平成24年10月度 ミニ講座

宗教は奇蹟なり        (光十二号  昭和二十四年六月十一日)

 宗教と奇蹟は切っても切れない関係にある事は、昔から幾多の文
献によっても明かである、もし奇蹟のない宗教でありとすれば、そ
れは最早宗教とは言はれない、何となれば奇蹟は神が造るのであ
って、人間の力では一個の奇蹟も造られ得ないからである、故に
蹟のない宗教は宗教としての存在価値はない訳である、ただ、形式
だけが如何に宗教的であっても、それは宗教的価値を喪失してゐる
といってもいい。

 以上の意味に於て偉大なる宗教程奇蹟が多く顕はれる事は当然で
ある、奇蹟とは換言すれば予期もしなかった利益が現はれる事で
る、それによって衷心から信仰心が湧起入信し不幸から救はれ
、之が真の宗教でなくて何であろう、百の理論よりも一の事実
に如かない事は今更言う必要はない、今日の世相は、敗戦による結
果とは言い乍ら、社会悪の激増は勿論、特に将来の日本を担うべき
青年層が不健全なる思想に禍いされ混迷裡にある事実は寒心に堪え
ないものがある、その原因を衝けば唯物思想を金科玉条として教育
された結果で、此誤謬に目覚めない限り到底此問題は解決され得る
筈がない。

 然らば唯物思想を打破するにはどうしたらよいかといふと勿論
教心に目覚めなければならないが、それには根本として見えざる処
の神を認めしむる事は常に吾等が唱導する処である、とすれば其方
法は唯だ奇蹟あるのみである、奇蹟とは勿論人間業では不可能とさ
れたものが可能となり理論では絶対解釈が出来得ない事実を眼の前
で見せられるとすれば如何なる疑惑も一遍に煙散夢消するのは当然
である。

 故に標題の如く「宗教は奇蹟であり奇蹟は宗教であり」と言い得
るのである、随而奇蹟によって神の存在を認識せしめ、唯心思想を
育くむ以外、平和日本建設も社会悪追放も、予期の成果は挙げ得る
筈はない。
 人文史上、本教位奇蹟の多い宗教は未だ見聞した事はあるまい、
此意味に於て世界の大転換期に当って、唯心的魂を喪失した世界に
対し奇蹟の息吹きによって、眠れる魂を揺り動かすのが本教の
目的である。
 万能の神は、観世音菩薩又の御名光明如来の御手を通じて、自由
無碍なる御活力を駆使し、多々益々奇蹟を示し給い、本教を機関と
して、救世の大業を行はせ給いつつあるのである。



  人は人を咎むる勿れ  
                    (救五十五号  昭和二十五年三月二十五日)

 時々人を咎める事の可否に就て質かれるから、茲にかいてみる
が、実をいえば人を咎める権能は神のみが有せられるものであっ
て、人が人を咎めるという事は実は人が神の地位を犯す事となる
である、又別の面からみるも、人を咎めた結果は良い事は先づな
い、大抵は逆効果となるものである。

 私の事をいうが、私は人が間違った事をしてる場合、見て見ぬ振
りをして放っておく、すると間違った事はいつか頭をブッつける時
が来るそこで自ら眼が覚め心から悔改めるものである、これを例
えていえば、坂から大石が転っている際、それを止めようとするよ
うなもので、決して止まるものではない、もし無理に止めようとす
ると怪我をするのがオチである、故に落ちるのを待って落ちてから
徐ろに上げればいいのである、

 といっても其場合そういう事をすると結局失敗するという事は話
してやった方がいい、それによって頭をブッつけた時、ハハァー以
前言はれた事はこれだなと早く悟るからである、以上の如く人間が
人間を咎め権力や何かで無理に制えつけたり脅かしたり、又戒律な
どで縛るのは一時的で、何時かは必ず反動があり、結局は面白くな
い、どうしても当人自身が非を悟って心から悔改めるのでなくては
本物ではないのである。

 此事は医学にも当嵌まる、現代医療は病気に対し種々な唯物的責
道具で、病気を止めようとするが成程一時は止め得ても必ず反動が
起って再発する、それが初めの病気より悪質である、故に吾等の神
療法の如く全然責道具など用いないで、病人自身有する良能の力で
自然に治させる故に、その良能力を増させる方法こそ真の医術であ
る。



  十五、 薬剤の逆作用         (医講  昭和十年)

 薬剤は、病気治癒を妨害するものである理は、屡々述べた通りで
あるが、何故に妨害するかと言ふと、それは逆作用をするからであ
る。逆作用とは、薬剤を用ひる目的と反対の結果になるのである。

 例えば、胃の悪い人が、消化薬を嚥(ノ)むとする。成程、一時は快
くなり、病気が治癒される様に思ふが、何ぞ知らん、それは、胃の
力ではなく、薬の力に依ってであるから、其為に胃其物は、活動が
鈍るのである。それは、薬剤が働くから、胃自身の活動は、一時停
止の状態となるのである。

 随而、服用すればする程、胃は益々怠惰となり、益々弱るのであ
る。故に、最初、胃を強健にしたい目的で、服用する薬剤の、其結
果は、反って反対に、胃を益々衰弱させるといふ結果になるのは当
然なのである。

 之と同じく便秘する人が、下剤を用ゆれば、大便排泄機関は活動
の必要がないから、漸次退化してゆくのである。退化する結果、
愈々便秘を来し、愈々下剤の必要を感ずるのである。

 斯様な訳であるから、胃を強健にし度ければ、胃をして大いに活
動をさせなければならない。それには、特に、消化良き物を択ば
ず、すべて、普通食を摂取するのがいいのである。普通食は、自然
に、人間の胃の活動に適合する様に出来てをり、祖先以来、それに
依って立派に健康を保って来たのであるから、特に、牛乳を呑むと
か、肝油を呑むとかは、如何に不合理であるかは判るのである。

 故に、万一、普通食を摂ってゐて、消化が悪るかったり、又は、
胃に異常が生ずるとすれば、それは何れかに、間違った事があるの
である。例へば、運動が不足だとか、飯の分量や時間を決めて食ふ
とか、薬剤を服用するとか、夫等の原因に由ってであるから、其原
因を改めれば、必ず治るのである。胃病等に罹るべき筈のものでは
ないのである。故に、胃病などになるといふ事は、私は不思議と思
ふのである。

 次に、便秘なども不思議なのである。物を飲み食ひすれば、水分
は尿となりて排泄され、固形物は糞便となって、体外へ排泄される
のは、定り切った事である。人間の肉体はそう出来てゐるのであ
る。そうならないのは、矢張り何処かに間違った点があるのであ
る。それをよく査べてみれば必ず解るので、早速、其原因を革めさ
へすれば必ず治るのである。即ち、水分の摂り方が少いとか、野菜
が少いとか、偏食の癖があるとか、又は、腸の附近に気の付かない
様な病気があって、その病気の微熱の為か、先づ、夫等の点を考ふ
べきである。

 右述べた、胃病と便秘以外、凡ゆる病気はそうなのである。よ
く、私が実見する所であるが、腹膜や肋膜で溜った水を排泄すべ
く、尿の出る薬を、医師は服ませるが、之も前述の理に依って、其
薬剤を服用するや、一時は、効目に由って尿が出、尿が出るから病
も軽減するが、それは一時的の事であって、或時期を過ぎると、漸
次便秘の場合と同じく、尿の排泄が減少してゆくのである、従而
は悪化するのである。

 今日の科学の試験管での研究になった薬剤が、生命力の神秘に触
れると言ふ事は、痴人の夢である。分秒も停止なき、不可解の液体
や熱、其他未知の物質に依って動いてゐる内臓と、ただ物質に過ぎ
ない、試験管の中とは、夢想も出来ない異ひさである。学理と反対
の結果になる等は、当然(アタリマエ)の話である。此様な事すら、社会一
般に判ってゐない為に、如何に多くの人が、此薬剤の逆作用に由っ
て、苦しみつつ、命を縮めてゐるかは、実に恐るべきものがあら
ふ。故に一日も早く、是等の誤謬を、一人にても多く、判らさなけ
ればならないのである。



      悪とは・・・悪を無くする  (御教え抜粋)

「つまりミロクの世というのは悪が無くなる事です。そうすれば、
之丈の文化で素晴しい世界が出来るのです。(中略)結局神様の目的
は、今言つた様に悪を徹底的に減らす事です。追放する事です。
で、今読んだ様に悪を善と信じてやるのが一番恐ろしい。

 それで、善と信じて悪を行つているその一番大きいものが医学
す。ですから、医学というのは、遠慮無く言えば悪魔が作つたもの
です。その悪によつて人間の寿命を縮め、病気という苦しみを与え
ていたのです。それで人間は一生懸命それを逃(ノ)がれ様として、そ
うして文化が発達した。

 ですから戦争も病気も、文化を発達させる為の必要物だつた。だ
から今迄はそれで良いが、然し限度があつて――時期があつて、
愈々その時期が、悪不必要の時期となつたのです。それを愈々神様
がやられるのです。(中略) そこで愈々、そういつた人間を弱らせる
方法は止(ヨ)さなければならないという仕事は、つまり私がやるので
す。」              (御教え集12号  昭和27年7月17日)



「つまり、悪を無くすればそれ丈で地上天国は出来るのです。今み
んな困つているのは、人間の悪の為に困つているのです。だからそ
の一番怖いのは戦争、病気。それから今の共産党の運動も、それか
ら泥棒だとか、変な様な事で人殺しをするという様な事の因(モト)
は、みんな悪です。

 で、悪でも、直接――火焔瓶を投げたり、まあ、破壊運動をする
のは、之は分り切つた悪です。又泥棒したり色んな事の悪は分つて
いるのですが、そういう事よりも、悪を善と思つてそうして悪を行
う事、之が一番恐しい。やる方は善と思つて一生懸命やるのですか
――。

 その内の親玉が、何時も言う通り医学です。「医は仁術なり」と
言つて、非常に良い仁術と思つているのです。医学によつて病気を
作り、それを悪化させて生命迄奪つて了うのです。之程恐ろしい悪
はない。之程深刻な悪はない。この悪を人間から除けば悪は無くな
つて来るのです。」         (御教え集12号  昭和27年7月15日)



「ですから現在の医学というものも、之は悪の現われです。之は必
要悪です。之は医学が使つている薬が、之が又よい材料です。薬で
人間を弱らせるのです。寿命を縮める。(中略) 之からは――これ以
上やると行過ぎ的になつて了う。そこで、こゝらで止(ト)めて了おう
と――止めるには本当の事を知らせなければ止められないから、
が本当の事を皆に知らせて止める。」               
                   (御教え集12号  昭和27年7月26日)



「そうして神様の最後の目的である理想世界――地上天国を造ると
いうその時期になつたのです。そこで今迄の色んな間違つた事を分
らせ、そうしてそれを無くさなければならない。ですから病気は
薬毒だ、間違つていると言つた処で、斯うして(御浄霊)治す。
それを見せなければ人間は信じませんから、斯ういう治す力を私に
与えて、医学や薬の誤を知らせるという意味で、それが根本
意味です。」          (御教え集12号  昭和27年7月27日)



「だから悪を無くするという事は何うしても宗教でなければならな
のです。悪というのは心の問題ですから、心の問題を解決するに
は、之はやはり信仰より他にないのです。」
                    (御教え集12号  昭和27年7月27日)



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     明主様へのご浄霊            (渋井文書より)

 前述の話とは違い、この話の日時ははっきりしないが、多分昭和
22、3年頃と記憶している。
 昔の家は現在と違いガラス戸に囲われた電話室があったものであ
る。当時熱海の我家も廊下の隅に電話室があった。
 その電話室から父の大きな声が聞こえた。

 「イヤ……、それはチョット……、イヤそれは困ります……、イ
ヤ……そうですか……」等々繰り返しが多く、意味不明の内容であ
る。父が電話に出る事も珍しいことであるが、その応対の内容が大
変珍しいのでよく憶えている。

 翌日明主様の側近であり、秘書である井上茂登吉氏が来訪し、そ
して父の部屋で話し込んでいた。たまたま私が用事で父の部屋の前
の廊下を通りかかった処、昨日と同じ様な応対の声が聞こえてき
た。あ、昨日の相手は井上さんと判った。しかし話の内容は判らな
い。時々大きな声で「イヤ……それはどうも、しかし心配ですな
ー。」とかの繰り返しで、あとはぼそぼそと小さな声で話の内容は
全然判らない。私はえらく気になって仕様がなかったが、聞くわけ
にいかない。井上氏の帰りをまって、早速義母に聞いた。

「一体井上さんの話は何なの、あの受け答えはお父さんにしては珍
しい」と義母は「外に漏らしてはいけないが、実は明主様がご浄化
され、熱も高く大変苦しんで居られ、是非お父さんに浄霊に来て欲
しい。もちろん明主様もご承知で是非たのむと仰言って居られる
うです。」という事であった。
「お父さんは行かれるの……」と聞き返した処、
「困る困ると言ってられたが、井上さんが是非にと言われ、また明
主様のご容態について心配なので行くのではないか」と言う義母の
返事であった。

 当時明主様は側近の方に肩などを指圧をさせ、終ってからご自身
で浄霊をされていたと聞いていた。また明主様にご浄霊をしたなど
という奉仕者の話を聞いたことがあるが、前述の指圧の事である。
当時明主様にご浄霊を取り次いだ方がいるということは一切聞いて
ない、又いない筈である。
 しかしこの時は大変重態なご浄化であり、指圧どこではない病状
であった。と聞いている。

 翌日父は義母を伴って明主様宅に伺った。もちろんご浄霊にであ
る。その後しばらく明主様の御浄化が治るまでご浄霊に通った。
 明主様のお部屋には、ご浄霊中は誰も中には入れず、どの様な様
子でご浄霊をされたのか、又どの様な会話をされたかは一切不明
ある。
 以上が父が明主様にご浄霊に通った概要である。

 ご浄霊は本来目上えとお願いするのが本筋であるが、明主様が浄
化された場合は、どうされるのか、明主様は一切浄化されないの
か、当時の私は大変な疑問であった。しかし、それは以上の結果に
なったのである。
 父は浄化中は明主様にご浄霊を頂き、その他の人には一切ご浄霊
は頂かなかった。普段は身内の者に、「ここを押せ」とか指図しな
がら指圧をさせ、終わってから自分で浄霊していた。これは前述の
明主様と同様である。ある時、父の身体を指圧していた身内の者が
浄化して、父の指圧が出来なくなった。

 当時の五六七会の最高幹部の方が「先生、○○さんが浄化でお困
りでしょうから、○○さんの替りに私にやらせて下さい」と言って
父の身体を指圧したが、2、30分で「先生これ以上は手が痛くて出
来ません」と自分から引いてしまった。父は「何の役にも立たな
い」と言ったのを憶えている。結局、父は明主様以外のご浄霊は駄
だったのであろうか。29年明主様がご浄化され、ご浄霊を頂けな
くなった時、私は明主様のご浄化の重大さを父から聞かされ、その
時から父は自分の死期を言う様になったのである。



  ---お陰話---
   偽らざるの記 お光をこの眼で見たり 
             『世界救世教奇蹟集』昭和28(1953)年9月10日発行
            東京都文京区丸山町  晴風中教会 北崎キヨノ(48)
   入信

 私は満州から三年前に引揚げて参りましたが、満州以来長い間頭
が痛く、ひどく悩んでおりましたので、医者にかかり、ホルモン注
射をして貰い、又買薬「ノーシン」許り用いておりましたが、効果
は少しもありませんでした。

 昨年秋、三村様のお家に御世話になることになりまして、色々と
世界救世教のお話を承りましたが、従来信心気の無い私でありまし
たので、半信半疑で中々信じられませんでしたが、お勧め頂くまま
に、昨年十二月六日から八日まで原町教会で安食先生から教修をお
受け致しました。

 教修のお話は一応は分りましたが、未だ私にはピッタリと来ず御
講話として承った程度でありました。三日目にお守を頂いても、
に申訳無い事でありますが、正直なところこれで御力が出るのか
と、あまり信じも出来ず、いい加減な考えでハッキリ分らぬまま、
ただ、お守をかけておりました

   お光を見る

 本年一月十三日午後三時頃、三村様のお孫さんの純一郎さん(九
歳)が、一両日風邪で頭が痛んで臥床しておられましたので、何の
気なしに初めて御浄霊を致しました。御浄霊をしながら、フト気付
くと私の右手の指から白い光のようなものが出て蒲団の中のお孫さ
んの頸筋から、ズッと背中の方に長く入っているのが見えました。

 ビックリして不思議で仕方がないのでよく見ると、雲間から洩れ
る太陽の光のような、又自動車のヘッドライトの光の様なものが流
れ出て居ます。五本の指から出ているので、試みに四本にすると四
流の光が出ています。一本にすれば一本の光が流れ出ています。

 あまり不思議なので、罰が当ると恐ろしいとは思いつつも、何か
目の錯覚か精神的現象かと疑いつつ、ソッとお守を外して手を翳し
て見ますと、初めちょっと光が出ましたが、直ぐスーッと消えてし
まって何も見えなくなってしまいました。これは大変なことをした
と思って再びお守をかけて浄霊しますと、又前のように強い、スゴ
イ光が流れ出ました。その時はホントに有難いやら嬉しいやら、何
とも申し上げようもありません程の感動でした。

 これは決して作りごとでもなく、迎合して申し上げるのでは絶対
にありません。その内お母様が外から帰られましたので、直ぐこの
事を申し上げて見て頂きましたが、何も見えぬとの事で、全く私だ
けが見えるので再び錯覚かと色々試して見ましたが、明らかに見え
ます。この頃は前よりももっと強く、ハッキリと見えるようになり
ました。

 三村様のお手からも光がでます。この光は、昼間の太陽のカンカ
ン当っている部屋でも見えます。光の全然無い真暗な所では見えま
せん。手の甲からも出ます。浄霊をしていると相手の方にも、又自
分の方にも出ます。この事は他人を浄霊すれば自分自身も浄霊頂け
訳かと思います。光の色は白いようでしたが、金色であることが
判りました。

 又御神体の御文字は光が強くてパッパッと金色の御文字があちこ
ち飛び廻るように見え、その光は御文字の裏から発する様に見えま
。この手から出るお光は着物も立派に通り、先の方に出ていま
す。

 試すということは悪い事かと思いましたが、色々と試させて頂
き、東京都の部厚い電話帳も通すかと試してみましたがこれも難な
く通って先の方に強い光が出ております。種々の角度からお光を見
せて頂いたのであります。なお、力を入れて浄霊致しますとお光が
弱く、力を抜いて浄霊致しますと反って強いことを発見致しまし
た。

   結 び

 私は入信後今までただお守をかけただけで、神様の御光が出る等
ということを伺っても半信半疑でいましたが、このお光を見せて頂
いて以来は疑う余地等本当に無くなりました。錯覚だとか、精神的
現象だとか、色々思い返して見ても現実に見えるのです。

 この事実は寸分も疑う事は出来ません。三村様も見えないとおっ
しゃるので、どうしてこれが見えないのか、私には何か動物霊でも
憑いているのか等と思ってもみましたが、過日明主様が三村様に
「光が出るのだから見えるのは当り前ですよ」と言われたと承り安
心致しました。ともかく御浄霊の場合に、お光が流れて当るのは誠
に頼もしくも又張り合いのある事と感激に浸っております。

 近頃はお蔭様にて長い間の頭の痛みも治して頂き、血色も誠によ
くなり元気で働かせて頂く事が出来るようになりまして、深い御恩
寵を心から感謝致しております。
 明主様有難うございました。謹んで御礼申し上げ御報告させて頂
きます。

   追 記 (三村生記)

 以上は北崎女史の言でありますが、このお光を見て以来あの疑い
深き女史が全く参ってしまいました。教修後何も私達は申しません
でした。十二月二十三日明主様から浄霊の新しい方法を御示し下さ
った時、力を抜き、自意識を取ると一層よい効果があると言われま
した事は女史は全然伺いもせず、知りもせぬ事でしたが、最後の項
にこの事実を記していますことは注目すべき事であります。    
                        (昭和二六年五月二日)