平成23年7月度 ミニ講座

浄霊と幸福            (地三十四号・昭和27年3月25日)

 本教浄霊は病気を治すのが目的のようになっているが、本当からいうとそれだけではないので、

もっと大きな意味がある事をかいてみるが、一言にしていえば浄霊とは幸福を生む方法である。と

いうのは単に病気といっても勿論浄化であり、其(その)因は霊の曇りの解消作用であるのは、今

更言う迄もないが、そればかりではなく、人間一切の苦悩の無くなる作用である。

 従って貧乏も争いも浄化の表われで、私の曰(い)う病貧争悉くがそれである。処が一切の浄化

作用の中で最も重要なのが病気であって、之は生命に関するものであるからで従って病気さえ解決

出来れば、貧乏も争いも自然に解決されるのは当然である。勿論そうなる事が幸福の根本であるか

ら、不幸の原因は全く霊の曇りであるのは、余りにも明かである。それを簡単にして確実な方法こ

そ、霊の曇りの解消法としての浄霊であるから、最初に述べた如く浄霊は独り病気のみではない事

である。それに就て一層詳しくかいてみよう。

 以前記いた事があるが、人間の体は現界に呼吸しており、霊は霊界に生きている以上、霊界の状

態が其侭(そのまま)霊身に影響し、それが肉体に映るのであるから、人間の運命の其根本は霊界

にあるのである。そうして霊界も現界と等しく、上中下多数の段階になっており、之を分ければ大

別して三段階になっている。その内の一段が六十階、それが三分され二十段づつになって、合計百

八十一階級である。そうして一は主神であるから、主神以外は如何なる神様でも、百八十の中のど

れかの段階に居られるのである。右は経(たて)を曰ったものであるが、今度は緯(よこ)を曰っ

てみると、緯の広がりの一つ一つの段が、地獄から天国迄それぞれ異(ちが)っているから、仮に

現在自分の霊とすると、下の六十段の其又下の二十段に居る場合は、最低地獄に相応するから、之

以上ない程の苦悩に満ちた世界で、之が体に映って苦境のドン底にある訳である。又其上の二十段

に上ると幾分楽になり、其又上の二十段はもっとよくなるというように、夫々(それぞれ)の段階

一段一段其苦楽の異うのは勿論である。それで右の如き下の六十段を突破すると、今度は中の段階

になる。即ち中有界(ちゅうゆうかい)、八衢(やちまた)であるから、現界に相応するので、其

又中から上の六十段へ入ると、此処(ここ)は天国であるから天人の地位となり、歓喜悦楽の境遇

となるのである。

 右のように其人のいる段階其侭通りが運命となるのだから、一段でも上に行くよう心掛け

るべきで、上になる程益々苦しい忌わしい事がなくなり、幸福は増すのである。つまり浄化すべき

苦痛の必要がなくなるからである。だから人間は霊身が下段にある間は、どんなに智慧を振い、骨

を折っても駄目である。というのは之が神の天則であって、霊主体従の法則も厳として冒す事が

出来ないからである。故に幸福になるにはどうしても霊を浄めて軽くし、少しでも上位になるよう

心掛くべきで、それ以外に方法は絶対にないので、茲(ここ)に浄霊の大いなる意義があるのであ

る。             



     薬が不幸を作る          (地四十四号、昭和28年1月25日)

 薬に就いては今迄凡ゆる角度から検討して来たが、薬と不幸の関係に就いては、まだ余り詳しく

かかないような気がするから、茲にかいてみるのである。抑々人間の幸不幸の原因は何処にあるか

というと勿論霊界にあるので、この事が充分判らなければならない。では霊界なるものの組織をか

いてみるが、抑々霊界は百八十段階の層になっており、これが又上中下六十段宛に分けられてい

る。勿論下段は地獄界、中段は中有(ちゅうゆう)界、上段は天国界となってをり、右の六十段が

又上中下二十段宛に分れてをり、その又二十段中でも上中下があるのである。という訳で単に地獄

といっても、下段に行く程最も苦悩がは甚だしくなるのは勿論で、最低地獄に至っては難病、飢

餓、闘争等が極度になっている世界である。これを神道では根底(ねぞこ)の国といい、仏教では

暗黒無明、極寒地獄といい、ダンテは煉獄と曰っている。しかしこれが漸次上段に昇るに従い段々

緩和され、中有界に至って初めて普通の社会状態になる。つまり此処は苦も中位、楽も中位という

その名称通りである。ところがそこを上方に突破するや、茲に天国界に入るのであって、此処こそ

仏語(ぶつご)にある極楽浄土であるから、病なく貧なく、飲食(おんじき)豊かに和気藹々(あ

いあい)とした幸福に充ちた世界である。

 右の如くであって、一般人の大部分は中有界に籍が置かれているのである。処が其処は決して安

心は出来ないというのはその人の心と行い次第で上にも下にも行けるからである。だが多くは下

に落ちるので現界もその通りである。以上現界と霊界との関係をザットかいたのであるが、いつも

いう如く万有の法則は霊主体従で、人間と雖(いえど)もそうである以上、霊界に於ける霊の

地位如何によって幸不幸が決まるのである。これが真理であるから、この事を知ってよく

守りさえすれば、幸福者になるのも敢(あえ)て難しい事ではない。という訳で現在如何に幸福と

自分も思い、人に思われても霊界に於て天国に籍がなければ、その幸福は一時的で早晩在籍通りの

地位に転落すると同様、現在如何に不幸であっても、其人が正しい信仰によって徳を施し、人を救

うというように善事を行えば相応の地位に向上し、幸福者となるのである。

 そうしてこの根本原因であるが、それは霊が下段に堕(お)ちるのは霊に曇りが溜り、霊が重く

なるからである。従って曇りが減る程軽くなり上昇するから、それに伴って幸福も増すのである。

つまり人間の幸不幸は霊の曇りの多少によるのであるから、この原理を知っただけで、その

人は最早幸福者の仲間に入った事になるのである。これこそ霊界に於ける千古不滅(せんこふめ

つ)の鉄則であるから信ずる外はない。

 では曇りとは何かというと、昔から宗教では罪穢としているが、之は誰も知っているから説明

の要はないが、それは表面だけの事であって、その奥の深い処に大きな原因があるのでこれが曇り

の本元である。それは何かというと、これこそ世人が最も結構なものとして、昔から現在迄も旺

(さか)んに使用している彼(か)の薬剤である。といったら何人(なんぴと)も仰天するであろ

うが、私は神示によって知り得たのであるから、絶対信じて貰いたい。即ち薬を体内に入れればそ

の毒によって血液が濁る。血液が濁れば霊体一致の法則によって霊が曇るのである。故に薬程恐

るべきものはないのである。つまり薬で霊を曇らし、重くなって、霊界に於ける地位が段々下降

し地獄界に堕ちる。そこで相応の理によって醜悪な行いをする人間が増える結果、病貧争氾濫の苦

の娑婆(しゃば)となったのである。

 以上の如く人間を不幸にする根本こそ薬剤であるとしたら、平和幸福の世界たらしむるに

は、何よりも先ず世の中から薬剤を廃止する事で、茲に根本を開示して警告するのである。



         感謝が膨らみ継続することが全ての基礎           大阪府松原市 田中○○

御神体の御奉斎から人生に転機

 大阪から参りました田中○○と申します。メシヤ教本部御神体御奉斎十周年おめでとうございま

す。以前、体験記にも書かせていただきました、その後の学びを報告させていただきます。

 メシヤ教と御縁をいただき御神体を御奉斎させていただき、卵巣膿腫のために医者からは子宝の

可能性は"低い"と宣告されていましたが、第一子を授かることが許されました。

 メシヤ教に御縁をいただくまでは食品は市販のものでしたし、お米は無農薬でしたが高額で経済

的にも負担が大きく、卵巣の持病もありましたが浄霊の急所も分からないまま、何時また身体が不

調になるかと不安な毎日でありました。

 それからは、先生より自然食品、自然農法産のお米やお茶を教えていただいて、極力添加物を排

除した食品を心掛けるようになりました。身体の方は出産を機に痛みが無くなりました。

 そして、三年後には次男を授かりました。その三年間は、仕事をしながら子育てをしておりまし

て、授けていただいたにも拘(かかわ)らず、保育所に預けて仕事、家事とに精一杯の日々を過ご

しておりました。

 "何か、今やらなければならないことがある・・・" "このままではいけない・・・"と思うとこ

ろがありまして仕事を辞め、次男が生まれてからは専業主婦となりました。

 しかし、辞めた途端に何をして良いか分からず、毎日力が抜けたような感じがしておりました。

 "やっと授かった子供・・・私は何をしているんだろう・・・私は何をすべきなのだろう"と、そ

んな事ばかりを考えていました。現実にはできることとできないことがあります。生まれたばかり

の次男、幼稚園に通い出した長男、家に籠もることが多い自分・・・。

 気持が先走り、出口のないトンネルをあてどもなく進んでいるような気持でしたので、何度も何

度も先生からご指導いただきました。



錯覚に気付く

 結局、私自身の"依存性""幼児性"に原因があると気付いたのでした。仕事を理由に、御教え拝

読、浄霊が疎かになっていたことも事実です。

 "やらなければいけないことは分かっていて、専業主婦になり行動しているつもりでも、まだ分か

っていなかった"過去の自分は、仕事をしている事で"自分は頑張っている"と錯覚していたのです。

慢心していたとも思います。そこまで気付くには、私自身大変骨が折れました。

 自分で自分に気が付かなければ、本当の意味で『人格向上』になりません。

 そのように気付いた時からは何か吹っ切れたような気持ちになりました。そして、その時に本当

の子育てということを学ばせていただきました。

 また、"唯一今、私ができることは"と考えました。それは、月一度の月次祭の準備です。お仕事

をしておられる方、高齢の方、浄化をいただかれている方、小さいお子さんが学校に通われている

方、皆さんはこの日のために頑張って来られます。私は、心地良く居てくださるように・・・と掃

除をいたします。月次祭の場としてとして我が家を提供させていただけるのも大変有り難いことな

んだ・・・私に許された御用だ・・・と思うようになりまして、その日を軸に何事も考えて行くよ

うになりました。

 そのようにさせていただきますと、日々ブレそうな現実を月次祭でリセットしていただけるよう

な感じになり、また次の日から清々しい気分で人格向上を目指して行こうという意欲が出ます。



友人にいただいた御守護で更なる確信

 そして、日々御教え拝読、浄霊を重ねていきますと、新たな出会いや御縁、やるべきことへの方

向性が見えてきます。そうした学びの間に、一度離れてしまっていたYさんから連絡が来るように

なりました。

 以前にメシヤ教に御縁をいただかれたのですが、私の学びが足りず疎遠になっており、連絡があ

ったのは三年ぶりくらいだったでしょうか。その時は、もうそれは暗い声でして、後で聞いた話で

はYさんは最後に私へ電話して、死を覚悟していたというのでした。そんなことがありまして、そ

れからまたお世話させていただくことになりました。時間のある時は、夕飯の支度をしてから子供

を車に乗せて定期的に御浄霊に行かせていただくようになりました。

 それから少しずつ好転して行き、私もYさんも身を持って体験したことも重なり、二ヶ月後には

大きな御守護をいただき元気になりました。

 初めはどうなることかと、幼友達ですので尚更心配しておりましたが、だんだん周りの環境も変

わり始めました。Yさん自身も前向きな気持ちになり、神様中心の生活をさせていただくことで、

色々なことがクリアされていく変化を見て、目で見えなくても神様の御力を更に確信いたしまし

た。

 再度繋がりお世話させていただくまでは、よくお酒を飲みに行ったりして家を空けることが多か

ったようですが、今では「全く関心が無くなった」と言っていました。

 そして、現在忙しい仕事の中、月次祭を軸に頑張って来られます。

 こうして考えますと、私は御神体を申し込ませていただき子宝を許されました。それが、私にと

ってメシヤ教の信仰における原点であり、その感謝が膨らみ、継続されることが必要だと思いま

す。メシヤ様の手足となって御神業を担わせていただく時に、絶えず初心に置くことが大切だとい

うことが、自分自身の人格向上の基礎にしっかりと根付いていなければならないと思いました。現

在私は、新たな御神業を許され、スケジュールも御神業中心としますと予定が上手く枠にはまって

いくようになり、毎日遣り甲斐、生き甲斐が持てるようになりました。

 まだまだではありますが、御神体をご奉斎させていただいてから七年目になりますが、少しでも

人格向上を目指して一歩一歩焦らず日々努力し、小さな良き種を蒔いて神様のお役に立てますよう

に頑張りたいと思います。ありがとうございました。



   ≪挨拶≫ 御神業の方向と幸福への道                   メシヤ教代表 楳木和麿

 (前略)また一方、田中さんの報告では、田中さんという方はホームページを通して初めて御神体

を申し込んだ方です。私を最初から支えてくださった方々の御神体御奉斎が終了した後に、全く私

という人物を知らないでホームページだけで情報を得て「メシヤ講座を読んで、非常に解り易いの

で連絡しました。」というメールから、すぐ御神体御奉斎の申し込みをされた方です。その時の様

子は卵巣膿腫という非常に重い病気を抱えておられ、医者からは「妊娠はあきらめるように」と言

われていた中で、御神体を申し込むために奉納金を納めた月に懐妊を許された訳です。

 そして、報告では「人格向上」ということを柱にして報告してくださいました。田中さんは神慈

秀明会から別の独立教団を経て、そしてメシヤ教に繋がってこられました。それとホームページを

見て繋がってこられたということは、メシヤ様を教祖に仰ぐ教団に関する情報を数多く持っておら

れる訳です。それ故に、御神体御奉斎を通して大変な御守護をいただいたのですが、心の面がしっ

かりと定まるためには、氾濫する情報を自分なりに精査しながら自分の中に信念体系を築いてゆく

ということが課題としてあった訳です。

 それから同時に、赤裸々に田中さんが語ってくださったように、自分が幼少のころからずーと育

った過程で身に付いたものと身に付いていないものがあって、御教えから得る理想像と現実の自分

とのギャップに随分と悩んでおられました。(中略)


宗教とは何かを理解する

 昨日大雨が降りましたが、本日まで続くと困るなと思っていたところ、今朝は晴天に恵まれ、洗

い浄めていただいて「十周年記念祭」を迎えられるという御神慮を感じました。今朝は神様に対す

る感謝の念というものが沸々と湧いてきて、予定より早く目覚めました。

 この御神慮というものを私達は受け止めながら、これからもより一層御神業を進めてゆく上にお

いて、皆様方に是非もう一度肚に入れておいていただきたいことがあります。

 それは宗教に関する認識です。宗教界では一番話題になったオウム真理教の問題を整理しておか

なくてはなりません。教祖という人はチベット密教を修めて悟りを開いたと言ってます。しかしそ

れに続く人達が同じ悟りを開きたいために薬物に手を出し、ヘッドギアというモノを使って悟りを

開こうとしたところに狂いが生じて、ああいう大事件を起こすことに繋がった訳です。

 この狂いが何故生じるかというと、宗教というのは目に見えないものを相手にして、目に見えな

いものを中心に動いてゆくのですけれども、そこに"モノ"を取り入れてしまうと狂いが生じてくる

です。ですから、日本の場合は、まだオウム真理教の問題に対して学者も整理をつけないで今日を

迎えているために、本来の宗教観というものが日本人全体にキチンと整理された形で浸透しており

ません。

 先月も各地で触れましたように、古代の生活そのものが宗教なのです。神律あるいは自然の摂理

というものを重んじて生活していた、その人間生活こそが宗教なんだということです。この認識を

持っていただかないと、宗教と言うと特定の宗教団体というように勘違いをしてしまいます人間

生活そのものが本来宗教なのです

 しかし、本来の人間生活が営まれていないために、諸問題が生じているのです。ですから、私達

がこのメシヤ教を通して進んでゆこうとしているのは、宗教団体という組織として進んでゆこうと

しているのではなく、人間生活そのものを本来の在り方に導き、より充実した人生を歩むために信

仰を培っているんだという認識です。そういうことをこの「十周年記念祭」でもう一度認識してお

いていただければ有難いと思います。

 それを踏まえて私達の信仰生活は何かというと、これは教祖であるメシヤ様の追体験を日常生活

で行うということです。追体験をするということは一体どういうことかと言うと、多くの方々はメ

シヤ様の偉大さを全面的に知らされております。だからメシヤ様という御方は「神様だ」と、そし

て「この終末期に救世主としてご出現された御方だ」と教えられてきました。それは、そのものな

のですけれども、神様というところに力点を置き過ぎると我々の信仰生活というものがメシヤ様の

追体験になってゆきません

 メシヤ様という御方は最初画家になりたかったが、眼病を患ったために画家を断念しました。画

家がダメなら蒔絵師になろうと修行をされている時に人差指の筋をお切りになります。ですから御

写真を見ると人差し指が反っていますね。

 そこで芸術品を扱う小間物屋を始められて、大成功を収められます。成功を収められた才能に目

がゆきますが、メシヤ様が一番実践されたことは朝一番先に起きて掃除をするということだった

です。何事においても自らの持ち場を掃除し、整理整頓してゆく、というご姿勢がメシヤ様にはお

ありになったということを改めて私達は持っておかないと、浄霊の奇蹟をいただけばいただく程私

達の信仰はぶれてしまいます

 日々メシヤ様は何を心掛けていたかということを忘れていると、奇蹟をいただく程に人間が横柄

になります。だから「威張るナ 怒るナ 早まるナ」という『るナ三訓』をメシヤ様は与えてくだ

さっている訳です。更には、メシヤ様は御在世中40万人くらいまで信者が膨らんで偉大なる教祖

として仰がれた時にでも、夜2時に御神業例えば口述筆記を終えられた時に、口述筆記の担当者に

は後片付けをさせずに部屋を退かせています。後片付けは御自分でなさっておられます

 ここが他の教祖と全く違うところなのです。全部準備が整ったところへサッサッサーと出て来

て、何か喋って「後は頼むよ」とサッと退かれるような教祖ではないということなのです。口述筆

記を終わった時に「御片付けしましょうか」と言った担当者に、メシヤ様は『お前は口述筆記の担

当だからそれだけをやっていれば良いのだ。部屋の片付けは私がする』と仰って、全て御自分で片

付けて就寝されております。

 ここが偉大なる神様であると共に、"人間として日々絶えず心掛けておられる素晴らしいお姿がそ

こにあるのだ"ということを私達がしっかりと捉えておかないと、自分の信仰がずれてゆきます

 ですから、メシヤ様を教祖として仰でいる信仰者というのは、「メシヤ様が御在世中の、言わば

"生きざま"というものを追体験する」という生活を積み重ねてゆく生活者のことなんだということ

です。つまり、朝起きた時に男であろうが女であろうが真っ先に掃除から始めないといけないとい

うことになってくる訳です。

 そういうことを今日は心に置いていただいて「信仰生活というのはメシヤ様の追体験をすること

なのだ」と、そういうところからもう一回自分の生活を見つめ直していただきたいと願います。そ

して、メシヤ様の御精神を現代に求める生活というものに、より一層高めてゆこうというお気持ち

になっていただけると大変有難く思います。


私達の信仰と御神業推進

 御教えについては、現在、担当の方々に全論文・全質疑応答形式の御教え・詩歌を全て揃えても

らうように、作業を進めていただています。これを皆様方の手に渡しますので、それを根本の

「教」として、それに基づいて現代の世相を判断する「論」を形成して、"こういう世の中だからこ

そ自分はどういうことを心掛けて生活をしないといけない"という「律」というものを築いていただ

きたい。この「教・論・律」を日々自分の中で培っていくのが信仰生活なのです。

 そして、一人でも多くの人々がメシヤ様の偉大なる御力の恩恵に浴することができるように、一

層宗教宗派を超えて、人種を超えて浄霊力を伝授してゆくという取り組みを進めさせていただきた

と思います。

 また、浄霊を通して私達の病気が治ったり問題が解決してゆきますが、御守護をいただくという

のは霊の曇りが解消するからなのです。しかし、解消された後に再度霊の曇りを発生させると、そ

れでは信仰を何のためにやっているのか判りません。それで、霊の曇りを解消すると同時に再び霊

の曇りが発生しないような生活をすることが信仰生活だということになります。

 曇りが発生しないためには、『霊体一致の法則』に基づいて身体を汚さないということで、食べ

物をはじめとして衣食住に細心の注意をしてゆくという取り組みが一つです。そして、「心・言・

行」の中で曇りを発生させないということが同時にあります。言うこと、行うこと、思うことの中

で曇りを発生させない、という心掛けです。そういうことが揃った時に初めて、私達はメシヤ様の

御教えを実践しているということになるのです。どうか、今日のこの時に再確認してください。十

週年ですので、縦横諸々結ばれて今日から愈々新たなる御神業が始まります。

 その御神業の中で根底に置いていただきたいことが「メシヤ様の御教えに基づいて『教・論・

律』を日々形成してゆく」信仰生活を歩みながら「宗教宗派、人種を超えて浄霊力伝授する」取り

組みをより一層拡大してゆくということです。そして、自分自身が幸福者になってゆくためには曇

りを解消すると共に、二度と同じ曇りを発生させない生活を心掛けてゆくということ、つまり

「心・言・行」と「衣・食・住」に気を付けてゆく課題を持ちます。

 そういう日常生活を送らせていただくことが今日よりの信仰生活なのだ、御神業の推進なのだ、

ということを心にお留めいただいてスタートしていただければ幸いであります。