平成25年9月度 ミニ講座

私というもの   (自叢十二  昭和二十五年一月三十日)

 曩に、「私の観た私」という論文を書いたが、先の客観論と違い、
今度は主観的にありのままの心境を描いてみようと思う。


 現在私ほど幸福なものはあるまいと熟々と思い、神に対し常に感
謝で一杯
だ。之は何に原因するのであろうか。

成程私は普通人と違い、特に神から重大使命を負わされ、それを遂
行すべく日夜努力しており、それによって如何に多数の人々を救い
つつあるかは、信徒諸士の誰もが知る処であろう。


処が私のような特殊人でない処の普通人であっても、容易に行われ
幸福の秘訣があるから、それを書いてみるが、書くに当って先
づ私の常に抱懐している心裡を露呈してみよう。


 私は若い頃から人を喜ばせる事が好きで、殆んど道楽のようにな
っている
私は常に如何にしたらみんなが幸福になるかということ
を念っている
。之に就て斯ういう事がある。私は朝起きると先づ家
族の者の御機嫌はどうかという事に関心をもつので、一人でも御機
嫌が悪いと私も気持が悪い
。此点は世間と反対だ。


世間はよく主人の機嫌が良いか悪いかに就て、何よりも先に関心を
もつのであるが、私はそれと反対であるから、自分でも不思議のよ
うな、残念のような気もする。


こんな訳で、罵詈怒号(バリドゴウ)のような声を聞いたり、愚痴や泣言
を聞かされたりする事が何よりも辛い
のである。又一つ事を繰返し
聞かされる事も随分辛
い。どこ迄も平和的、幸福的で執着を嫌う。
之が私の本性
である。

 以上述べたような結果が、私をして幸福者たらしむる原因の一つの
要素
であるという理由によって、私は、「人を幸福にしなければ、
自分は幸福になり得ない。」
と常に言うのである。
 私の最大目標である地上天国とは、此私の心が共通し拡大される
と思っている。此文は些か自画自讃的で心苦しいが、聊かでも裨
益する処あれば幸甚である。




    幸運の秘訣   (栄二百四十六号  昭和二十九年二月三日)

 この事に就いて私は以前もかいた事があるが、今日の世の中を見
れば見る程不幸な人が余りに多いので、一層徹底的にかいてみるの
である。言うまでもなく昔から人間の運不運程厄介な問題はあるま
い。誰しも人心がついてから死ぬまでの間、この考えから離れられ
ないのが人間としての必然性であろう。


というのは最も分りたいと思う事程、最も分り難いのが世の中の常
であるからで、少しでも分るとしたらこれ程結構な事はあるまい。
処が、幸いなる哉私はこの根本がハッキリ分ったのである。それば
かりか実地経験によっても少しの間違いはないので、茲に確信を以
て説く
のである。


 それに就いては誰も知る通り、一口に運といってもこれ程茫漠たる
掴え処のないものはあるまい。然も自分ではどうにもならないの
で、あなた委せより致し方がないのは勿論で、これが運というもの
であろう。誰かが言った"人生は大賭博なり"とは宜なる哉である。


従ってどんなに偉いといわれる人でも、一応は諦めてはいるが、
中々悟りきれないもので、これが人間の宿命とでもいうのであろ
う。そこで何とかして幸運を掴みたい一念から活動も出来る訳であ
る。それが為ありもしない智慧を絞り、欲しい成りたいの苦労のし
つづけで終るのが人生というものであろう。


そうして運位皮肉なものはない。掴もうとすればする程逃げてしま
。西洋の諺に"幸運のチャンスは前髪のようなもので、通る瞬間掴
まないとお終いだ"というが全くその通りである。


 私の長い経験によっても、という奴に始終からかわれているよ
うな気がする。
訳なく掴めそうで中々掴めない。目の前にブラ下っ
ているから手を出すとスルリと抜けてしまう。追いかけようとすれ
ばする程逃足の速い事、全く始末の悪い代物
だ。


処が私はこの運という奴を確実に掴えたのである。だがそれを説明
するに当って困る事には、信仰者ならイザ知らず、一般人には中々
分り難い点がある。というのは物を見る場合上面だけを見て中身を
見ない事で、否見えないのである。


処が運に限って因は中身の方にあるのだから、これが分らなければ
運は決して掴めない。という訳は人間が肉体を動かす場合、肉体自
身が動くのではなく、中身にある心が動かすのであるから、
幸運も
それと同様中身が肝腎
である。その訳を詳しくかいてみよう。

 先ず右の理を押し広げるとこういう事になる。即ち上面とは現実
界であり、
中身とは心霊界という目に見えない空間の世界である。
これがこの大世界の組織であって、造物主はそう造られたのであ
る。故に心が肉体を動かす如く、霊界が現界を動かすのである。然
一切は霊界が主で現界が従であるから、
運と雖も霊界にある霊の
運が開ければいいので、その儘体に映り幸運者となる
のは勿論であ
る。


では霊界というものを一層詳しくかいてみるが、霊界は現界よりも
厳正公平な階級制度になっている。それが上中下百八十の段階にな
っていて、六十段宛三段階に分れている。勿論上が天国、下が地
獄、中間が中有界といい現界に相応している。


 こんな事をいうと、今日の人間は直に信じられまいが、私は神か
ら詳しく知らされ、その上長い間霊界と現界との関係を実地経験に
よって、底の底まで知り得たのであるから、寸毫の誤りはない
ので
ある。何よりもこの理を信じて実行に移し、幸運を掴んだ人は今ま
でに数え切れない程あるばかりか、私自身としてもその一人であ
る。それは私を客観的に見れば直ぐ分る。私が如何に幸福な境遇で
あるかである。


そこで今一歩進めて右の段階を説明してみるが、前記の如く人間の
体は現界に、霊は霊界にある
としたら、百八十段中の何処かに居る
筈であって、つまり籍のようなもの
である。然もこの籍は一定して
おらず、絶えず上下に移動しており、運命もそれに伴う以上、
人間
は出来るだけ上段に昇るよう心掛くべき
である。

言うまでもなく下は地獄界で、病気、貧乏、争いは勿論、魑魅魍魎
(チミモウリョウ)、百鬼夜行、暗黒無明の世界であって、凡ゆる苦悩が渦巻
いている。これに反し上段へ行く程反対に良くなり、天国浄土的平
和光明、健富和の理想境であり、中段は中位である。


 以上の如く霊界の籍通りが体に移り、運命となるとしたら、霊の地
位向上こそ幸運の根本
である事が余りにも明らかである。何よりも
事実を見ても分る通り、世間よく出世をして人から羨まれるように
なり、自分もいい気持になって、いつ迄も続くと思っていると、豈
計らんやいつしか失敗転落、元の木阿彌となる例もよくある。


というのはこの理を知らず、人力にのみ頼りすぎるからで、然も人
を苦しめ、無理をする結果、形だけは成功しても、霊は地獄に堕ち
ているので、
霊主体従の法則によりその通りの運命となるのであ
る。そうして霊にも物質と同様重量があり、重ければ地獄に堕ち、
軽ければ天国に上る


昔から罪の重荷というが、その通りで、悪の行為は霊が曇り重くな
るに反し、善の行為は軽くなり上へ昇る
のである。故に人間は悪を
慎み、罪を作らないようにする事で、出来るだけ善を行い、霊を軽
くする事こそ幸運の秘訣
である。

これが真理である以上、これ以外方法のない事は断言するのであ
る。といっても成程理屈は分るが、偖て実行となると中々難かしい
ものである。処が
容易に出来る方法がある。これこそ信仰であるか
ら、
幸運を得たい人は何をおいても、先ず信仰に入る事である。



   固め方法と溶かす方法  (医革  昭和二十八年)

 以上の如く現在迄の療法という療法は、悉く固め手段であるか
ら、医学の進歩とは固め方法の進歩でしかない事がよく分ったであ
らう。そうして薬剤以外の方法としては彼の電気、レントゲン、
種々の光線療法等、何れも固め方法であり、氷冷、湿布、塗布薬等
も同様であるが、只灸点、鍼、吸瓢(スイフクベ)だけは右と異ひ、刺戟に
よって浄化中の毒素を患部へ誘引し、一時的苦痛緩和を狙ったもの
で、勿論治るのではないから、灸など毎月というやうに定期的に据
えるのは其為である。此様に今日迄の凡ゆる療法は浄化停止である
から、病を治すのではなく、結局治さない方法でしかない
のであ
る。


 此理によって真の病を治す方法は、右とは反対に固結した毒素を
溶かして体外へ排除させる事で、それ以外真の療法はない
のであ
る。


それを理論と実際とによって、之から詳しく解説してみるが、それ
に就て前以て知ってをかねばならない事は、人間なるものの実体で
ある。之を医学では一個の物質と見做してゐるが、勿論医学は唯物
科学から生れたものである以上、そう見るのも当然であるが、
此見
方こそ誤謬の根本
である。

というのは人間が単に物質のみであるとすれば理屈に合はない事に
なる。何となれば人間には意志想念といふ目にも見へず、手にも触
れないものであり乍ら、確かに存在してゐるからで、之ばかりは如
何なる科学者と雖も否定は出来ないであらう。とすれば此無なるも
のが、実は人間を自由自在に操ってゐる本尊様
といふ事になる。


近来医学でも精神医学といって、精神的に治す方法を試みてゐる
が、之が案外奏効するので、漸次関心を持たれて来たといふ話であ
る。してみると医師の中にも、人間は物質のみでない事を認識され
た訳である。以上の如く
人間は肉体以外見えざる心があり、心を包
んでゐるものを私は霊と名付けてゐる


従って霊と肉体との両者併合によって成立ってゐるのが人間である
事は余りにも明かである。処が医学は右の如き人間の本体である霊
を無視し、体のみを研究して来たのであるから、一方的跛行的であ
って、言ひ換へれば肝腎な主人公たる魂を無視して、其配下共を対
象とした訳である。


 つまり肉体は外殻で中身ではない。中身とは見へざる霊であるか
ら、之を主としてこそ真の医学は成立つ
のである。医学が凡ての病
原を細胞のみに持ってゆくのもその為である。では何故科学は霊を
認めなかったかといふ其原因こそ、霊は肉眼で見へず、機械でも測
定出来なかったからである。


というのは全く現代科学のレベルが低いにも拘はらず、それに盲目
であった為科学を実価以上に信じ、科学で把握出来ないものは一切
無と決めて了った。つまり科学過信の結果である。従って将来科学
が幾層倍進歩した暁、霊の確認は勿論だが、只それ迄に如何に誤っ
た医学による多数の犠牲者が出るかを想う時、一日も早く此迷盲を
目覚めさせなければならないと痛感するのである。


という訳で此発見が現在科学の水準より余りに進み過ぎてゐる為、
容易に信じ難いのである。とはいうものの
此説こそ不滅の真理
ある以上、遅速はあらうが必ずや、全人類理解の時の来るのは、さ
まで遠くはないと思うのである。


 茲で後へ戻るが、病の根本である霊の病とは何かといふと、之こそ
霊へ発生した曇り
であって、之を除去する方法を浄霊といふのであ
る。即ち霊の曇りがなくなれば、体へ映って濁血は浄血となり、最
も濃厚な分だけ種々の排泄物となって体外へ出て病は治る
のであ
る。そうして濁血の古くなったものが膿であるから、彼の排泄物に
は膿と濁血と、両者混合のものとの三種あるのもそういう理由であ
る。


 以上の如く濁血が霊の曇りの原因としたら、一体濁血は何によって
作られるかといふと、意外も意外之こそ
薬剤であるから、初めて知
った人は開いた口が窄(スボマ)らぬであらう。処が今日迄それを知らな
いが為、薬剤を可いものとして使用して来たのである。然し薬毒は
医学でも或程度認めてはゐたが徹底しなかった。即ち医学では自然
に排除されるとしてゐた事である。


それに就て次に説明してみるが、本来人間の食物としては五穀、野
菜、魚鳥、獣肉等悉くは、人間の嗜好に適するやうに出来てをり、

その味を楽しんで食へばそれで必要なだけの栄養が摂れ、生が養は
れるので、之が自然
である。此点生殖と同様で、子を造る目的では
なく、他の目的によって自然に出来るのである。


此様に食うべき物は自ら決ってをり、体内の消化器能もそれだけを
完全に処理するやうになってゐる
ので、
他の如何なる物も処理され
ない
のは勿論であるから、薬は異物である以上処理されず、大部分
は残って了ふ
。而も浄化を停止するだけの強い毒である以上、其毒
分は残り血液中に吸収される。之が濁血である。此理を知って医師
も患者も既往を顧みれば必ず分る。此病気は何年前、何十年前に、
アノ病気の時服んだアノ薬、アノ注射の為であったと気が付くので
ある。


というのは薬毒の執拗なる容易に解消するものではないからで、此
例として私が五十二年前肋膜炎を患った時の薬毒が今も残ってを
り、数年前から私自身毎日のやうに溶かしてをり、近頃は大分減っ
たが、それでも少しはまだ残ってゐる。今一つは三十七年前歯痛の
為約一ケ年間、毎日のやうに薬を塗けた為の痛みも今尚残ってを
り、之も毎日浄霊してゐる位であるから、
薬毒の恐ろしさは到底想
像すらつかないもの
である。此様に薬毒は一生涯の悩みの原因とな
るばかりか、全部の解消は先づ困難
といえよう。此理によって我浄
霊法とは薬毒溶解排除の方法であって、現に薬毒が減っただけは快
方に向ふにみても判るであらう。




   安楽往生の御利益(2)                     
            
『地上天国』8号、昭和24(1949)年9月25日発行
  愛知県額田郡幸田村大字菱池字西脇 志賀安太郎教導所扱 
                日本五六七教神明会教導師 小野しま(41)
 亡夫小野林三郎(五十三才)初め私達一家の頂きました御利益を
報告させて頂き、限りない御恵をお礼申上ます。顧みますと亡夫は
昭和十六年頃より世の人にも申せぬ悲惨な病気(癩)に罹り約一年
半という間、原因不明のまま、不安と焦燥の心で医師にかかりまし
たが、最後に生きるより幸い病名を仰せられた時には、全く地獄に
突落されたに優さる苦しみでした。


今まで足繁く来た人もピタリと途絶え人の見る目も冷たく、聞くも
汚らわしいとの無言の人々に接する度に、一家心中でもと思った事
は一再ではありませんでした。私達にもまして本人はどんな気持で
ございましょう、胸の張り裂く毎日々々は全く言葉も涙なくしては
語る事が出来ません。せめて心だけでもとの気持は志賀安太郎先生
により観音様に結ばれたのでありました。

      ○
 それは昭和二十一年の八月の暑い盛りでした。本人も私達も何か
この因縁を悟って逝きもし送りもしたい心は観音様にひた向にお縋
り致したい熱海の毎月のお詣りになり、一人も多くの人をとの気持
に変って参りました。お詣りにゆく度毎に喜びは増すばかりで、何
も御用らしい事もしないのに有難い御利益を頂き、ただ今では家内
観音一家にさせて頂き、光明如来様の御神体もお祭りさせて頂き、
かたじけなくもお資格まで頂きました事は有難くお礼述べさせて頂
きます。夫もこのような家庭にさせて頂き心より安心出来、また自
分の御用を知ってか去る四月二十四日。それはそれは安心し切って
帰幽させて頂きました。その折頂きました本人並びに私達の御利益
について御報告させて頂きます。

      ○
 それは丁度四月二十一日の事でした。その日は二三日前より頭が
非常に痛むと申しておりましたが「何だか耳鳴がして止まぬ、丁度
室内に無情の風が吹いているようだ、木の葉がもぎれそうに吹いて
いる」と申しますので私達も変だと思っておりましたが、翌二十二
日になりますと、
「私は今まで観音様の本当の御利益は知らなかっ
たが今日ははっきりと解らせて頂いた」
と申し、次の如き事を話し
ました。
「私は観音様のところへ行って観音様と阿弥陀様の御利益
に就て聞いて来た」
と申し観音様の言われるまま善言讃詞をお唱え
申しますと、「眼前に三筋の川道が見え水は清く深く水晶の如く澄
んでみえ心がすがすがしくなった。それから後ブドウ棚のようなも
のが見えお唱え申しているとその棚が開け金銀の雲がたなびいて実
に美しかった」と申し、それからお唱えしていると「自分の家の先
祖のような人が約四十人位浮んで来た」と御先祖の嬉しさを表わす
ようにニコニコと微笑ながら話しました。誠に今まで知らずにお唱
えしていた善言讃詞の尊さをしみじみと悟らせて頂きました。

      ○
 二十三日になりますと娘を枕元に呼び「信徒の人に集って頂きた
い」と申しますので近所の信徒の方親戚の人達約二十人程の人々に
寄って頂きました。そして皆んなで善言讃詞と御讃歌をお唱えしな
がら浄霊していただきましたら夫は
「私の霊は低いから縁ばたまで
しか来れなかったが浄霊していただいたら縁の上まで上れるように
なった」
と嬉しそうにしており、寒くて震えておったのが「熱いか
ら蒲団をとってくれ」と申すようになり、十時半頃来ている皆さん
に向って「色々とお世話様になりました。後に残った女子供は何分
宜しく」と別れの挨拶を致しました。

      ○
 全く有難くて涙が止めどもなく流れて参りました。皆様も心より
「安心なさい」と言ってくれ、本人も心より重荷を下したような安
堵の顔を致しました。その折近所の児玉さんという人が「なあにこ
んな元気な者がなんだね」と申しますと「否私は二十四日の午前中
には遅くても死ぬ」とはっきり申しました。もう自分の死期を悟ら
していただいたのでしょう。「大先生が空中からお守り下さるから
有難い」「大先生やっとお世話になりましたが今に大先生のお手元
に行かしていただきますから宜敷お願い致します」と新聞のお写真
に向って二度も繰返し申しますのには信ずる者の幸をしみじみと味
わせていただき、涙の流れるのをどうする事も出来ませんでした。
夜中の二時頃に大勢を前にし「観音様を信仰なされば決して間違は
ない。私が先達になって参りますから皆さんもしっかり信仰なさっ
て下さい。今まで私は余り人のためになるような事をしなかったの
で罪が重かったのだから私が死んでから後もみんなのため一生懸命
にやってもらいたい」と諭すが如く言われる言葉は一つ一つ胸に刻
み込まれ、私達信徒の心を励ましてくれるように尊く聞えました。

      ○
 その後うつらうつらと昏睡状態を続けましたが二十四日の朝六時
半頃「便所に行きたい」と申すので「無理だから床の中で取って上
げるから」と申しますと、どうしても「勿体ないから嫌だ」と申し
て二三人掛りで便所に行きましたら大小便があり「これですっかり
汚いものは出した」といかにもさばさばした顔をしておりました。


主人が伏っておる室は光明如来様をお祭りしてありお写真もありま
すので、便用すら勿体ないと思う心には本当に申訳なく恥入った位
でございます。八時半頃になりますと
「お扉が開いた蓮華の花が散
っているところに階段がある。今登って行く、私があちらに往った
ら家も出来るだけ守ってやるよ」
と申しました。みた眼も余り腹が
あおっておりますので「苦しくないか」と開きますと
「苦しい事も
ないが淋しい事もないし寒い事もない」
と最後にニッコリ微笑しな
がら帰幽しました。時に二十四日午前十時三十分、全くの大往生で
した。


死ぬが死ぬまで絶えずニコニコ微笑しながら話もはっきりとしてお
り、眼もみえ耳も聞えておりました。右眼は病床に入らぬ前は曇り
がありましたが死ぬ時は奇麗にはれ、亡夫の魂が浄まって行ったの
を表わしているようでした。亡夫を送り父親を送って残った私達も
本当に心より安心して観音様より数限りなくいただいた御利益に感
謝致しております。

 この様をみ、信ずる者の例えようなき悦びをしみじみと悟らして
いただきました。信徒の方もそうでない人も観音様の前に心より頭
を下げ、その御霊徳をお礼申上げました。私達も亡夫の遺志をつ
ぎ、この尊き御恵を一日も早く一人でも多くの方にお悟り下さるよ
うお祈り申上げ、また努力させていただく心組です、厚く厚く御礼
申上げます。



 霊線の尊さ 不幸は本教を知らざる家庭   
            
『救世』61号、昭和25(1950)年5月6日発行
      東京都品川区西中延町  五六七中教会誠光中教会 樋口竹哉(22)
 去る四月私の友達森君に頼まれ板橋区のある家に御浄霊に参りま
した。この人は自転車で牛車に衝突し脚をひかれて以来十二日間も
(怪我は案外軽くて治ったが)全然熱が下らず困っているとか(毎
日三十九度から四十一、二度)しかもこの人が長男次男も腹膜
同じく床につき熱が下らず、又三男は肋膜とかで付近の豊島病院に
入院中、父親は何年も前から中風症で働く事は不可能で家族六人中
働ける者は母親と長女だけで男は全部病気と言う何か霊的原因のあ
りそうな家でした。


 全くお気の毒な状態でした。無論全部医師の診察を受け毎日注射
をしておりました。私の伺った時にはもう母親も看護やら商売に全
く疲労し、今日とか明日長男を入院させるつもりで豊島病院へ入院
の手続をして帰って来られたところでした。そして私に「今日か明
日か入院させるつもりですから、一度位やっていただいても駄目で
しょう」と言われるので「イヤたとえ一度の御浄霊でもそれだけ違
います。又熱位なら下るかも知れませんから是非やってあげましょ
う」と明主様に一心にお願いし善言讃詞を奏上しながら御浄霊をさ
せて頂きました。たとえ熱が下らず入院してしまっても一度の御浄
霊によって病人の霊否御先祖様の霊が少しでも浄められればそれで
結構と思ったからです。


 その翌日私は又森君の家へ行ってみました。すると昨日の森君の
友人の家からお使いがあって
「お蔭様で昨夜から熱が下り入院を思
い止まりましたから是非今日又来て頂きたい」
との事でした。森君
の家族の方々もこれによってすっかり感心してしまいました。私も
余りの偉大なる御力に今更ながら驚き又筆舌につくし難い感謝の念
で一杯でした。


早速伺ってみますと十二日間の熱で衰弱はしておりましたが、昨日
とは見違えるばかりの元気な明るい顔で私を迎えてくれました。こ
の場合の病人の気持はどんなでしょう。しかし治させて頂いた私の
方がどの位嬉しいかは体験者ならでは味わう事の出来ない気持で
す。しかも御守護はまだまだ偉大だったのです。


その病人は昨夜から気分が良くなり熱も下り、今朝は大変楽で食事
も進み全く平熱になってしまいました。それと同時に弟も私と同様
に楽になり熱も下り今までなかった食欲も出て顔色もずっとよくな
りました。
全く不思議と言うより他はありませんが「こんな事実は
有り得べき事でしょうか」と言うのでした。


 ああ、何たる奇蹟でしょうか。長男の御浄霊のみでその弟の病気
までも治して下さる
妙智力、私はこのような事実に直面したのは初
めてで又未だ話にもきいておりませんでしたが『信仰雑話』の「霊
線に就て」の項を読まさせて頂いて夫婦の霊線が最も太くそれに次
いで親子兄弟等々繋っているという事を思い出し「このような事は
私も初めてですが有り得る事と思います、なぜならば」と言ってこ
の霊線の事について説明しますと、すっかり霊と言うものの動きの
偉大さに感心しておりました。


所属諸先生を通しまして明主様は全く私ごとき至らぬ者へもかくの
ごとき素晴しい御守護を賜ったかと思いますとただただ神様の大慈
大悲に感泣し人類救済の御用に出来得る限り尽させて頂かねば申訳
ないという念は一層燃えるのであります。