平成29年3月度 ミニ講座


このミニ講座は月に一
度、メシヤ講座とは別に当
支部で開催している勉強会
をミニ講座として会員等が
学んだ内容を掲載していま
す。

 たまには、ページ数が多
い時もありますが、どの月
もほぼA4版にして約6ペー
ジ前後でまとめてあり、1
時間程度で読めるようにし
ています。

 もし、皆さんの信仰の向
上に役立つようであれば、
ご自由にコピーして御使い
下さい。

 

 当HPのご利用に当って
は、閲覧される方の自己責
任に基づいてお願いしま
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※何か質問などある場合
は、「お問い合わせ・質問
等」の欄よりメールでお願
いします。

病原と浄霊の原理・無機から有機へ  自観
          『地上天国』27号、昭和26(1951)年8月25日発行
 本教信者になって、御守を懐へ入れ、ただ手を振り翳しただけ
で、医者に見離された大病人でも、一生涯治らないと宣告された難
病も長い間患って医療でも民間療法でも、信仰でも治らず、進退き
わまって自殺を決心するようになった者でも、浄霊によってたちま
ち快復に向い、驚異的偉効を現わすこの不思議さは、実地体験者で
なくては分らないと共にこれを目の辺り見た人達も、心境一変今日
まで散々疑ったり、非難した事などが恥しくなったり、カチカチの
無神論者も頭を下げ、兜を脱ぐという例は、数え切れない程あるの
である。だからといって、この実際をいくら口で話したところで、

仲々納得は出来ないもので、吾々は常に遺憾に思っているのである
が、そういう場合決って言う言葉は、そんな簡単な方法で難病が治
るとしたら、医者も薬も要らないじゃないかというのであるが、全
く仰言(おっしゃ)る通り、吾々からいえば医者も薬も要らないど
ころか、むしろない方がいいとさえ思うのである。これについてそ
の根本的理由をここに詳しくかいてみるが、これは信者としても大
いに知りおくべき事で、説明の必要上目下執筆中の文明の創造中の
一文を、左に転載する事とする。



      無機から有機へ

「前項に述べたごとく、病気の本体は霊の曇りであるとしたら、そ
れはいかなる訳かというに、本来黴菌なる生物は、この曇りから発
生するのであって、今その順序を詳しくかいてみるが、前にも述べ
たごとく初め透明体である人霊に、二様の原因によって不透明体の
部分、すなわち曇りが発生する。それが肉体に移写するや、時を経
るに従って濃度化し、それに病菌が発生するのである。元来曇りな
るものは大空を遮っている雲と等しく、水素の集合体であって、そ
の曇りの濃度化が、ある程度に達するや、自然に想像もつかない程
の超微粒子が発生する。特に人間の体温という好条件が助長するか

らでもあるが、これこそ無から有を生ずるのである。

この微粒子こそ実に言語に絶する程の無限微粒子であって、ちょう
ど天空の広さが無限大であるように、これはまた反対の無限小であ
り、これが宇宙の真理であるとしたら、この事が分りさえすれば、
黴菌発生の原理も自(おのずか)ら理解され得るのである。そうし
て右のごとき無限微粒子が、まず最初曇りに発生するや、漸次(ぜ
んじ)生育してゆき、ある程度に達するや、個性的無数の微粒子が
生まれる。しかも一つ一つが生命を有し運動性もあり、その時の本
質は植物性といってもいいくらいの一種のバクテリアである。


するとそのバクテリアは時の進むに従って、漸次発育し動物化して
しまう。言い換えれば無機質が有機質化するのである。この有機質
化した微粒子こそ、言わば黴菌の卵子であって、この卵子が漸次成
育して、いよいよ最初の黴菌となるのである。しかしこの程度では
まだ顕微鏡では見る事は出来ないが、これが彼のヴィールスであ
る。そうして最早生物となった黴菌は食物が必要となるので、互い
に食い合いを始める。すなわち弱肉強食という生物の自然原則で、
人間社会における生存競争と同様である。


もちろん黴菌群中にも強者が現われ、弱者は淘汰されつつ、強者は
益々太るという訳で、この強者こそ顕微鏡で捕捉され得る生長した
黴菌群であるから、私が常に言うごとく、病原になった黴菌は、黴
菌中の大きなものであるというのはこの事である。右のごとくであ
るとしたら、病気の根本原因こそ全く黴菌の発生源である無機質に
等しい霊の曇りである事が分るであろう。従ってこの曇りを解消す
る事こそ、病気の発生を絶無ならしむる方法であって、これ以外根
本的病気解決の方法はあり得ないのである。ところが現代医学は再
三説明した通り、病原である曇りの発見どころか忌憚なく言えば、

幼稚極まるものといってもよかろう。」(以上)

 右によって病原の本体は認識されたであろうから、ここでいよい
よ最後の浄霊の原理について説いてみるが、右のごとく霊の曇りが
決定的病原としたら、それを解消するより外に治病法はない訳であ
る。しかるに現代の医学は黴菌を殺す事をもって、医療の本道とし
ているのであるから、根本的ではなく末梢的でしかないのである。
これに反し吾々の神霊医術は、黴菌にまで生育しないところの、霊
の曇りを解消するのであるから、いかに徹底的であり効果的である
かが分るであろう。従って右のごとき程度の低い現代医学を無上の
ものとして、国家は巨費を投じ、専門家はその進歩に頭を悩まし、
人民は戦々競々としている悲劇は、到底見てはおれないのである。


 以上によってみても、黴菌の発生源である霊の曇りを解消し得る
方法こそ、問題解決の鍵であって、それ以外絶対ない事を断言する
のである。としたら曇りを解消するその方法こそ外でもない、今現
に驚異的効果を挙げつつある本教浄霊法である。だからこの浄霊法
とは宗教でもあり、科学でもあり、有史以来いまだかつてない不思
議なものであるから、現代人にとっては頗(すこぶ)る解り難いに
は違いないが、この論文を心を潜めて精読するとしたら、いかなる
人でも理解出来ないはずはないのである。


 そこで一体霊の曇りとは何であるかというと、その本質は水素で
あるが、単に水素といっても純なものと不純なものとがある。それ
で普通水素とは純なものを言うのであるが、曇りである水素とは不
純物が含まれており、この不純物こそ病原である黴菌の先祖とも言
うべき一種のバクテリアであるが、このバクテリアを消滅させる力
こそ火素というものである。しかし学問では水素は言うが、火素は
余り言わないようであるが、しかし水素があれば火素があるのは当
然で、これが右のごとく黴菌源を焼き尽すのであるから素晴しい力
をもっている。


そうして火素とは火の霊をいうのであるが、火素にも霊と体があっ
て、普通火素とは体であり、これはただ空気に熱を与え、乾燥させ
るだけの力である。ところが、黴菌源を焼尽すそれは特殊火素であ
るから、放射するや水素中の不純分子はたちまち分解し、毒分は消
滅してしまうのである。すなわち浄霊法とはこの火素の放射をいう
のであるから、黴菌群の根源は絶たれ、純水素のみが残り、漿液
(しょうえき)として吸収されてしまうのである。しかしここに注
意すべきは、右は、有毒分子が少量の場合であって、多量の場合は
喀痰、鼻汁、下痢、その他の固形的排泄物となって、体外へ出され
るのである。そうして浄霊の形式としては患者の患部に向かって掌
を翳(かざ)すが、この掌から特殊火素が発射されるのである。で
は何によってこの特殊火素が施術者の掌から出るかというと、それ
はこうである。


 浄霊施術者となるには、本教信者となって私が半紙三倍大の紙
へ、光の一字をかいたもので、それを小さく畳んで御守として懐へ
入れるのである。ただそれだけの事で、掌から特殊火素が出るとし
たら、人間の智慧などでは判りようがない神秘である。何となれば
その文字から発する火素が、病気を治す力があるからで、実に不思
議以上の不思議と言わずして何ぞやというべきであろう。これこ
そ、一点の誇張もない現実そのものであるから、いかな唯物主義者
といえども信じない訳にはゆかないのである。とすれば単なる文字
からそのような霊妙不可思議な力が発せられるかを、徹底的に説明

してみよう。

 しかしながらここまで来ると、最早(もはや)宗教的説明でなく
ては分り得まいので、無神論者には直ちに肯(うなず)け難いであ
ろうから、白紙となって読んで貰いたいのである。そうしてこの事
は私は今までも幾度となく書こうと思ってはいたが、余りに神秘的
で、信者以外は到底理解出来ないから、反って迷信臭く思われ易い
から、手を付けなかったが、今日は本教も私に対する社会の認識
も、余程深まったようであるから、いよいよ書く事にしたのであ
る。


 それについて私の事を書かねばならないが、そもそも私という者
は、世界の終末に際し、全人類を救い、病貧争絶無の地上天国を造
るべく最高神の御経綸の下に、主脳者としての大任を負わされたの
であるから、神は私に対して絶大な救いの力を与え給うたのであ
る。その力というのは病貧争絶無の中心であるところの病の解決で
あって、それに対する智識と力である。前者は私が今日まで解説し
て来た医学の誤謬や病理その他であり、後者は浄霊による治病の力
である。すなわち信者の懐に入れてある御守の文字と、私と霊線に
よって繋がれており、私から発揮する霊光は霊線を通じて、絶えず
御守に至り、御守から施術者の肉体を通じて、掌から放射されるの
である。一言にしていえば、御守所持者を仲介者として、私が間接
に病人を治すのである。


しからばその力の本源は一体どこにあるかというと、私の腹の中に
は、以前から知らしてある通り光の玉がある。この玉はそれまでは
玉だけの力であったものが、昨年六月十五日、日本で昔から云われ
ているところの麻邇(まに)の玉、または五百津美須麻留(いほつ
みすまる)の玉、または如意宝珠(にょいほうしゅ)の玉である。
玉とは魂であるから、その魂が右の日時に、静岡県清水庵原署の留
置所内で、天から降下され、宿られ給うたのである。この事はその
当時簡単に発表しておいたが、これを私は結実といったのである。
それが段々育つに従って、玉の力も日に月に強力となりつつあるの

である。これはその頃から浄霊の力が特に強化された事にみても、
信者はよく分るであろう。


 ただ現在その神様の御名前を詳しくいう訳にはゆかないが、いず
れ時期が来たら発表するつもりである。しかし釈尊、キリストをは
じめ幾多の聖者の予言を、よく考えてみればおよその見当がつく訳
である。




 最高度の御教え      光宝大教会 快潮
            『栄光』264号、昭和29(1954)年7月7日発行
 「偉い先生になるな、有難い先生になれ」と三日も前にメシヤ様
から賜わった御言葉を今更のようにしみじみと思い起して瞼にメシ
ヤ様の御姿を浮かべ、想念を大御前に伏せる私でございます。十五
年の歳月を経た今日未だ以てこの御教えに添い奉ることもできえず
彷徨する我が姿に戚然としたものを感じ、沈思再考の一時を過ごさ
せて戴くのでございました。


 有難そうな先生のあり方をあれやこれやと想像してみている間
に、その想像の姿の中に一貫した驚くべきものがあるのを発見する
のでございました。まず、怒らない、常に春風駘蕩、偉そうなこと
を言ったりしたりしない、御奉仕のあり方や御取次の数々の中に決
して自分を織込まない、いつも純一無雑の奉仕者のあり方で淡々と
している、しかも言われる言葉が気持よく聞けて得をする事が多
い。叱り方が上手で気持がいい。


 以上のような想像影の幻がフッと消えて「う!う!ん」と腹の中
から声が出るのでございました。入れ代って映る現実の私の姿はお
よそ及びもつかないものである事に気が付いた吐息であったのかも
知れません。

 「有難い」ということば最高度のものであったのでございます。
「有難い」と思う想念、感情は御力の本元であらせらるるメシヤ様
御一方に捧げ奉る想念であらねばならないものであることを覚らせ
て戴いたのでございます。

 メシヤ様は私に最高のあり方を御示し下されたもので、恐れ多い
事でございました。私は御神前に額づいて改めて御願い申し上げた
のでございます。何卒好ましい先生になれまするよう、よりよき取
次者にならせて戴けまするよう、しばし祈念申し上げるのでござい
ました。




  私の体験から得た信念(入信)
           『地上天国』5号、昭和24(1949)年6月25日発行
  奈良県北葛城郡河合村字佐味田 日本五六七教青心会 教師 青木賢吾(49)

 私は二十余年前腸チブスを患い、九死に一生と言う運命に遭遇、
爾来胃腸障害のため、十数年間は徹底的に養生した。百姓の息子で
有ながら農業せず、ある会社に勤め近代科学による養生は十二分に
した。 昭和十九年七月戦争中は、航空機部品製作会社の勤労課長
の職にあり増産増産と呼掛け、一方村では村会議員翼賛壮年団長
等々々の要職に就き。これまた大成翼賛を説き、協力しておったそ
の折、持病の痔核(キレジ)が出血し初め日々激しくなって来た。
医師により注射呑薬等続けながら勤務し、出血は量を増し貧血する
と言う状態、遂に床に伏した。会社の事や村の事が心に掛るが体の
自由はきかない、残念ながら毎日注射専一に静養するも一向血は止
らない。その所弟(青木賢次教師補)が当時大阪寺田町。岡本万治
郎様方で日本療法と言う指圧のような手を振ってどんな病苦も治る
法を修得してやっているとの事「ナニ弟が病気治しの療法、馬鹿な
事言うなそんな事位で治るものか」と耳も貸さなかった。しかし弟
は私の状態を気にして時折見舞ってくれ、治療をしてくれた。確か
に気持は好いが後で出血の量は増す。どうしても出血は止らない
日々衰弱するばかりで最早便所も一人で行けなくなった。


 当時大阪にいた堀中教師補も来てくれ弟と二人で私に日本療法を
奨める。私は苦しさの余り「では御願いします」と言ったものの注
射は止める気にもなれぬ、それで二人で大阪の岡本様方へ相談に行
ってくれた。岡本様も知合の仲とて曰く「奈良の青木様は頑固者だ
から頭を下けて御守を首に掛けるまでは血は止らんよ」との事で来
てくれない。今は死に迫らるるの時に妻は決心し、弟堀中氏等に連
られ当時の講習を受けた。二日目に渋井先生より御守を授けられ私
の分は代理で治病の御守を戴いて帰った。その御守をかけるとその
日二ケ月続いた出血が止ったのである。そこで私も心動き翌月箕面
町高木様方へ三日通って渋井先生より御話を三十分間聞いて御守を
授かった。


 その時今の管長先生は『世の中は急速な未曾有の転換をなしつつ
ある、我々は理論を後にして結論を先に考えるのだ、病気は治れば
よいのだ。まずやって見ればわかる』などと言われた事を覚えてい
る。三日目は小泉先生に治療を受けまた種々質問した。先生も「質
問よりも実際やって聞きなさい、青木様はとても悪い体ですよ」と
言われ「ヨシヤロウ」と決心しその夜から未だ病後の衰弱の体なが
ら勉強した。まず実行と家の者出入の者誰でもつかまえて治療を致
し、午前七時より午後五時まで会社勤め五時より出張治療に毎夜十
二時まで自転車で走った。その後毎月渋井先生小泉大西両先生に指

導を受けあるいは岩松先生が関西指導に来て載くようになったので
種々御指導賜った。その都度更に懇切に理論より実行の尊い事を説
かれた。私のような者でもやれば治ることを確信し治療してあげる
と病人の喜ぶを如実に見せつけられてついに決心した。


 色々の反動もあって身を切られるような思いもした浄化浄化浄化
と引切なしに続いたその度に管長先生は「青木様しっかりやりなさ
い」「有難う御座います」を言う調子で渋井先生は肉親の如く岩松
先生は兄の如く御慈悲と御指導を受けた。終戦前大和高田市に出張
治療所を設け一日六七十人もの患者が来るようになった。患者も肋
膜、急性中耳炎、盲腸、横痃、大腸カタル等数限りない。しかし全
部奉仕的でやった時には私自身浄化を受けた。かくて宗教法人観音
教団となってまず謎が解けた。やはり指圧でなかったのだ。指圧治
療して浄化させて治る等の数々の不思議は徹底的に解決した。「観
音力サンエンス」のあった事、これこそ真の高度の宗教だ霊体一致
これこそ絶対だ。私は常に思っている療法当時先輩の先生方で治療
法を研究する人がある中には古い書物を研究して話の材料を研究す
る人もあると聞いた、しかし研究する必要はないと考え全く研究し
ない。なぜなれば我々は大先生渋井管長先生の御指導どおりにやれ
ばよいのだ。大先生管長先生の御指導が不十分と思うから研究する
のだろうと解釈したからである。疑念は大先生に管長先生に御伺い
御指示を頂けばよい、治療も浄霊も経済も農業もあらゆる方法も御
指導通りにやればよい。


 私は常に思い常に言います、自信のない信念の無い将来性のない
事と思ったなら止めればよいと。自信信念将来性を認識出来れば身
命を忘れてやれと「助けてもらえるなら」などとは余りにも意気地
がない。我々には各々先祖以来の宿命がある自己の運命もある。過
去を顧みて現在の境地を観て一方今の会社を観て、世相を観て観音
様に頼らずして救わるる道がありましょうか。私は救われたと同時
に偉大なる治癒力をも戴いている。救って救ってやってやって最後
は神の審判に御まかせするより他はないと信ずるに至ったのであ
る。