平成24年9月度 ミニ講座

伊都能売の身魂   (地三十五号  昭和二十七年四月二十五日)

 私は今迄幾度となく、伊都能売の身魂の事を言ったり記いたりし
たが、余程難しいと見えて、真に行える人は何程もないようであ
る。処が決してそう難しいものではない。根本が判って習性にして
了えば案外容易に実行出来るものである。実行出来ないというの
は、非常に難しいと思う其先入観念の為である。と共にそれ程重要
な事と思っていない点もあるように思うから、幾度もかかない訳に
はゆかないのである。

 伊都能売とは一言にしていえば、偏らない主義で、中道を行く事
である。小乗に非ず大乗に非ず、といって小乗であり、大乗である
という意味である。つまり極端に走らず、矢鱈に決めて了わない事
である。そうかといって決めるべきものは勿論決めなくてはならな
いが、其判別が難しいと言えばいえるので、言わば料理のようなも
ので、甘すぎていけず、辛すぎてもいけないという恰度良い味であ
る。

 之は又気候にも言える。暑からず寒からずという彼岸頃の陽気
で、此頃が一番快いのである。というように人間の心の持方も行い
も、そういうようになれば、第一人から好かれ、万事旨くゆくのは
当然である。処が今日の人間はどうかというと、実に偏りたがる。

 之がよく表われているのが彼の政治面であろう。今日右派とか左
派とかいって、初めから偏した主義を標榜している。従って物の考
え方が極端で、而も我が強いと来ているから、年中争いが絶えな
い。という訳で之が国家人民に大いにマイナスとなるのである。

 此意味によって政治と雖も伊都能売式でなくてはならないのは当
然だが、そこに気の付く政治家も政党も仲々出そうもないらしい。
何となれば吾々に近寄る迄になり得る人は洵に寥々たる有様である
からで、又戦争の原因もそうで、此両極端の主義を通そうとする思
想から生まれる其結果である事は勿論である。

 そうして信仰上の争いもよく検討してみると、ヤハリ小乗と大
乗、即ち感情と理性との相違からである。だから其場合、経の棒を
半分短かくし、緯の棒も半分縮めれば一致するから、円満に解決出
来るのである。従ってよく考えてみれば仲直りも大して難しいもの
ではないのである。

 それに就て斯ういう事もよくある。即ち如何なる方面にも保守派
と進歩派が必ずあって、宗教でもそうである。此二者の争いを観る
と、前者は古い信者で伝統墨守的頑(カタク)なで、新しい事を嫌う、先
づ丁髷(チョンマゲ)信仰ともいえるが、後者の方は進歩的ではあるが、
新しさに偏して何事も古きを排斥したがる。そこに意見の不一致が
起り、相争う事になるが、之等も伊都能売式になれば何なく解決出
来るのである。

 そうして肝腎な事は宗教と雖も、時代精神を深く知る事である。
処が宗教人はどうも時代に無関心で、寧ろ之を可(イ)いとさえしてい
る傾向が強い。何百何千年前の伝統を金科玉条としている。成程信
仰は精神的なもので、経であり、永久不変の真理であるから、曲げ
られないのはいいが、経綸の方はそうはゆかない。
 之は物質面であるから、時代相応に変遷するのが本当である。即
精神物質両方の完全な働きで、即ちどこ迄も伊都能売式で行かな
くてはならない

 右の意味に於て、今日釈迦やキリストの時代と同じように思っ
て、其教や行り方を其儘実行しても、現代人の魂を掴む事は到底出
来ないのは言うまでもない。既成宗教の振わないのも其点にある
を知らねばならない。

 要するに伊都能売の働きこそ、一切の根本的真理である事が分れ
ばいいので私が常に伊都能売の意義を説諭するのも其為である事
を、信者諸君は充分心得て貰いたいのである。



  御神意を覚れ   (栄二百三十七号  昭和二十八年十二月二日)

 これは以前もかいた事があるが、本来人間というものは神様の御
目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目
的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅
の真理である。

 処が何しろ祖先以来の薬毒があり、又生まれてからも本当の事を
知らないが為薬毒を入れるので、それが為病気に罹る事もあるが、
これも止むを得ないのである。併し神様はお役に立つ人が病気の為
働けないとすれば、神様の方では損になるから、速かに治して下さ
るのは当然で、何等心配はないのである。処がそれを知らない人達
は、薬と称する毒を用いて、病気を抑えるのであるから全く真理に
外れており順調に治る訳はないのである。

 この事は独り病気ばかりではない。それ以外凡ゆる災も同様であ
って、凡ては浄化作用である。併し同じ浄化作用でも原因によって
は浄化の形も自ら異うのは勿論である。例えば金銭や物質の罪であ
る盗み、使い込み、人に損をかける、分不相応の贅沢をする等々の
罪穢はヤハリ金銭や物質で償われる。

 世間よく金持の息子などが道楽者で、親の遺した財産を湯水のよ
うに使う事なども、親や祖先の罪障消滅をさせられるのである。そ
れというのは祖霊が自分の血統(チスジ)を絶やさぬよう、益々一家繁
栄を望む為、子孫の中の一人を選んで浄化に当らせるのであるか
ら、この場合何程意見しても糠に釘である。

 例えば茲に二人の兄弟があり、兄はドラ息子で手が附けられない
が、弟は律儀真道であるとする。一寸考えると兄の方が悪く、祖先
の名を傷つけるように思えるが、大乗的にみるとその反対である。
何故なれば祖先の罪穢を消す点からいえば、兄の方が上だからであ
る。というように人間の考えで善悪は決められるものではない。

 又火事で焼け、泥棒に盗られ、詐欺に遭い、相場や競馬、競輪等
で儲けようとして損をしたり、商売の失敗、病気で金を使う等々、
凡て物質の罪は物質で浄化されるのであるから、仮令人間の法律は
免れ得ても、神の律法は絶対であるから、どうしようもない。

 従って人間の眼を誤魔化す罪は眼病耳に痛いような言葉の罪は
耳の痛みや舌の病人の頭を痛めるような行為は頭痛自己の利益
のみに腕を奮う罪は腕の痛みというように、凡て相応の理によって
浄化が行われるのである。

 又斯ういう事もある。それは信仰へ入ってからの苦しみである。
しかも熱心になればなる程一層苦しむものである。

 そこで信仰の浅い人はつい迷いが起るが、この時が肝腎である。
この理は何かというと、神様はその人の熱心に対して、早く御利益
を下されようとするが、まだ汚れがあるから浄めねばならないの
で、入れ物の掃除としての浄化である。その場合少しも迷わず辛抱
さえすれば、それが済むや思いもかけない程の結構な御蔭を頂ける
ものである。

 これについて私の経験をかいてみるが、私は二十年間借金に苦し
められ、いくら返したいと焦っても駄目なので、到頭諦めてしまっ
た。それが昭和十六年になって漸く全部返す事が出来たので、ヤレ
ヤレと思った事である。すると翌十七年になるや思いもかけない程
の金が入り始めたので、今更ながら御神意の深さに驚いたのであ
る。

 又世間よく焼太りなどというが、これも浄化が済んだから運がよ
くなった訳である。彼の熱海の火事にしてもそうで、焼ける前と今
日とを比べたら、雲泥の相違である。

 以上によってみても善い事は無論結構だが、悪い事も浄化の為
で、それが済めばよくなるに決っているから、ドッチへ転んでも結
構な訳で、無病結構、病気結構としたら、これこそ真の安心立命で
ある。といってもこれは信仰者に限るので、無信仰者は寧ろ反対で
あり、苦しみが苦しみを生み焦れば焦る程悪くなるばかりで、遂に
は奈落の底へ沈むようになる。この理によって人間幸福の秘訣はこ
の道理を弁える事である。



  十四、 真の営養学     (医講  昭和十年)

 今日の営養学上、ヴィタミンがどうとか、カロリーが幾許あれば
いいとか言ふことは、実は、枝葉末節の問題であって、営養の根本
は食物の霊気其物にあるのである。然し、此霊気なるものは、試験
管では測定出来ないものであるから、如何に研究しても今日の学問
の程度では判らないのである。カロリーとかヴィタミンとか、蛋白
とか、含水炭素とかいふ物は、実は、霊気を取除いた後の糟の如き
ものである。

 各項に於て細説したる如く、人間は霊と体で成立ち、活動してゐ
るものであるから、食物も、其霊体両方の営養が必要なのである。
凡ゆる食物、夫等も悉く、霊体で成ってゐるのであるから、新しい
食物、即ち新鮮な野菜、漁りたての魚程、霊気を多分に含まれてゐ
のである。此理に由って、食物の腐敗するのは、霊気が放出する
からである。

 食物にも霊気保持期の長短があって、穀類は一番保持期が永く、
蔬菜類がその次であって、魚が一番短いのである。之は腐敗の時間
をみれば、能く判るのである。

 随而、新鮮な物程、霊気が濃い訳である。併し、干物にすれば、
比較的長く保持されるのは、塩の霊気を借りる為と、水分を抜く為
とである。(水は元来、右進左退の活動であって、空気とは反対の
運動リズムである)缶詰は、密閉して、空気を遮断する為、空気中
に放散すべき霊気が、保持されるからいいのである。

 人間の精霊を養ふには、食物の霊気であり、人間の体を養ふ物は
食物の体である。然るに、人間の活力の根源は、霊気の充実にある
のである。体の強弱は、実は、霊気の充実と否とにあるのである。

 然るを以て、健康の根本は、霊の多量に含む物を食へばいい。さ
すれば、精霊の活力を益し、精霊の活力が増せば、肉体の強健を増
からである。

 彼の各種の滋養剤の如く精製されたものは、霊気が発散して、稀
薄になってゐるから、精霊を養ふ力は殆んど無くなってゐる為、何
程、滋養剤を摂ると雖も、活力は増さないのである。それよりも寧
ろ、新鮮なる野菜の如き物を食す方が、どれ程賢明であるか知れな
いのである。

 今日の科学は、霊を無視し、体のみに依って研究されたものであ
るから、間違ってゐるのである。最も判り易い、例へば吾人、人間
である。手足や五体が心を動かしてゐるのではない。心が四肢五体
を動かしてゐるのであるのと同じ道理である。

 人間を構成してゐる、凡ゆる物質は、幾百種に上るか判らない。
主なる物としては血液、細胞、筋骨、毛髪、水分、石灰質等、其一
つ一つの中に、幾種類も成分が含まれてあるのである。又各種の臓
器、夫等が皆一秒の間も停止する事無く活動しつつある。そのエネ
ルギーは何に依るかと言ふと、孰れも、食物から抽出されたる、霊
素と体素とである故に、凡ゆる食物の成分には、人間の生活力に必
要なる成分を、含有されてゐないものはないのである。

 故に、理想から言へば、出来得る丈種々の食物を摂るのがいいの
である。何が薬だとか、何がいけないとか、人間が理屈を付けるの
が、間違ってゐるので、此点からも、食べ度いと思ふ物を、種々食
べるのが、一番いいのである。



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  観音力に祖霊も救はる       
                        『地上天国』5号、昭和24(1949)年6月25日発行
          静岡県志太郡高洲村兵太夫  日本観音教天国会日光分会 大井いね

 謹みて御報告させて頂きます。私は去る一月十二日曽根金十さん
のお孫さんのさちゑさんが見えまして、お祖父さんが御浄化を頂
き、昨夜苦しんで眠れなかったから、すみませんが来ていただきた
いと頼まれました。

 金十さんは約二年半前に教修を受けられた方ですがリョウマチが
ひどくて永い間患っておられる方です。永い苦しみにもめげず信仰
を持ち続けられ、殊に最近はただただ一心にお観音様にお縋りする
心になっておられ、先日御神体を御願になられたのでございます。

 私は余りにも力のない自分を考えお断りしようかと思案にくれま
した。その時頭に浮びましたのは日頃先生より教えを戴いておりま
す、誠!誠!!誠の一字でした。

「嗚呼申し訳なかった神様お許し下さいませ、私は誠が足りなかっ
た、誠で貫こう。誠! 誠!!」と幾度となく心の中で繰返しなが
ら、ことによったら高洲の人達から喜ばれる時が来るかも知れな
い。誠で貫こうと決心を致し、御奉仕させて戴きました。その後曽
根十三吉様は勿論の事、大井さかゑ様も一生懸命御奉仕して下さい
ました。御蔭様で金十様も気分がだんだん良くなり、私共は本当に
お観音様の御守護に感謝いたしております。

 二月一日今日は曽根さん達は大先生様の御面会を戴かれる日で
す。せめて私は金十様をお招きして、御神体の前で大先生様の御面
会頂くその心持ちになって、金十様に出来るだけの御浄霊をさせて
頂こうと思いまして、金十様に来て載きました。

 そして本当に大先生様の御面会を頂く心持ちになってお参りしま
しょうと言って、善言讃詞と御讃歌をあけてお参りし一生懸命御念
じして御浄霊を致しました。御浄霊後火鉢を囲みながら金十様が
色々と御先祖様やお位牌の事をお話なさるのを聞いております中
に、私の身体は少しずつゆれ始めて参りました。何となく霊憑にな
りそうな気がしましたので、さちゑさんにも来て頂きました。

 主人に善言讃詞をあげ霊査法を取って頂きました。
「どなたですか」とだんだん聞いて行きますと「市蔵」と言って全
十様のお祖父様が出られました。
「今日は御観音様のおゆるしがあって来たのだ。ゆっくり話して行
く。」

 その中に大井さかゑさんが来て下さって「霊査をして下さい」と
言うと
 霊「金市(金十長男)金市、金市を呼んで来てくれ」そして呼ん
で来ると今度は、
「おみさ(金市妻)おみさを呼んで来てくれ」そしておみささんが
金市様の上座に坐ろうとすると、
「順序が違う違う。いいか礼節、順序、よおく心に置いておけ」と
何回も繰返えす。

 そして、
「わしは曽根の守護神だ守護神だ」と言う。
 さかえ「今度は御神体をお願いなさって嬉しいでしょう」
「うれしいうれしい。しかし神様を御迎えする前に家中の者が一ツ
心になって、一つ心にならなければ神様をお迎えする事は出来な
い。いいか、判ってくれるか、解ってくれるか。金市おみさ」
 と言いながらしばらく黙って考えている。返事をすると、

 霊「金市おみさ、良くその心になってくれた、うれしいうれし
い、何回繰返してもたりない」と言って大変よろこぶ。
 霊「今日は十三吉様は大先生様の御面会、十三吉さんは偉い人
だ。十三吉さんは偉い人だ」と繰返し繰返し賞める。
 さかえ「御面会は何時頃ですか」
 霊「それはわしは知らん。時間を言うのは狐霊だ。お前はよくや
ってくれた。よくやってくれたなあ」と言って喜ぶ。

 霊「さちがおいねさんを頼みに来た時、おいねさんは考えたの
だ。余りひどいと思ったのでなあ、しかしおいねさんは決心して出
掛けたのだ。高洲の人達がどんなに喜ぶ時が来るかも知れないと思
ってなあ――。おいねさんはおいねさんは」と言いながら泣く。
 霊「金市、お前も観音力をうけてくれ頼む頼む」返事をすると、
 霊「それからなあ金雄(金市長男)にもうけさせてくれ、順序が
あるから、一度でなくてもよい。霊界は今真昼間だ、転換はもう終
った。今年中に救われないと大変だよ」以下略。

 それから引続き変って子供が乳を欲しがって出る。また変って今
度はアグラをかき「角蔵だ。角蔵だ」と言って金十様の親が出る。
 霊「わしはリョウマチで苦しんでいる。足がきかず霊界でもこの
有様だ。金十がわしの通りだ。わしは苦しい。さかゑさん、すまな
いがお浄めをしてくれ。金十お前はわしの後へ来い、金市お前もお
浄めを受けるのだ」そして御浄霊を始めると、
「勿体ない勿体ない、大先生様のお浄めだ。大先生様のお浄めだ。
勿体ない勿体ない」と何度となく頭を下げる。

 そして御浄霊が終ると今度はまた、
「さかゑさんすまないけど御讃歌をあげてくれ」御所望はと聞く
と、「神の御光」どこだろうどこだろうと探していると「十四頁、
十四頁」と言う。そして御讃歌の奉誦中何回となく頭を下げお礼を
言って帰られました。

 このように大きな御守護を頂きまして私は本当に何とも御礼の申
し上げようも御座いません。こうして大きな御力を頂く事によって
御先祖様もお救われになるのかと思いますと、ただただ勿体なくて
目頭の熱くなる思いで御座います。大先生様の御守護、中島先生様
の御訓え、樋口先生の日頃のお諭しを、深く深く感じ厚く御礼申し
上げますと共に、一人でも多くの人達が救われますようにとお念じ
申し上げます。



  霊に聞く            『地上天国』4号、昭和24(1949)年5月25日発行

場  所 兵庫県佐用郡久崎町家内 
日  時 昭和二十三年七月二十三日午後及二十九日夜
お浄霊者 高見甲子夫氏   受けし人 高見厚子さん(二十三才)
憑った霊 祖父

問「貴方は何故この肉体に憑りましたか」
答「本年二月十七日佐用の鎌井様のお宅で、この肉体は思いも寄ら
観音力を戴き、観音様を御祭りして戴き、嬉しくてうれしくて歓
びに出て来ました。

問「貴方は観音様をお祭りして戴く前、霊界のどこにおられました
か。」
答「地獄の十段目におりました。」

問「どんな仕事をしておられましたか。」
答「軽微な労働をしていましたが、遊ぶ暇はありません程でし
た。」

問「今はどこにおられますか。」
答「中有界の十五段目におります。」

問「どんなお仕事をなされていますか。」
答「上からお聞きした事を下の者に話しています。他には何にも仕
事はなく遊んでいます。」

問「霊界は天国中有界地獄各六十段に分れ、全部で一八〇階級に分
れ、その上に最上天国かありますね。」
答「はい、その通りです。」

問「霊界は随分明るくなって来ましたか」
答「はい、そうとも、私も生きていた間は地獄、極楽はこの世にあ
りと思っていましたが、決してそんなものではありません。霊界の
生活が現界の生活の何層倍長いものか、私は皆の者に何とか知らせ
てやりたい。
 若い娘や年寄りの男女があの針の山を痛々しく歩いている姿を
見、大きな釜の中に毎日数千人もの霊が入れられて行く様子を見て
私はじっとしていられない、地獄の霊は何とか救って貰いたいと一
生懸命になって現界の者に知らせている。私は先の事がよく判るか
ら余計じっとしていられない。何とか一日も早くこの肉体の父母が
観音力を戴いて貰いたいの一心です。」

問「今物や金があっても仕方がないと思われませんか。」
答「そうです。皆の者にこんな大きな家を建ててやり、今では不自
由なく暮しておりますが、そんな時ではありません。今いくら物や
金があっても駄目です。こんな家があってもちょっと地震が起れば
ペチャンコです。立派な額があがっているようですがこんな物紙屑
にもなりません。
 天幕張りをしてもよい木の根を食べてもよい、大光明如来様の御
神体と観音力を皆の者が戴き、屏風観音様を戴き御額をいただく事
です。これだけあれば何も他にはいらない。何よりの宝です。今一
生懸命田畑を耕しているが今年の米も食べられるかどうか判らな
い。病気だけで人は死ぬのと違う。」

問「ではあなたは東京へでも米国へでも行こうと思う所へはいつで
も行けますか。」
答「どこへでも行けます。」

問「では世界の情勢は御存知ですか。米ソの関係は御存知です
か。」
答「判るとも判るとも。」

問「では米ソの関係は如何ですか。」
答「紙一重です。」

問「開戦についてはどうです。」
答「大体○○頃です。」

問「日本の内閣及国会は現状で続きますか。」
答「どちらも○○頃には変るでしょう。」

問「あまり永くおられては御肉体は苦しみますから、他に何か言い
たい事があればおっしゃりなさい。無ければ御帰りになればよいで
すから。」
答「どうかくれぐれもこの肉体の父母が一日も早く観音力を戴き、
御神体をお祭りするよう言って戴きたい、そうすれば私は天国へ引
上げられます。」

問「よろしいよく御伝えして上げます。祝詞善言讃詞をお唱えすれ
ばどうですか。
答「大変救われます。特に御讃歌をあげて戴けば何とも言えない気
です。またお詣りの時リンをたたかれますがあれは何とも言えぬ
耳障りです。でもまだ家の者が皆わかりませんからなさらないよう
にはいえませんが、一日も早く観音力を戴くようくれぐれも念願い
致します。九月になれば必ず父母から頭を下げて来ますが九月では
おそいのです。八月中ぜひお力を戴くよう伝えていただきたい。厚
子よ随分苦しいだろうがもうしばらくの辛棒だ。頑張ってお道のた
め人を救ってくれ、一年すれば必す幸福な日が来るからどうか頑張
ってくれ。」

問「では父母によくお話をして貴方がこういっておられる事をお伝
えしてあげますから安心してお帰り下さい。」
答「どうか観音様お願い致します。前に観音様が立っておられる。
厚子の後にも観音様が立っておられる。観音様どうかお願い致しま
す。」

 なお第二回目には同様厚子さんの父母の受講を懇願された後、本
年○○月○○日には大変事が起る事は知らされているが、中有界の
霊ではそれがどんな事かは教えられない。天国の霊は知っている旨
の事を申しました。