。此事に不明であった今日迄の世界人類は、
薬剤なるものは何か神秘的治病力を有するものの如く思はれたので
ある。(中略)


之は勿論病気の本体が全然未知であったからで、それが即ち病気を
悪い意味に解釈
し、薬剤を良き意味に解釈したのである。実に逆理
に気が附かなかったのである。然し乍ら日本に於ても徳川末期の漢
方医の大家杉田玄白は曰った。『元来世の中に薬なるものはない。
薬といふのは悉く毒である。故に薬によって病を治すのではない。
実は毒を以て毒を制するのである』
-とは洵に先覚的至言である。
(中略)


 そうして薬剤は効力発生後消滅すべきものと医学は信じてゐるが、
それは非常の謬り
で実は体内にいつまでも残存する。何となれば
間として飲食すべき物質
は造物主が自然に決定してゐるのである。
それは人間が生命保持の為として造られたる食物である以上、必ず
味はひなるものを有ってゐる事と、消化機能なるものは、天与の食
物に順応すべき性能に造られてゐるものである。従而それ以外の異
物は消化機能の役目以外のものである以上、消化せずして残存する

のは当然である。(中略)

 そうして薬毒が病原になるといふ事実に就て一般に気の就かない事
がある。それは医師が医療を行ひつつあり乍ら余病発生といふ一事
である。仮し
医療が真に効果あるものとすれば、治療するに従ひ順
次全治に向ふから、余病などの発生はない筈
である。即ち仮に最初
三つの病気があれば二つとなり、一つとなり全治するといふ順序で
なければならない
筈であるに拘はらず、反って一つの病気が二とな
り三に殖えるといふ事は洵に理屈に合はぬ話
である。それ等の事実
に対し、医師も患者も何等疑念を挿まないといふ事は不思議といふ
べきである。(中略)


 右の理によって人類から薬剤を取去ったとしたら、病気なるもの
は漸次消滅すべきは断じて疑ひない
所である。そうして私が幾多の
患者を取扱った経験上薬毒の多少によって病気の軽重を判別するの
であるが、洵に正確である。(中略)」 
(「薬毒」天  S22.2.5)



「前項の如く今日迄、病気の浄化作用を知らず、それを固める事の
み専念
したが、固めるという事は勿論浄化発生以前に還元させる事

で、本当の事が判った眼からみれば愚の一字に尽きるのである。勿
論自然は毒素を排除しようとするのを
一生懸命に排除させまいとす
る事を治る方法と錯覚
したのであるから全然反対であった。随而今
日までの医学は健康者にしないように一生懸命骨折って来た訳であ
る。然らばどうして其様な誤謬に陥ったかというと、
浄化は苦痛が
伴ふ
ので薬剤を使用すると、苦痛が幾分か緩和するから、之で病気
が治ると思った
のである。

一言にして言えば、一時的効果に眩惑され、不知不識医の本道を踏
違え今日に至った
のであるから、薬剤を唯一のものと思ったのも無
理はなかったのである。これが為長い間薬剤本位に進んで来た医学

は、真の医道ではないから治りそうで治らない次々新薬が出来
。此結果現在薬の種類の多い事は恐らく何百何千に上るであら
う。而も今以て新薬の出現が絶えないのは右をよく物語ってゐるの
である。


 右の如く薬剤迷信に陥った医学であるから、今日吾々が病気の
原因
薬剤の為である事を説いてもあまりの意外に到底信じ得ら
れないのである。


 よく言ふ言葉に、薬はいくら服んでも注射してもさっぱり効かな
いとは長い病人のいつもいふ言葉であるが、之を聞く毎に私は斯う
答えるのである。薬が効かない等とはとんでもない間違ひである。
効かないものなら心配する必要はないが、実は効き過ぎる位効くの
である。といふのは
よく効くのではなく悪く効くのである。即ち
は病気を作る
からで、もし人間が薬を用いなくなれば病気は消滅し
て了ふ
であらう。とすれば人類史上之程意外であると共に大問題は
あるまい。之によって
私は薬毒を知らしめる事が、先づ人類
救済の第一歩であると信じ徹底的に説く
のである。

 随而、此地球上に薬といふものは一つもない。全部毒である。
によって人体を衰弱させ、浄化停止される程よく効く薬といふ訳

ある。(中略)以上の理によって
今後と雖も何程新薬が出現しても
真に病気を治し得るものは一つもない事を断言して憚らない
のであ
る。近来注射が流行るが、服めば中毒を起す程の強烈な毒薬である
から服む薬よりよく効く訳である。


 そうして薬毒によって一時的苦痛緩和の結果はどうなるかという
と、その
薬毒は人体に残存するのである。処が医学では副作用のあ
る薬毒もあるにはあるが、薬毒は凡て消失するといふのであるが、
之程の間違ひはない。それは薬毒発見までに医学は進歩してゐない
からである。何となれば、人体の消化器能は天与の食物のみに限定
されてをり、それ以外の異物は処理されないように出来てゐる
から
である。実に造化の妙は自然の二字に尽きるので、
処理され得ない
異物である以上、薬毒は殆んど残存する
。それが時日を経るに従
ひ、各局所に集溜し固結する、
之が凡ゆる病原となるのである。

 何よりも医療を受ける程病気は殖え次第に悪化するにみて明かで
ある。又余病発生といふ事もその為である。即ち一の病気を治そう
として二となり、三となるといふように病気が殖えるのは、医家も
常に経験する処
であらう。もし真に薬剤で治るとしたら三の病が二
となり一となり零となるべき順序ではないか
、此判り切った事に今
迄気がつかなかった事は実に不思議といふべきである。


 右の理によって罹病するや、放任しておけば大抵は治るものであ
る。もし
容易に治らないのは薬毒多量の為であるから、そのような
場合気永にすれば漸次治癒に向ふのは当然である。処がその理を知
らない医学は、人為的に治そうと骨を折れば折る程逆効果となり、
漸次重体に陥り死に迄至るのである。


 嗚呼、医学の誤謬たるや何と評すべきか言葉はないのである。
日迄数千年間此理を知らなかった
為何億の人間が犠牲になったかは
計り知れないであらう。然るに私が
此発見をしたといふ事は、時期
到って神が人類救済の為、私を通じて公開された
のである、といふ
事はいよいよ人類の理想である病無き世界が茲に実現するのであ
る。」             
(「薬毒」自叢十  S25.4.20)



【例-1】
(お  伺)  昭和23年11月25日左の下顎骨が顎裏を破つて膿と共に
排泄致し、現在尚破れた口(二寸位)の両側が髭のある儘内側に巻
込み、丁度ザクロの割れた様になつて皮が張つて了い、此処から絶
えず唾液が流れたり、息も洩れたり致します。唇、下顎あたり全体
は絶えず痺れて、締付けられる様な感じと激痛が続いて居りますの
で、長時間体を動かしますと目眩が致します。下歯は肉についた儘
残つて居りますが使用出来ず、奥歯が口を動かす毎に上顎をつき上
げ、その痛みの為苦しんで居ります。御蔭様で食欲がありますので
体力は御座います。余りに長い御浄化に家族の者は罪の深さを知つ
て、浄化中の父と母と兄嫁を残して、兄弟三人御神業に専念させて
頂いて居ります。

 信仰上到らぬ点並に御浄霊の急所と皮の張つた傷口と残つた奥歯
は、今後何の様になるもので御座いましようか。


  〔御  垂  示〕
 この人は以前に何か薬を入れた事があるのですか。

 「性病の様な事も多少あり、薬も随分入れて居ります」

それです。薬毒ですよ。薬毒がそこによつて出ようとしている。
毒が沢山あるから日がかかる
。浄霊を始めてから何の位になります
か。


 「三年位です」

その位じやしようがない。私は歯を毎日浄霊してますが、之で三十
六年です。


 「傷口ですが、巻込んだ儘毛が生えて参りますが」

それは切つたら良い。

 「その間に歯が顔出して居ります」

 色んな変化があります。結局、薬毒ですよ。ですから、薬毒を簡
単に思うが、薬毒は大変なもの
です。私は浄霊始めてから20年にな
るが、未だ解決しない。今でも毎日やつてます。慣れつこになつて
了つたが、年々治つて来ます。薬を入れたのが昭和三年ですから
ね。未だ取れない。薬毒の少しひどいのは10年、20年は何でもな
。だから3年位ではね。迷つたり、懊(ジ)れたりしては神様に申し
訳ない
。命がないんですからね。それに
感謝する事で、それに一寸
でも――何うかすると、御守護が切れます。

                  (「御教集2号」 S26.9.8.)