このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成26年10月度 ミニ講座

今月の御教えの学びは、「御教え集」御講話の抜粋の御教えで
す。よろしくお願いします。



【御教え集12号】昭和27年7月27日    【御 教 え】

 お医者が病気を作るという事は始終言つてますが、之は凡ゆる方
面がそうなつてます。そういつた様な間違つた事、そういう事の

の根本は悪
です。ですから何うしても悪というものを、つまり無く
しなければならない
訳です。で、この悪というものは色んな方面に
現われてますが、今悪の根本を書いたのですが、世の中の色んな

間の苦しみというものは凡そその因(モト)は悪
です。あんまり悪が多
過ぎる為に、割合人間は気易くなる。処が良く考えてみると兎に角

薬が色々な病気を作るという事は立派な悪です。処が斯ういうもの
は、やつている人が善と信じて悪を行うのですから、之が始末が悪
のです。人をやつつけたり、泥棒したり暴力を振つたりするの
は、之は実際分り切つた悪ですが、斯ういつた
善と信じて行う悪が
一番恐ろしい
のです。


医学は善と信じて行う悪ですし、今の役人は善の仮面を被つて悪を
行う。要するに法律を悪用してやるのです。ですから法律の目的は
善なのですから、つまり
善を悪に利用するのです。そういう悪で
す。政治でも、破防法案――之は悪を善が取締るという訳ですが、
然し之も大いに反対がありました。何んだというと、反対の方にも
悪いのと良いのとあります。共産主義の方の活動の方は之は悪の方
であるし、又善の方は、治安維持法みたいに官憲の方で悪用して、
罪なき人民を苦しめるという事があつては困るという反対です。で
すから反対の方にも善悪があるのです。というのは、昔治安維持法
なんかで、大いに悪に利用するという事を人民は大いに経験させら
れている為にスラスラと行かなかつた。そういう事は何かという
と、みんな悪です。若し悪というものが無かつたら世の中は簡単な
良い世の中になります
。やれ食い物が足りない。不景気だとか、働
いても働いても食えないという事は、その根本はみんな悪です。肥
料によつて米が穫れないという事も、之はつまり
悪を善と信じてや
つている
訳です。それを分らせ様と思つて我々は骨を折つている
です。そうして色んな――税金が高いとか何んとか言う。政府で、
金の要る――歳出なんかでも、悪による歳出の方がずつと多いので
す。



大体、今伝染病が非常に流行る。それを防止する為に――一人赤痢
が出るとかいつても、それに対する係が何人要るか分らないし、
で、其為に自動車で行くとか消毒するとか、色んな事を言つて大変
なものです。ですから結核が増えるというと、療養所を作らなけれ
ばならない。ベツトを作り、色んな施設から予防とか色んな事をす
る。之は何んだというと、元は悪を善と信じてやつている結果です
から、やつぱり因は悪です。そういつた――警察制度とか裁判所、
社会施設――そういう色んな――数えあげたら切りがないが、
不幸
な人間が出来る
。社会事業とか未亡人問題だとか色々あります。そ
れ相応の結果苦しみが出る。そういう――戦争の結果は、
その因は
悪です
。人の国を占領するとか掠奪するとか、そういつた悪が因で
出来たものです。悪に依る人間の被害と苦しみは細かく勘定したら
大変なものです。若し悪というものが半分に減り三分の一に減ると
したら、税金だつてそれ相当に減ります。



だから悪を無くするという事は何うしても宗教でなければならない
のです。悪というのは心の問題ですから、心の問題を解決するに
は、之はやはり信仰より他にない
のです。之は、理窟はそうだが、
力のない処の信仰、お説教の様なものでは――それは無いよりは
ましだが、とても悪の方が力が強くてそれをやつつける事は到底出
来ない。
だから色々な機関や組織は旨く出来ているのですが、それ
を悪が利用するから、何うしても悪というものを減らす――全然無
くすという事より他にないのです。処がそれに気が附きそうなもの
だが、案外そういう事に気が附かない。気が附かない筈です。そ
の、気が附くべき人の中にやつぱり悪があるから、やつぱり都合が
悪い。それで悪というものは仕様がないと諦めているのです。諦め
ているというのは何かというと、凡ゆる宗教が諦めている。で、今
迄は何うしても善の方が悪に敵(カナ)わない。そういう事を之から書
いて行こうと思つて、最初の処を一寸書いて置いた。




     天国建設と悪の追放
            (栄百六十九号  昭和二十七年八月十三日)

神の目的である此世界を天国化するに就ては、一つの根本条件が
ある
。それは何かというと、現在大部分の人類が心中深く蔵されて
いる悪そのもの
である。処が不可解な事には、一般人の常識からい
っても悪を好まず、悪に触れる事を非常に恐れるのは固より、昔か
ら倫理、道徳等によって悪を戒め、教育も之を主眼としている。其
他宗教に於ても其教への建前は善を勧め悪を排撃するにあり、世間
を見ても親が子を戒め、夫は妻を、妻は夫を、主人は部下に対して
もそうであり法律もそれに刑罰を加えて、より悪を犯さぬやうにし
ている。処が之程の努力を払っているにも拘わらず、事実此世界は
善人より悪人の方が、どの位多いか分らない
程で、厳密に言えば恐
らく十人中九人迄が悪人で、善人は一人あるかなしかという状態で
あろう。



 併し乍ら単に悪人といっても、それには大中小様々ある。例えば
一は心からの悪、即ち意識的に行う悪二は不知不識無意識に行う
三は止むを得ず行う悪四は悪を善と信じて行う悪である。之
等に就て簡単に説明してみると斯うであらう。一は論外で説明の要
はないが、二は一番多い一般的のものであるし、三は民族的には野
蛮人、個人的には白痴、狂人、児童の精神薄弱者であるから問題と
はならないが、
四に至っては悪を善と信じて行う以上、正々堂々と
して而も熱烈であるから其害毒も大きい
のである。之に就ては最後
に詳しくかく事として次に善から見た悪の世界観をかいてみよう。



 衆知の如く現在の世界を大観すると、悪の方がズッと多く、全く
悪の世界
といってもよからう。何よりも昔から善人が悪人に苦しめ
られる例は幾らでもあるが、悪人が善人に苦しめられた話は聞いた
事がない。此様に
悪人には味方が多く、善人には味方が少ない
で、悪人は法網を潜って、大腕ふりつゝ世の中を横行するに反し、
善人は小さくなって戦々兢々としているのが現在の世相
である。此
様に弱者であるが為、善人は強者である悪人から常に迫害され、苦
しめられている不合理に反抗して生れたのが彼の民主々義であるか
ら、之も自然発生のものである。日本も右の如く長い間封建思想の
為、弱肉強食的社会となって続いて来たのであるが、幸いにも外国
の力を借りて、今日の如く民主々義となったので、此点自然発生と
言うよりも、自然の結果といってよかろう。というように此一事だ
けは珍しくも、悪に対して善が勝利を得た例である。然し乍ら全体
から言えば、外国は兎も角日本は今の処生温(ナマヌル)い民主々義でま
だまだ色々な面に封建の滓(カス)が残っていると見るのは、私ばかり
ではあるまい。



 茲で悪と文化の関係に就てもかいてみるが、抑々文化なるものの
発生原理は
何処にあったかというと、古えの野蛮未開時代強者が弱
者を圧迫し、自由を奪い、掠奪殺人等思うがままに振舞ふ結果、弱
者にあってはそれを防止すべく種々の防禦法を講じた。武器は固よ
り垣を作り、交通を便にする等、集団的にも個人的にも、凡ゆる工
夫を凝らし努力したのであった。之が人智を進めるに役立った
事は
勿論であろう。又其後に到って安全確保の為、集団的契約を結んだ
のが、今日の国際条約の嚆矢(コウシ)であろうし、社会的には悪を制禦
するに法の如きものを作り、之が条文化したのが今日の法律であら
う。処が現実はそんな生易しい事では、人間から悪を除く事は到底
出来なかったのである。之によってみても
人類は原始時代から悪を
防止する善との闘争は絶える事なく続いて来た
のであるから、何と
不幸な人類世界であったであろうか、此為如何に大多数の善人が犠
牲にされたか
は誰も知る通りである。そこでそれらの悩みを救おう
として、時々現われたのが彼の宗教的偉人であった。というのは弱
者は常に強者から苦しめられ通しであり乍ら、防止の力が弱いの
で、せめて精神的なりとも不安を無くし希望を持たせると共に、悪
に対しては因果の理を説き、悔い改めさせやうとしたので、多少の
効果はあったが、大勢はどうする事も出来なかった。



処が一方唯物的には悪による不幸を防止せんとして学問を作り物質
文化を形成し、此進歩によって目的を達しやうとしたのであるが、
此文化は予期以上に進歩発展はしたが、最初の目的である悪を防止
するには役立たないばかりか、反って悪の方でそれを利用して了
い、益々大仕掛な残虐性を発揮するようになったのである。之が戦
争を大規模にさせる原因となり、遂には原子爆弾の如き恐怖的怪物
さへ生れて了ったのであるから、斯うなっては最早戦争不可能の時
代となったといえよう。之を忌憚なくいえば
悪によって物質文化が
発達し、悪によって戦争不可能の時代を作った
ので、洵に皮肉な話
である。勿論
其根本には深遠なる神の経綸があるからで、此点よく
窺われるのである。そうして
精神文化の側にある人も、物質文化の
側にある人も共に平和幸福なる理想世界を念願している
のは勿論で
あるが、それは理想のみであって現実が仲々伴わないので、識者は
常に疑問の雲に閉され、壁に突当っているのが現状である。中には
宗教に求め哲学等によって此謎を解こうとするが、大部分は科学の
進歩によってのみ解決されると確信している。然しそれも確実の見
透しもつかないで、未解のまま人類は苦悩を続けているのである。
としたら世界の将来は果してどうなるかという事を、私は之から徹
底的に説いてみようと思うのである。



 前記の如く悪なるものが、人類不幸の根本原因であるとし
たら、
何故神は悪を作られたかという疑問が湧くであろう。之が今
日迄最も人間の心を悩ました問題である。処が神は遂に此真相を明
かにされたので茲に発表する
のである。先づ第一今日迄何故悪が必
要であったかという事である。というのは
悪と善との争闘によっ
て、現在の如く物質文化は進歩発達し来った
といふ何と意外な理由
ではないか。処が
此様な夢想だも出来ない事が実は真理であった
である。それに就ては先づ戦争である。戦争が多数の人命を奪い、
悲惨極まるものなるが故に、人間は最も之を恐れ、此災害から免れ
ようとして最大級の智能を絞り、工夫に工夫を凝らしたので此事
が、如何に文化の進歩に拍車をかけたかは言う迄もない。何よりも
戦争後勝った国でも負けた国でも、文化の飛躍的発展は歴史がよく
示しているからである。然し乍ら戦争が極端に迄進み、長く続くと
なれば、国家は滅亡の外なく、文化の破壊ともなる以上、神は或程
度に止め、又元の平和に立ち還えらすので、此様に戦争と平和は交
互に続いて来たのが、世界歴史の姿
である。又社会を見てもそうで
あり犯罪者と取締当局とは常に智慧比べをしているし、個人同士の
ゴタゴタも其因は善と悪との争いから
であって、
之等の解決が人智
を進める要素ともなってゐる
のは分るであろう。


 此様に善悪の摩擦によって、文化が進歩すれば、今日迄は悪も大
いに必要であった
訳である。併し乍ら此悪の必要は決して無限では
なく限度がある
事を知らねばならない。之に就ては順次説いてゆく
が、先づ
肝腎なことは、此世界の主宰者たる主神の御目的である。
之を哲学的に言えば絶対者と、そうして宇宙意志である。彼の
キリ
スト始め各宗教の開祖が予言された処の世界の終末であるが、之も
実は悪の世の終末の事であった
のである。そうして次に来るべきも
のが理想世界
であって、病貧争絶無の地上天国、真善美の世界、ミ
ロクの世等々、名は異るが意味は一つである。というように之程の
素晴しい世界を作るとしたら、それ相応の準備が必要
である。準備
とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の完備

ある。それに対して神の経綸は物質面を先にされた事である。とい
うのは
精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられるが、物質面の
方はそうはゆかない。非常に歳月を要するのは勿論であるからであ
る。然も其条件として先づ第一に神仏の実在を無視させ、人間の精
神を物質面に集中させた事で、其意味で生れたものが彼の無神論で
ある。というやうに悪を作るには無神論こそ最も根本的であるから
である。斯くして勢を得た悪は益々善を苦しめ、争闘を続け人間を
して苦悩のドン底に陥らしめたので、人間は常に這上らうとして足
掻(アガ)いてゐる。之が文化の進歩に大いなる推進力となったのは勿
論で、悲惨ではあるが止むを得なかったのである。



 以上によって善悪に就ての根本義は分ったであらうが、前記の如
愈々悪不要の時が来たと共にそれが今日であるから容易ならぬ問
題である。然し之は臆測でも希望でもない、現実であって、信ずる
と信ぜざるとに拘わらず、それが最早人の眼に触れかけている
。即
ち原子科学の素晴しい進歩である。従って若し戦争が始まるとした
ら、今度は戦争ではなく、一切の破壊であり、人類の破滅である
が、之も実は悪の輪止まりであるから寧ろ喜んでいいのである。而
も此結果今日迄悪が利用して来た文化は一転して善の自由となり、
茲に待望の地上天国は生れる段階となるのである。』



 今読んだ通り、今迄は悪が必要だつたです。ですから私が、此
の主なる働きと言いますか、
それを長い間に神様から見せられた
です。
ですから、私は若い時分から凡ゆる病気をしたのです。それ
は数えあげたら――身体中の病気をしてます。病院にも三度入院し
ましたし、覚悟をして遺言迄したのが、やつぱり三度位あります。
そうして最後に歯ですが、之は未だにすつかり治つていません。今
もつて浄霊してますが、今年で三十七年になります。三十七年前に
入れた薬の、その為に頭は悪くなるし、今喋るにもはつきり喋れな
いのは、入歯の関係ですが、入歯を歯医者に診せると、何うしても
抜かなければならないと言うのです。私は抜かない積りで浄霊して
いると、段々抜かなくて済む様になつて来ている。もう少しする
と、抜かずに入歯出来る様になる。此処の歯医者ですが、女中に言
うのです。明主様は――もうとうにお入れにならなければならない
が――。反つて此頃は工合が良いですと言うと、不思議だなと言つ
ている。そんな様な工合で、歯がグラグラになつていた。私の歯は
薬毒が入つているので、それでグラグラしたのです。その薬毒が取
れるとグツと締つて治ると思つているのです。此頃はグツと締つて
来てますから、もう一息です。そんな様な工合に薬毒の経験――病院
に行つて全身麻酔で手術した事もあります。其時分には注射は余り
無かつたですから、注射丈はしなかつたですが、凡ゆる事をみんなや
りました



 そうして今度は薬毒の害を知つて、更に神様は司法制度――警察や
裁判所、そういう悪を段々見せられた。豚箱やそういう事も散々経
験しました。それから刑務所に行つて、そういう方面の悪は実に良
く分つた。然し、斯ういう悪は私は割に少い方で、一番酷い目に遭
つたのはキリストです。キリストなんかは、まるで――あの時代は
そうなつていたか知らないが、ユダの讒言に依つて、あの時の王様
がキリストを陰謀の親方と思つて、そうして磔にしたのです。日本
の宗教家でも沢山あります。ですから私が何百年前に斯ういう事を
やれば、遠島は無論です。八丈ケ島辺りに――。で、明治近くなつ
てから、天理教の教祖は警察や牢屋に入つたのが十六回です。懲役
――そんな様なものが四回ありました。一番長かつたのが確か半年
だつたと思う。其時分には信仰の自由はないし、目茶苦茶です。今
では之で余程良いです。以前ですと、未だ罪の決らない内に美術館
なんて、とてもそんな事は出来ない。そんな様な工合で、神様は色
んな経験をさせられた。去年も刑務所に行つた時に、直ぐ隣が、塀
一つですが、懲役人が鍬を持つて労役をやつてましたが、懲役とは
斯んなものかと、神様はこゝまで見せられるのかと、つくづく見せ
られました。
そんな様な工合で、色んな見学をさせられました。



で、結局に於て悪です。其悪の内で一番深刻なのは薬です。処
が何ういう訳で薬というものが出来、飲ます様になつたのかという
と、此薬を飲ませたのは観音様です。観音様が薬師如来になつて薬
を飲む様にした
のです。というのは人間が原始時代には非常に――
獣みたいな人間だつた。獣と闘うのですから獰猛だつた。人間の進
化の最初は、獣との闘いです。それを防禦する為の闘いが最初で、
これで人間は余程智恵というものが出て来た。
神様が拵えられた最
初の人間はボーッとしたものですが、段々智恵を磨く
のです。そう
して地上天国を造る
のです。それには何うしても悪を作つて善と闘
わすという手段をとつたのです。



獣との闘いが済んだら、今度は人間との闘いです。之は歴史にもあ
りますが、野蛮人同志の闘いです。よく映画にもありますが、我々
も何千年何万年前はそうだつたのです。それには何うしても悪人と
いうものを作らなければならない。善人だつたらそうはしないか
ら、文化も発達しないし智恵も発達しないのです。それからもう一
つは、争闘させて或る程度人間の智恵が出来ると、今度は人間を弱
らせなければならない。弱らせると非常に智恵が発達する
のです。
というのは人間が健康ですと、何処に行くのにも駈出しても歩いて
も平気ですから、交通なんてあんまり関心を持たない。人間が弱つ
て来ると、とてもやり切れない、楽をして遠くに行くという様にな
る。それから今読んだ様に、戦争を作るというのは何うしても野心
家――何んなに悪い事をしても、何んなに多勢の人間を殺しても、
そこを掌握するという様な野心です。だからしてそれをこつちが防
ぐ為に大いに智恵を振つて、そういう方法をとらなければならな
い。そこで色々な立派な発明も出来るし、智恵もドンドン進むので
す。その結果原子爆弾の様な――それは発明としたら、今でも一番

素晴しいものです。


ですからそういつた英雄という者も必要なのです。で、人間がそれ
ではあんまり可哀想だし、それでは反つて悪の世界になるから、そ
れで宗教というものを拵えた。それで、それをそれではいかんと因
果応報の理由なんか説いて、或る程度悪の膨大を制限する――そう
いう人が宗教家というのです。
こゝ迄人智が発達し、こゝ迄色んな
物質文化が発達すると、之以上になると今度はあぶなくなる。人類
の破壞になりますから、こゝらで止(ヤ)めて、今迄の物質文化を良い
方に使う。そうして神様の最後の目的である理想世界――地上天国
を造るというその時期になつた
のです。そこで今迄の色んな間違つ
た事を分らせ、そうしてそれを無くさなければならない
。ですから

病気は薬毒だ、間違つていると言つた処で、斯うして(御浄霊)治
す。それを見せなければ人間は信じませんから、斯ういう治す力を
私に与えて、医学や薬の誤を知らせるという意味で、それが根本の
意味
です。


それからもう一つは、今言う悪というものは、之からその説明をや
るのですが、之は心に働いている悪というのは簡単です。之は信者
は良く知つてますから、そう精しく説明する必要はないが、つまり
人間に憑依している副守護神――動物霊がやるのだから、そこで悪
を制限するには動物霊を弱める。動物霊を弱めるには霊の曇の多い
少い――曇が多ければ、動物霊は根本的の悪のものですから悪をさ
せる。
動物霊を或る程度抑えるには光です。光とは魂の光です。そ
れには曇を取らなければならない。だから
悪の因というのは、結局
霊の病気
になる。つまり体の病気が毒血で、霊の病気が曇です。で
すから
曇をとるという事になる。
浄霊するという事は、肉体の病気
ばかりでなくて、霊の病気も一緒に取つて呉れる。浄める訳です。
ですから浄霊という。
霊が浄まると副守護神が弱りますから――副
守護神ばかりでなく、臨時に憑く霊もありますから、憑いても弱る
から、その霊は悪い事をしない。そういう事になる。そういう風に

人間が曇が取れて動物霊の力が弱ると、悪人が無くなつたという事
になる
。そうすると今でもミロクの世になつて了う。
それが根本
す。理窟から言つても良く分るのです。決して難しい事でも何んで
もない。



では、斯んな簡単な理窟が何うして分らないかというと、その人の
霊が曇つているから
です。副守護神が邪魔するからです。之は御蔭
話によく書いてあるが、よく解つているのだ。分つていながら何う
しても信仰に入れないというのがよくある。分つているというの
は、其人の本霊が分つている。処が、分つていて何んだ彼んださゝ
やく様に思わせる。それが副守護神
です。だからそういう点で、始
終浄霊していると良く分る。そういう様な意味を之から段々普通の
人にも分る様に書いていく積りです。ですから結局
肉体の病気と心
の病気と両方治す
そうすると、心の病気を治すと、悪が無くなる
から世の中が良くなる
に決つている。そう難しい事はない。分つて
みれば簡単なのです。話はその位にして――。



《お陰話》

 地上天国近き吾家     
                   『地上天国』1号、昭和23(1948)年12月1日発行
                                  愛知県知多郡師崎町師崎  教師補 岡崎智恵子(44)
 顧りみますれば、去る十九年六月、当時私の信用していました人
より、有難き事実を見せられまして、直ぐ名古屋にて教修を受けさ
せて頂きました。それまでは医学にのみ頼り針の先の如き事にも医
者へ走り、体温計等はいつも襟にはさんでいる位でした。私は丁度
二年半、恥骨カリエスと云う診断をされました、生きた屍の如く、
寝たり起きたりして、ようやく杖にすがり歩く程
でございました。

その痛みと恥しさに悲観の極泣くより外なく家内中真暗でした。遺
言も何回言ったか知れません。あああの時を思い救われた今日を考
えますと涙がとめどもなく流れ、筆は、震えて参ります。この大き
な御力を観音様の妙智力とは知りませんでした。


 当時中京の渡辺先生より浄霊を受けよとの御指導の許に、一生懸
命実行させて頂く中、日一日と目立って快方に向い、渋井管長先生
の御教修を御願い出来る幸福者となり、知多半島の最高端たる私宅
に御光来下さいまして、毎月毎月御願いしまして今日に及んでいま
す。
足掛五年その間、色々の目で他から見られましたが、信の力に
は打勝つものもなく、輝かしい希望にみちた今日
となりました。


 教修後四ケ月目に、幸いにも私等夫婦は大先生の熱海へお移りの
日に御面会させて戴き、新しい御風呂にまで入れて頂き身に余る光
栄に浴したので御座いました。その帰途、大暴風のため小さい私の
村にても、舟が百隻も砕けてしまいましたので、遂々主人と二人に
て三里の長い田舎道を歩いて家に帰りました。本当にお風呂へ入っ
たり、旅行をしたり、永い途を歩いたりすると云う事は、夢にも見
る事の出来なかった自分達にとりまして有難さに嬉し泣きとはこの
事でございました。その感激は一瞬も忘れる事はありません。


     其頃を顧みすれば恐ろしも  闇路杖なくさまよひし吾
     断崖の行手にあるが知られけり  神の光りに恵れてより

との御讃歌を涙をこぼして歌わせて頂いております。私も少しでも
御心に報ゆるべく毎日御用にいそしみ、他は何も考えた事はありま
せん。


     御恵みの万分の一に届かねど  誠のみしるし受けさせ給へ
     拙くも誠に出づる言の葉は  人を動かす力ありけり

を体しまして、走り歩いていますが、今ではカリエスの「カ」の字
の跡方もなく実に鮮かに全快の有様でございます。
自分の命や一家
族を御救い頂いた許りか、多くの人々をも癒し感謝を受けられる身
にならせて頂き
教師補の御許しまでも頂き実に身に余る光栄と一
家一同喜びに浸っております。また長男は本部で御修行させて頂
き、何と御礼の言葉もありません。
日一日と地上天国の出来ゆく、
その中に御用させて頂く一家族は何たる幸福
でございましょう。
来る限りの御用を御願申し上ます。


     如何にしてあゝ如何にして報ゆべき  命給ひし幸を思えば

の御歌はげに私の事でございます。救われて一家族は命がけにて御
用させて頂きたく思います


     小さなる人のまなこに映らめや   大天地を正す仕組の

のお歌もよく判るように思えます。