平成23年5月度 ミニ講座

最後の審判について

   三千世界の大清算  -世界最後の大審判はあるか?-   (昭和十年)

昔から、世の終りとか、最後の審判とか言ふ事が、聖書等にあるが、それを詳しく説いた者は、

未だ無いやうである。私は斯事に就て、はっきりとは言へないが、まあ夢物語とでもして、あると

も言へるし、無いとも言へるといふ位の所で説いてみるのである。易者ではないが、当るも八卦、

当らぬも八卦位と思って貰えば可い。然し無いとすれば、書く必要もないから、先づ、有るとして

書いてみるのである。

私がいつも言ふ、夜の世界が済んで、昼の世界、即ち太陽が赫々たる輝きを以て昇るとする。其

夜から昼への移り変りの、凡ゆる物象の変化を想像してみたいと思ふのである。

言ふ迄もなく、夜と昼との、最も異る所は、暗さと明るさである。由来、罪悪なるものは真昼

間、公々然と行はるべきものはない。秘密と罪悪は、暗い処で取引される事は、誰もが知ってゐる

所である。然らば、夜の世界なるものは、何年位の期間であったであらふ乎。私の推測によれ

ば、兎に角三千年以上一万年位と推定されるのである。故に茲では数千年としてをくが、此数千年

の歴史を振返ってみても確かに、夜の世界であったであらふ事が肯かれるのである。国々、人々

は、秘密と罪悪と闘争に係りのない時代は、全く無いと言っても可い位で、之を正しい神の御眼か

ら御覧になったら、否、我々凡夫の眼から観てさへも、暗黒時代であったと言ふより外に、言葉は

ないのである。波瀾興亡常なき、国と人との姿は、夜の空の月の盈虧(ミチカケ)にも比すべく、悪人

が、一時的にも時を得、善人が虐げらるる、歴史の姿をみては、全く悪魔横行の世界と思はれるの

である。

斯様な、罪悪に充ちた世界が、此暗黒時代が、数千年間も続いた事実を見たら、卓越せる、如何

なる時代の識者と雖も、歴史に捉はれて観るのも、無理は無いと思ふ。少くとも一切の批判に之を

標準として定義を下して了ふ。優勝劣敗の言葉も、弱肉強食の言葉も、真理なるが如き響を与える

のも、こうした事に由るからであらふ。

然し乍ら仮に、此数千年の歴史から、一段も二段も、否数段も飛躍した処の、高い見地に立って

見下してみたらどうであらふ。それによれば、どうしても、此数千年に渉る罪悪堆積の世界が、一

度は、徹底的に、清算されなければならない様に、思はれてならないのである。然し此事は、人の

力では到底、駄目である事は判ってゐる。何となれば、人の方が清算される側に立ってゐるからで

ある。故に、万一、清算なるものが在りとすれば、それは、神より外に行へない事は、自明の理

ある。そこで神が行ひ給ふ、其方法を畏れ乍ら想像して、私はみたいのである。それは、再三言ふ

如く、それが、太陽の輝く、昼の世界になるといふ事である。光明が照し出すといふ事である。然

し、私が斯う言へば太陽は、毎日出てゐるではないか。別に、此外に、昼の世界がある筈がないで

はないかと言ふであらふ。然し、私の言ふのは、霊界の事である。此霊界と現界の関係は、別の項

で詳説する筈であるから、茲では無条件に、霊界なるものを信じて読んで貰ふより外、致し方ない

のである。

爰で私は、別方面の事実を挙げて論じてみよふ。それは、私が日々病人を取扱ってゐる関係上、

医者と異ふ、独特の診断法を以て、各人を査べる時、実に驚愕するのである。それは、凡ゆる人の

体内に滞溜されてゐる汚物と言へば体裁がいいが、実は膿汁である。此膿汁と毒血が、肉の中に

も、血管の中にも驚く程多量に、如何なる人も有してゐるといふ、想像出来ない程の事実である。

私は今日の人間をみて、能く生命を保ってゐるとさへ思ふのである。成程、患者なれば兎も角、

康な人も、数多く見るが、膿汁の滞溜は病者と大差無いのである。何時重患が起るか判らないとい

ふだけの話である。此事実をみて、数千年間の、夜の世界に呼吸して来たので、其罪穢による、汚

濁の堆積であると思ふより外はないのである。即ち、夜の暗黒に相応した人間であるから、今日迄

はいい様なものの、若し是等の人が、赫々たる太陽の光明に照らされたとしたならば、一体どうな

る事であらふ。想像するだに慄然とするのである。例えば、暗黒内に棲息した黴菌を、太陽の光に

晒したら、どうなるであらふ。又汚濁も塵埃も、夜では、はっきり見えないから可いやうなもの

の、白昼の明るさは、到底誤魔化し切れる訳のものではない。

之等によって見ても、太陽の光は、白昼の明るさは、凡ゆる汚濁を浄めずにはおかないのであ

る。欺瞞は蔽隠す事が出来ない。秘密は忽ち暴露させる。罪悪は行ひ得ない。不正は影を潜め、闘

争は打断(キ)られて了ふ。そうして、凡ゆる物の狂ひは、是正され、社会の機構は合理的に動き、人

は、公平なる時所位を得、善は栄え、万人生を楽しむ時代になるであらふ。

唯然し、此光明世界を信じられない人は、此時代に適合しない為に、其時迄に、没落の運命を辿

るより致し方ないであらふ。近く斯様な時代が、信ずると信ぜざるに拘はらず、好むと好まざるに

係らず、迫って来るとすれば、それを信じ得ない人々の状態は、どうであらふ。今迄隠し蔽せた罪

悪が、秘密が、不正が、どしどし暴露して来る。又罪穢に充ちた身体は、崩壊するより致し方がな

い。黴菌が、太陽の光に死滅する様にである。斯様に、今迄の夜の世界とは、全然勝手が違ふ時代

が来る事は、予期し得らるるのである。国と国とは、闘争の結果、それが双方悪である場合、どち

らも滅びるであらふ。正なるもの神の意志に適合する者のみが残存し、そうして栄える事になる

あらふ。今日の、国際間の関係をみれば、全世界は、一大争闘と、動乱の渦を起さんとし、それに

捲込まれない国は無いと、断言し得られない状勢である。全く、夜の世界の崩壊の、前奏曲とし、

観られない事はないと思ふ。

私は、夜から昼に移るといふ、世界的大清算が、設(モ)しあるとすれば、崩壊や滅亡などといふ、

忌はしい事の無い様に、平和に、より安穏に、光明世界の来らん事を、念願して熄まない者であ

る。

 -------------------------------------

          《側近奉仕者の話》

 昭和29/4/21 樋□ 媛 側近奉仕者

※朝、お目覚め遊ばされたが、お体の具合が悪く、腹痛もおありのご様子である。

午前10時頃、『お腹の痛みがとれて来た』と仰せられる。以後、お体の調子も次第に回復遊ばす。

明主様は、お床にお寝みになりながら、樋口氏に19日の御浄化の模様からメシヤご生誕の経緯をお

話遊ばされ『この非常に神秘なこと(4月19日のメシヤ生誕)があって、私は非常に驚いた。しか

し非常に素晴らしい出来ごとであり、世界が変わっていく重大な時期が来たのだ。』と仰せられ

る。また『この浄化は1年近くかかる』ともお仰せられる。(中略)



 昭和29/4/23

明主様は、朝5時にお目覚め遊ばす。御顔は清々しいご様子をお示し遊ばす。午前7時、朝食をお

召し上り遊ばす。手の動きが少しづつよくなられ、サジでなくハシでつまんでお召し上りになられ

るようにお成り遊ばす。夜、明主様は号泣された。おば様が心配され、お尋ねになると、『メシヤ

として降誕し、大変結構なことである。その嬉しさに号泣したんだ』とお仰せになられた。



 昭和29/4/24

午前2時頃、明主様は激しい頭痛にお目覚めになられる。自らご浄霊を遊ばされ、しばらくしてお

寝みになられる。午前5時45分までお寝み遊ばす。明主様は、お床の上にお起きになられ、朝のお

庭の景色を御覧遊ばされながら、『希望の朝だ』と仰せられる。

午前7時、朝食をお召し上り遊ばす。御浄化後初めて普通の量ぐらいお召し上りになられ、その後

の食欲も旺盛で、お芋、メロンをお召し上りになられる。この日は、体調がおよろしいのか昼間2

度お庭の景色を御覧遊ばされ、『このように手入れの行き届いた綺麗な庭が見られるし、瑞雲山の

指図も済んで天国の雛型が凡て用意されているからよろしい。計画(建設)が全部済んで、その後

の浄化だから、ゆっくり休養ができる。神様は気が利く』と仰せられる。『これからは5分前に持

って来い。遅れてはいけない。早い分には5分位早くてもよい』と仰せられる。御浄化以前は決めら

れた時間にキチンキチンとすることを求められたが、御浄化になられてからは凡て5分前となる。

ノアの洪水についてお話された後、『あの時は7人が生き残ったが、今度来る大浄化は、残る人数

こそ比率上多いが、あんなものではない。想像以上のものだ』明主様はじっと何かをおみつめにな

っておられたが、突然涙をボロポロとお出しになられ大声でお泣き遊ばされた。おば様は「きょう

も嬉し涙ですか」とお尋ねになられたが、黙っていらっしゃる。それで「どこかお苦しいのです

か、おつらいのですか」と申し上げると、『いや、そうじゃない。今大峠の様を見せられた。それ

は私が想像したよリも実にひどく滅びる者が多いのを見て、私は非常に悲しかった。結局、人間が

一人でも滅びるということを一番悲しむのは、誰でもない。神だよ』と仰せになる。

そして『今まではお詫びをすれば許され、ご守護をいただいたが、これからは、お詫びだけでは駄

目である。先に悔い改め、そして心よりお詫びしなければ許されない。また、お詫び申し上げても

お許しがあるのはそれだけの理由がなくてはならない』とお仰せられた。(樋口)



 昭和29/4/25

午前6時15分にご起床遊ばす。御気分は良好のようにお身受けする。(中略)

明主様は『本日のご面会に来た信者に私の声を聞かせねば意味がない』と仰せになられ、録音機の

準備をご指示あらせられる。手配の録音機が届く前、一陣の猛突風が吹く。この直後、録音機が届

けられると、『竜神が運んで来た』と仰せられる。

午前11時、まだお口調が少しはっきりあらせられなかったが、次のようにお言葉をお吹き込み遊ば

す。

これから録音をかけます。今度私は甚だ神秘極まる浄化でした。別に心配はないのですけれど、

何しろだしぬけに来たので、ちょっとまごついたわけです。

併し考えてみると、これはもう神様の方であるべき事になっていたので、これも御神業として非常

に神秘な事でいずれ詳しい話はする時期が来ますけれど、何しろ神様の事だけに、神秘に神秘でし

て、簡単にお話は出来ないのです。

併し、いい事なのですから、決して悪い事ではないのです。御神業の発展上重要なることなので、

先ずその発表の時期を待たれたいと思うのです。もっと話をしたいのですけれども、何しろ今はっ

きり言う事の出来ない事柄なので、いずれゆっくり話する時期を待って貰いたいと思うのです』こ

の後、『如意宝珠の働きで以って、力は100倍以上になる』と仰せられる。



 昭和29/4/28

(前略)側近奉仕者に対し『メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは我を出さず素

直になるように努めなくてはご奉仕は許されなくなる』と厳しいお言葉を賜わる。また、『これか

らは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい』と仰せられる。



 ----------------------------------------

     『神からの人へ』

   二〇〇〇年四月二十三日   宗 教

神から人へ。神から人へ、教えておきたし。伝えておきたし。この世を救い、守りてやりたし。

なれど適わぬ、神のみ力。神のみにては、叶わぬ行い。

神には人を直接に、導き救うは能わぬなれば、人が代わりて働けよ。働き助けよ。神の代わりに

代わりて救えよ、神を手伝え。さにて本日、何を問うや。



宗教の違いについてお教え下さい。全ては元は同じ神様なのでしょうか

かくも尊き、畏き神を、頂く神は、一つの民なり。大和の民は最も尊く、畏き神を頂く民なり。

宗教、教団いろいろあれど、全てを治める最も上の、最上界には、スの神おわす

なれば、様々宗教あれど、その下にいて、ス神に仕える、位の低き神祭るなり。

なれば大和は、最も近く、神に仕える元の民なり。

なれど世も末、最期の時なり。いずれの民も、やがては一つ、一つの神にて、導かれなん

今の民族、人種、国籍、やがてはまとまり、束ねてゆかん。違いはあれど、魂は、全てス神に捧げ

られなん。宗教、教団、一つとなりて、一つの信仰、残されなん。ことばも文字も一つとなりて、

全てが調和し相和しゆかん。宗教、祭祀、違いはなくなり、争い、いさかい、なくなりゆかん

なれどさなる時の前には、厳しき選択、浄化もあるらん。

そに耐え抜きし魂のみが、残され 選ばれ 引き上げられん。

残され選ばるそのためにも、今より始めよ、ことばの浄化を

卑しき思いや想念表す、ことばは捨てよ、使うなかれよ。乱れしことばを 平らかにせよ。

汚され使われ、侮られし、ことばを正せよ、大本から。

今の人の世、乱すことばを、一つにするも た易くはなし。人の努力も、無駄多し。

国の違いと、ことばの違い、そもまた難く容易ならねど、一つ一つの国々で、ことばを正してゆく

が大切。

そを先ず始めよ、大和の民から。昔の神のことばに近く、神のことばを残すことばよ。

神のことばを、思いを知る者。神と最も和し易き民。なれば神の御心も、通じてゆかん。届けられ

なん。

神の祈りもすみやかに、広がりゆかん、行き渡りなん。

神の思いを伝えることが、始めの宗教、神のご意図よ。

なれど今ある宗教は、多くは、人の利益のため。人の幸福、富のため、健康のため、祈願のため。

神の願いを聞くはおろかに、己の勝手な願い事のみ。現世のみの魂ならば、そもまたよからん。当
然ならん。なれど人の魂は、その後続き、あの世までも、課されてゆかん、霊行を。

この世の行にてし残しし、多くの修行、汚れや罪を、浄める行は、積もりてゆかん。

なれど気付かぬ者ならば、宗教こそが教えるべきを、宗教さえも堕落せり

かえりて人の迷いを増すのみ。執着深めて、汚れを強めぬ

神の嘆きはそれのみならず。神の存在、恩恵さえも、忘れて、否む、世相、風潮。

人の心の迷い狂いを、醒ましてやれよ。導いてやれ。

人の心が最も安らぎ、救わるるのは、神とあるとき

人の心の神が目覚めて、人の魂と共にあるとき

人の心が最も嬉しく、生ある意味を悟るのは、神の存在甦らせて、己の魂、生の由来を、

永遠なるを、自ら知るとき

なればこの書記、さなる意味あり。人の迷いに直接働き、呼びかけ覚ませよ、示してやれよ。

神の声なる書記を読み、それにて改心、目覚める者は、神との縁を結ばれて、その後は離れず、救

われなんを。人の現世の次元に留まり、神を嫌いて、遠ざかる者。邪欲に憑かれて、逃れ得ぬ者。

さなる者にも、信仰あるらん。邪神に使われ、落ち行く定めよ。

曇りし目には、神は映らず。濁りし心に、声は届かず。神の心の、偽りのない、尊き導き、慈愛も

及ばず。

神にもなせぬことのあるらん。人の心を救うための、導き、それは人の務めよ。

選びし幾人、魂を、使いて神の声を伝え、そを広めるは、人のなすこと。

神自らがなせるのは、救わるる魂、引き上げて、守ることのみ、導くことのみ。

後は個人のなすべき修行。自ら禊がれ、求むる者には、さらにみ役を与えてゆかん。

なれど求めず離るる者は、神も救えず、見送るばかり厳しき仕組みの、法則なれど、自ら救え
よ、救われよ。神を求むる心のあらば、救いは始まり、導かれゆかん

意固地に拒みて、奢(おご)る者、高ぶる者は、救う術(すべ)なし。

宗教者なるは、謙虚なるべし

最も近く神の声受け、人に伝えるみ役の者は、最も謙虚で、敬虔(けいけん)なれよ

さならずば、神のみ声は伝わらず、枉(ま)げて伝うのあやまち犯さん

かえりて己が神と見まがい、人の弱みにつけ込みて、救うと称して、利用するあり。

神への冒涜、甚だしきこと。なれど、そもまた、人の弱さよ。

低き心の者集まりて、さらに低まり、堕ちてゆきなん。

宗教、多くは、誤りの素。始めのご意図を伝えるものは、少なくなれば、よく心せよ

真の宗教、信仰は、神への感謝と、帰依を深むる、そのことのみを教えるものなり

神への感謝と、魂浄める、修行を教える、それのみなるよ。

かつての宗教、そを思い出せ。

ことばの恵みを教えるものを、神への感謝を伝えるものを、人は心し、よく見極めよ



   二〇〇〇年四月二十四日   信 仰

信仰はどうあるべきか。また、宗教との違いについてお教え下さい

では教えん。既に幾たび、教えたれども、再び教えん。役立つならば。

宗教、それは、人の集まり。一人の神や一人の人を、崇(あが)め敬う集団のこと。

なれば教えは、一人の者や、一人の神に任せられ、他の者、信者は、従うのみなり。

一人の考え、一人のことば、それにて全てが決められぬれば、誤り、間違い、正されず。

ただひたすらの帰依と献身。少しの疑い、許されず、ただ信ずるのみの、盲信もあり。

盲信、狂信、罪も深まり、神への畏れも、敬いもなく、ときに、神のご意図と逆の、暴虐、反逆、

猛進しゆく。神の真の心を伝える、さなる宗教、今は少なし

多くの宗教、教団は、神の加護のみ求むるばかり。現世利益に曇りし心よ。

なれど信仰、そは救いあり神への信仰、あやまたざらば、神への感謝を第一として、

ただひたすらに真摯に生きる、素直に謙虚な魂を磨かん

神への信仰あやまちし者、狂いし信仰、そもあるらん。己の独善、正義心、そは我執なり、迷妄な

るを。

他を省みず、己独りの、基準あるのみ、唯我独尊。気をつけるべし、心すべし。信仰、全てが対象

とならん。物とて、信の対象とならん。金さえ敬い、尊ぶ者あり。信仰、そもまた、誤りの素。

己に益するものならば、何にてもよし、構うことなし。恐ろしきことなり、偽善の信仰。

信仰、全てが危うからず。なれど、多くの信仰なるも、己の利益を追うばかりなり。

己の親族、家族のためなら、他との調和も省みず、他をも犠牲にする者ばかり。

よく戒めて、見直すべし。己の信仰、信の対象。己の行となしたることを

神のご意図を知らぬ者たち。神の神意を悟らぬ者たち。神の御心、嘲(あざけ)る者たち。

神さえ知らず、知らんともせで、現世のみしか眼中になし。

さなる信仰、宗教ばかりの、狂いし 乱れし この世なり。

今取り戻すは、神の存在、神を見つける、その機会なり

科学や医学の発達しすぎて、全てを物にて解決せんと、見えざるものの力に対する、畏れ尊敬、絶

えぬれば。次元の異なる世界の存在、架空のことと あざ笑い、己の世俗の卑しさ誇る、濁りし目

をば、早く覚ませよ。神を教える者たちの、住み難き世なり、辛き世なり。

かつて古代の 神世の頃の、神と共にて、ありし頃の、人の素直さ、純真さ、全て失い、汚れし

か。

かつての信仰、そは単純。ただ感謝して、謙虚に生きる。自然を敬い、神を認めて、何にも感謝

し、調和せし頃。かつて古代に息づきし魂。昔のよき日を思い出せよ。

神と離れず、神に問い、神に答を求めし子たちよ。

神は全てを与え授けき。人を高めて、進歩さすため、ことばを、文字を、信仰を。

神の与えし信仰は、神と人とが銘々に、神と結びて、つながるものなり。

神と人とを結ぶもの、そがことばなり、祈りなり。祈りをもちて、古代の人は、神に感謝を、帰依

を伝えき。神のことばを聞くも可なれば、人は謙虚に敬虔に、自ずと己の不足もわきまえ、更なる

行をも、厭わず励みぬ。素直な魂、汚れぬ魂。人は己の魂浄め、高めるために、生きしものなり

なれどそもまた、遠き昔よ。

人の我欲の芽生え始めて、人の心が濁り始めて、神のみ声の聞こえずなりて、神とのことばを取り

上げられて、人は神から遠ざかりぬる。

この世に生まるが、堕落の始めよ。たちまち毒され、犯されて、現世世俗にまみれゆくのみ。

ことばの力も弱くなりぬる。ことばも乱し、心も汚し、歪みし鏡に映る世界は、上辺ばかりの、陽

炎(かげろう)の如。甘言(かんげん)のみに耳傾けて、真の神を伝えることばは、嫌われ、拒まれ、

蔑(さげす)まれ。

神も仏もなきが如くに、傍若無人の、荒れし世界よ。

子どもの頃より、嘘も恐れず、親に刃向かう幼子ばかり。秩序も順序もなきが如くの、獣よりも劣

りし者のみ。神の嘆きも聞こえざらば、ついにはこの世を終わりし後の、きつき禊ぎに耐え得る

や。

この世を離れて 戻りし後に、次なる生を与えらるるか。

次の再生、許さるるかも、今の最期にかかりておるなれ、よくよく諌めて、気付きてくれよ。

何も求めぬ、ただそれのみなり。神に戻りて、気付きぬること。悟り、悔い、詫び、下座する心
よ。

今の信仰、欠けたれば、早くに戻せよ、戻れよ、元に。

さにて。よくよく励みて、精進されよ。



   二〇〇〇年三月二十二日   医学・医者・薬

医学、医者、薬などについてお教え下さい

さにても神の御心は、全ての人の、生命を、高く健康、健やかに、保てるように作りしを、

人の想念、悪行が、己の体を傷つけ、貶(おとし)め、ついには汚れを貯めさせて、病となりて、表

れなん。

なれど医学は、その病、神の禊ぎを妨げて、肉体のみに治療を加え、心の病や 汚れ曇りを、少し

の改善、向上させねば、人の病は繰り返されて、己の肉体のみならず、あらゆる不幸の源(みなもと)

たねば、不幸災い、終わりもせぬを。

人の不幸の表面に、囚(とら)われ、忘れし心の病。

執着、迷妄(めいもう)、嫉姑に憎悪。心の全ての汚れを禊がば、必ず病は癒えるもの。

癒えぬは足らざる霊行の、証となれば、先ずは諌めよ。

己一人の病にあらば、いずれは終わりて治りもせんを、

時に先祖や他人の霊の、訴え頼るもあるなれば、そもまた禊ぎて悟らすべけれ。

己一人の責にあらねば、一族郎党、心改め、お詫びし、供養し、祀(まつ)るも必要。

己一人の罪科(つみとが)ならば、己一人の病に終わらん

なれど病はその者一人の、一代限りのものにあらねば、さらに供養し、許しを得るべし

最も深き罪科は、人の命を縮めて殺し、その者、霊行、み役を果たせず、あの世に帰れず、迷わせ
し罪。

その者、霊は、必ずかかりて、訴え、恨みて、呪い、苦しむ。

さてもいみじき恨みの念は、消すに消し得ぬ深きものなれ、この世にありて詫びぬれど、容易に許

さず、さらに恨まん。末世末代、子孫にかかり、救い求めて、さまよわん。

救うも、捨てるも、神の御心。許され救わる魂ならば、必ず神も光を与え、導きゆかん、あの世ま

で。

許され救われ、拾わるるまで、魂迷いて、恨み続けん。

なれば病も癒えることなく、己の苦しみ、痛みを伝え、やがては衰え、死に至らしめ。

なれど医学に癒せぬ病。霊を鎮めて、慰め得ねば、病は続きて、さらに苦しめ。

今の医学はさらに曇りを、深めてゆくのみ、増させるのみ。

真の気付きを、悔いて詫びなん。その後病も自ずと癒えて、霊の執着、消えてゆきなん。

真の気付きを得し者は、必ず詫びと感謝と帰依を、神に捧げて、尽くさんとする

そもなし得ねば、魂は、救いを得られず、さまよい漂(ただよ)う。

根を失いて流されて、行き着く先は、煩悩(ぼんのう)地獄。そこにて再び、責められて、己の罪科

償うまでは、繰り返されなん、詫びと悔い。


医学は神様の目からは、悪でしょうか

さなり。神の目からも、宇宙からも、真理原理は、許さぬ医学

この世を汚して、魂汚し、肉体さえも、汚しゆきなん。


それは何故でしょうか

愚かな者ほど医学に頼り、己の反省、悔いを忘れて、少しも改め向上せねば、神の霊行、最も嫌

い、避けてなさぬが常なれば。

科学万能、医学万能、物質のみに目を奪われし、今の世の中、罪ばかりなり。

そを気付かせるも霊行なれば、真の医学を志す者、神への信を高める大事。

医学になし得ることのわずかよ。肉体いじりて、切り刻む。薬与えて毒貯める

肉体本来、病なければ、神へのご無礼、冒涜(ぼうとく)極めん。

神の与えし肉体を、たかが物質、なれど尊き、神の恵みを汚すは許さぬ。

学の迷妄、罪の深さよ。なれどそもまた宿命なるらん。神の光に気付かぬ者の、哀(かな)しさ、

哀(あわ)れさ、切なさよ。さにて。



   二〇〇〇年四月二十五日   医学・医療は許されないのか

神から人へ。人から神へ。御霊磨くは、容易にあらず。日々の精進、続けることのみ。

地道に怠けず、怠らず、日々に絶やさぬ、努力の心。さにて、本日、何を問うや。



医学、医療は全て、神様の御心に反するのでしょうか。許される範囲、限度があるなら

ば、それをお教え下さい

そもまた、急なる問いなりや。

神の教えし、許せし治療は、ただに怪我のみ、火傷のみ

他は許さず、認められず人の苦しみ、体の痛み、そもまた悟りの機会にあれば。

神の試しと、鍛えのために、与えし苦なれば、そに耐えて、感謝を忘れぬ、真の信仰

なれば医学の発展は、神の望まることにはあらず

人には物質、体も必要。想念のみの世界にあらば、物質文明、不要にあれど、人には体のあるなれ

ば、そこに支障を起こさしめて、人の悟りの機会を与えん。想念のみには気付かぬことでも、肉体

あらば、気付くも易し。なれど、医学はそを妨げて、悟りの機会を奪うものなり。



どのような医学、学問の発展を神様は望まれるのでしょうか

そは容易なる質問にあり。

神の望まる発展は、心の成長促すための、豊かさ、優しさ、育むための、そのみのための学問なら

ば、神も許され、喜ばれなん



では、それはどのような医学でしょうか

そは人の、心の優しさ豊かさ育て、神への感謝を根本に置く、神への信仰高めるような、医学学

問、神は望むぞ。

なれど医学は、その逆にあり逆の方向、道 進み、神への冒涜、不遜を深むる、肉体のみの医学

に堕ちぬる。神の奇跡を、肉体を、刻み、毒もて、汚し、弱らせ、さらには新たな生命を、神のな

すべき領域までも、実験、薬で、犯すあやまち

神への感謝はいずこに捨てぬる。肉体汚して、病は治らず。心も腐りて、堕落退廃。肉体のみの世

界に堕ちん。神の偉大な恵みの感謝を、人から奪う学問多し。さなる学問、医学は要らぬ。病気の

意味を妨ぐるのみ



でも、医者の中には、尊い志や、人類愛を持つ医者、人を救う情熱を持つ医者もいるので

はないでしょうか。そうした医者も、罪を犯していることになるのでしょうか

医者も様々、異なるらん。尊き慈愛の医者もあらん。さなる医者には、神への感謝も、聖なるもの

への信仰も、自ずと備わり、患者の心を、浄むるような、ことばもあらん。

なれど多くは、さにあらず。金儲けのため、名誉のため、権利や地位に目をくらませて、医学の元

なる心もあらず。

人を癒すも実験なり。心を慰め、和らげる、そも薬なり、技術なり。

心ある医者、誠の医者は、必ず体を癒すにさえも、心も共に直しゆくもの。浄めゆくもの、高むる

ものなり。神への信仰、それのみになく、人への感謝も忘れぬ者は、自ずと医療も高くあるらん。



神様は、医学の発展を、かつてはお喜びになっていらっしゃったのですか

さなる昔も在りし日の夢。人が素直に、神に仕えて、体の汚れを浄めるために、神の光を受け入れ

し頃。

人は体の汚れを取るため、神の光を受け入れて、肉体治るを感謝して、治療の中に、神を見たり

人の病も祈り一つで、癒えて再び甦りしを。

人の汚れも恵みなれば、そを浄めるにも感謝ありき。さなりし頃の医療とは、神との交信、同じこ

となり。

神から光を賜りて、代わりて人に、与えしものなり。なれば医者とて驕(おご)ることなく、敬虔な

までに神を信じき。

神にも見えぬ、明日の人間。肉体のみの人間ならば、心を失い、神から離れ、肉体ばかりを改造せ

んを。

いかに医学が、学問が、発達するとも、神には及ばず。かえりて己を滅ぼしゆかん

効率ばかりを尊びて、無駄なることに価値を見ず。

見えぬ世界の存在、力。そに気付きなば、学も変わらん。

さなる高次の学ならば、神も喜び、許されなんを。

今の低次の学問ならば、やがては自ずと朽ちて果てなん。人自らが己を滅ぼし、遂には何も消えて

残らず。

次なる世には、通用もせず。次元の低き学問ばかり。物質のみしか計る能わず。肉体のみしか癒す

適わず。

さなる医学や科学にあれば、神は許さず、認めることなし

人の心を浄めるになく、かえりて心を、汚し、軽んず。

今の全ての学問に、残すに値(あた)うる学は少なし。いずれは滅び、自滅の定め

なれば心し、悟れ、我が子よ。価値あるものと なきものと。

真の価値を求むる者は、低き次元に留まるなかれ。

肉体離れて、物質超えよ。低次の幻惑、目覚めよ、人よ。

肉体ばかりの目にあらば、見えるも限られ、狭められん。

心の目もて、目覚ませよ。神の心を復活させよ。