このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。

平成25年6月度 ミニ講座

感じの良い人                
            (栄二百五十七号  昭和二十九年四月二十一日)

 凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあ
るまい。処がよく考えてみると、処世上これが案外重要である事で
ある。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのであ
る。例えば誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くな
り、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来る
は勿論である。故に忌わしい問題、特に争いは減ると共に犯罪も減
るから、精神的天国が生まれる訳である。然もこの事たるや、金は
一文も要らず、手数もかからず、その場からでも出来るのであるか
ら、こんな結構な話はあるまい。というと至極簡単に思えるが、事
実はそんな旨い訳にはゆかないのは誰も知るであろう。

 というのはこれは外形的御体裁では駄目だからで、どうしても心
からの誠が沁み出るので、その人の心の持ち方次第である。つまり
利他愛の精神が根本である。これに就いて私の事を少しかいてみる
が、私は若い頃から自分で言うのも可笑しいが、どこへ行っても人
から憎まれたり、恨まれたりする事は余りない。親しまれ慕われる
事の方が多いのである。そこでその理由を考えてみるとこれだと思
う一事がある。それは何かというと、私は何事でも自分の利益や自
分の満足は後廻しにして、人が満足し喜ぶ事にのみ心を置いてい
。といっても、別段道徳とか信仰上からではなく、自然にそうな
る、つまり私の性格であろう。換言すれば一種の道楽でもある。そ
んな訳で得な性分だとよく人から言われたものだが、全くそうかも
知れない。然も宗教家になってから一層増したのは勿論である。そ
こで人が病気で苦しんでいるのを見ると、居ても立ってもおれない
気がして、どうしても治してやりたいと思い、浄霊をしてやると、
治って喜ぶそれをみると、それが私に写って嬉しくなる。それが為
以前は随分問題を起し苦しんだものである。というのはもう駄目だ
と思ったら早く手を引けばよかったものを、本人や家族の者に縋ら
れるので、つい利害を忘れて夢中になり、遠い所を何回も行って、
暇をつぶし、金を使い、その揚句不結果になって失望させ、恨まれ
たり、愚痴られたりした事もよくあったもので、その度毎に俺はも
っと薄情にならなければいけないと、自分で自分を責めたものであ
る。

 この私の性格が地上天国や美術館を造る援けともなったのである
から、こういう性格を神が与えたものであろう。例えば、結構な美
術品や絶佳な風景を見ると、自分一人楽しむのは張合もないし、気
も咎めるので、一人でも多くの人に見せ、楽しませたいと思う心が
湧いて来る。という工合で、私は自分だけでなく、人に楽しませ喜
ぶのを、自分も楽しみ喜ぶという事が一番満足なのである。



   評判と感情  (栄二百三十二号  昭和二十八年十月二十八日)

 この評判の善い悪いという事は、人間の運命に案外関係がある
は人の知る処である。世間よくアノ人は評判が好いから信用が出来
るとか、悪いから気をつけろなどという事が、その人の運命に如何
に影響するか分らない程であろう。勿論評判の好いに越した事はな
いが、これが信仰上にも大いに関係するものであるから、それをか
いてみよう。というのはこの事を邪神は最も利用するもので、本教
なども今までにその意味で狙われたものである。

 その手段として言論機関を利用したり、悪い噂を蒔いて評判を悪
くしようとする。これが為本教発展の上に少からず影響を受けるの
であるから、この事は中々油断は出来ない。特に個人の場合大いに
心すべきである。何といっても人間は感情に左右されるもので、小
さな事でも感情を害ねる事が案外不利益で、それには我を通さない
である。つまり相手のいう事が少々間違っていても、それに合槌
を打ってやる雅量である。又何事も勝とうと思わないで負けてやる
で、負けるが勝というのはいい言葉である。私はいつもその方針
にしているが、結果は反っていいものである。

 併し只負けるといっても、偶には負けられない事情もあるが、こ
れは別で滅多にはない。先ず十中八、九は負けた方が得となる。彼
のキリストが十字架に懸けられる直前"吾世に勝てり"と曰ったの
は、この真理を教えたものであろう。私の長い年月の経験からいっ
ても負けて負けて兎も角今日のようになったのである。処が人間と
いう者は勝ちたい心が一パイで、負けてなるものかと思うのは誰し
もだが、そこを反対に考えればいいのである。



  子供(妻)等が犠牲になる場合の浄化 その2


   《治病遅速の原因と祖霊》     (S24・6・25)

【問】霊主体従の法則に依り霊体より肉体へ移って病気の治癒に遅
速があるのは、その人の毒素の多寡によるものでありませうか、又
は浄霊する人の霊力の強弱によるものでありませうか。

【答】毒素の多寡、浄霊の霊力の強弱――いろいろある。祖先の関
係もある。祖先で救はれたのがあると、霊界で力があるから、良い
教導師を引っ張って来れる。堕ちている(地獄で苦しんでいる)祖
先はそういふ事が出来ない。それで良い教師を得ず、救はれぬ事が
ある。
 祖先の贖罪の場合、子供を身代りにして犠牲にする場合がある。
症状は吐く。その他種々の原因がある。



   《子池に落つ(池本例)》        (S23)

【問】私は今年三月教修受けたものですが、私の次女鈴子(三
歳)、先日八月十七日、過って屋敷内二坪程の用水に落ちて死去し
ました。之は無論地獄に落ちてる事と思います。水死霊はやはり地
獄へ行くんでしょうか。
一、右霊を救うには今後如何致せばよろしいでしょう。
一、右用水は埋めたいと思います。そのまま埋めてよろしいでしょ
うか。

【答】普通は斯ういう事はなく、落つる所を助かるのが当り前
が、よほど訳がある。犠牲にしなくては罪の大きい塊が除れないと
いうような理由――偶にはある。神様が急ぐ場合、一ぺんに罪の塊
をとる場合がある。特に夫の婦人関係の場合など、人間は表面のみ
見ては判らぬ。霊を救うには人を助ける。その徳により罪が減る
自分の身内の者を救いたい救いたいと思うと救われない場合があ
る。釈迦の時代、目蓮尊者が、母が救われぬ。彼は神通力があっ
て、霊界を見ると、いくら自分が努めても救えぬ。外の人は救え
る。釈迦に聞くと、救おうと思うから救えぬと言う。そこで、自分
は一切衆生を救うのが役というので、それに努め、一年ばかり経つ
と母もちゃんと救われた。自分の身内とか祖先を救おうと思ってる
と反って救われぬ。

 先に、年とった女の娘と息子で、二人とも精神病で、娘を助けて
普通になった。そして息子の方を助けようとした。それで治療士と
なりやっていたがはかばかしくゆかぬ。
 みると自分が一生懸命やっている(外の人はあまりせぬ)私は言
ってやった。治療する事は、目的は子供を救う為――それは本当で
ない。それで割合いおかげが少ない。多くの人を救わなくてはなら
ぬ。大きな見地からやれば救われる。そして、息子が救われればや
めようとする様子が見える――それでそう言った事がある。兄の方
は大反対で、浅野セメントへ勤めている。そして迷信として全然寄
りつかぬ。弟は精神病で、医者へ行っても駄目である。それで、謝
って頼むならやってやると――。
 妹は治っても、寧ろ悪口を言う。息子は段々よくなった。それを
自分の方で引取り役立たしめようとした。寧ろ只使ってるとした。
そこで私もその弟を返した。その後北海道で弟が暴れた。そのうち
に死んだ。  



   《蒼白・血便・不飲の嬰児―犠牲児の症状》    
                     (S24・2・22)
【問】満一歳の男子、二日程前突然顔面蒼白となり、口の附近は紫
色となり、其の夜三度血便があり、食物は全部戻して大小便とも少
なく、熱はなく、体を回して苦しがり、昨夜は手を頭上に回転させ
て居ります。医者は自家中毒と言ひますが、霊的のものでせうか。

【答】祖霊である。言へない霊的原因がある。子供を犠牲にしなけ
ればならぬかもしれない。祖霊が子を犠牲にする時は大抵嘔吐であ
る。  



   《祖霊が子孫を殺す場合》   (S24・8・8)

【問】祖霊は子孫を御守護下さる様に承り、其の様に思って居りま
すが、往々にして其の子孫の断絶する家がありますが、是は祖霊の
御怒りにふれた為でありませうか。御伺ひ申し上げます。

【答】祖霊は断絶させたくないから(種々な事)する。断絶の恐れ
があるから、断絶させまいとして罪をとる。その節赤ン坊を犠牲に
する。(斯ういふのは浄霊しても効かぬ。赤子で吐くのは駄目と思
ってよい)



   《祖先が子の生命除る場合》   (S23.11・25)

【問】祖先の命日によく子孫が死ぬる様なことを聞きますが、何か
意味が御座居ますか。

【答】意味がある。祖先が婦人関係の罪を除る時子供を亡くす。そ
の場合祖先の命令が多い。判らせようとしてする。(信仰雑話にあ
る)



   《祖霊の戒告》     (明医三  昭和18年10月23日)

 元来祖霊は我子孫に対し、幸福である事を欲するあまり、不幸の
原因である過誤や罪悪を行はしめざるやう常に警戒してゐるもの
ある。然るに其子孫が偶々悪魔に魅入(ミイ)られ、天則違反の行為あ
りたる時、それを戒告する為と、犯した結果としての罪穢の払拭
させようとするのである。それ等の方法として、病気又は其他の苦
痛を与へるのである。之に就て二三の実例によって説明してみよ
う。

 幼児又は小児が、感冒の如き熱性病に罹るとする。普通の浄化作
用であれば、本療法によって効果顕著であるに拘はらず、予期の如
き効果がない事がある。其場合、特異な症状としては、頻繁な嘔吐
である。如何なる食餌を与へても吐瀉(トシャ)してしまふ。従而、衰弱
日に加はり、畢に生命を失ふ事になるのである。そうして此症状
は、殆んど助かる見込はないといってもいいのである。

 之は全く、右に説いた祖霊の戒告であってその原因としては、父
親が夫婦の道を紊(ミダ)したる罪による事が多いのであって、世人は
此事を知らないのであるが、注意するに於て尠からずある事を知る
であらう。全く一時的享楽の為、大切なる愛児の生命をまで犠牲に
するといふ事は、国家の為、自己の為、洵に遺憾の極みであるが、
之は全く霊的知識がない為である。斯様な場合、祖霊としては一家
の主人を犠牲にする事は一家の破滅となるから、止むを得ず子女を
犠牲にするのである。(中略)



   《乱暴する半狂人、(罪とられるには)》 (S23)

【問】普通の常識もなく精神病者ともつかざる私の兄、母親を見れ
ば腹を立て殴ってかかります。幼少の頃より変った男でありました
が、本年四十三歳になります。どうすれば救はれませうか。

【答】よく精神病でもなく普通でもないのがある。私はよく正気の
気狂いと言った。精神病者の軽いのである。
 之は兄に祖霊が憑って母を良くするといふ意味である。罪穢があ
ってそれを除られる場合など霊的に種々訳がある。斯ういふ場合は
普通ではない。祖先の霊が親より位が上であり、生きてるうち暴力
を揮ふ習性のある人は死んでもその癖が出る。それで暴力によって
矯めたりなどする。信仰を熱心にすれば早く解決がつく。本人が悪
いのみでなく、親自身苦しみに遇ふだけの罪穢がある。
 悪口を言はれる方はそれだけ罪をとられる悪口を言はれるほど
よい。だから、本当に分れば感謝してよい。沢山の罪穢は急に除れ
ぬから、気長に時期を待って、お任せすると、何かの機会に除って
いただける。



   《母のみに反抗する子》    (S24・6・26)

【問】私が御導き申し上げたいと思って居ります或る家庭の十九歳
になる男子(健康体)、他人に対しては大人しく何とも致しません
が、家人、特に母親に対して当りちらします。ガラスを毀したり皿
を投げたり何でも手当り次第に乱暴致しますが、理解力もあり、仏
壇やお墓参りもよくします。(尚その人の兄もその通りで、お金を
沢山使った上毒死して間もない家庭です)如何なる訳で御座いまし
ょうか。又御導き致すにはどの様に致したら宜敷いでしょうか。

【答】母親に対し反感をもっている霊――祖霊であろう。母に罪あ
り、本人より母が徳積めば苦しめられぬようになる霊的向上であ
る。苦しむ事により己が罪が減る。相手に感謝すべきである。「汝
の敵を愛せよ」というが、そこまでゆけば人間は磨けたのである。

 祖霊である。祖霊の中に一人一人気に入らぬ事がある、母に対し
反感をもってる霊で、査べれば母に必ず思い当る事がある。本人を
治すより母自体が徳を積む。すると母に力が出て、母を苦しめるよ
うな事はなくなる。苦しめられるのもその理由がある。霊的に向上
すればひとりでに治る。結局どんな事も自分にある。すると人を怨
む事もなくなる。苦しむ事によって自分の罪がなくなる。然し本当
からいうと苦しめる人に感謝すべきだが、なかなか出来ない。キリ
ストの「汝の敵を愛せよ」の精神もこれである。磔の時キリストは
祈っていた。隣の泥棒が何かときくと、磔にする人の救いを祈って
いたという。


【問】御道に入らせて頂いて黴菌や蝿の存在の意義は判らせて頂き
ましたが、蚤、虱(シラミ)等にも同様の意味があると存じて宜しいでせ
うか。

【答】同様の意味でいゝんです。蚊だとか蚤だとかは皆人間の毒血
を吸ふんですよ。刺されたりするとそこに毒血が集るんです。だか
ら本当は結構なんですが、たゞ痒いんでね。(笑声)私も以前は刺
されるとよく赤く腫れましたが、疥癬をしてから何ともなくなりま
した。
 それから「相応の理」なんで、汚い所には虫や微生物が湧く様に
出来てるんです。之を大きく言ふと、泥棒があるって言ふのは、人
間が汚れた財産や富を持ってゐるから、それを何かで取らなくちゃ
いけない、で、泥棒はその取る役目をしてるんです。だから寧ろ泥
棒に感謝すべきです――然し、こんな事を言ふと泥棒を奨励してる
みたいで、誤解を招くといけないから余り言へませんがね。(笑
声)(中略)          《御光話録10号  昭和24年5月23日》


【お陰話】
  偉大なる神療法 治癒率百%の「発疹チフス」
             『栄光』89号、昭和26(1951)年1月31日発行
             『世界救世教奇蹟集』昭和28(1953)年9月10日発行
           静岡県島田市大津通り 愛進中教会 芹沢九十九(39)
 私は九年程前教修を受け、爾来幾多の奇蹟的な御守護の許に数々
の人助けをさせて戴いている者であります。
 今回は在満当時、終戦後体験致しました発疹チフスに就きまして
御報告させて戴きます。

 終戦直後昭和二十年暮頃より満州には満人も驚く程の悪性発疹チ
フスが蔓延し、私のおりました奉天市は時あたかも北満地区より避
難して来た数万にのぼる日本人の為、市内は混乱している際とて、
その恐怖は大変なものでした。瞬く間に数千名が発病し、学校等を
応急隔離病院として数百名の医者、軍医等があらゆる方法を施しま
したがほとんど効果なく、毎日数十名(あるいはそれ以上)が無慚
な狂死をして行きました。私共の社宅は二十五家族ばかりおりまし
て、一同恟々(きょうきょう)としておりましたが、遂に二十七、
八歳位の某氏が発病しました。病院は無論一杯でしたので、毎日医
者、軍医が来て注射や氷冷を行いましたが一向効果なく一週間位で
狂ったまま死んでゆきました。私も一度見舞に行き、御浄霊をと思
いましたが、何せ医者看護婦がつききっており、全然手出しが出来
ませんでした。

 それから数日後、今度は佐野と言う若夫婦が殆んど同時に罹病致
しました。三、四日前の某氏の無漸な死を見た社宅の人々は、私と
後藤君(一年ばかり前に肺病にて喀血しましたが数回の御浄霊にて
治り、結婚の為内地に帰った時教修を受けて来た)以外は見舞にす
ら行きませんでした。

 私は最初発疹チフス何物ぞ、たかが高熱が一寸続き発疹する浄化
ではないか、今までの体験より考え、如何なる高熱でも三日もすれ
ば必ず治る自信をもって始めました。ところが三日過ぎましても依
然として熟は下らず、一日三、四回ずつ御浄霊致しましたが、浄霊
直後は一応熱が下りますが、三十分もすると益々高熱が出て来て、
五日目には遂に脳障害を起し、完全に頭が狂って仕舞いました。五
日間全然食事は摂らず、僅かに水を飲むのみにて、夫婦枕を並べて
共に狂い、奥様は子供の頃の歌を唄い、主人は訳の分らぬ事を喋
り、目は全然見えぬらしく、空な目付で天井をみつめているのみで
した。床の中には虱が大分見える様になって来ました。虱のわいた
床の上に何回となく坐りますので、あるいは自分も誘発するのでは
ないかと思いましたが、その時は教修受けている後藤氏がいるから
と安心して続けておりましたところ、その後藤氏夫婦が又々共に発
病してしまいました。残るは私と妻のみ「もし自分が発病して狂っ
ても決して医者に見せるな、誰が何と言っても御浄霊さえしてくれ
ればよい」と妻に話して悲壮な決心を致しました。

 この頃になって世間の非難はいよいよたかまり、中には親切に
「どうせ駄目だろうが、一度医者に見せておいた方があなたが内地
へ帰って親兄弟に遭った時言い訳も立つから」と言ってくれる人も
ありましたが、「何大丈夫だ」と皆断っておりました。看護疲れの
した身体で同時に四名の発疹チフス患者を抱え、それが最初の予期
に反し、日々症状は悪化し、人の寝静まった深夜、気が狂った病人
を眺めながら「自分の御浄霊は効かなくなったのではないか知ら、
或は発疹チフスには効果がないのかしら、もしそうだとすれば、友
人四人までもこんな事にしたのは自分の責任だ、狂ったまま四人共
死んでゆくのではないか」等と様々な恐怖に襲われた事もありまし
たが、すぐその後より、そんな馬鹿な事があるものか、誠心誠意御
浄霊していれば、その内に必ず目の前の私が判って「芹沢さんです
ね」と言ってくれる時が来るに違いない、ここで挫けたのでは明主
様に申訳ないと遥か東の方を念じつつ御浄霊を続けました。時々病
人の前に私の顔を突き出してみますが一向反応がありませんでし
た。
 忘れもしません、発病後八日目、朝食をすませて枕許に坐りまし
た。すると力のない目付ですが、私の顔をみつめて「芹沢さんです
ね、何だか頭が変だが、家内はどこへ行きましたか。ライスカレー
と水を下さい」と言うではありませんか、私の予期していた言葉そ
のままが病人の口から出たのでした。私のこの時の喜び、幾度かの
奇蹟の中でもこの喜びに優るものはなかったと思われます。熱いも
のがこみ上げて思わず遥かな祖国に向って明主様に手を合わせたの
でした。

 「もう絶対大丈夫だ」と益々力が湧き一心に御浄霊致しますと面
白い様に濃い鼻汁が出て頭は一時間一時間はっきりして参りまし
た。奥様も前後して大体同様の経過を辿り、発病後は体は衰弱して
おりましたが、誰の目にも治ったと分る様になりました。最早絶対
の自信を持つ事が出来ました。その時は未だ後藤氏夫婦は盛んに頭
が狂っておりましたが、もう恐怖感はありません。狂人を相手に戯
言を言いつつ笑って御浄霊を致し、同じ経過にて完全に治させて頂
きました。後藤氏の奥様はその時妊娠八カ月の身でありましたがそ
の後大きな男児を生み、母子共壮健でした。この間私の社宅内にて
他に六名発病致し、五名医者にかけ四名死亡、一名は注射をすると
どうも死亡率が高いと一般にわかって来ていました後期でしたの
で、何もせず寝かして置いた様でしたがこの人は助りました。しか
し体力が快復するまで二カ月もかかりました。これに引替え御浄霊
で治った人達は二十日間で全治致しております。神力の偉大さにた
だただ驚嘆する外ありませんでした。

 注射氷冷を行った患者は結果が悪く、むしろ注射を余り行わない
方が遥かに成績がよい事が何千人かの犠牲者を出して、初めて一般
も分り、追々注射を減じた為か、医療による死亡率も減じ、最初七
〇%以上の死亡率が、末期には三〇%になった様でした。私は発疹
チフスの患者を一〇名ばかり御浄霊致しましたが、全部全快一〇
〇%の治癒率で、しかも病後の体力の快復は医療に比し格段の相違
がありました。

 当時の発疹チフスの症状は四十度以上の熱が続き、頭部が割れる
様に痛み、二日位後に全身に軽い発疹があり、これが二日位にて消
えてなくなり、五日日頃より脳障害を起し、例外なく発狂してしま
いました。一心に御浄霊を続けて居りますのに段々悪化して狂って
ゆくのを見ている事は実際恐ろしいもので、逃げ出したくもなりま
したが、一度体験して脳障害は別に心配する症状ではなく、前頭部
の御浄霊により、鼻汁が出て簡単に治る事を事実において知らせて
頂きました。

 御浄霊の奇蹟的な効果が漸く一般に認められる様になった頃、さ
しもの悪病も終焉しましたが、それからは多くの人々の依頼を受け
引揚げるまで種々の病人を御浄霊させて戴き、貴重な体験と顕著な
効果をあげさせて戴きました。
 以上が発疹チフスに対する私の体験であります。私の如き者にこ
の絶対の御力を下された明主様に御礼申し上げ、又多少にても皆様
方の御参考になれば幸いと考え御報告させていただきました。  
                  (昭和二十六年一月一日)