このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成26年11月度 ミニ講座

地上天国      (信  昭和二十四年一月二十五日)

 地上天国という言葉は、何たる美わしい響であろう。此言葉ほど
光明と希望を与えるものはあるまい
。然るに
多くの者は、地上天国
などという事は実現の可能性のない夢でしかないと想うであろう
が、私は必ず
その実現を確信、否実現に近づきつつある事を認識す
のである。ナザレの聖者キリストが「汝等悔改めよ、天国は近づ
けり」と曰った一大獅子吼は、何の為であろうかを深く考えてみな
くてはならない。その教が全世界の大半を教化し今日の如く大を成
した処の、立教の主たるキリストが、確実性のない空言をされ給う
筈がないと私は思うのである。然らば
地上天国とは如何なるもので
あろうか
という事は何人も知り度い処であろう。私は今それを想像
して書いてみよう。


 地上天国とは、端的にいえば『幸福者の世界』である。
それは病気、貧乏、争闘のない世界で、文化の最も高い世界であ
る。然らば今日人類が苦悩に喘ぎつつある、病貧争に満ちた此世界

を、如何にして天国化するかという大問題こそ、吾々に課せられた
る一大懸案であろう。而も右の三大災厄の主原因こそは病気そのも
である以上、先づ
病気を絶無ならしむべき方法が発見されなけれ
ばならない。次は貧乏であるが、これもその原因が病気が第一であ
り、誤れる思想と政治の貧困、社会組織の不備等も第二の原因であ
ろう。次に争闘を好む思想であるが。これは人類が未(イマ)だ野蛮の
域を脱し切れない事が原因である。然らばこの三大災厄を如何にし
て除去すべきや、ということが根本問題であるが、この問題解決に
私は自信を得たのであって、最も簡単なる事実を茲に説き明すので
ある。


 本教団に入信し、教化さるるに従い、心身の浄化が行われ、真の
健康者たり得ると共に、貧乏からは漸次開放され、尚闘争を嫌忌す
るに至る
事は不思議として誰も驚くのである。その殆んどの信徒は
年一年幸福者に近づきつつある事は、無数の事実が證明してゐる。


 私は他の欠点を挙ぐる事を好まないが、些か左記の如き事実を挙
げる事を許されたい。それは信仰をしつつ難病に呻吟し、貧困に苦
しみ乍ら満足し、喜んでゐるものがある
が、成程之等も無信仰者よ
りは精神的に救われてはゐるが、それは霊だけ救われて体は救はれ
てゐない
のである。即ち半分だけ救われてゐる訳で、
真に救われる
という事は、霊肉共に救われなくてはならない
。健康者となり、貧
困から脱却し、一家歓喜に浸る生活にならなくてはならない。然る
に今日迄の凡ゆる救いは精神を救う力はあるが肉体まで救う力はな
かった訳で、止むを得ず『信仰とは精神のみ救わるべきもの』とさ
れて来たのであろう。その例として宗教家がよく言う言葉に「現当
利益が目的の信仰は低級信仰である」
というが、之は可笑しな話で
ある。何人と雖も、現当利益を欲しない者は決してある筈がない。
又病苦を訴える者に対し「人間は宜しく死生を超越せざるべから
ず」
と言うが、これも聊か変である。何となれば如何なる人間と雖
も、死生を超越するなどという事は実際上出来得るものではない。
もし出来得れば、それは己を偽るのである。此事に就て私は沢庵禅
師の一挿話をかいてみよう。


 禅師が死に臨んだ時、周囲の者は「何か辞世を書いて戴きたい」
と紙と筆を捧げた。禅師は直ちに筆を執って『俺は死に度くない』
と書いた。周囲の者は「禅師程の名僧が此様な事をお書きになる筈
がない、何かの間違いであろう」
と再び紙と筆を捧げた。すると今
度は『俺はどうしても死に度くない』と書かれたとの話があるが、
私は此禅師の態度こと実に偉いと思う。其様な場合大抵は『死生何
ものぞ』というような事を書くであろうが、禅師は
何等衒う事なく
その心境を卒直に表わした
事は普通の名僧では到底出来得ない処で
あると私は感心したのである。


 次に、世間よく人を救おうとする場合、自分が病貧争から抜け切
らない境遇にあり乍ら宣伝をする人
があるが、之等もその心情は嘉
(ヨミ)すべきも、実は本当の行り方ではない、何となれば、
自分が救
われて幸福者となってゐるから、他人の地獄的生活に喘いでゐる者
を、自分と同じような幸福者たらしめんとして信仰を勧める
のであ
る。それで相手が自分の幸福である状態を見て心が動く、宣伝効果
百パーセントという訳である。
私と雖も、自分が幸福者の条件を具
備しなければ宣伝する勇気は出なかった
が、幸い神仏の御加護によ
って幸福者たり得るようになってから教を説く気になったのであ
る。


 地上天国とは、幸福者の世界でありとすれば、幸福者が作られ、幸
福者が聚(アツマ)る処、地上天国の実相
でなくて何であろう。



   真の強者 (光三十三号  昭和二十四年十月二十九日)

 今日口を開けば社会悪を言って歎くが、全く到る処悪人が多過ぎ
からである、吾々の経路を振返ってみると悪人との闘争史である
といってもいい程常に悪人からイジめられている、処が悪人の心理

をよく解剖してみると、決して無意識にやるのではない、承知の上
でやっている
のである、兇悪無類の大悪人は別だが、大多数の悪人
は悪い事はいけないと知りつつ、金が欲しい酒も女もいろいろな物
が欲しい結果、つい悪の道へ飛び込んで了う、一旦悪の道へ入ると
容易に抜け切れないのが一般悪人の通念である。


 勿論、法律は怖い、という事は知っていても、真面目では容易に
欲望を充たせ得られないから、法に触れないよう、
人に見られない
ようと細心の注意を払い苦心惨澹する、勿論嘘でも誤魔化しでも、
出来るだけ巧妙にやる
という訳で、漸次時の進むに従い技能は益々
発達
する為、うまく人を騙す位など朝飯前という事になる、処で
される方は善人が多いから諦めて了ふ、之をいい事にして益々悪事
を行う
と共に、此域に達すると真面目な事よりも悪の方が手っとり
早く成績を挙げるという訳になる、斯うなったのはなかなか足を洗
ふ処か漸次泥沼へはまり込んで了ふ、勿論此種の悪人は智能犯であ
るから比較的中流以上に多い
のも事実である。


 そうして人間は誰しも何等かの癖を有ってゐるもので、昔から人
は無くて七癖といふ言葉がある位だ、悪事は人を苦しめ不幸に陥し
罪を作るという事は、流石に悪人でも気は尤めるに違いない、又酒
を飲む癖もよけいな散財をし、生活も苦しくなり妻子にも泣きを見
せ、かわいそうだとは知ってゐる、又女が欲しいがよけいな金を使
はなければならないし悪性な病気を背負ふ危険もあり、親や妻に心
配をかける事も分ってゐる、博打や賭事をすると損する事の方が多
い事等、
悪い事はよく知り乍ら、どうしてもやめられない、制える
事が出来ない
、というのは殆んど経験のない人はあるまい、私の言
いたいのは此点である。


 悪いと知り乍ら制える事が出来ないというのは、制えつける力即
ち真の勇気が足りない
からである、此勇気こそ人間の最も尊いもの
である、私は常に人間向上すれば神となるという事をいうが、此
い事と知れば、それをピッタリ制御して了って、悪には絶対負けな
いといふ心の持主こそ其人は
立派な神格者
となったのである、全く
此力こそ真の力で、斯ういう力が本当の観音力である。

 以上の意味によって、「弱きものよ、汝の名は悪人なり」と私は
いうが、右によって了解さるるであらう。




  主なる病気(一) 脳疾患 (医革  昭和二十八年)

 之から主なる病気に就いてかいてみるが、近頃よく云はれるの
は、若い者は肺病、年取った者は脳溢血と相場が決ってゐるやうだ
が、全くその通りであって、結核の方はかいたから、今度は
脳溢血
に就いて詳しくかいてみよう。抑々此病気は男女共壮年から老年に
かけてのもの
で、人も知る如く発病するや頭脳朦朧、呂律が廻ら
ず、重いのになると目まで冒されるが、此病気は半身不随に決って
ゐる
のである。之にも非常に重い軽いがあって、重いのになると手
や指の節々まで硬直して自由が利かなくなり、足も歩けず、足首が
ブランとして着けなくなる。そうして先づ
此病気の原因であるが、
之は右か左の淋巴腺部に相当若い頃から固結(濁血の固まり)が出
来、或程度に達するや、突如として浄化発生し、之が溶けて頭脳に
向って溢血する
溢血するや忽ち反対側の方へ流下し、手足の関節
部に固る
ので、その速さは数秒位であるから、アッといふ間もな
く、実に恐ろしい病気である。その際
濁血は脳内にも残り、それが
脳的障碍を起す
のである。

 此病気も発病後何等手当もせず、自然に放っておけば、緩慢なる
自然浄化によって十中八、九は全快する
が、それを知らない為、慌
てて医療を始め種々の手当を施すので、其為不治となったり、生命
を失ふ事になる
のである。言う迄もなく凡ゆる療法は固め方法であ
り、暫くの間は小康を得られるが、何れは必ず再発するのは衆知の
通りである。それに引換え浄霊は溶かす方法であるから、早ければ
一、二週間位、遅くも二、三ケ月位で快くなる
が、医療を受けた場
合は、二回目は数ケ月、三回目は数年位で治るのである。併し今ま
では浄霊を知る人は少ないから、色々な固め療法を施す結果、浄霊
でもそれだけ時日がかかるので、つまり固った度合によって治るの
に遅い速いがある
訳である。


 そうして此病気は重症になると一回目で死ぬ人も往々あるが、軽
症は一旦小康を得ても暫くしてから二回、三回と起る事になるのが
殆んどで、そうなったら先づ助からない
と思っていい。処が医学で
は一回目の発病後少し快くなると、二回目の発病を恐れて極力身体
を動かさないやうにし、食餌も非常に減らすが、之は弱らす為であ
って、弱る程浄化が起らないから
である。そのやうにしてどうやら
命だけ繋いでゐる人も世間には随分あるやうで、之なども医学の無
力を表白してゐる以外の何物でもないのである。


 右は普通の脳溢血であるが、稀には逆中風というのがある。(之
は私が付けた病名である)それは脳に向って溢血しないで、逆に下
降する為、脳には異状はないが、片方の手足が不随となる症状
であ
る。然し之は割合治りいいものであるが、医師は此病原は全然分ら
ないとみえて、不得要領の説明でお茶を濁してゐるやうである。然
し之なども放っておけば、割合順調に治るものである。


 次に脳膜炎であるが、之は子供に多い病気で、症状は高熱と前頭
部の激痛と、眩くて目が開けられないのが特徴
であって、此事を知
ってゐれば素人でも診断はつく筈である。勿論浄霊によれば一週間
位で全治すると共に、よく曰はれる予後白痴、不具などには絶対な
らないばかりか、寧ろ病気前より頭がよくなり、児童など学校の成
績も丸で異ってくる。此理由は医療は毒素を固める為脳の活動を阻
害するが、浄霊は溶かして出して了ふからである。


 又脳溢血に似たものに脳卒中といふのがある。之は突発的であっ
て、発病するや数秒又は数分で死ぬといふ最も恐るべき病気で、昔
ハヤウチカタルといったのが之である。
原因は首の周囲の凝り即ち
固結毒素が或程度を越えると血管が強圧され、送血が急に停まり、
アッといふ間に彼の世往となる
のである。従ってその固結を溶かし
て了へば安心だが、それが不可能である為恐ろしがられたのであ
る。処が幸ひなる哉、此浄霊法が現はれた以上、最早簡単に予防出
来る事になったのである。


 次に近来流行の日本脳炎であるが、之は五才以上十才位迄の子供
に多い病気で、医学では蚊の媒介が原因としてゐるが、之は間違ひ
であって、本当は夏日炎天下に頭を晒す為、その刺戟によって首、
肩、背部一面にある毒素は、忽ち頭脳目掛けて集注する
。その際

髄部を見れば、棒の如き固結がある
からよく分る。故に浄霊の場合
之を溶かすのを専一とする
が、後から後から集注して来るので、随
分根気よく行らねばならないが、普通数時間乃至十数時間で、大抵
は好転し始める
ものである。その際溶けた液体毒素は頭脳を突き抜
け、
目や鼻から多量の血膿となって出るが、之も出るだけ出れば全
治する
のであるから、割合簡単で、今迄の経験上命に関はる事など
殆んどないのである。之も脳膜炎と同様、予後は頭脳明晰となり、
不具には決してならないから安心して可なりである。


又之に似た病気に脳脊髄膜炎がある。之も発病するや延髄部に棒状
な固りが出来、首の運動が不能となって、作りつけの人形のやうに
なる
からよく分る。つまり此病気は日本脳炎の手前と思えばいい。
之も浄霊によれば簡単に治るが、医療では固める結果反って重症と
なり、生命の危険にまで及ぶのである。


 右の外慢性頭痛、頭重、眩暈、朦朧感、圧迫感等の症状もあるが、
之にも二種ある。
脳貧血其反対である頭脳の微熱であって、之は
触れば
前者は冷たく後者は熱いから直ぐ分るし、どちらも嘔吐感
を伴ふ
事がよくある。勿論原因は首の周りの固りが、脳の血管を圧
迫するのが脳貧血
であり、浄化熱が別の方である。此様に浄化にも
固るのと溶けるのとの両方ある
から、之は充分知ってをく必要があ
る。そうして今日多い
神経衰弱右のどちらかであって、之も放っ
ておけば徐々として治る
が、薬その他の方法で固めやうとするか
ら、逆効果となって病気は益々昂進し、堪へられぬ苦痛の為、社会
的に惜しい人でも自殺をする人が往々あるので、之等の人々は医療
の被害者といってもいいのである。




 次の学びは、御垂示です。質問者の「お伺い」に対して、メシヤ
様が「お答え」になった質疑応答形式の「御教え」です。



  御参拝日の質問より  (御教え集1号  昭和26年8月8日)

(お  伺)私は昭和二十一年十二月御守を頂き、二十三年四月光明如
来様を奉斎。種々の御守護を頂き信仰をさせて頂いて居る者で御座
います。


 長女しげ子(二十五歳)が曩に柄沢家へ嫁ぎまして、婚家先の姑、
夫と共に二十三年五月入信
させて頂き、信仰の生活をしておりまし
たが、其後主人が解らなくなり猛烈に反対する
ので、二年程中絶し
ておりました処、去る三月しげ子の子供が御浄化を頂きまして隣村
田原先生方で御浄霊を頂き、二週間にてよくなり、其後主人には内
密で信仰を
致して居りました。


 去る四日午前十時頃しげ子が田原先生方で御浄霊を頂いておりまし
た時、突然俺の腹には、大狸が居るとか狐が一匹出たとか、其他い
ろいろ取るに足らぬ事を連続的に喋り続けるようになりましたの
で、やむなく主人にも来て貰い、私も招かれて行つて共に御浄霊を
続けさせて頂きましたが、中々癒らず、又主人に対しては俺と一緒
に信仰しろとか、御神体を奉斎してくれとか、尚先々代の人が信仰
した南無妙法蓮華経の御軸を返せとか、失礼な言葉で申して、此お
喋りは十二時間位続いて少し鎮まりましたので、一旦家に連れて帰
りました。そして翌日よりは大分静かになりましたが、時々変な事
を言つております。今後御浄霊をさせて頂くにも主人が反対なので
困りますが、御救を頂くには如何致しましたら、宜敷う御座います
か御教示下さいませ。


 ※「お伺い」に対して、読者の皆さんであればどのように答えま
すか。メシヤ様ならどのようにお答えになるか、自分なりに考えて
下さい。

     ※答えは、お陰話の後に掲載しています。



(お陰話)
  祖霊の戒告と霊夢に導かれる   
           『地上天国』59号、昭和29(1954)年6月15日発行
       福岡県嘉穂郡山田町下山田長野   明輪中教会土居シゲミ(34)

 明主様日々の御守護を有難く厚く御礼申し上げます。この度はま
た絶大な御守護を頂きまして、感謝新たな気持にてただ今拙文も省
みず、御浄化の御報告かたがた御礼申し述べさせて頂きます。


  私事、入信後約半年程経過致しました頃よりゲップの御浄化を頂
いておりました。私のゲップは特に激しく、初めて見られた方は随
分驚かれる程にて、発作中は俗に申します"のたうち回る"程の苦し
にて、激しくもだえ過ごす有様でございましたが、それも日毎の
御守護により楽にさせて頂いておりましたところ、去る 一月十三日
中教会本部に御参りの際、午後になり散会寸前よりゲップの発作が
起りました。


帰りの列車の発車時間が余すところなく、急いで中教会を辞し出か
けましたが、駅までの途中路上にて下腹部が引きつって、苦しく、
一生懸命急いで行こうと思いますものの、歩行困難にて歯をくいし
ばって頑張り一歩また一歩と、駅まで急いで行きますものの雨の日
のこととて道悪く、どんなにしたものかと存じおりました際。幸い
にも後方より三輪車が参り、御親切に「どうかなされたのですか、
お悪いようですが病院までお送り致しましょう」との事に丁度居合
わせた支部長誉多先生が「いいえ駅まで送って頂けば結構です」と
言って下さい まして早速駅まで送りつけて下さいました。地獄で仏
とはこのことかと嬉しく御守護を感謝申し上げました。


その後車中、支部長先生より御浄霊を頂きつつ稲築支部まで帰らせ
て頂きました。支部にて支部長先生並びに森光先生より御浄霊頂き
ますも、苦しみは益々激しくなるのみにて痛み苦しみをこらえよう
と、全身的に力を入れて我慢せねば、人様の前ではと存じますもの
の、苦しみの余り泣けてきまして、苦しむ事六、七時間その後御守
護により少し楽にさせて頂けましたが、 夜明けが待遠しい程でござ
いました。夜明けの寒いところを御疲れもおいといなく、支部長先
生の御浄霊を頂きました時は、何と申してよいか御礼の申し上げよ
うもございませんでした。午前七時過ぎ信者の菅原様宅まで帰らせ
て頂き、奥様の御浄霊を頂き大分楽にさせて頂きましたので、午後
四時過ぎ自宅まで御守護により車中無事に帰宅させて頂きました。
帰宅致しますや御神前にて、御守護を御礼申し上げます際は嬉し涙
が出て参りました。


 その後夜間よりまた発作が起り、苦しみ痛みは以前にも増してひ
どく
、母はただオロオロするのみにて、その間苦しみの中より色々
と反省
させて頂いておりました。と申しますのは以前御教えを頂き
ました
『信仰の合理性』の中に"御浄化は段々軽くなるのが本当だ
が、逆の場合は何か信仰に間違いがある"
とのことを思い出しまし
て、種々反省させて頂いたのですが反って分りません。


翌日夜、御神前にて"明主様、私は色々と反省させて頂いております
が、曇り多い私とて悟り得ませず誠に勝手な御願いではございます
が、信仰上何か間違いがございましたら、夢になりと御知らせ頂き
ますように"
と、お念じ申し上げ床につかせて頂きました。


その後、数分位にて眠りに入らせて頂いたと思います。眠りにつく
と同時に夢を見せて頂き余りにも夢が恐ろしく目覚めた後もありあ
りと忘れ得ぬまま、色々と反省させて頂きました。夢と申しますの
は左に記させて頂きますが、何分にも充分に表現でき得ませず御判
じ下さいませ。


 ――私が休んでおりますと、急に体が空に浮き真逆様になり、数
千尺もあるかと思われる高所より斜にサッと落ちて行きます。
真逆
様ですからその恐ろしい事と申しましたら、
ただ単に恐ろしいだけ
でなく無気味な、本当に何とも表現できぬ程の驚愕、恐怖感で一杯

でございました。

次に場面が変り薄暗い小さな部屋に連れて行かれました。部屋には
何もなくただ釜が据えてあるのみで、無気味な部屋でございまし
た。すると
その釜へ何者か私を掴み入れようと致しますが(後方で
すから私には何者か判明致しませんが、私は鬼だろうと思いまし
た。釜には火気なし)私が大きなため釜に入りません。それで手前
の方に坐らせられました。その時私は明主様にお念じ申し上げまし
て、
私がこんな地獄へ(私は地獄だと思いました)落ちるのは原因
あっての結果
とは存じ、すでに覚悟はしているものの何故でしょう
か、
私は余り人様に悪いことは反って致しておりません。長年看護
婦を職
としておりましたことを罪と悟り、現在は御神業の一端にお
使いさせて頂き、罪の償いをさせて頂きますよう御縋り致している
毎日でございます
がと、涙を流してお願い申し上げておりますと、
また場面が変り次の部屋に連れて行かれます。


そのところにやはり薄暗い小さな部屋がございまして。風呂が据え
てあるのみです。風呂には湯が一杯入っております。(温度は丁度
よく摂氏四十度位と思われました)その
湯の中に今度はまた何者か
が私の首を握り、両手ですっぽり漬けてしまいました
。私は観念致
し静かな気持で"明主様申訳ありません、愚かな私は
現在に至るま
で、格別の御使いもでき得ず
御赦し下さいませ。霊界にまいりまし
たらこの身の罪穢お赦し下さいまして、現界にて御使い頂きますよ
うに"
と、一生懸命御念じ申し上げておりました。その間も私は首を
ぐんぐんしめつけられております。もうこれが最期と思いました。


その時でございます。後方より綺麗なとても綺麗な声で私の名を呼
びます。ハッと致しますと同時に私の体は風呂の外に出して頂いて
おりました。同時に後を振り向きますと、私のいる所より一段下の
方に沼のような(私は血の池地獄と思いました)中に四、五名程苦
しそうにうごめいております。私はああ可哀想にと我が身のことも
忘れ思いました。同時に
一条の光明がパッと薄暗い小部屋に差込ん
きました。ああ光明だと嬉しさの余り前方を見ますと、どなたか
が立っておられるように思われます。私は観音様かと思いましてよ
く見ますと、教会の森光先生が立っておられました。まあ先生と嬉
しさの余り叫びますと同時に目が覚めました。――


 目覚めまして時間を見ますと余り時間は経過致しておりません。
短時間に走馬燈のごとくに見せて頂いた霊夢を、自己反省と種々考
えてみますけれど、余りの恐ろしさに感じが纏まりませず、
罪穢多
い我身が恐ろしく、薄い愛の心を悟らして頂き、博愛の心で進む

く存じました。翌日ふらつく身をバスにて教会に御礼参りに出掛け
まして、御神前にて御詫び申し上げました。


先生に夢の件について御尋ね致したいと存じましたが、信者さんが
参っておられます事とて遠慮申し上げ、帰途につきましたが、途中
足がふらつきどうしても歩けませんので、また信者の菅原様宅に御
邪魔になり、翠朝教会にお参りさせて頂きました。丁度支部長先生
がお見えになっておられましたので、夢の件につきお尋ね致しまし
たところ
「土居さんそれは霊夢ですよ。何かあなたは今想念的に間
違いがある
のです。あなたは長い間邪神の御手伝いを知らぬと言え
してきたのですから、その
罪をよく認識して人の数倍神様に御使い
頂くように心掛け
ねばなりません」
と諄々と諭されました時は、我
が身の愚かさにまた悲しくなる程でした。


 その後先生より御浄霊を頂いておりますと霊動あり、土居家の祖
霊らしき方が出られまして随分苦しんでおられる様子でございまし
た。先生より色々と諭されますと解脱したようで、その時より私は
急に楽にして頂き、今まで四、五日経つと足を取られ、力なく困っ
ておりましたが急に立てるのです。嬉しさの余り御部屋を歩き回っ
てみましたが、不思議に何ともありません。全く夢のようでござい
ます。
今後どんなことがありましょうとも、一生懸命お道のため尽
くさせて頂きますと、御神前に御守護を御礼申し上げ、御誓い致し
帰宅させて頂きました
。まるで今までの自分ではなく人の体を貸し
て頂いているようでございました。気分的にも大変に楽にさせて頂
き、心身共に現在に至るまで軽々と御神業の一端に使って頂いてお
ります。悩み多き現世において、
何物にも代え難いこの偉大なるお
道にお縋りでき得ます今日
、過去を振返りみます時、ただただ恐ろ
しく
白衣の友を見る毎に、何とか一日も早く目覚めさして上げたい
と、ひたすら思う毎日
でございます。

 日一日と近み来る最後の大峠に、何物も忘れ専心御神業に御使い
頂き、御聖業の一端に御役に立たせて頂けば幸いかなと念願致して
おります。

 明主様有難うございました。



  お伺いの答え  〔御 垂 示〕
                (御教え集1号  昭和26年8月8日)

 困りますね。之は、御主人が反対している中はすつかり治らない
でしようね。何しろ一家の主人と云うものは、そこの家族なり家の
全部の全権を握つているんですからね。ですから、風邪ひいたとか
鼻の痛いとかは内緒で治ります
が、之は霊的にも色々あり、祖先の
中――狐ですね。之は日蓮宗の狐ですよ。之が相当執着を持つてや
つている
から、こう云うのは仕方がないから、相当
行く処まで行か
なければ駄目
ですね。然し信仰をやめると云う訳にも行かないし困
るのですよ。
一家にそれだけのものがあるので、――メグリです
ね。


之は、御主人は信仰しなくても良いから、時々教会に行く丈の許し
――家の仕事に差支えのない限り、教会に行く許しを得て、そうし
神様にお願いしていると、御主人が信仰しなければならない様な
事が起ります
よ。御神体を奉斎していないね。やつぱり祖霊が、つ
まり狐や狸になつて救われたいと云う点があります
ね。それで、気
をつけたいと云うので、困らせ様と云う、――それがありますね。
だから、内緒は――立派な事をするのに内緒は面白くない。ですか
ら、それだけを許して貰い、よくお願いすると、きつと良くなりま
すよ。御主人も判りますよ。

                       (終わり)