平成22年6月度 ミニ講座

ゆだん        め    み     しんぱん     とき   ひ      ひ     せま
油断すな 眼には見へねど審判の 時は日に日に迫りくるなり  (S29. 3.23-27 春季大祭御詠) 

めいしん    おうじゃ    いがく     し                      は      すく         しるし
迷信の 王者は医学と知るなれば 早や救われし証なりける  (「栄光」 254号 S29. 3.31) 

にんげん    かたち            やくどく        かたまり  おお  よ   あわ
人間の 形をしたる薬毒の 塊多き世ぞ哀れなる  (「栄光」 254号 S29. 3.31) 

にんげん     いのち ほろ   おそ               やくどく  し      わが おし
人間の 命滅ぼす恐ろしき 薬毒知らす我教えかも  (「栄光」 254号 S29. 3.31) 

れいかい    あか                あやう       やくどく   ひた  いのち
霊界が 明るむにつれ危きは 薬毒に浸る命なりける  (「栄光」 255号 S29. 4. 7) 

くすり      どく   もと    いたつき   つく   めしい        おお    よ
薬とう 毒を求めて病を 作る盲のなど多き世や  (「栄光」 255号 S29. 4. 7)

やくどく     け    しんやく   ひととえ     わがじょうれい  わざ   こた
薬毒を 消す神薬を人問へば 吾浄霊の 業と答えん  (「栄光」 255号 S29. 4. 7) 




     我を去れ  (救五十号  昭和二十五年二月十八日)

凡そ人間生活上、我程恐ろしいものはあるまい霊界の修業は我をとる事が第一義とされてゐるにみても

知らるるのである、私は以前大本教信者の時お筆先の中に斯ういう一節があった、「神でさえ、我でしく

じりたのであるから、我程怖いものはないぞよ」とあり又「我がなくてはならず我があってはならず、我

があって我を出さないのがよいのであるぞよ」とあり、此意味たるや実に簡単にして我の実体を道破して

ゐるには感銘に堪えなかったのである、それによって私も大いに反省した事は勿論である。

又お筆先に、人間は「素直が一等であるぞよ」との言葉も、実に至言と思った、というのは、今日まで

の言う事を素直に聞いた人は洵に順調に行き失敗はないが、我の強い為なかなかそうはゆかない人もあ

る、その為よく失敗するのをみるのは、実に辛いものである。

右の如く我を出さない事と、素直にする事と、嘘をつかない事が先づ信仰の妙諦である。



     幸 福  (地一号  昭和二十三年十二月一日)

古往今来、如何なる人間と雖も幸福を冀はぬ者はあるまい。幸福こそ実に人間最初にして最後の目標であ

るからである。幸福を獲んが為の学問であり修養であり努力であるに拘はらず、満足に掴み得る者は果し

て幾人あるであらうか。大部分は幸福を獲得せんと思ひ続けつつ反って不幸の境遇にあり、解決の喜びを

遂げらるる事なくして不帰の客となるといふのが一般人の現実である。然らば幸福を得るといふ事はそん

なに難しいものであらうか、私は否と言ひ度いのである。

抑々幸福とは、病気貧乏闘争、此三大問題の解決が基本である事は誰も知る処であるが言ふは易く実現は

難く大抵は諦めるの余儀なきに至るのである。一切は原因があって結果がある。勿論幸福とても同様であ

るとすればその原因を先づ知る事こそ問題解決の出発点であらねばならない。

従而その原因に不明である以上、何程努力しても実現の可能性はないに決ってゐる。然らばその原因とは

何か、それを私は述べてみよう。昔から言ふ処の善因善果、悪因悪果とは実に千古を貫く真理

ある。此理を知って他人を幸福にする為に努力する事こそ、自分自身を幸福にする絶対的

条件であらねばならない。処が世の中には他人の不幸を顧みずして自分だけが幸福にならうとする人間が

あまりにも多い事である。一方不幸の種を播きつつ幸福の実を得ようとするのであるから、全く愚かな話

である。恰度水を押すと手前の方へ流れ、引くと先へ流れるのと同様である。

宗教が人間にとって如何に必要であるかは此点にあるのである。即ちキリスト教の愛といひ仏

教の慈悲といふのも他人を幸福にする利他的観念を植付けるのが本義である。此様な簡単な道理も人間は

なかなか認識し難いものである。そこで神様や仏様は種々の教義を作り、心言行の規準を示し、見えざる

ものの存在を教へ、取次者をして誠心誠意信仰に導くのであるが、一人の人間を救ふにも容易なものでは

ないのである。それも無理はない、一般人は見えないものは信じないといふ教育の下に唯物思想に固って

ゐるので、仲々耳を傾けようとはしないのであって、迷夢に鎖され暗黒の中を彷ひ苦しみながら、結局帰

らぬ旅路へ赴くのであるから、洵に儚ない人生といふべきである。

然るに、生あるうちに歓喜に浸り法悦の境地に住し長寿を得、真の幸福者たり得る方法がありとすれば正

に此世は天国であり、生甲斐があるといふべきである。然し乍らいふであらう。此様な苦の娑婆に居てそ

んな幸福者たり得る筈がないと諦めてゐる人が一般人の考えであらう。然し吾等は断言する。右の如き幸

福者たり得る秘訣のある事で、それを御伝授する手引として先づ此雑誌を提供するのである。



     運命は自由に作れる  (栄百四十五号  昭和二十七年二月二十七日)

人間は昔から好いにつけ悪いにつけ、どうも運命だから仕方がないと、諦めたがる癖があり、運命という

ものは不可抗力なものと決めているのは、誰も知る通りである。処が私は運命は誰でも、自由自在に

変えられるという事を教えようと思う。というのは元来運命は人間が作るように出来ているもので、此

真相が分ったなら、此の世の中は悲観処か大いに楽観していいのである。

言う迄もなく精神病者でない限り、どんな人でも不幸な運命にはなりたくない、何とかして幸運を掴みた

いと思うのは当り前な話で、其為血の汗を絞り、命を的にして迄も一生懸命になっているのは、人間通有

の欲望であるにも拘わらず、本当に幸運を掴み得る人は、果して幾人あるであろうか、先づ百人に一人も

難しいといってよかろう。とすれば幸福者たるにはどうすればいいかという事になり、迷いに迷っ

た揚句の果が彼の世行となるのだから、何と心細い人生ではなかろうか。お釈迦さんの言われた通り、全

く諸行無常の娑婆である。とはいうものの偶には本当に幸運を掴む人も、万人に一人位はないではないか

ら、そういう人を見る世人は遂諦め切れず、夢を追う事になるので、それで世の中はいいのだと悟りを開

く人もない事はない。若し本当に幸運を掴み得る方法があるとしたら、之程結構な事はあるまい。誰もそ

れが分らないので不幸な運命を作って了うのである。つまり自分で牢獄を作り、其中へ入って苦しむ訳

で、事実此様な愚劣憐れむべき人で世の中は一杯である。では幸運者となるにはどうすればいいかと言う

と、分り切った話であるが、善の種を蒔けばいいので、昔からいう善因善果、悪因悪果の言葉通

であるから、悪の種とは人を苦しめ、損害を与え自分さえよければ人はどうでもいいというような利己

的観念で、善の種とは他人を喜ばせ、他人に利益を与える利他愛観念である。としたら甚だ簡単のようだ

が、それが仲々難しいので、人世は厄介なものである。ではどうすればいいかというと、右の道理を信

じ、守り得られる心を作る事で、そうなれば嫌でも実行するからである。

 それには勿論信仰より外ないが、茲で注意すべきは単に信仰といっても色々あるから、充分選択し

なくてはならないのは言う迄もない。処で自画自讃ではないが、我メシヤ教こそ其条件に最も合致してい

る信仰であるから、不幸に苦しんでいる人は、一日も早く入信される事を御勧めする次第である。



参考文献   薬毒の恐怖   瓢箪  『地上天国』63号、昭和29(1954)年10月15日発行

   (一)
 私は毎年二回以上は消毒薬浄化による神経痛で死の苦しみを味わって来たが、その都度、明主様に御救

い賜わり、年毎に苦痛も楽に、浄化の回数も減らして戴いたが、昨年秋十一月にも御浄化を戴き歩行不能

に陥った。この前の浄化に比すればはるかに楽にして戴いたが、それでも痛苦の為不眠と絶食の日もあっ

た。しかし最も苦しい症状は一度の御浄霊でお除り戴いたので、今迄にない短期間の、僅か一週間で歩行

出来るようにして頂いた。そしてさしもの消毒薬も殺人的苦しみは与え得ぬほど薄くして頂いた事がはっ

きりと分り、有難さに堪えなかったのである。

 なお、この時の浄化状態の特異な点は、従来のように両脚の激痛に止どまらず、背部の手術個所の疼痛

の執拗だったのと、右腕が痛んで利かなくなった事であった。そして驚くべきはその手術部の御浄霊戴く

と、忽ちにして頭脳がすっきりし物がはっきり見える。腕や足もズーッと楽になり、羽化登仙別世界に引

上げられたような全身的軽快を覚えるのである。これによっても、今迄長年苦しんだ足の激痛も頭脳の混

乱も、結局はこの背部手術個所の消毒薬が根因となっていた事を、あまりにもはっきり分らして頂いた。

実にこの部の薬毒こそ一時に浄化すれば、いかに私の生命力ありとも容易に奪いとる程の恐るべきもので

あったのである。私は身体も弱かったが、まず何よりも頭脳の変質と遅鈍を良くして頂きたく、従来頭部

と頸部の御浄霊をしばしば御願いしていたが、お蔭をもって頭も非常に楽になり、性格も体質も他人から

変化を認められるほど穏健にして頂いた。こうして頭頸部の薬毒を減らし薄くして頂いたため、平均浄化

的に、さほど激しからぬ苦痛で、背部手術部の浄化を賜わるに至り、ここにあらゆる苦悩の根源たる薬毒

の本拠は白日に照らさるるごとくあらわになったと共に、今後これを解消して戴く事によって、初めて虫

の境涯を脱して健全人間と生まれ変り、無上の幸福を与え給う事となった大御恵みの有難さ嬉しさは何と

申し上げてよいか言葉もない。

   (二)

 私が頭頸部の御浄霊を賜わるようになってから頭も大変よくして頂いた事を自覚していたが、時として

物を考えようとすると思考が分裂してまとまらず、無意味な妄想や、自分の意志と全く相反した不快極ま

る想念が沸いて混乱に陥ったり、ついには頭脳活動が停止したかと思う程無能力的になる。こういう事が

度々あると、次第に自己の頭脳に自信がなくなり、なすべき事も段々出来なくなる。そういう時「これは

自分の想念や行いの間違いによって曇りをつくり、その為に脳力に変調を来たしているにちがいない」

思うようになった。そしてその事を明主様に御伺いすると、『何を言っているのだ、決してそんな事はな

い、みんな消毒薬の為だよ、まだまだウンと消毒薬が延髄部に固っている。よほど消毒薬を入れたものと

みえる。お前の頭には普通人の何倍もの薬毒があり、それが頭の中で渦巻いているのだ』と御垂示賜わ

り、私は直ちには信じられぬ程ビックリしたのである。自分が今迄になくよくして戴いた事から頭の方の

薬毒は充分減らして頂いたし、消毒薬は手術部に固結しているだけで、ただ信仰の至らぬ為の症状とのみ

思っていた私には、消毒薬がこんなにも執拗な恐ろしいものであり、延髄の固結までもそれである、と

は、全く気づかなかったのである。

 私はこれ程に御明示戴いた事もいつしか忘れ、この時の浄化の時も再び深刻な地獄的想念に悩んだ。自

分はなすべき御用も何一つ出来ぬ身をもって、かほどまでに大神様の御手数をかけ奉るのは何たる恐れ多

く勿体ない事であろう。常に限りない大御恵みを頂きながら当然の御用さえ出来ぬとすれば信仰している

意義はなく、生きていて何の甲斐があろう。このように何にも出来ぬのはよほど深い罪があるからに違い

ない。肉体の支柱たる脊髄まで傷つけられ、その薬毒の為こうまで苦しまねばならぬのは、よほど前世に

おいて、大神様に背き奉った最大の罪を身魂に背負っており、その罪に相応する医療の被害を受ける運命

になったのではあるまいか、と思い、明主様にお伺いした。すると、

 『お前は一体、前世で神様に背いた覚えがあるのか』とお聞きになった。「それは何とも判りません」

とお答えすると、

 『そんな不確実な事を考えるのは変ではないか、物事はもっと現実的に考えるべきである。手術を受け

さした親も病気を治してやりたい一心でやったのだし、医師とても同様善意でやった事であって、誤った

医学以外には誰にも罪はない訳でほないか。それが事実であり、最も正確な見方である。信仰者はすべて

罪悪的非現実的に考えるし、無信仰者は唯物的にのみ考えるがどちらも本当ではない。私は何れにも偏ら

ぬ最も正しい考え方を教えるのである』と御諭し賜わった。

 人類の罪を赦し給う救世主神の御眼には、人間の罪悪はあたかもお認めにならぬかのごとく、ただ罪悪

を生み不幸を作る薬毒を滅せんとの大悲の大御心しかお待ちにならぬがに私には感ぜられた。そして又私

は、常に陥りやすい既成宗教的、病的な考え方の急所をつかれ、悪夢からさめたような喜びを覚えたので

ある。結局私は頭脳をよくしていただいた為に、次々起った薬毒の浄化の為に、深い罪悪感に陥ち、自ら

地獄を作っていたのであった。

 又、その後右腕の御浄霊をお願いした時、右頸部に痛みを覚えたので、まずその部の御浄霊をお願いし

た。明主様はちょっと御手をお触れになった。

 『これだな、随分物凄く脹ってるな、夜寝れぬ事があるだろう』と仰せられ、一、二分御浄霊賜わった

ろうか、気がついてみると腕はとても楽になり、右半身全体の重量は半減したように思えるし、顔の右半

面がとても軽く左半面とズレたような妙な感じである。それよりも、今迄どうしてあんな考えを起したの

か不思議なほど、変な妄念の湧起がとれて、何とも言えぬ明るい軽やかな気分にして頂いたのである。言

うまでもなく頸部の弩脹は不眠から精神病に進行する毒結である。思えば私は軽度の精神病になっていた

のであって、頭脳に渦巻く消毒薬が起す、救いようのないような陰鬱と寂蓼感と相まって、罪悪感を生

み、自ら萎縮していた訳である。

 結局、恐るべき消毒薬は頭脳に固結して廃人同様の無能者たらしめ、頸部に固って精神病に至らしめん

とし、腕に凝って不随にし、下降しては歩行を不能にし、名状すべからざる苦痛を与えたのである。まこ

とに一人の人間を廃人にし、その人生を滅茶々々にする程の力もつ消毒薬の恐ろしさは戦慄を覚える。

 今仮に、この症状において御救いを知らなかったとしたらどうであろう。この背痛は非常に長く持続す

る為、医師は脊髄カリエスとしてギブスをはめて固める結果、薬毒は肺へ浸潤して肺結核にされ、これを

固めれば心臓や胃に移行するという経過を辿る訳で、その間おそかれ早かれこの世をおさらばになるのは

必然である。

 今、消毒薬がいかに恐るべきものかを知らず、医学の進歩とする手術を盛んに行って、多量に体内に注

ぐ人々は無数であるが、その浄化が起った場合は一体どうなるであろう。何という戦慄、何という悲劇で

あろう。



【側近奉仕者の話】 山本慶一 昭和23/9/14

 昭和23年9月15日初めて御奉仕にお許しを戴きましてより、昨年4月19日御浄化に入らせられるまでの

約5ヵ年半に亘って、御側近く明主様を拝し数々の御教えを戴きました。14日「明日から神山荘で御奉仕

のお許しがあったから、この手紙を持って明朝早く神山荘に行くように」と言われ宝山荘を出発しまし

た。夜来の風雨もすっかりおさまり台風一過絶好の秋晴日でしたが登山電車は強羅――宮ノ下間が普通で

やむなく宮ノ下より徒歩にて、神山荘へ着いたのは午後2時でした。観山亭へと伺いました。満足な御挨拶

ができるかしらと心配で心配でなりませんでした。御側近の女の方が「大先生は只今お庭の植木の手入中

です」との言に、引返しお庭の方へ参りましたが、明主様のお姿が見当たりませんでした。あちらこちら

とお探し致しておりますと、これいかに大先生には和服の裾ひっぱしょり、片袖をお脱ぎになられ、庭木

の繁みの中でお供もなく只お1人お手入れなさっておられました。まるでそこいらの御隠居さんという御い

でたちなのです「今度御奉仕に上がった山本です。歳は23、郷里は名古屋です」と井上先生より御紹介戴

きました。大先生には『ああそうか、しっかりやりなさい』と御言葉をいただきましたが、もう後はどの

ように御挨拶申し上げたのやら、感激の余り身体が硬直してしまって、末だにハッキリした記憶がござい

ません。併し物柔かな少しの飾り気もなく、開け放しの御態度であらせられた事だけは、ハッキリと映じ

ております。御挨拶を終わり退下させて裁き、色々と井上先生より御奉仕での注意やら御奉仕者への紹介

も終わり、少しずつ落ち着きを取り戻す事ができました。そして私が御奉仕に上がりますまで想像致して

おりました事は、悉く覆えされてしまいました。というのは当時の救世教、治療団体から宗教団体へと発

足して日も浅く従って入信後殆んど宗教教育を受けていない私は、本院ともいうべき明主様御住居も又既

成宗教的形式に則り事をお進め遊ばされると思っておりました。即ち明主様のご日常にしろ神室深く閉じ

籠られ、俗事には一切耳を藉されず、ひたすら御神業に御専念遊ばされていられるとのみ考えておりまし

た。

 それが御奉仕に上がってみますと、普通一般の御家庭と何等変わりなく斎戒沐浴的御生活の一片すら只

見受けられず、平凡そのものの御日常を拝したのでございます。神室にしましても床の間に山水の大幅を

掛け、その前に花を活け中央に卓、室隅にラジオ、書棚という位の簡素さで、所謂抹香臭さは微塵もな

く、奇を想像致して来ました私は、知らぬ事とはいえ本当に申し訳なく思い、心中深くお詫び申し上げま

した。このような平凡な御生活の中で人類救済という大聖業が少しの淀みなく、物凄いスピードで進めら

れていられたのです。

 ここで当時の明主様の御日課を記させていただきますと、御起床7時半前後、御朝食8時、8時15分奉仕

者御挨拶、そして9時前後に神室にお入りになられこれから1日の御日課が始まるのでございます。当時

は信者さんの御参拝日が10の日を除き、連日でしたので午前10時頃からはその日御発表になられます御論

文を御整理遊ばされました。その間にも御守様、御屏風観音様の御魂入れ等をなさいましたが、この御魂

入れなどは決してそれのみなさらず、ラジオをお聞きになり乍らとか或いは新聞とか美術書等をお読ませ

になりながらなさいました。こうして午前中の御日課が終り、午後は1時前後より隔日或いは2、3日置

位に映画を御覧になられました。映画のない日は出入りの道具屋さん始め外来者と御面談遊ばされ、時に

は10数人に及ぶ面接者を約2時間に亘ってお会い遊ばされましたが、実に手際よくお片づけになられまし

た。どんなに多くとも必ずといっていい程、3時位までには終らせられました。3時後はお山へお出まし

になられ色々御指図なさったり、或はお庭の御手入れ等をなさいました。そして5時半前後御入浴、夕食

と続き、6時45分より約1時間半に亘り、御書体の御揮毫、終わって御浄化を戴いた奉仕者のため、特に

御多忙な時間をお割きになり、殆ど毎日2、3人が御浄霊を戴けました。9時前後夜食をお召しになり、

終って約1時間奉仕者に肩をお揉ませになられました。10時15分奉仕者一同夜の御挨拶。これで大体私達

奉仕者は1日の御用を終らせて戴くのですが、明主様はそれからその日の新聞、教団関係事務とか或いは

渉外関係の報告をお聞きになり12時前後より原稿の御口述遊ばされたのです。そしてお休みになられます

のは午前2時前後なのです。これが当時の御日課でした。そして1年365日、迄ら日月星辰の運行の如く、

1日として休まれる事なく続けられました。



 愛児の肺炎治り入信し妊娠八ケ月の身重でトラックに轢かれ母子共に助かる
                       『地上天国』21号、昭和26(1951)年2月25日発行  
                  山ロ県豊浦郡神玉村辻ケ畑  光の道中教会 藤川日出子(32)

 昭和二十一年十二月十三日に生れた長男が、二十二年二月、三月、四月と肺炎に罹り、その都度医者に

行き、七月にまたも肺炎に罹り、こんなに注射や薬を飲んでいたら最後には助かるまいと考えていた矢先

き、近所の方が医者に行かないで、手を振って病気が治るそうな、小島さんがそんな事をされると聞い

て、私はきっと信仰の御力だと思い、早速御願いに行きました。その日より医者を頼まず、御浄霊をして

頂きました。一時悪化しましたが、浄化の有る事を聞いておりましたので、安心して御まかせ致しており

ました。十日ばかりで全快致し、家中大変喜んで御すすめにより私も入信させて頂き、御屏風観音様も御

祭りさせて頂きました。二十三年十月二十七日午後一時十分頃私は妊娠八カ月の身重の体で、トラックに

轢かれそうになった近所の幼女を救わんとして、私自身が木炭百三十俵積んだ貨物自動車の下敷となり、

三間ばかり引きずられました。気はたしかでも呼吸が出来ず、出来ぬままどこに倒れているかと眺めれ

ば、頭の側に車輪があるのに驚きました。両手を胸に御守をしっかり抱いている自分を知った時、何んに

も言えず、無事だッという喜びが湧きました。運転手が私を引ずるようにして、自動車の下より出しまし

た。この間わずかだったでしょう。ほっと呼吸をする事が出来ました。

 明主様有難う御座居ました、と心の中で御礼を申し上げました。医者も産婆も、保健婦長さんも飛んで

来られました。強心剤を打ちましょうと言われましたので、私は「私の体には注射も薬も入りません。こ

のままにして置いて下さい」と御頼みしました所、皆あきれ顔で、大丈夫ですかと、何んべんも何んべん

も聞かれました。運転手さん達は一刻も早く病院へと言われます故、安静が大切故、心まかせにして下さ

いとたのみ、駅長さんに湯玉教会の秋山先生に通知して頂きました。二時半の汽車で秋山先生が来られ、

直ぐに御浄霊をして頂きました。大河内の寺田先生に電報で通知して頂き、午後五時四十分にかけつけて

下さいました。入信をすすめて下さいました小島先生にも、奥様より電報で、五島(長崎県)に通知され

た由、諸先生方が色々と御親切に夜の目も休まず御浄霊して下さる。この喜びは医者通いをなさる方には

とうてい味う事の出来ない感謝の喜びと言えましょう。顔面に五カ所切傷が有り、当時一年十カ月の長男

は、余りにも変った母の顔に近づく事をおそれ、父の側より離れなかった程、青黒くなったそうです。三

針ぐらいは縫わねばいけないと言う方も有りました。眼の上下に切傷が有りますのに、眼には障りなく、

真に不思議と言うより外に言葉が有りません。御霊紙をはって頂きました一週間目には、あと方なく良く

なっておりました。右のももに親指が入る程の穴が有り、右あばら骨の最下部を打ち、医者は熱が出れば

母子共に助からぬと申されました。右足の足首の筋がつれており、びっこはまぬがれぬと思っておりまし

たのに、現在どうも有りません。一番心配したのは腰です。腰の骨がはずれたのです。尾籠な話ですが、

大小便も出ていた程打っていたのです。その外打撲は体全休に有りました。

 ああ奇蹟とはこんな時に使わねば外に使う所が有りません。余りもったいなくて、筆や言葉ではどうし

て書いたり言い表す事が出来るでしょう。罪深き私がこんな災難に合いながら、死なずにいるさえ夢のよ

うな事ですのに、その上大いなる御慈悲を頂いたのです。三日目に寝返りを五人の方々によってさせて頂

いている時、ボキボキと言う物すごい音がしたのです。三日間と言う物は、寝返りの度に先生方や主人等

に大変心配をかけたものですが、音がしてからは大変楽になりました。腰の骨が自然にはまったのです。

尊い光明如来様の御守護を厚く感謝致し御礼申し上げました。十一月七日までは便所に行かれず、先生方

の御厄介になり、ただただ、この御導の有難さに感泣致しました。道路で転んでも流産や早産する人さえ

多い中を、熱も出ず寝返りする時以上にはあれ程の打撲も痛まず、実に光明如来様の絶大なる御力と、無

限の御利益とを頂く事の出来ました私、もったいないやら、有難いやら、夜明けのような心持して、その

後御浄霊をして頂いておりました。十一月十日には人の体につかまって起きるようになり、十八日には、

始めて風呂に入る事が出来ました。十一月末には杖をついて外に出られるようになりました。

 十二月十三日午前四時無事八百匁ある次男を生む事が出来ました。大きな事故の後なのにどこも変った

所なく、元気な産ぶ声に皆の喜びはたとえようがなく、私はひたすら光明如来様に御礼を申すと共に、明

主様にも御守護御礼を心より叫びました。寺田先生を始め主人も、妹も、感謝と喜びに目に一ぱいの涙を

ためて「ああ有難い」の連発で、御先祖様にも御礼申し、主人も早速御屏風観音様の前で御礼を申してお

りました。産後も大変心持良く過させて頂きました。産む前に杖をついて外に出ては近所の皆様に、有難

い御守護頂いた御話を致し、どうぞ皆様も病気で困る方が有れば、御蔭を頂かれるよう御すすめしていま

した。現在は体験を語り、御浄霊もさせて頂き先生方の所へ御出でになるよう御すすめ致して御厚恩の幾

万分の一にもと微力を尽させて頂いております。

 明主様大変有難う御座いました。乱拙文を以て御礼御報告させて頂きます。

   日の本に神よ居はさんとたれが言ふ  光輝く光明如来

   救はれん喜び分ち世の人と  共に進まん光の道を (合掌)