平成25年4月度 ミニ講座

霊波と霊衣   (明医三  昭和十八年十月二十三日)

私は曩に、治病光線として霊波の文字を用ひたが、之は近時ラヂオ等で用ひる音波の文字からとったのである。

人間は誰しも霊衣即ち西洋でアウルといふ一種の光波を保有してゐるのである。之は、読んで字の如く、霊体の外殻に放射してゐる白色の一種の光線であって、丁度霊衣を纒ふてゐるやうなものである。人により厚薄があって普通人は一寸位の厚さである。病人は薄く、病気が重症になるに従ひ漸次薄くなり、死の直前には全然無くなるのである。世間よく影が薄いなどといふのは、この霊衣の薄い為の感じである。

又、右と反対に健康なる者、善徳を積める者ほど厚く、英雄、偉人、聖者などは特に厚く三四尺位あるものである。又何世紀に一人といふやうな大偉人に至っては、霊衣は相当大きなものであらう。そうして一般人にあっては、其時の精神状態及び行為によって差別が生ずるのは勿論である。其訳は、善を想ひ善事を行ふ時は厚くなり、其反対である悪を想ひ悪事を行ふ時は薄くなるものである。

霊衣とは大体右の如くであるが、罕(マレ)には、之を視るを得る人もあり、又普通人であっても心を潜めて凝視する時、一種の光波の存在を感知し得るものである。

そうして霊衣の厚薄は人間の運命に大関係がある事を知らねばならない。それは霊衣の厚薄によって幸不幸の運命が岐れるからである。即ち厚い程永遠の幸福を得るに反し、薄い程常に不幸であるのである。然し乍ら薄い人と雖も、偶々幸運に見舞はれる事があるが、それ等は永続性がないから、間もなく本来の不幸者となるのである。

 又霊衣が厚く一時幸運であっても、その幸運を利己的の具となし又は社会に害毒を流し、人を殃(ワザワ)ひするやうな行為があるとすれば霊衣は薄くなり、再び元の木阿彌となるので、斯様な例は世間少くはないのである。

右の如く、霊衣の厚薄によって、幸不幸があるといふ事は、如何なる理由であるかを説いてみよう。
先づ、何故に霊衣の厚薄があるかといふ事から解説してみるが、人間は如何なる者と雖も社会の一員とし、社会生活を営んでゐる以上、断えず何事かを想ひ、又何事かを行ひつゝあるのは今更いふ迄もないが、それ等の想念行為を、今善悪の計量器で量るとすれば、人により善悪孰れかが多いか少ないかは当然である。即ち霊衣の厚薄は善悪の量によって、そのまゝ表はれるものである。

 然らば、それはどういふ意味かといふと、内的と外的との二方面があって、内的は自己が善事を行ふ時善を行ったといふ満足感と、自己賞讃の想念は光を発生するので、霊体に光が増すのである。その反対に悪を思ひ悪を行ふ時は気が尤める。即ち自己叱責の想念によって、霊体に曇が増量するのである。又外的は、他人に対し善事を行った時、其人の感謝の想念は光となって霊線を伝はり、此方(コチラ)へ放射して来るので此方の霊体に光が加入し、増量するのである。その反対に怨み、憎み、嫉み等の想念は曇となって来るから曇が増量するのである。此理によって人間は善徳を行ひ、多くの人から感謝を受くべきであり、決して人を苦しめ、憎悪の念を抱かしむべき事は避けなければならないのである。

以上の理によって、曩に説いた如く左進右退即ち善主悪従は、善の量が多くなる事であり、右進左退即ち悪主善従は悪の量が多くなるといふ訳である。此意味によって大戦争が発生し、大破壊が行はれるといふ事は、悪の量が霊界に曇となって堆積された為、自然浄化作用が行はれる其為である。

世間よく急激に出世をした成功者は成金輩が、何時しか失敗したり没落したりするのは如何なる訳かといふと、自己の手腕や力量によってそうなったものと思ひ、増長慢心し、利己的独善的な行為が多くなり、国家社会の恩恵を忘れ、感謝報恩の念が乏しくなるので光よりも曇が多くなり、いつしか霊衣が薄らぎ没落するのである。又何代も続いた名家や富豪などが没落するのは、元来、社会的上位にある者は、それだけ国家社会から尊敬され優遇されてゐる以上、それに酬ゆべき善徳を施さなければならないのである。然るに、己の利害のみ考へ、利他的行為が乏しいので、曇の方が増量するから、終には形体は立派であっても、霊体は下賎者同様になってゐるから、霊主体従の法則により、遂に没落するといふ訳である。

又、霊衣の薄い程不幸や災害を受け易いものである。それはどういふ訳かといふと、一例を挙げていへば、自己が従事してゐる仕事が成績が悪く、又失敗し易いのである。それは曇の多い場合、頭脳の活動が鈍く、判断力や決断力が正鵠を欠くからである。然し是に注意すべきは、曇が多量であっても悪智慧で成功する場合があるが、それ等は一時的であって決して永続性はないのである。

又、曇の多い程、浄化作用が発生し易いから大病に罹り易いのであり、又災害を受け易いのである。例へていへば交通事故の如きは霊衣の薄い人ほど災害を蒙り、厚い人は難を免れるのである。それは電車、自動車等が衝突する場合、電車自動車の霊は、霊衣の薄い人には当るが、霊衣の厚い人には当らないからである。よくそういふ場合は、撥ね飛ばされて疵一つ受けない事があるが、それは急激に霊衣に当る場合、霊衣の弾力によってそうなるのである。

右の如くであるから、人間は善徳を積み、霊衣を厚くする事が、幸運者になり得る唯一の方法である。故に、自分は生れながらに不運であるなどと諦める必要はないのである。そうして本治療を施術の場合、施術者の霊衣の厚い者ほど治療成績が良いのである。又、多くの患者を扱へば扱ふだけ治療効果が顕著になる事である。故に、本治療士は一人でも多く患者を扱ふべきで、それはどういふ訳かといふと、本治療は卓越せる効果があるから治癒した多くの患者が感謝する。その感謝の想念が光となって、治療士の霊体に入り、霊衣は益々厚くなるので、霊波の放射が強力になるからである。

故に、本医術の根本は、術者の霊衣を厚くする事である。それは短期間の講習によって或程度霊衣が厚くなり、施術の体験を多く積むに従って増々厚くなるのである。



   霊波と霊衣  (天  昭和二十二年二月五日)

私は曩に治病力としての神秘光線に就て説明したが、茲に今一層詳説してみよう。
人間の霊体は肉体と同様の形態を有してゐるが、但だ異る所は霊体には霊衣なるものがある。洋語ではアウルといふ。それは霊体から不断に一種の光波を放射してゐる。恰かも霊体の衣ともいふべきもので其名がある。色は大体白色で、人により稍々黄色又は紫色を帯びたものもある。そうして厚薄の差別甚だしく、普通は一寸位の厚さであるが、病人は薄く、重症となるに従ひ漸次薄くなり、死の直前には全然なくなるのである。世間よく影が薄いなどといふのは、此霊衣の薄い為の感じであらう。又右と反対に健康者は厚く、有徳者は一層厚く、光波も強いのである。英雄などは普通人より厚く、偉人となれば尚厚く、聖者に至っては非常に厚いのである。然し乍ら霊衣の厚薄は一定のものではなく、その人の想念や行為によって常に変化する。即ち正義に立脚し、善徳を行ふ場合は厚く、反対の場合は薄いのである。普通人の眼では霊衣は見得ないのが原則であるが、罕(マレ)には見得る人もある。但だ普通人でも心を潜めて凝視する時、或程度感知し得ない事はない。

そうして霊衣の厚薄は人間の運命に大関係がある。即ち霊衣の厚い人程幸福であり、薄い人程不幸である。又霊衣の厚い人は温か味があり、接する人に快感を与へ多くの人を引つけるが、それは霊衣に包むからである。之に反し薄い人に接すると冷く感じ、不快、寂寞(セキバク)、長く居るを欲せざる事になる。此様な意味によって人は霊衣を厚くするやう努めるこそ、幸運の基である。

然らば、霊衣を厚くするには如何にすべきやといふ事であるが、その説明に当って先づ霊衣なるものの本質を説明しよう。

人間の凡ゆる思想行為を分析する時、善悪孰れかに属する事は今更いふまでもないが、霊衣の厚薄も善悪の量に比例するのである。即ち善を想ひ善を行ふ場合、内面的には良心の満足感が起るので、その想念は光となり、之が霊体に加って光を増す事となり、その反対である場合、悪は曇となって霊体に曇りが増す。又外面的には人に善を行ふ時は相手の人の感謝の想念が光となって、善行者に対し霊線を通じて伝達するから光が増す事になる。其反対である場合、怨み、憎み、嫉み等の想念は曇りとなって伝達して来るから曇りが増すのである。之によってみても人は善を行ひ他人を喜ばすべきで、決して他人から憎み、怨み、嫉み等の想念を受けてはならないのである。

世間よく急激に出世したものや成金輩が、いつしか失敗没落するやうな事があるのは右の理に由るのである。即ち成功の原因は自己の力量手腕、努力に因るとなし、増長慢に陥り、利己的独善的となり、贅沢三味に耽る結果、多数者から憎み、怨み、嫉み等の曇りの想念が蝟集(イシュウ)する結果、霊衣は光を失ひ、薄くなり、終に没落するのである。又何代も続いた名家や富豪などが没落するのは、元来社会的上位にある者はそれだけ国家社会から恩恵を受けてゐる以上、それに酬いなければならない。即ち大いに社会に向って善事を行ひ之によって断えず曇を消すべきである。然るに多くは己の利欲のみを考へ、利他的行為に乏しい結果曇の方が増量し、形態は立派であっても霊の方は下践者同様になってゐる。其為霊主体従の法則によって終に没落する事になるのである。私は以前東京の大震災の少し以前、或霊眼の利く人の話を聞いたが、それによれば大厦高楼の街も、霊的には小さな陋屋(ロウオク)が立並んでゐるとの事であったが果してその通りになり驚いたのであった。

又斯ういふ例がある。それは米国の話だが彼の有名な大富豪初代ロックフェラー氏が未だ商店の小僧であった時、人は善事を行はなければならないとしてキリスト教会へ献金したのである。最初は一週間に五銭であったが、収入の増すに従ひ十銭となり五拾銭となり何千何万円となり、終には彼の有名なロックフェラー研究所の如きものを創設したのである。右の献金の額を最初手帳の裏面に記入したので、其手帳は同家の家宝となってゐるそうである。又米国最大のベッレヘム製鋼所を創設した彼のアンドリュー・カーネギー氏は、死に際会し、氏が平素から唱へた持論を決行した。それは全財産数億弗を社会公共の為献金し、後継者たる子息には百万弗の資産と大学教育とを与へたに過ぎなかったとの事である。

 又ミュンスターベルヒは大著「米国民」で美田を買はぬアメリカ富豪の気質を絶讃してゐる。例へば一九○三年に大学、図書館、研究所などの寄附金だけで約一千万ドル、秘密の寄附はその数倍にのぼるといふ。また前大戦の直後、カーネギー氏は「国際平和財団」に巨額を寄附した。その一部でドイツの学者や学界は蘇った。リープマン教授等が完成した戦争と犯罪に関する世界最初の尨大な研究叢書の公刊もかれの寄附金でやれた仕事だ、この研究だけでも、世界の幸福にどれ程寄与してゐるか測りしれないといふ。私は之等の事実を考へる時、米国繁栄の由って来る処を知るのである。それに引換へ日本の財閥のあまりに利己的であった事が、今日の没落を招いたであらう事を想ひ、決して偶然ならざるを知るのである。

又霊衣の薄い程、不幸や災害を受け易いものである。それはどういふ訳かといふと、曇の為に頭脳が鈍り、判断が正鵠を欠き、決断力が乏しく、物事の見通しが付かない。従而一時的成功を夢み焦るのである。斯ういふ人は小成功はしても長い間には必ず失敗する。此意味に於て一国の政治が悪いといふ事は、霊衣の薄い人が政治を行ふからであると共に、その悪政治によって苦しむ国民も亦霊衣が薄いからで、洵に止むを得ない訳である。

又曇の多い人は浄化作用が発生し易いから病に罹り易く、災害も受け易い。交通事故などで災害を受けるのは霊衣が薄いからで、厚い人は如何なる場合と雖も難を免れる。例へば電車、自動車等に衝突しようとする際、電車、自動車の霊は、霊衣の薄い人には当るが、厚い人には当らない。撥ね飛ばされて疵一つ受けないものであるが、これは霊衣の弾力に由るのである。

右の理を考ふる時、人間は善徳を積み霊衣を厚くする事こそ、幸運者たり得る唯一の方法である。世間よく、自分は生れながら不運であると諦める人があるが、之等も右の理を知らないからで気の毒なものである。又本医術の治療士も霊衣の厚い者程治病成績が良い。又多くの患者を救ふ程、その治療士は多数者から感謝を受ける結果、霊衣は弥々厚く多々益々成績優秀となる訳で斯ういふ人は私の弟子中に多数あるのである。



 「医学革命の書」  序文  (医革  昭和二十八年)

 凡そ人間としての最大欲求は、何といっても健康と長寿であらう。他の凡ゆる条件が具備しても之が得られないとしたら、何等意味をなさないのは今更言う迄もない。従って人間生の執着程強いものはなく、此執着から離れられないのが人間の特性である。といってもそれを免れる事の不可能なるが為、今日迄は諦めてゐたに過ぎないのであって、若し此解決可能な方法が発見されたとしたら、之こそ人類にとっての最大福音であり、大問題である。処が喜ぶべし、その欲求は完全に達せられたのである。

 即ち凡ての病気は医され、天寿を全うし得るといふ実に驚くべき新医術が、私によって創造された事であって、此医術が普く世界に知れ渡るに於ては、既成医学は当然革命されなければならないと共に、人類の理想たる病なき世界は茲に実現するのである。そうして先ず現在に到る迄の医学の歴史からかいてみるが、抑々今日の医学なるものは、知らるる如く西暦紀元前、彼の有名な医聖ヒポクラテスによって創められ、その後欧羅巴に於ては医療以外、信仰、星占、霊療法等様々な治病法が現はれ、東洋に於ては古代から神儒仏の信仰による医しの業をはじめ、易占、禁厭等の外、支那漢時代に到って漢方医術が生まれ、支那全土は固より、特に旺んに採入れられたのが我日本である。西洋医学渡来前までは、今日の西洋医学の如く漢方が一般に普及された事は衆知の通りである。

 処が十八世紀後半に到って、俄然擡頭したのが科学である。之が素晴しい勢を以て欧羅巴全土は固より、世界各地に拡がり、遂に今日の如き科学万能時代が現出したのである。それというのも凡ゆるものが科学によって解決され、それ迄不可能とされてゐた凡ゆるものが可能となる等々、遂に絢爛たる近代文明が確立されたのである。従って此恩恵に浴した人類は、科学を以て無上のものと信じ、科学ならでは何事も解決出来ないとする一種の信仰的観念にまでなったのである。特に医学を以て科学中の最も重要な部門として扱はれた結果、人間生命の鍵をも握って了った事は、恰度宗教信者が神に対する尊信帰依と同様で、他を顧りみる事さへ異端視せられるといふやうになり、世は滔々として科学信仰時代となったのは知る通りである。

 之によって医学は客観的には驚くべき進歩発達を遂げ、人類の福祉は一歩々々増進されるかに見えるが、一度冷静な眼を以てその内容を検討する時、之は又意外にも進歩処か、反って逆コースの道を盲目的に進んでゐる有様であって、その迷蒙なるいうべき言葉はないのである。何よりも事実がよく示してゐる。それは病気の種類は年々増へ、罹病率も減る処か、益々増へる一方である。その結果人間は常時病の不安に怯え、寿齢にしても一般人は六、七十歳が精々で、それ以上は不可能とされてゐる。上代の文献にある如き、百歳以上などは昔の夢でしかない事になって了った。勿論百歳以下で死ぬのは悉く病の為であるから、言はば不自然死であるに反し、自然死なら百歳以上生きられるのが当然である。といふやうに人間の健康は極めて低下したにも拘はらず、それに気付かず、遂に病と寿命のみは宿命的のものとして諦めて了ったのである。而もそれに拍車をかけたのが彼の宗教であって、それは斯う説いてゐる。即ち死は不可抗力のものであるから、その諦めが真の悟りとして諭へたのである。彼の釈尊が唱えた生病老死の四苦の中に病を入れた事によってみても分るであらう。

 そのやうな訳で現在の人類は、病の解決は医学の進歩による以外あり得ないとし、万一医療で治らない場合、止むなき運命と片付けて了う程に信頼しきったのである。処が之こそ驚くべき迷蒙である事を、私は神示によって知り得たのである。というのは医療は病を治すものではなく、反って病を作り悪化させ、遂に死にまで導くという到底信じられない程のマイナス的存在であるという事と併せて、凡ゆる病を治す力をも与へられたのであるから、之によって普く人類を救へとの神の大命であって、今日迄不可能と諦めてゐた夢が、現実となって此地上に現はれたのである。現在私の弟子が日々何十万に上る病者を治しつつある事実によってみても、何等疑う処はあるまい。万一疑念のある人は、遠慮なく来って検討されん事である。

 以上の如く此驚異的新医術の出現こそ、今日迄の如何なる発明発見と雖も比肩する事は不可能であらう。何しろ人類から病を無くし生命の延長も可能になったとしたら、彼のキリストの予言された天国の福音でなくて何であらう。之が世界に知れ渡るに於ては、一大センセーションを捲き起し、世界は百八十度の転換となるのは火を睹るよりも明かである。最近の大発見として世界に衝撃を与へた彼の原子科学にしても、之に比べたら問題にはなるまい。私は叫ぶ、最早人類最大の悩みである病は茲に完全に解決されたのである。故に此著を読んで信じ得られる人は天国の門に入ったのであり、之を信ぜず躊躇逡巡、何だ彼んだといって見過す人は、折角天の与へた幸福のチャンスを自ら逃して了ひ、何れは臍を噛む時の来るのは、断言して憚らないのである。


 


お陰話
 一家断絶寸前の境地より救われし喜び 
              『栄光』133号、昭和26(1951)年12月5日発行
             北海道中川郡幕別町  旭光中教会 椛本登志ゑ(26)

 拙き文筆に託しまして今日この天国の世界に救って戴きました喜びを御報告させて戴きます。私達は農家にて、明けても暮れても明るい生活を致しておりましたが、可愛いい妹が胃腸病を致し二歳にてこの世を去りました。妹が亡くなってからも幸福な日々を過しておりましたが昭和四年九月光子三女が二歳にして又もこの世から去って行き、一家悲しい一週間を過ごし、妹の事もどうやら思いが消えたのも束の間、次は長男喜作がカン虫にて同年十月二日に死亡致しました。

 両親もどうして次から次へと我が子が死んで行くのだろうと心配致し、一時は仕事も手につかず、毎日何も致す事なく日々を暗い思いで送っておりました。一年に二度葬式を出すそれも二カ月間に二人死す家も珍しい事でしょう。そうこうしている間に一年は過ぎ去り、昭和六年になり正月も無事に過し、二月を迎えましたところ、次に稚子が病魔に取つかれ、二十一日を最期とし又々世を去って行きました。

 両親は我が子のいたましさに身をさかれる思いにて、昼間は仕事に追われておりますが、夜ともなれば仏の前に座し泣を流す。それが日課のごとくくり返されました。それ迄は虻田郡の京極におりましたがある人に見てもらいましたら家が悪いとの事、早速私達は十勝の現在の所へ移り変りました。あまり心配と無理を致したせいか、母親が腹膜病にて床につく身となりました。父親もこうなれば必死になり、医者よ薬よと到る所へと通わせましたが一向に治らず、神におすがりする身となり、天理教に母親が昭和七年に入信致す事となり、神の御守護にて母親も無事全治致しました。

 天理教に入信させて戴いてこの方迄は無事に明るき生活が出来るようになりました。
 月日の流れるのは矢のごとくとやら、昭和二十三年に入り楽しい正月を迎えました。

 至って母親は身体弱いので農業もあまりせず天理教教会にいつも通い、お詣りさせて戴いておりましたが、ついに今度は母親が同年五月坐骨神経痛にて死亡致し天理教にて御葬式をして戴き、それからは父、私二人の生活となり、一生懸命神におすがり致していました。母親が亡くなってから一週間目に今度私が脳膜炎の状態となり、早速医者に行き手あてをして戴きました。

 御蔭をもって脳膜炎も無事に良くなりましたが心臓、痔、脚気と次から次へと病み、私もこれでこの世とお別れ致さなければならない身となり、毎月の十五日より二十五日の十日間はきまって頭痛が致し、病のどん底におとされて毎日父にお世話になり、天井とにらめっこを致しているのが日々の仕事でした。父は仕事も出来ず今日はこの医者へ、昨日はあの医者へ、明日は祈祷屋へと毎日四里の道を我が子可愛いさの為に通って下さいましたが、一向に私の体は良くなりませんでした。私も九分九厘あきらめておりました。それからが私達一家に光明が差込んで来たのです。

 忘れも致しません、昭和二十六年一月十三日、豊頃より来られた助川先生が、私が床についているのを見て神のお話をされ、又神の力にて病を治して戴ける事もお話し下さいましたので、早速御浄霊をして戴く事に致しました(天理教に入信致しておりましたので何のうたがいもありませんでした)。一日一日と体が良くなって来ます。助川先生も遠い道(六里)を通い、あるいは泊られ、一生懸命に御浄霊をして下さいました。お蔭にて今迄の病魔はすっかり私の家より離れてしまいました。

 三月三十日帯広へ行き、御守様を戴いて来ましょうと言われました時、まだ帯広迄汽車に乗って行くには無理だと思いましたが、助川先生の言われるままに帯広教会へと行きました。何と喜しい事、行合う人々は十人中十人共びっくりした顔を致しております。私が今頃生きて道を歩くとは一人も思っていないからです。一歩一歩歩く嬉しさ何にたとえようありません。帯広教会へ着いたのは十一時半でした。

 色々と宗宮先生よりお話を聞き御守を戴き、神に堅く誓い、喜び勇み吾が家へ帰りました。その翌日からは救いの御用に御手伝いさせて戴く身となり、今では毎日十五名位の方は御浄霊させて戴いております。
 去る六月の十一日に光明如来様を迎える事となり、宗宮先生に来て戴き、御霊祭をして戴きました。ちょうど祝詞をお唱え致している時(私はその後解りません)全身にふるえが来て手は合掌致し、口を開き始めました。

 「私は先祖の何々である」と一人一人名を言い「今日光明如来様をお祭りして戴いたので私達はこのように苦しい所より救われて皆今は喜びの世界に行ける事となった」「しかし一ツだけお願いしたい事がある。それは今迄私達は天理教に祭って戴いていたが今日より昔の禅宗に切替えてほしい。これだけ御願い致す」と言って先祖は帰りました。天理教をお祭りする前は私の家は禅宗でしたが母親が入信致してから天理教に切替え神を祭っていたのです。天理教に入ってから七名の方々が天理教に祭っていたのです。早速霊の言うがままに切替えをさせて戴き、今は淋しいながらも天国の生活を致し、私が苦しい病床についていた頃の事も夢と消え今は人々を救わさせて戴く身となりました。

 どの社会にこのような偉大な力があるでしょうか、私達信者は今後神示のままに人類救済に奮闘致さなければならぬ時が近づいて来ております。互に協力し合い、一日も早く地上天国を作り上げましよう。
 明主様始め諸先生方誠に有難う御座いました。読みづらい文を御許し下さい。有難う御座いました。謹んで御礼申し上げます。