平成23年9月度 ミニ講座

本教発展の主因   (栄二百二十八号  昭和二十八年九月三十日)

 我救世教が宗教法人として、表面的活動に発足したのが、昭和二十二年八月であった。何しろ

れまでは官憲の圧迫が甚だしい為、知っての通り日本浄化療法の名によって、民間療法を営業とし

てやっていたのである。といっても信仰が伴なわないと病気の治りも悪いので人によっ

ては私の描いた観音様を拝ませていた。これなら昔からある信仰だから差障りがないという訳で、

それ程当局は新宗教を嫌ったものである。処が幸いなる哉世は民主主義となり、信教の自由も許さ

れたので、茲に天下晴れて宗教団体として活動が出来るようになったのである。そのような

訳で、当時としては信者といってもいい位な人は、先ず二、三百人位であったであろう。


 それが知っての通り、今年の八月で満六年になるが、驚く勿れ現在信者は数十万に及び、教師の

数三、二四二人、大教会四、中教会八八、支部五二四というように発展し、しかも日に月に教勢

益々拡大しつつあり、その上今年春から布哇(ハワイ)、夏からアメリカというように拡がると共に、布

哇の信者数僅か半カ年にして千人を突破するという盛況で、最近相当立派な本部としての土地家屋

(五万弗)を買入れると共に、土着の人々の中で熱心な人が支部長となり支部の数も数カ所に及ん

で、尚続々各地に出来つつあるという現状である。又アメリカの方も八月羅府に支部が出来るや、

日に日に教修者の数も増えつつあるという報告も先日来た位で、将来は予想もつかない程の発展の

兆も見えるとの事が書き添えてあった。


 次に箱根の地上天国も完成し、昨年出来上った美術館は益々充実すると共に、漸く天下に知れ渡

り、今夏の如きは昨年の数倍の観覧者があった程である。特に外人間にも知れ渡り、毎日数人はか

かさず見えるので、この分でゆけば何れは日本の名物となる日も余り遠くはないと思えるのであ

る。又強羅の中央箱根第一の位置を占めている土地約一万坪を数年前手に入れてあったが、此処へ

将来総本部を造るべく計画中である。


 次に目下造営中の熱海の地上天国並びに救世会館、景観亭、美術館等の建設も着着進捗しつつあ

り、京都嵯峨の地上天国も土地だけは手に入ったので、何れは建造の運びとなる予定である。右の

如き数々の素晴しい発展振りをみても、到底人間業とは思えない。私自身でさえ予想以上の大規模

に進展しつつあり、その速度に於ても只々驚くの外はないので、恐らく世界の宗教史上にも例はな

いであろう。ではこの原因は何処にあるかというとこれこそ本教独特の浄霊医術と、そうして

奇蹟の多い事である。重難病で医師から見放され、死を覚悟した者が忽ち快癒に向い、健康となり

生命までも恵まれたのであるから、その感謝感激は並大抵ではない。どうしてもそれに酬いざるを

得ないので、先ず金銭を献げる事になる。しかも本教の方針として搾取は禁じてある以上、

発的献金である。それらの人が非常に多数に上る事とて、その額も相当になり、以上の如き諸般

の建造物が次々出来るのである。


 これによってみても本教の御利益が如何に驚くべきものであるかが想像出来るであろう。然も悉

く奇蹟であるから、本教位奇蹟の多い宗教は、未だ嘗てないとさえ曰われている。つまり大きな御

利益、奇蹟、発展というように進展するのである。処が右は日本だけの事であるが、何れは米国

始め他の国々へも教線は拡がる事になろうから、その発展の勢は到底想像もつかないであろう。茲

に到って予期の如く世界的大宗教となり、全人類救われる日も左程遠くはないと思うので、それら

を考える時血湧き肉躍るの感なくんば非ずである。



    私に関したもの   (栄二百三十三号  昭和二十八年十一月四日) 

 以前も口や筆で注意した事があるが、私に関したものを粗末にしたり、理屈に外れたりすると、

必ずお知らせがあるから注意しなくてはならない。左記のお蔭話を見ても分る如く、栄光紙を机の

抽斗へ入れたという丈でも間違っているそれでは普通の新聞か文房具と同様の扱いであるから

ある。古い人は分っているが、新しい信者にはそういう過ちが間々あるから、その支部長なり教師

なりはよく注意する様にしなくてはならない



《お陰話》

    鼠も御写真丈は噛まず        『栄光』233号、昭和28(1953)年11月4日発行
                       三重県四日市市新町  中京中教会 堀木勝三郎(58)

 私は、去る一月二十五日に入信させて頂きました者でございます。

 入信直後の事でした秦愛子様より『栄光』新聞一八一号のB版(明主様御西下随行記掲載のも

の)を頂きまして読まさせて頂き机の抽斗の中に入れて置きました。ある日再読させて頂こうと思

い抽斗をあけますとそのB版が見当らないのです。どう致した事かと心配いたしよく調べて見まし

たところ、B版は鼠の為にばらばらに噛み荒されておりました。大いに驚き誠に申訳のない事を致

したと恐縮に存じ良く調べて見ますと休憩室にての写真の一カ所即ち明主様の御写真だけがそのま

ま残っているではありませんか。ヤア良かった、助かった、と安堵の胸を撫下し一息つきながら

も、この出来事の不思議さに更に驚嘆致しました。気持の落着くに従い、広大無辺計り知れぬ明主

様の御霊徳に一入感激致しました。この不思議を見せられました機会に乗じ、今後一層救世教の御

為にお使いさせて頂きたいと思っております。

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     十一、 薬剤中毒     (医講  昭和十年)

病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思ってゐるが、之が大変な謬りである。薬剤なる物

の力は、苦痛を緩和させる丈の働きである。然るに実際の治癒から言へば、前項に述べたる如く、

苦痛其物が病気治療の工作であるから、その苦痛を緩和するといふ事は治病の延期になる訳であ

る。而もそれのみではない。苦痛を緩和した、薬剤その物は、血液中に混入するのである。元来、

血液は、絶対的純潔を保たなければならない性質のものであって、人間は血液さへ純潔ならば、黴

菌に対する殺菌力の強烈なるは之も、前項に述べた通りであるから、病魔には襲はれないのであ

る。

 又血液純潔ならば、其人は外界に対する抵抗力が強きを以て、冬の寒さも、夏の暑さにも、割合

耐え易く、常に朗らかにして、元気旺盛なのである。現在非常に多い、神経衰弱等は、血液の溷濁

(コンダク)が原因である。夫等の多くは、肉食及び薬剤服用、注射等の為が頗る多いのである。私が永

い経験上、何年も薬剤を服用し、又は頻繁なる注射をなしたる人の皮膚をみれば能く判るのであ

る。一見するに、皮膚は黄色を帯び、光沢なく、弾力も無く、三四十にして、已に老人の皮膚の如

くである。

 斯の如き人は、常に憂欝にして元気なく、之と言ふ病気が無いに不拘、何となく優れず、随而、

年が年中、薬餌に親しむといふ具合で、本人は飽迄、薬に依らざれば、健康は回復しないものと、

信じ切ってゐるから、彼方此方の病院を彷ひ、又は種々の薬剤を物色しつゝ、年を経る毎に、漸

次、衰弱の度を増し、終には、生命を失ふ迄に到るのである。嗚呼、斯の如き薬剤中毒者が、年々

増加の傾向を認むるに於ては、結核や伝染病よりも恐るべきものがあるのであって、而も、何人も

之に気が付かないといふに於ては、人類社会の大問題である。

 私は斯ういふ患者へ対して、薬剤中毒の如何に恐るべきかを教えるのである。幸にもそれを信

じ、実行する人は、時日の経るに従ひ、薬剤中毒の自然消滅によって血行の循環は良くなり、胃腸

は活力を益し、全体的健康は増進して来るのである。特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下

痢等である。是等は殆んど、薬剤中毒である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止であ

る。折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないと

か、殆んど発育停止の状態なのがある。此原因は医師に判らないといふ事をよく聞くが、私の診断

では、矢張り、薬剤中毒である。生後間もない嬰児には、乳以外他の何物も不可なのである故に、

薬剤服用が非常な悪作用をするのである。故に、そういふ嬰児に、薬剤使用を禁止するに於

て、漸く普通の発育状態に還るにみても間違ひのない事である。

 次に、面白いのは、多く足部であるが、豆粒大若しくは、梅干大の腫物が、能く出来るのを見る

であらふ。之は未だ誰も気が付かないが、実は、各種の予防注射が原因であるのである。それは、

注射薬が、一旦、血液へ混入するや、時日の経るに従ひ、血液自体の、不断の浄化作用に由って、

血液中の不純物は局部的に集中せらるるのである。そして、尚益々、浄化せらるるに於て、遂に膿

汁と化するのである。その膿汁が外に出でんとする、それが、前述の腫物の発生になるのである。

 故に此場合は、自然に放置してをけば、膿汁は皮膚を破って排出され、自然に治癒するのである

が、此理を知らざる故に、驚いて医療を受ける、医師も気が付かないから切開をする、其時、無痛

等の注射をするに依って、其注射薬が又、いづれは再び、膿汁となるから腫物が出来る、再び切る

と言ふ様な事を繰返すのである。然るに、不幸なる患者は、医師の誤診の犠牲となり、最後に医師

は再々の腫物に依って梅毒の疑を起し、駆梅療法を行ふのである。例の六百六号や、水銀療法等

で、夫等薬物が又、時日を経るに従ひ、膿汁に変化する。斯ういふ膿汁又は汚血は、普通肩胛部、

頸部に集注する性質がある常に肩が凝り、首筋が凝り、頭痛がするといふ人は、そういふ原因か

ら来たのが多いのである。斯ういふ患者が、偶々心配や過激に頭脳使用するに於て、精神朦朧とな

ったり、頭痛眩暈等を起すのである。そうなると、医師の診断は、往々、脳梅毒と誤診するのであ

る。脳梅毒と宣告された患者は、発狂の前提と思ひ、恐怖心を起し、職業を抛(ナゲウ)ち、廃人の如

き生活を送るものさへあるのである。嗚呼、諸君、之は架空の話や小説ではない。実際である。私

が、観音力に依って知り得た、多数患者の病気の本源である。即ち、始め単なる一本の予防注射

が、遂に、廃人同様の脳梅毒患者に迄されて了ふのである。何と悲惨なる事ではないか。斯く、私

が述べる事は、余りにも不思議と思ふであらふ。然し、事実であるに於て致し方がないのである。

是等の真実を社会に覚醒さする運動こそ、人類救済の、根本的、緊要事であり、政治

経済以上の大問題である。



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     ※ ≪『出雲支部』発会式挨拶≫文の一部引用     代表 楳木和麿


奉職者の本来の姿勢を貫いた青年時代を持つ出張所責任者


 また、同時に「奥出雲出張所」を発会していただくことになりました植田さんからは、先月詳し

く教会奉職時代からのことをお聞きすることができました。この内容も、私がここで語らずとも皆

さんご承知の通りです。しかし、他県の各支部、各「メシヤ講座」会場にて今月お話していますの

で、この内容もお許しがあればアップさせていただきたいと思います。


 今月、明後日「出雲支部」が出来ます。出雲支部と同時に「出張所」も出来まして、(中略)こ

の出張所の責任者が、○○教会の50数年前に専従者だったんです。(中略) この人(出張所 責任

者)は非常にもの静かな人で、メシヤ講座に書いてあるように、非常に上品な浄まりきったような

紳士なんですよね。小柄な、ちょっと背骨が曲がってるのでこんな感じでね、人の話を始終ニコニ

コと聞いて、自分の事をあまりしゃべらなかったんです。 あまり事情を知らなかったんだけれど

も、先月の月次祭の時に、みんなが食事の準備に行って、その人だけポツンと座っていたので、

「専従を止めた理由を聞かせてください」と話をしたんです。


 すると、○○教会の教会長が、ある農家の信者さんの頭を畳にこすりつけながら、「田圃を全部

売って献金せい」と指導している所に出食わして、 「教会長、何を言ってるんですか!この人は

農家なんですから、田圃を売ったら生活が出来なくなるじゃないですか。その中で作物を作って、

農家だから現金は作れないけど、その中から真心を捧げているので、それを売ってしまったらこの

人はどうして生活するんですか」と言ったら、まぁその場は教会長が「わしが言い過ぎた」という

ことで引いたので、おさまったんですが、また違う人に、それを言っているので、この人は怒っ

て、もう2度目なのでその時には教会長に言わないで、支部長と専従者の会合の時に、「教会長、

あんな指導をしてもらっては、明主様の御心に叶いません。すぐにああいう指導はやめてもらいた

い」と、言った。 そうすると、他の支部長達が「おい、植田さん、上司に向かって、そんな事言

うもんじゃないよ。謝りなさい」と。しかし「冗談ではない、私達は明主様の御心に基づいて御神

業をしているんであって、教会長のあんな指導を鵜呑みにしていたら、かえって大変なことにな

る」と。しかし、教会長は黙ってしまって、知らんふりしているから、他の人が「早く謝れ謝れ」

と言う。 冗談じゃない、こんな教会では御神業が出来ないということで、スパッと止めてしまっ

た。(中略) 「そこまでやって来られたなら、メシヤ教の方針はこういう方針なので、今この方

針に基づいて出雲支部が出来ますから、こちらの方をお世話する出張所のお世話をやってもらえま

せんか」と、話しましたら、「ああいいですよ」と言ってくれたので、先月決まったんです。 だ

から教会時代にも、そういう素晴らしいメシヤ様の御心に基づいて御用をするという、素晴らしい

人材がいたという事は非常に嬉しいし、今の東方之光は非常に情けないなと思うね。メシヤ様

の御心というものを前面に置かないで、「方針」ばっかりを打ち出している。(中略)専従者

というのは、「そういう気概」をもってメシヤ様の御神業を担わなければいけないんだと、その人

がそういう話をしてくれた時に、本当に私は嬉しかったです。こういう専従者の方が先輩としてい

らっしゃったんだなぁと、嬉しく聞かせていただいたんです。



 メシヤ教への入会は"転会"することではない


 さて、既に皆様から本部の方へ「入会お願い書」が届けられ、本日も御神前へ捧げられておりま

す。そこで初めに、入会の概念についてお話しておきたいと思います。お集まりの皆さんは、大半

の方々が東方之光教団所属でしたので、メシヤ教に入会するというと、"転会"するという意味合い

をお持ちになるのではないかと推測されます。そういうことではない、ということをまずお伝えし

ておきます。

 メシヤ様御昇天後、「世界救世(メシヤ)教」から「世界救世(きゅうせい)教」へ呼称を変更

して、メシヤ様が本来進められようとされた御神業から離れたものになってしまいました。私は、

そのことを憂い、「世界救世(メシヤ)教」を復興して、メシヤ様が示された本来の御神業を推進

させていただこう、と考えたのです。そして、メシヤ教としてその取り組みを進めさせていただい

ているのです。ですから、入会というのはメシヤ様が推進されようとした本来の御神業

を担わせていただく、という志を持つということなのです。

 ですから今回、出雲支部を発会させていただいたのですが、東方之光教団からメシヤ教に移る、

という概念ではないのです。本来の「世界救世(メシヤ)教」という取り組みを進めるということ

で、偶々(たまたま)現在のところメシヤ教出雲支部となった訳なのです。これをいきなり「世界

救世(メシヤ)教」とすると、対立関係が生じたりしかねませんからね。

 そういうことで、メシヤ様が願われた本来の「世界救世(メシヤ)教」の取り組みを進めること

に参加するということなんだ、というように理解していただきたいと思います。 しつこいようです

が、移籍とか転会とか、ということではないのです。

 本来メシヤ様が進めようとなされた取り組みに高まっていくということなんだ、と申した方が相

応しいかも知れません。偶々(たまたま)お世話上、メシヤ教がその取り組みをお世話するという

ことです。「世界救世(メシヤ)教」時代でも通称は「メシヤ教」だった訳ですから、私は通称を

使っていることになりますが、本来は「世界救世(メシヤ)教」の御神業推進ということです。

 そういう構造になっているのですから、意味合いからすると、どの教団に所属していても良い

です。本来の「世界救世(メシヤ)教」をやってゆく訳ですから・・・・・。しかしながら、そう

いうことを考えると、今までの取り組み自体が怪訝(けげん)に思えてくるのではないかと思いま

す。いや、情けなくなってきませんか、指導などを聞いていると・・・・・。

 先月お配りした御論文『文明の創造』を改めて拝読させていただきつつ、御創業時からの御教え

全てと対比しますと、「世界救世(メシヤ)教」開教が如何に大きな分岐点となったかが拝察され

ます。皆さんもご承知のように、終戦までは官憲の弾圧を避け歯に衣着せぬ表現を控えられて御執

筆になられていました。また、神観についての御記述では、皇室に御配慮されて御論文を御執筆に

なられていました。それはともすると、真実を覆い隠す部分も存在することになりました。

 しかし、信教の自由が保障され、表現の自由も保障されメシヤ様は教団体制を整えるべく「世

界救世(メシヤ)教」の開教に踏み切られたのです。それは明らかに本来進められようとされた御

神業を本格的に推進する御意図の表れであります。そして、それまで御発表になられた御論文も、

御神業の本格化に併せて真実を明らかにするべく集大成されようとなされた、と拝察されるので

す。

 ですから、このような説明を重ねさせていただくと、皆さんにとっては、これまでの所属教団の

動きに対して情けないお気持ちになられることと思います。こんな素晴らしい御教えをですね、メ

シヤ様は集大成してくださっているのに、これを除(の)けておいて運営しようとしている訳です

から・・・・・。



 メシヤ様が示された道を日々歩む生活に


 では、これから出雲支部を中心にしてどのような取り組みをさせていただくか、と申します

と・・・・・。先程、入会というのはメシヤ様が推進されようとした本来の御神業を担わせてい

ただく、という志を持つということなのです。」とお伝えいたしましたが、その志に基づいて具体

的に行動するということなのです。

 具体的とは、まず想念の問題です。メシヤ様の御神格を明確に認識し、直に太くメシヤ様に繋

がらせていただく想念を確立する取り組みが第一にあります。皆さんは長い信仰歴をお持ちです

が、組織論に翻弄されてきた面がおありです。そうであるからこそ、メシヤ様に直結することの重

要性にもお気付きになり、こうして支部発会に賛同されたのです。

 しかしながら、無意識のうちに過去の指導内容に引きずられることも生じます。どうか、意識し

て、日々心を新たにして、メシヤ様へ直に太く繋がる想念をお持ちいただきたい、と願っておりま

す。

 そして次に、メシヤ様が信者の課題としてお示しになられている

 信者たる者、常に魂を磨き、言葉を練り、上魂の人間たることを心掛けるべき

である。

というお言葉の実践です。

 これが、組織論に翻弄された過去の精神の癖から脱却できる道であります。これも日々心新たに

意識しながら生活していただきたく願っております。

 メシヤ様の御存在に対する認識が明確になれば、浄霊力は自然に強化されますので、ご縁のある

方々へ救いの手を差し伸べて差し上げてください。

 また、先程から度重ねて申しているように、メシヤ様が本来進められようとされた御神業に身を

捧げようとされた時に、そのことを阻むものを改革してゆく必要があります。



 御教えの拝読に深みを、そして時代に即した受け止め方を


 それがそのまま教団紛争の終結に対する姿勢でもあります。何故教団浄化が続くかと申します

と、メシヤ様が本来進められようとする御神業に到達していないからなのです。これは、当然のこ

とながら和解が成就できないということも、御心に適うところまで今一歩という状態なのです。

間的な問題に目を奪われ、御教えの受け止め方にも全くの勘違いがあるということなのです。

 メシヤ様は今月の「メシヤ講座」に掲載されている『文明の創造』において『医学を全面的に批

判解剖してみる』と記述されています。

 この一文を拝読した際に、『夜の時代』の癖で理解しようとすると対立的に捉えてしまいます。

つまり医学を全面的に否定している、と解釈してしまいます。そういうレベルではないのです。

「地上天国祭」で頒布した『文明の創造(二・下)』では、種痘を評価しています。それは、その

時代の人々が、その時点での不幸を免れることに寄与した、という意味において評価したのです。

 しかし、それはその時代だからであって、その後本来の「抵抗力」の概念をお示しになり、予防

接種について考え方を正しておられます。



 その論理の根底は何かと言いますと、人類の幸福を希(こいねが)うということにあるのです。

この願いの下に『医学を全面的に批判解剖してみる』のだということなのです。ですから、対立的

な考え方ではないのです。本来『医学とはこうあるべきだ』ということで、導こうとされたので

す。そこのところを勘違いすると、医者と対立することを生み医療拒否のような問題が生じます。

また、その反対に医療容認という姿勢から薬併用の浄霊という馬鹿げた在り方を生んでもしまいま

す。

 そういうレベルではないのです。創造主の御存在からお示しいただいた内容が御教え、というこ

とが重要なのです。これはどういうことかと申しますと、病理学、生理学、薬理学などが解明する

内容というものは、創造主の仕組まれた様々な作用の裏付けをしているという部分が含まれてい

る、という認識です。そうした考え方を持つということなのです。

 前回もお話しましたが、血圧について考えればよく理解できます。昨日初めてのコマーシャルを

見たのですが、サプリメント販売のために高血圧の数値を130として脅かし始めています。恐怖

心を煽るのが邪神界の常套手段でありますので、「早めに心掛けましょう」と優しく言いながら、

そこはかとない不安感を植え付けているのです。ついでながら、邪神界の常套手段は和を乱すとい

うこともありますので、この機会に心に留めておいていただければ幸いです。

 高血圧が何故起きるかということは、「メシヤ講座」で再三取り上げてきました。腎臓のろ過機

能が低下すると、血圧上昇を促すホルモンが腎臓から分泌され、それが心臓に届くと血圧を上げま

す。血液の流れに勢いがつくと、ろ過能力がアップするからです。対症療法的には、そのホルモン

の分泌をブロックすれば血圧は上がらないという点に目を付けます。ですから、血圧降下剤はホル

モンの分泌をブロックするものなのです。高血圧の原因を改善することではないのです。

 血圧降下剤を服用すると血圧は下がりますが、ろ過能力が低下したままなので夜寝ている間も腎
臓は働き続けなければなりません。すると、腎臓は更に疲れてしまい、血液のろ過をしきれなくな

ります。そうなってくると、体を正常に保つため血液を薄めようとします。尿の水分を再度血液に

取り込み、糖分や塩分の濃度を保ち、老廃物や毒素も薄めようとします。これが浮腫みを生み、排

尿量が減少するという症状を招きます。

 こうなってくると、患者は心配になり「オシッコが出ませんので、何とかしてください」と医者

に訴えます。医者は利尿剤を処方します。尿が出ると心理的には安心を得ますが、体が良くなって

いる訳ではないのです。それは、利尿剤は血液への水分の補給をブロックするものだからです。水

分補給が断たれた結果どうなるかと言いますと、血液中の糖分や塩分の濃度、老廃物や毒素の量が

異常になり、脳の病気を併発するようなことに繋がるのです。

 こうしたことを知ると、血圧降下剤を服用しつつ浄霊をするというのは、如何にもナンセンス

のです。腎臓を浄霊すれば済むことだからです。そして、腎臓を疲れさせる生活習慣を改めるよう

にすれば、血圧が再び上がるということは避けられるのです。それを薬に頼ると、結果的に大きい

病気を誘発してしまうのです。メシヤ様の医療に対する概念を取り違えると、大変な問題を生むの

です。


 批判のための批判ではない、教団改革のためのもの

 繰り返しになりますが、そうしたことが先程拝読していただいた御論文の冒頭の受け止め方に繋

がってまいります。『医学を全面的に批判解剖してみる』という御記述を目にすると、医学と対立

的に写ると受け止める人もいますが、そうした短絡的な御精神ではないのです。そうかと言って、

先程のように薬併用の浄霊を容認することでもないのです。

 メシヤ様は人類救済のために、考え方を引き上げるために批判解剖しているのです。ですから、

「地上天国祭」で取り上げたように、種痘の発見を評価している訳ですし、抵抗力の考え方に覚醒

を促されてもいるのです。そうしたメシヤ様の論立てを拝察する努力を重ねる姿勢を持たねば、結

果的に低レベルの取り組みになってしまうのです。

 私が今、東方之光教団に対して批判的なことを申し上げるのは、取り組んでいる皆さんがメシヤ

様の御意図に反する取り組みであるということを感じつつも、『素直が一等』というお言葉を使用

されての取り次ぎに惑わされて動いている現状について、覚醒していただきたいからなのです。

 間違えている最たるものは、先程から説明しておりますように薬理学の捉え方です。生理学上の

仕組みの解明は評価すべきなのです。つまり症状が治まるように感じる作用を生むシステムを参考

にしてメシヤ様の御教えの裏付けに繋げる作業が必要なのです。先程の高血圧の仕組みが解明され
たのですから、腎臓を重点的に浄霊することを導き出す、という姿勢です。

 そして、ここに『人間が間違った事さへしなければ、百二十歳は普通である』とお書きになって

おられます。メシヤ様がこの御論文をお書きになられたのは昭和27年です。昭和27年と現代を比べ

た時に「間違ったこと」の違いは何かということを提示してゆくのが教団側の役割なのです。

 こうした話を重ねると、信仰歴の長い皆さんは「心言行」、「衣食住」を見つめて整理できるこ

とと思います。そのことが、御教えを拝読しつつ生活を整えてゆく、という信仰生活なのです。



 支部へのご参拝で心掛けていただきたいこと


 そこで、出雲支部を通して信仰生活を送る根底に参拝ということがありますので、主神様の御神

名をお唱えさせていただくことの意義というものを最後にお話しさせていただきます。

 天津祝詞、善言讃詞の奏上における意義、意味については、長い信仰生活において身につけられ

てきた思います。メシヤ様は、主神様という御存在について表現し奉る言辞もなく、文字もな
く、ただ無限絶対の力徳の中心であり、一切の根源であると申すよりほかはないのであると述べ

られております。その御存在に対してご参拝させていただきますので、今一度参拝姿勢について触

れさせていただきます。

 まずもって、『尊い御神名をお唱えすると、御神格の高さに応じて光がいただける』ということ
があります。

 主神様は、一切の創造主であられ主宰神であられる訳ですから、その御神名を唱えるだけで絶大

なる御光を賜わります。

 ですから、もう主神様にはお願いすることはないですからね、ただただ感謝申し上げるという姿

ですね。主神様の御神名をお唱えする前に「この世で最も尊い御神名を唱えさせていただきま

」という想念で「主之大御神守給へ幸倍給へ(すのおおみかみまもりたまえさきはえたまえ)」

と、一呼吸置いてお祈りさせていただきたいと思います。この御神名を唱えることが如何に有り難

いかということです。そういう気持ちを膨らませて御神名を唱えさせていただきます。

 そして、「御神名を唱えさせていただき感謝申し上げます」という気持ちで「惟神霊幸倍坐世

(かむながらたまちはえませ)」とお唱えさせていただきます。「惟神霊幸倍坐世(かむながらた

まちはえませ)」の場合は、メシヤ様はこの角度で私共の腹を見られている訳です。

 本当に惟神(かむながら)なのか、ですね。「神様の御心のまにまに」というのが惟神(かむな

がら)ですから、「御神意のまにまに生活させていただきます」という決意を膨らませて「惟神霊

幸倍坐世(かむながらたまちはえませ)」と唱えれば良いのですね。それを参拝の度に自らに質

(ただ)してゆくと存分に光を注いでくださいます。つまり、「惟神霊幸倍坐世(かむながらたま

ちはえませ)」を叶えていただけるのです。魂を太く大きくしていただき、幸せを倍増していただ

けるのです。

 メシヤ様は御名の通り救世主であられますので、救いに関する具体的なお願いをメシヤ様へさせ

ていただきます。月次祭の時などでは、前もって具体的なお祈りを捧げてください。自らが救済に

動く際には「御力をください」とお願い申し上げます。また、困った時には『私の名前を呼びなさ

い』と仰ってくださっておりますので、日々心掛けていただければ大変有り難いことになります。

 それで、御神格の高い神様と低い神様の参拝の仕方は異なります。御神格が低いと、より具体的

になってくる訳です。そういう意味では、大黒様は人格神として身近なお祈りで良いです。毎回

「お金を運んでください」と直接ハッキリとお願いしてください。(笑い)

 しかし、主之大御神様は宇宙をお創りになられた御存在で、地球を創られた御存在ですから、具

体的なお祈りではない訳です。ただただ御神名をお唱えすることが相応しい訳です。そういう差が

出てきます。そういう姿勢で支部へ来た時にお参りしてくだされば幸いです。