平成23年8月度 ミニ講座

霊主体従     (世界救世教奇蹟集・昭和28年9月10日)

 そうして現代科学といえば勿論唯物科学であり、唯物科学とは目に見え、手に触るる形あるもの

を対象として研究し進歩したものであるから、凡ゆる物象の表面だけが或程度判ったに過ぎない

であって、その内面に存在する重要な或物に気附かなかったのである。この或物とは何かという

と、これこそ無に等しいもので、名附けてというこの霊なるものこそ凡ゆる物象の主体であっ

て、この事の認識が出来ない限り、何程科学が進歩したといっても、それは半分の進歩であり、跛

行的でしかない以上、正しい文化の生まれる筈はないのであるから、この事が明らかになって初め

て今まで不可解とされていた凡ゆる問題も、容易に解決されるのである。何となれば一切は霊が主

で体が従であり、霊主体従が万有の法則であるからである。一例を挙げれば人間が四肢五体を

動かすのも、眼に見えざる意志の命によるので、決して五体が勝手に動くのではないと同様であ

る。故に奇蹟と雖も本原は霊に起り、体に移写するのであるから、この理をまず確認する事であ

る。それには病気が最も分り易いから、これによって説明してみよう。



 元来病気とは肉体に現われた現象であり、結果であって、勿論本原は霊にある。すなわち最初霊

の一部又は数個所に曇りが発生し、それが体に映って病気となるのであるから、この曇りさえ払拭

すれば治るのは明らかである。このように病原は霊にある以上、体のみを対象とする医学で治らな

いのも当然であり、対症療法の名がそれである。これにみても現代医学は全く見当違いである以

上、一日も早くこれに目覚めて、再出発されなければならないのである。然もこの無智の結果、如

何に多くの犠牲者が作られ、悲惨な運命に泣いている現状は、到底黙止出来ないのである。処が喜

ぶべし、茲に神の救いは現われたのである。即ちこの誤れる医学を革正すべき大任を、神は私

に委ねられたのみか、この過誤はひとり医学のみではない。凡ゆる文化面に亘(わた)っている

であって、今一つの例を挙げてみよう。それは多くの犯罪である。これも病気と同様表面に現われ

た結果であり、その病原は霊即ち魂にあるに拘(かかわ)らず、それに気がつかない為、これも医

学と等しく対症療法即ち刑罰を以て解決しようとしているが、これも一時的膏薬(こうやく)張り

でしかないから、何程骨を折っても犯罪は依然として浜の真砂(まさご)である。故にこの魂の

改造こそ、宗教以外にはあり得ないのであるから、この事も早急に気附かねばならない。以

上の如き二大事実によっても明らかなごとく原因は霊を無視する処にあるので、これを徹底的に知

らせる手段としての奇蹟である。  



     霊主体従     (結核の革命的療法・昭和26年8月15日)

 前項に説いた如き、無機質界と人間の病気との関係をかいてみるが、即ち無機質界とは吾々のい

う霊界である。そうして人間は体と霊との密合一致によって成立っているものであって、言う迄も

なく体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊は眼には見えないが、立派に存在している一種のエ

ーテルの如きものであって、人体が空気界の存在である如く、人霊は勿論霊界の存在である。霊界

とは曩(さき)にもかいた如く、空気よりも稀薄な透明体であって、無と同様であるが、実は此世

界こそ無処ではなく、絶対無限の力の発生源であって、其本質は太陽の精と、月の精と、土の

精との融合による、想像もつかない程の霊妙幽玄な世界である。之を仮に宇宙力と言っておこ

う。此宇宙力によって万物は生成化育されるが、それと共に汚穢が溜るので、それに対する浄化が

行われる。恰度(ちょうど)人体に垢が溜り、入浴が必要となるようなものである。即ち地上霊界

に汚濁が溜るや、それが一定の局所に集中され、低気圧という浄化活動が発生して清掃される

火も人的火災もそれである。言う迄もなく、人間もそれと同様、汚穢が溜れば、霊を主として浄化

作用が発生する。之等を詳しくかいてみよう。


 右の如く、人霊に溜った汚穢即ち曇りであるが、之は透明体である人霊に、不透明体の部分が

発生する。そうして此原因には二種類ある一は霊自体に発生する曇りと、二は体から移写される

曇りである。先ず前者から説いてみるが、人霊の内奥は求心的三重になっている。之を中心から逆

に遠心的に説いてみれば、中心は所謂(いわゆる)魂である。魂とは人間が此世に生れる場合、最

初男性を通じて女性の腹へ宿るヽ(ちょん)である。処が魂を包んでいるものが心であり、心を包

んでいるものが霊であるから、魂の如何は其侭心を通じて霊へ反映すると共に、霊の如何は心を通

じて魂に反映する。此様に魂と心と霊とは相互関係で三位一体である。勿論如何なる人間と雖も、

生きている間善も行えば悪も行う。その場合善よりも悪が多ければ差引多いだけが罪となり、それ

が魂へ反映して曇りとなる。為に心が曇り、霊が曇るという順序である。すると浄化作用発生によ

って曇りの排除が行われる。其過程として一旦曇りの容積は縮小され、濃度化し、体内の何れかの

局所に集結する。面白い事には罪によって固結場所が異(ちが)う。例えば目の罪は目に、頭の罪

は頭に、胸の罪は胸にというように相応するのである。


 次に後者を解いてみるが、之は前者と反対で、体から霊に映るので、其場合最初血液に濁りが生

じ、其通り霊が曇る。元来人体は霊の物質化したものが血液であり、其反対に血液の霊化が霊であ

るから、つまり霊体は一致している。従而(したがって)、濃度化した曇りが体に映ると濁血とな

り、それが一層濃度化したものが固結であり、この固結が溶解され液体となって、身体各所から排

除されようとする。其苦痛が病気である。


 そうして体からの移写とは、勿論濁血のそれである。然らば何故濁血が出来るかというと、此原

因こそ実に意外である。というのは医療の王座を占めている薬剤そのものである。即ち薬とは全

部毒であるから、薬を体内に入れるだけは濁血が作られるという訳で、何よりも事実がよく證明

している。それは病気が医療を受け乍ら、長引いたり、悪化したり、余病が発るというのは其為

で、別に不思議はないのである。


 そうして体にある濁血が、霊へ映って曇りとなり、之が病原となるとしたら、実は病気を治す方

法自体が病気を作る方法という事になる。処が万有の法則は霊が主で、体が従であるから、

病気は霊の曇りを解消しない限り、全治しないのは当然である。処が我医術は此原理の応

であるから、霊を浄める事によって、病気は根本的に治るそれで浄霊というのである。其理

を知らない医学は、霊を無視し、体のみを治そうとするのである。従而、何ほど進歩したと言って

も、一時的治癒でしかない。何よりも事実を見ればよく判る如く、医療は根治が出来ない。一旦治

っても殆んど再発する。例えば盲腸炎の場合、患部を剔出(てきしゅつ)するので、盲腸炎は起ら

ないとしても盲腸に近接している腹膜炎や、腎臓病が起り易くなる。之は全く霊の曇りがそのまま

残っているからで、再び濁血が作られ、位置を変えて集溜するからである。


 そうして濁血の変化であるが、濁血が不断の浄化によって、一層濃度化するや、血粒は漸次白色

化する。之がである。よく血膿と言って膿と血液が混合しているものは変化の中途である。尚進

むと全部膿化する。よく結核の喀痰が血液の混じっているものと、そうでないものとがあるのは、

右によって判るであろう。又医学に於ける赤血球と白血球というのもそれであって、それを食菌作

用と医学は言うのである。


 以上によって、霊体の関係は判ったであろうが、愈々(いよいよ)黴菌の発生源に移るとしよ

う。                    


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  【以前の「メシヤ講座・特選集」より抜粋】                 楳木代表

「浄霊力が強化されていることを活用するために、認識を新たにしていただきたいことは『私達の

肉体はどういうものか』ということです。約38億年前に地球に生命が宿って進化を遂げ、最後に

出現したものが人間です。ですから、人間は地球上の生命の全てを包含した、言わば総合的な存在

だということです。」                            メシヤ講座・特選集八十(平成十九年九月分)


「およそ六百万年前にアフリカのジャングルから草原へ下りて来た類人猿がいたことになってい

る。木にぶら下がらなくなったので、やがて二本足歩行をするようになる。このことにより画期的

な進化を遂げる。前足に脳を乗っけているうちは脳自体を大きくできなかったが、二本足歩行をす

ることにより脳を後ろ足へ乗っけるようになると、脳を大きくすることができた。また、呼吸法も

変わり、そのお蔭で言葉を発することができるようになったのである。この言葉を持つことによ

り、思考するようになった。利便性を図る道具を考案することもできるようにもなったが、何と言

っても、死を悼み、死者を弔うことを行なうようになった。これが人類の始まりであり、動物との

決定的な違いである。人間生活が宗教の場なのである、という所以である。」

                                              メシヤ講座・特選集七十三(平成十九年二月分)


  浄霊と御教え拝読は不可分―【ブログ「日月地」から引用】

楳木先生  これは、浄霊の原理をしっかりと学んで行けばわかる事なのですが、「曇り」という

ものが発生して、その「曇り」を浄霊によって浄めて行く事によって、健康を確保したり、精神的

に、明るく、楽になって行くとか、問題が解決して行くという事を許されて行くのだけれども、そ

の一番根っ子には「霊の曇り」があります。その「曇り」を浄めて、一旦元気になったり、問題が

解決しても、また同じ「曇り」を発生させる様な生活をして行くと、元の木阿弥になって、浄霊を

すれどもすれども「良くなったり悪くなったり」を繰り返す事になります。神様の御力によって問

題が解決し、病気が良くなった後に、二度と同じ問題、同じ病気を起こさない為に、「霊の曇り」

が発生しない様な生活をして行く様に指導する事それが信仰指導で、その指導に沿って生活す

る事が、本当の信仰生活なのだという事を認識しておかなければなりません。


matsuki  生活、環境を改めないで、「浄霊すれば大丈夫」という間違った認識の下、「浄霊」

を利用するのは神様に対して大変失礼な事の様に感じます。一見信仰的な様で、実は神様の力にぶ

らさがろうとしているだけとでも申しましょうか。


楳木先生  世界救世教の一番の問題点は、「浄霊」で大変な奇蹟を頂くのだけれども、その事に

よって生活が改まっていかない人が多いという事です。 だから、結局同じ事を繰り返して行って

しまう。これは御教え拝読が不足していることと指導力がない為に起きているのです。


matsuki  例えば、心臓が悪くなる原因の中に、「対立の意識」があるというお話を頂きまし

て、これは(註・「メシヤ講座・浜松」参照)大変わかりやすかったです。二度と心臓を悪くしな

い為には、人を批判したり、対立軸に置いたりする「争い」の意識を改めなければなりません。私

の場合は、肺が病気になる事が多いのですけど、この原因は、頭の使い過ぎか、肉体的過労である

と教えて頂きました。であれば、浄霊で肺を治して頂いた後には、そういった生活環境を改めてい

かないと、何度も肺を患う事になり、結局問題解決には至りません。


楳木先生  御守護というものを捉えた時に、「浄霊をして良くなった」という事は第一段階の御

守護です。第二段階の御守護は、その原因をつきつめて行って、原因がわかって、そして、その原

因を改善して行って、素晴しい生活が出来るという事が、本当の御守護なのだと、そういう段階を

踏んで行くという事をわかっておかなければなりませんし、各指導者が、そういう事をより認識出

来る事が大切です。


matsuki  例えば、私は、以前仕事で無理をして、体調を崩し、入院しなければならない状況に

なった事があります。そして、医者ではどうにもならず、入院している意味がないので、自己申告

により退院して、その後、たった40分の浄霊の奇蹟によって救われました。一生残ると言われてい

た右肺の影が綺麗に取れており、肺の専門医も「これはあり得ない事だ」と驚いていました。その

後、仕事も変わり、一旦は健康になったのですけど、次の仕事でも、また労働条件が過酷になって

行くと、同じ事を繰り返す可能性が出て来る訳です。


楳木先生  この話では、matsukiさんは、結局その会社を退社して次の環境に変わった訳ですけ

れど、当時の会社の管理者であれば、二度と同じ様な入院騒ぎが起きない様な環境を整えて行く責

任があります。また、信仰生活の上でも、そういった指導が出来ない布教師は失格者と言えます。


matsuki  もし布教師の立場で、「浄霊すれば大丈夫ですよ」という指導しか出来なければ、一

見信仰的な様で、結局それは信仰にぶら下がっているだけで、成り行き任せとしか考えられず、奇

蹟に対して失礼だと思います。


楳木先生  最も解り易い事例としては、酒飲みが、お酒を飲み過ぎて、肝臓を悪くして入院す

る、そして、御浄霊を頂いて良くなった、そして、また同じ量の酒を飲むという生活です。それと

何ら変わりはありません。


matsuki  本来であれば、酒を飲まなくなるか、酒の量を減らして適度な飲み方になるというの

が自然の姿ですね。


楳木先生  そうして、身体を壊す程飲まない生活になった事が、本当の御守護で、病気が良くな

った事は入口みたいなものです。生活が改善される。また、こうした御力は何処から来るのだろう

か、と探求して御教え拝読に取り組む。そして、それを生活に実践してみる。そうしている内に人

生観が変化してゆく。メシヤ教では、信徒の皆さんに毎朝『神格をいただく道』という御教えを拝

読して頂いているのですが、メシヤ様が示された課題に取り組み、一つずつ身に付いてゆくのが実

は本来の御守護なのです。


matsuki  「病貧争」をなくす為の取り組みが地上天国建設への取り組みであるのに、御神業の

名の元に逆をやる組織の方が多いのです。無理をして病気になる、経済的に苦しくなる、そこで不

平不満が噴出して争いが起こる。争いが起こると、お互いに相手側に対して「邪神」が憑いたなど

という心ない発言をする。正しい理想を掲げている様で、一旦対立軸に立って正邪を立て分ける様

な意識を持ってしまうと、組織として崩壊して行ってしまいます。どうも、組織の上の立場の方

が、そういう発言をするケースが目立ちます。被害者は、何も知らない信者さんなのですけどね。


楳木先生  人に対して「邪神が憑いた」などという発言をする事は、物を突き詰めて考えていな

い、あるいは、真実を知らないが為に、噂や憶測でそういう発言をする人が多い訳ですから、そう

いう話には、絶対に相槌を打ったり、巻き込まれたりしない様に、心して取り組んで頂きたい。そ

して、浄霊により奇蹟を頂いたら、その曇りの原因を突き詰め理解した上で取り除き、正しい信

仰指導による本来の信仰生活を送って頂きたいと思います。



 --体験記-- (今回の学びにはメシヤ教 枚方支部の体験記を使わせていただきました。)

     昨年とは雲泥の差である、充実した日々        ○○支部 ○田○男

   「そんな状況では、何時まで経っても救えないですよ」で、勇気を振り絞る

 ○○支部の○田○男と申します。昨年の8月に入信させて頂いて以来、今年の3月に初めてお取

次ぎさせていただいた事の出来事を発表させて頂きます。

 まず、それまでの自分自身は、建設業という、あまり人との会話が少なく、また、自分自身もあ

まり会話が得意ではなく、どうすれば人と会話出来るかとか、どうすれば御教え通り人に話しする

事が出来るのか、勇気が無く、まずは自分自身の身体を優先的に治して頂こうとか、気持ちでは逃

げてばかりいました。

 そんなある日、枚方支部の木原さんから、「そんな状況では、いつまでたっても人は救えないで

すよ。人を救う事を考えないと御守護だって頂けません」と、まるで自分の心を見透かされたよう

な御言葉を頂きました。

 そんな気持ちのままではいけないと思い、勇気を振り絞り、まずは気になる友達に電話をしまし

た。すると、その友達はかなりの高血圧で、咽(のど)に腫瘍があり、年に一、二度の腸の働きの

停止、時々ウツの症状の悩みがあり、また、子供もアスペルガー症候群という感情がコントロール

出来ない病にかかっていました。この友達は、女手ひとつで育てている為、将来性のことを考える

と、かなりの不安があるようでした。

 その話を聞いたのちに支部にお参りして、メシヤ様に「勇気を下さいませ、この方を全身全霊で

お取次ぎさせて頂きます」とお祈りさせて頂き、その後日、友達の所に足を運びました。まずは、

友達に御浄霊を気孔というように説明をして、かつて自分自身が精神不安定状態になり御浄霊で完

治した事、体重が減少し心身軽くなった体験話をしました。

 すると、「私も気孔をやってくれない?」ということになり、受け入れてくれました。御浄霊を

始めるとすぐに汗をかきだし、「肩の凝りが凄い楽になった!」と喜んでいました。

 でも、以前、僕が入信していた○○○○会と関係しているんじゃないか、と疑いをもたれまし

た。僕自身も「あそこは最悪なところだった」と話をしましたが、三日間連絡が無かったので、相

手には自分の気持ちが伝わらなかったか、と諦めかけていた時に、電話があり「腰痛で立てないの

で、みてほしい」と連絡が入りました。その日のうちに行き御取次ぎすると、すぐに痛みは半減

し、数日通っていると腰痛は完治しました。

 その後、その友達の知り合いで、ウツの症状で悩んでいて、睡眠が出来ないという相談があり、

その方も御取次ぎできることになりました。その方にお会いして話を聞いてみると、もう二十年も

ウツの薬と睡眠薬を飲んでおり、三日に一度、浅い睡眠が出来る程度、ということでした。もし自

分が反対の立場なら、とても我慢できない事態だなと思い、"メシヤ様、御任せします"という気持

ちで、すぐに御浄霊に取り掛かりました。すると、睡眠が取れるようになった、という事でした。


               妻が次々と浄霊のお取り次ぎで御守護

 その御取次ぎの間に、妻が浄霊力「伝授」を頂きました。妻は、私が昨年、メシヤ教に入会させ

て頂く前は、大変私の事を心配してくれていました。妻は、私の事を、本当に何かに憑りつかれて

るようだったと言い、また宗教には大反対でした。メシヤ教に入会した時も反対でした。だから、

何を言ってもそうですが、自然米の話をしても、理解を示してくれませんでした。

 そこで、今回、もう一度真剣に妻に話してみると、不思議にも、賛成してくれ、妻はネットで自

然農法米や野菜を買い始めました。さらに、以前、時々妻に御浄霊をしていたのですが、実は、

嫌々付き合いで受けてくれていた、との事ですが、今度は、"夫が出来るんなら、自分でも出来るん

じゃないか"と思ったようで、興味を持ち始めたようです。

 そのうち、支部の災害備蓄用として天然水を、吉野まで汲みに行く時、「一緒に行く」というこ

とで、その日、水のお届けとともに妻も初めて支部に行くことになりました。しかし、最初、妻

は、「大きな会館で、如何にも支部長さん!という偉そうな方が出てくる」と想像してたようです

が、全然違っていたので、拍子抜けしたようで、安心感が湧いたようです。

 妻は、木原さんから話を聞いているうちに、「誰でも、メシヤ様と唱えれば、浄霊できますよ」

と言われ、家に帰ってから、妻を見ると手を翳していました。妻は自分には何も感じなかったそう

ですが、私に手を翳した時「どう?」と聞くので、「まあまあ感じている」と、伝えました。

 その後、支部に三回位行った時、妻は「浄霊力伝授」をして頂きました。試しに私にしてくれま

したが、今度は、圧倒的な御光の強さにビックリしました。"たぶん木原さんの次に強い"と思い、

ガッカリしました。その後、私が"取り組んでいる友達のところに行く"と言ったら、なんと一緒に

ついて来て、友達の子供でアスペルガーの9歳の男の子に手を翳していました。すると、他人と口

をきかない子供が、「あんたのお蔭で、身体が柔らかくなったわ!」と言いました。誰にもなつこ

うとしませんでしたので、不思議でした。その後も、私が行く時は妻は、大抵一緒に来るようにな

りました。

 さらに、妻は、自分のお姉さんが家に遊びに来た時、「レジの仕事で身体が疲れヘトヘト・・、

頭痛がする」ということで、早速妻はお取次ぎしており、「とっても身体が楽になったわ!また来

ていい!?」と言われ、翌朝、メールが来て、「よく寝むれ、疲れが取れた。いつも指先が痺れて

いたけど、それも無かった」などと、大変喜んでいました。

 私は、何か出遅れているようで、ガッカリしました。妻は、また、お姉さんから「膠原病の方達

をみて欲しいんだけども」と御願いされたり、実のお兄さんにも「御取次ぎしてみたいな~」と言

っています。なお、本部から頂いた使い古した「浄霊」の本を数冊頂いていましたが、すかさずお

姉さんにも渡してました。

 現在お取次ぎしている友達など、沢山の薬毒が入っていて、ウツ病の方は、後から聞くと、「自

殺用に薬を溜めていた」と告白された時はビックリしましたが、御取次ぎ翌日、「これから、信じ

て生きよう」と言ってくれ、いろいろ、今後どうなるかわかりませんが、私にとっては、大変勉強

になる経験をさせて頂いております。妻も、まだハッキリとは信じ切れてはいませんが、我が家

は、充実した日々を過ごさせて頂いており、昨年とは雲泥の差です。

 メシヤ様、有難うございました。