このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
す。


※何か質問などある場合
は、「お問い合わせ・質問
等」の欄よりメールでお願
いします。

平成29年7月度 ミニ講座

7日午後~11日午後)《楳木先生からの伝言》
・「入門と奥座敷」 "誰でも浄霊力が授かる"p73~p76
・岡田茂吉全集講話篇12 "御講話"p411~p417
・岩戸隠れ前と後の火素・光の量。
・(岩戸隠れ後)病が出てきたという事は、人間の霊性・人格が落ちてきたという事でもある。
・お守りなしの浄霊を追求してきたメシヤ教だからこそメシヤ降誕仮祝典・本祝典を執り行わせて頂けると考えられないだろうか。誰でも浄霊力が授かる
 メシヤ教では誰でも心の持ち方で浄霊力が授かる、と教導してい
ます。つまり、メシヤ様と強い想念で繋ることにより、手の平から
浄霊の光を放射することができるようになります。
 かつて「おひかり」というものを首に掛けることにより、浄霊力
を授かった時期もありました。しかし、メシヤ様の御啓示により
「おひかり」は不要になりました。その経緯を説明するに際して
は、正確を期すために、健富和協会の会報五号から一部を引用致し
ます。
      *        *        *  
 昭和二十九年四月十九日、明主様(メシヤ様)は浄化のため、お
文字をお書きいただけなくなりました。その後役員会で当時理事長
であった木原義彦先生は、お文字を印刷して、御神前でお願いし、
御守として下付しようと発言され了承されました。しばらくして明
主様(メシヤ様)から『御守りはどうしているか』とのお言葉があ
り、側近の阿部執事が「木原さんがこのように申しましたので、こ
のようにさせていただいております」というふうに申し上げたとこ
ろ、『ああ、それで良かった。それでいいんだ。本当は御守りはな
くてもいいんだけどな。入会者の氏名、年齢、職業を私に報告する
だけでよい』とのお言葉があったのです。
      *        *        *  
 引用文中の「御守り」は「おひかり」のことで、メシヤ様はそれ
を『なくてもよい』と仰言った訳です。
その『なくてもよい』という意味をメシヤ教は問い続けました。か
つて繰り返えされた教団紛争の折りには、必ず「おひかり」が楯に
取られ、宗教性のない低次元の問題が種々起こったことも事実で、
「おひかり」の存在を問わねばならない時期を迎えていたのです。
確かに、ある時期までは「おひかり」という「モノ」に頼らなけれ
ばならない時代背景もありました。
 しかし現代は違います。「おひかり」という「モノ」があると、
かえって宗教性が薄れ、想念の確立が疎かになる場合も生じます。
このような訳でメシヤ教発足に際し「おひかり」という「モノ」に
頼らず「メシヤ様に直に太く繋がる想念」を確立することを通し
て、浄霊力を授かる道を踏み出したのです。
 また、メシヤ様は昭和二十七年、当時読売新聞社科学部次長だっ
た為郷恒淳氏から"明主様(メシヤ様)ご昇天後、光はどうなります
か"という意味の質問を受けられ、『霊界から出しますから同じ事で
す。却ってよく出ます。体があると邪魔になりますから。』とお答
えになられています。
このお言葉は、私達に大きな安心感を与えると共に、更なる求道心
を掻き立たせるものです。それ故に、自分自身がメシヤ様からの御
光を遮ることのないよう、基本を絶えず反復し、数多く実践し体験
を重ねてゆかねばなりません。(後略)
         御  講  話
『擦って治した代りとして、草根木皮をコスリの代りに用ひた。コ
スリが転化して薬となり、手をあてるから手あてとなった。所で、
人間の身体に草根木皮の薬なるものが入った。それが人間の血の濁
った根本、薬が人間の身体に入った為、血濁り、身体弱り、病気に
罹り易くなった-と、こういふ訳である。
 今のは東洋に於ける話であるが、西洋に於ては、西洋医学が段々出
来て、益々人間の寿命を縮めて来た。
 それであるからして、今私が斯ういふ事をいふと、大変非文明的
で、あまり反対の事故受取り難い事かしらぬが、病気のない世界、
病人のない人間-そういふ事も最初嘘のやうに思へたが、段々観音
様にやらされるといふ事が本当だと判った。事実数千年前は病気の
ない社会だったそうである。たゞその時分の事しか御存じなかっ
た。神からみれば、実に不思議に思召しの……。
 病気あって寿命短い、丁度今の人間が病気のない世界が出来るとい
ふと、不思議に思ふと同し事である。
 病気治しは非常に進歩したといふが、医学は、実は人間の生命を大
変縮める役目をしてゐた事が判る。私が不断、病気はほったらかし
ておけば治る、それ以上治すのは観音様のお光をいたゞく事だとい
ってゐた事、それは間違ひでなかったのであります。病気は斯うい
ふ風であります。外の凡ゆる事はやはりそうで、人間は大変間違っ
た事を長い間させられてゐた。
 肺は七代前の祟り、或は喘息は何代前の祟りとか、それは合ってる
事もあり、違ってる事もありませう。之は的確に説明出来ない話で
あります。違ってゐるといっても反証をあげる事は出来ないから、
その教徒だけ信ずるより外仕方ない。何の罪か、何んの穢か、あっ
ても、それよりもっと早く治り、後続かない、それだけでいい訳で
あります。その事に就てお話する訳ですが、祖先の罪といふやうな
事は、どっちかといふと、いつもよく話すが、誰方でもひとりでに
外へ生れる訳でない。
 厳然たる事実、そのお父さんお母さん、又そのお父さんのお父さん
が生れた-段々古いこの祖先を尋ねてくると何千人あるか判らぬ。
すると自分は自分であって、祖先の延長であって、どこへ繋がって
霊体へ繋がってゐる。肉体は絶縁さるるとも霊統はつながってる。
 天照大神様が岩戸がくれ遊ばされた事は、天津祝詞にある通りであ
ります。天照大神様が天下を知召した所、五月蝿(サバエ)なす仇の曲
事いやつのり-とある。つまり、あれの事なんであります。それで
暗黒になったその為病気が発生した訳なんでありま
す。で、然し乍ら此間も話した通り、未だ神武天皇から何百年、約
千年位迄といふものは、あまり病気はなかった。
 文献をみても、伝染病が日本に発生したのは、仏教渡来した約千
七、八百年前から発生して、伝染病といへば病気の中でも悪性に属
するので、性の悪いやつはみんな伝染病にした。仏教の渡来した同
し頃から伝染病が発生したのは、よほど訳のある事と思ふ。特に黴
毒、淋病などの花柳病は足利時代から発生したと文献にある。之は
ヨーロッパからといふ話もあり、又アフリカの土人から出たともい
ふが、之は、白人がいふのだから、体裁のわるい為黒人から出たと
いったと思ふ。伝染病は本来日本にはなかったらしいのでありま
す。そういふやうな事もあって、日本でも約千年或は千五百年前迄
は、大凡百位まで生きた。三千年位前は百才、二百才はザラにあっ
た。人間は時々病気のやうな障りがあった。それを病気といった。
それをどうして治したかといふと、その時分病気を治す神があっ
た。
 間違った世の中に呼吸してゐた為、間違った事を本当と思はれた。
生存競争など、いろんな言葉が真理のやうに考へられた。それは間
違った事が何千年も続いた為、それが本当と思はれたのでありま
す。
 私が観音様からお知らせを受けた世界からみると、殆んど反対位間
違ってゐる。人間の思ふやうにゆかぬ、人間の作った学問と実際は
反対になる
 その間違った世界を本当に直す、それが観音運動でありますから、
大変大きな運動でありますから、出来るか出来ぬか判らぬ位難しい
事で、それは間違なく出来る。いろんな観音様の御霊顕、ふしぎが
あるが、これは何でもない、あたりまへの事で、さっき武井さんが
観音様が掛物から抜け出た話をした。大変不思議な事ですが、それ
はあたりまへの事なんで、そういふ事を知らなかったから不思議
で、今後どんな奇想天外な事が出るか分らぬと思ふ。
 或程、病気のない世界は結構であり、又、薬の為人間の生命も縮ん
でゐたが、然し当面の問題、この方が差迫った問題であります。で
すから、当面の問題を解決し、それから世界中段々拡げて行かなく
てはならぬ。所が、病気の本原とは一体何かといふと、之は凡ゆる
宗教でいってゐる、罪穢が出るといふ、その事は絶対間違ひない事
で、唯罪穢が宗教によっていろんな解釈してゐる。
 観音運動の根本は病気を治す、といふ事は前にお話してあり、御承
知の事と思ふ。それに就て、此前一寸お話したが、其後又段々くわ
しい事が判って来たんで、それをこれからお話します。
 日本でのお話でありますけれども、三千年以上前は病人はなかった
そうです。つまり、病気がなかったんだそうであります。私はそう
いふ事を知らされびっくりしたんであります。それは何故かといふ
と、医学といふものがなかった-、と申しますと
-、此世の中を支配されてる神様の御光が強かったからなんだそう
であります。それで丁度その時分は、天照皇大神様が御支配なさっ
た。それが為その御光によって病気がなかった
 所で、光の神で絶対力をもった天照大神様が岩戸隠れなされた後は
下の神様が支配なさった。神様の世界は人間で想像出来ぬが、事実
そういふ下の神様が……。
 --の神が、お守を拵えた。今でいへば医者みたやうなもので、お
守を首へかける。病人があると患部を擦る、或は手をあてる、それ
だけだった。それで病気がないから長生きしたんであります。それ
で長生したが、今度私が指圧療法を始め、お守をかけて治病する人
を養成し始めたが、その時と同し方法なんだそうであります。そう
してみると、極昔やった事で、新発見ではないのであります。
 光がなかったら病気を治す事は出来ぬ。やむを得ず禁厭或は草根木
皮を見付け出し、それによって一時凌ぎをやった。そういふもので
は病気は治らぬ。
 罪は科学ではない。罪は溜って、祖先の何千、何百の罪は皆その人
にくる。で、大抵の宗教は祖先を祀ってその罪を許して貰ふ、こゝ
で、この話も……。
 観音会では祖先を祀らぬ。何故かといふと、外の宗教とは全然反対
で他の宗教は病人が出ると、祖先の罪といひ、病気そのものは皆地
獄へ落ちて苦しんでる、沢山の祖先の苦がくる、それを祀れば少く
なるから苦しみがとれる。
 一口にそういふけれど、非常に複雑で、祖先の罪にはいろいろあ
り、人を殺した人、人を苦しめたり、ひどい目にあはして怨んでる
のもあり、怨みの為蛇になるものあり、そういふのは動物に生れ代
り、動物が死んで……。霊界で、その霊が苦しめたりするものあ
り、調べたらどの位あるか判らぬ。要するに達者になればいい。
 とも角、大体そんな訳で、すべて罪により病気が起る。その罪なる
ものは、早く解消する事が肝腎で、それは観音様のお額をお祀りす
る事が肝腎で、それ以上はどうするかといふと、徳を積む、いい事
をする。よく積善の家に余慶ありといふが、之は絶対真理
 一つでもいい事すれば箔がつく、徳がつくとよくいふが、それは何
かといふと、例へば自分が病気を治された、それでいいのではな
い、何時祖先の罪が係はってくるか判らぬ。他の人にも話すといふ
誠がなくてはならぬ。一人でもよくなるやうに、商売の間を一人で
も多く導き救ふといふ事は、大変結構な事である。一人を救ったば
かりでなく、その人により何人救はれるか判らぬ、大変大きな事に
なる。一人が救へば又他を救ふ。こうして徳を積む、之が大変結構
で、之によりどうしても、観音様は御褒美として良い事がくる。特
に今度の観音様はそういふ点の栄へは大きい、今迄にも沢山ある
が。
 観音様はとても大きく下さる。何となれば観音様は主神で、全世界
を自由にし得る神で、金持でいへば日本一の金持だし、否世界一の
金持、同じ金持でも中位のと小位のと違ふ。
 同し番頭でも、同し働いても大変違ふ。要するに観音様は、世界一
の所有者で、何でも持っておられる。観音様に戴くといふ事は、ど
んな大きな事になるか判らないのであります。
 その人は徳がつくから、善い事も沢山出てくる、思はぬ良い事が出
てくる。家は栄へる、よくなる等、徳を積んだ報ひは、仏教の方な
どで説いてあるから……。言ふまでもなく、特に観音様は全世界を
救はれる事を始められた。で、治るのは、罪の重荷を観音様がとっ
て下さる。一般では、その罪をお医者や薬がとってくれると思ふか
ら違ふ。顕微鏡みたやうなものなど、そんなもので罪はとれぬ。そ
れは罪をとる為に出来たものではない。肉体に現はれたものを消滅
しようとする。
 観音会では、人間に観音光を与へる。すると子孫が祖先から受けた
罪は解消し、この人の魂が光り、光が放射して祖先の罪は許されて
天国へ行く。天国ではみな観音様のお側へ行く。ですから祀るより
早く行く、根本的であります。
 今迄の宗教には、こういふ実例がある。神道や大本教などで、祖先
を祀ると子孫は救はれたと思ふ。それで、今迄信仰した宗教で祀っ
たものを撤廃する、所がそうではないので、祖先もその宗教に必ず
しも入らぬ。現在一家の家でも、今迄の宗教をすてて、すぐに新し
い宗教へ入る事は出来ない。生きてる人でさへすぐに入れぬ。
 一家揃ってすぐに新宗教に入るなど滅多にない。中には反対するも
のあり、弘法を信仰してゐて、霊界で弘法の側など行けば結構で、
それを阿彌陀など子孫が祀ると甚だ迷惑する。祀るから行かない訳
にはゆかぬ。中には仏により非常に怒るものもある。併も仏壇へチ
ョイチョイ行く霊は怒って反対に病気を起さす場合がある。よく何
教々々と他宗へ行って、病気になるのがある。実に不思議といふ
が、多くはそういふ関係である。此点は本当に困るのであります。
 所が、観音様は何の宗教だらうが関係がな
い。祖先の趣く所へ行く、血の池地獄などにゐても。キリスト教な
らば、イエスの側とかキリストの側等行きたい所へ行ける。之は要
するに自由無礙の観音様のお働きの一部であります。でありますか
ら、観音会へ入ると必ず病気は治る。祖先は喜ぶ。観音様は天国の
一番上におられるから、観音様は最奥天国の主宰者であるから、一
番よく分る訳である。
 観音様を祀った方は、青空に紫や金色などの雲をみたり、月と星を
みられる方がよくある。之は最奥の状態をみられるのである。要す
るに、生きながら天国に住む。でありますから、天国には病気はな
い。』
 《御垂示の説明》
この講話篇12の御講話で、天照大神様が岩戸隠れをしてから下の神
様がお守りを作って病気に対処していたという内容がありますが、
そこから色んな説明をして下さいました。
岩戸隠れの前は火素が本当に強い時代だったから病気も無かった訳
でお守りがなくても良かった時代で、火素が減少したのでお守りを
つけて擦る等をする様になったという事は体的要素が加味されない
と浄化に対処出来なくなった、光がそれだけ薄くなった、力が得ら
れないという事になる。
病気=曇りなのでそれだけ人間の霊性・人格は低下していたと考え
られる。薬毒ではないけれど、空間の中の火が少なくなるという事
はそれだけ水が余る。火と水が交わったものが光だから、光が少な
くなって力もなくなるし、邪にもやられる(p413の5行目「間違っ
た世の中に呼吸していたため」の箇所を指していました)。
そして段々薬毒が入っていったのだから説明の必要はないが、昭和
に入ってメシヤ様を大先生とか明主様とお呼び申し上げていた時期
にお守りを下付されていたというのは火素・光がMAXに現界にあっ
た時代よりちょっと低い状態にあって、岩戸隠れした後と同じ位の
光の量にまで戻って来ていたと受け取ってもいいと思う。
そしてメシヤ様がお倒れになって御浄化に入られてから『本当は御
守りはなくてもいいんだけどな。』と仰った。という事はお体での
活動が出来なくなった時は霊的なお働きがお体がある状態の能力・
活動範囲を越えて大きく強くなっていた(腹中の光が成長してしま
ってお体が限界に来た)と捉えれば、昭和29年の光の状態は既に天
照皇大神様が統治していた時代に戻る段階に来ていたと言える(お
守りはいらなくなる)。
そしてその光の量でありながらお体が存在していたという事は、今
までにいなかった最高度の光を持った人間という状態
火素の量がポイントで、光は火と水だから、救いは裁き主であり赦
し主によってなされるのだから、光の玉が大きくなってしまって御
浄化に入られた昭和29年になって「メシヤ様」として御存在をはっ
きりと宣言されたというのも納得出来るのではないか。
そこを土台に平成の今、その光の状態はどうなっているのかを考え
れば確実に浄霊にお守りはいらない訳で、ましてや光がどんどん増
えるのだから浄化力も強くなるし人間の霊性も高まる方向に向かっ
てしまう(岩戸隠れ前の状態に戻る動き)。
神様ではもう整っていて、その御意図を受ける人間が(人数は少な
くとも)いれば成立する
だからお守りなしの浄霊を追求していたメシヤ教は、本当のメシヤ
降誕仮祝典と本祝典に臨ませて頂ける様にしていかなくてはいけな
い。…という内容を説明されていました。
 この部分はしっかりと考えて頂いて、そして信者の皆さんへしっ
かりとお伝えする様にとの事でした。
 この部分は本当に重要だそうですので、まずはこれをご覧になっ
ている方々が追求して考えて貰いたい、そして信者さん方に徹底し
てあげてほしいとの事でした。