岡山支部7月度メシヤ講座

【岡山支部7月度メシヤ講座】

   平成三十年六月十五日「新紀元祭」意義と想念のあり方

〇本祭典に至るまでの経緯
従来この六月十五日は、昭和六年、鋸山における夜昼転換の御神事に始まり、昭和九年、東京日枝神社に天照皇大御神様を御迎え、御鎮座せしめた御神事、昭和二十五年、庵原刑務所内の独房にて、メシヤ様腹中の光の玉へ、最高最貴の御神霊が御降りになったこと等、主神様とメシヤ様とでなされた最重要な、しかし秘やかな御神事の日であったわけですが、昭和二十六年同日、箱根日光殿において、初めて教団挙げての祭典形式をとり、箱根神仙郷完成の昭和二十八年、「箱根地上天国完成祝賀記念祭」として執り行って以降、「地上天国祭」の名のもとに、メシヤ様を教祖と仰ぐ人々が、今日に至るまで連綿と祭典を執り行って来た日、節分祭とともにその年の霊界が切り替わって行く、一年の節目にあたる日
であります。
さて、昨年から本年にかけて、我々メシヤ教一同は、神界からの御垂示のもと、昭和と平成をつなぐ神事祭典を執り行わせて頂き、昭和における取りこぼしの数々を、それぞれ取り戻してきた訳ですが、取り戻すべきことは、未だ残っているようであります。
ここで、改めて昭和の立教より今日までの流れを振り返ってみますと、六十三年の時を経て昭和と平成をつなぐ事態とならざるを得ないであろうことを、メシヤ様はかなり早い時期から認識され、どう転んでも良いように、絶妙な布石を打たれていたことに気づくのであります。
それは、昭和二十五年の御法難に始まりますが、事件後官憲の拘束を解かれたものの、この間誰一人救出の手立てを加えず、その後も御休息名目で軟禁に近い状態に、メシヤ様を押し込め奉った教団幹部の仕打ちに、一切の御下附物、御神体、御光等御揮毫の停止、御論文の執筆停止、一切の面会の停止を御決めになった凄まじい御怒りは、何を意味していたかということであります。
本来メシヤ様が作りたかった「神意を骨とし、人間生活を肉とみる」者たちで作った教団とは、あまりにもかけ離れたその姿に、最悪の事態を想定して、将来へと道をつなぐ布石を御考え始めたのがこの頃ではなかったかとご推察申し上げるのであります。
その後、心ある者達の心底からのお詫びにより、メシヤ様は御神業に復帰されますが、理想の教団とは程遠い現状から、様々な布石が打たれており、もはやそれは昭和のためではなく、はるか後の平成に望みをつなぐものでした。
井上邸での御神事がまずそれであり、神事の細部は既に皆様ご承知のことから割愛しますが、御神事を終えられて後、「これで人類が救われることになる。」との将来を思わせる御言葉にすべてが現わされており、それは、我々が頂いている主神様の御神体と、代表楳木師以下我々メシヤ教の活動に結実しています。
また、我々が、この一年行ってきた昭和の取り戻しのための数々の祭典も、今振り返ってみると、二重の取戻しの形になっていることに気づきます。
本来三が三つ揃うみろくの日である昭和三十年三月三日に、「メシヤ降臨祭」と称し、一回きりで済んだであろう祭典を、わざわざ六月の仮祝典と三月の本祝典とに分けて二段構えとされ、しかも本祝典を見ることなく、御昇天遊ばされて、神界からの御経綸に移行されたことは、昭和の失敗を既に見通されてのことであり、六十三年後の平成の世に、次の者達が大事なくこれを取り戻すことができるようにとの御配慮以外に考えられないことです。
また、この仮祝典の日であった六月十五日も、昭和二十八年頃から、御面会、御講話時の御言葉の端々に、「新しい紀元ができる」、「世界の建国祭、世界の紀元節」「新紀元の元年」等と見え始めていたことから、夜から昼へと太陽が昇るように、太陽神である「天照皇大御神様」を御迎えし、御迎えのみにとどまらず、新紀元の元旦、即ちみろくの世の始まりの日として、新たな御経綸に移行する祝祭日が想定されていたはずですが、当然、昭和においては仮祝典にとどまり、現界の「霊」に「大御神様」をお迎えしたのみで、以後六十三年を推移し、平成二十九年、我々の手で、現界の「体」にお迎えし直したのは、記憶に新しいところであります。
メシヤ様の御想定では、本来この日は、理想の教団による新紀元の日であったわけですから、昨年、平成二十九年の六月十五日は、実はその半分しか取り戻したことになっておらぬ、我々の想念もこの日が新たな世の紀元節であり、真の岩戸開きの日であるとの認識にまで、高まってはおらず、一年の御猶予をお願い申し上げる結果とならざるを得なかったと云うことになります。
今にして思えば、誠に恐懼措く能わざるところではありますが、以上のことから、本日のこの祭典は、これから始まる昼の三千年の紀元元年を取り戻し、本来メシヤ様が想定されていたであろう「新紀元祭」といたしたいと思います。

〇本祭典の意義
また、この一年の遅れの現界への反映が、今上陛下の御退位と皇太子殿下の御即位の年が、当初平成三十年として検討されつつも、結局三十一年へと一年延びたところにも符合しております。
昭和と平成のつなぎ終わりは、メシヤ様と今上陛下の御生誕日の一致、御名の「明」の字の一致等、その関係の深さから、その御退位をもって、肉体を持たれていたメシヤ様の現界における御経綸に、ようやく一区切りがつき、その後の新たな御代における、大弥勒様、大メシヤ様としての御経綸が始まることとなるわけで、誠に御手数を御掛け申し上げたことに、お詫びの言葉もないのであります。
主神様はその御光の加減を、太陽神の御働きを通して表すことにより、太初よりその御経綸を行っておられます。
メシヤ降誕宣言の二カ月後の、「メシヤとしての活動を十分に尽くされない感があるから、従来通り明主の言葉にて唱えるように」という御言葉に現れているのは、宇宙を照らす全開の太陽神の御働き、即ち「日」と「月」を結ぶ強烈な立て別けと浄めの光となって地上に降り注ぐ「裁き」と「赦し」の御働き、即ちタテの御働きも、その光の力に助けられて地上における「救い」の働き、即ちヨコの働きを担う人間、「地」から生まれた人間が、この太陽神の光自体を恐れ、拒否してしまっては、日月地のみろくの救いも、増してや、「裁き」「赦し」「救い」の全てを司るメシヤの御神力も、発揮できようはずもなく、主神様の御意志の地上における実現は、実は人間のあり方次第にのみ委ねられていると云う、
実に単純な一事なのであります。
とすれば、本日のこの祭典の意義も自ずから明らかであり、主神様の大愛そのものであるその御光を、太陽神の実在とともに、我々が受け入れるか否かであり、御神意と人間の理想との一致、みろくの世、地上天国の建設如何も、この点にのみかかっていることを見出すのであります。

〇本祭典挙行に伴う変更点
これらに鑑み、我々が神様に繋がる唯一最高の手段であり、真向かう人間が神界に向け発する、最上の祈りと誓いの言葉である「天津祝詞」及び「善言讃詞」については、本来メシヤ様が理想とされた教団への復興を志す者たちが奏上し、御力を頂くに相応しいものとする、絶好の機会にあるとの認識から、御在世当時の言霊に戻させて頂くことと致します。
見かけ上は、振り仮名を付されている「訓み」のいくつかを変えるに過ぎないこととなりますが、かつて昭和の初年、熟考を重ねられ、これ以上ないまでに昇華せしめて、メシヤ様が我々に御下しになられた、最高の言霊で綴られた祝詞類を、人間側の都合と浅薄な解釈により、不敬にも改変を繰り返してしまった我々の罪を、ここに改めてお詫び申し上げ、御在世時の本然の姿に戻させて頂くことにより、新たな紀元を迎えた人類の再出発の象徴と致したいと存じます。
〇本祭典挙行に伴う想念のあり方について
以上を踏まえ、新たな三千年の始りである本祭典は、箱根においては主神様の御神体に対し奉り、その御名ともに、昨年の本日、十分な見識も自覚もなく、ただ神界の命じるままに祭典を執り行うしかなかった我々の為体にも関わらず、天照皇大御神様をこの地上に御降し下された、その大愛への感謝を改めて申し上げますとともに、本日以降、教団の別、国の別、宗教の別を乗り越え、一層大きな想念とともに、主神様の御意志に沿い奉り、この地上のより多くの方が救われますよう、この御神業により多くの方が携わり、共に歩むことが許されますよう、そしてその「救い」の御働きの一部に加えて頂けますよう、謹んで祈願し奉るものであります。
次いで熱海においては、昨年はお唱えする御神名について、太陽神の御戻り、その御力の根源である太陽黒点の表象たる天照天皇(あまてらすすめらみこと)の御戻りを強く意識し、「あまてらすすめらおおみかみ」と称えさせて頂きましたが、霊体共に完全無欠の太陽神の御姿で、この地上に御降りになられた今、より広く大きく、皇祖神すべてを包含する「あまてらすすめおおみかみ」に改めさせて頂き、その御名とともに、メシヤ様の御尊影に真向い、メシヤ様をメシヤ様たらしめている天照皇大御神様を、直接拝する想念を以て、その太陽の光の燦燦と降り注ぐ果てしなき愛情に対し、数々の御無礼を働いてしまったことを、改めてお詫び申し上げ、本日以降、世界大にまで拡がるその愛情と救いの御力に沿
い奉り、我々がその御手足となって働かせて頂くことを、茲に改めてお誓い申し上げ、神意とともにある、真に神の代行者たる人類の、新たな三千年の劈頭の「祈り」とし、三千年の長きにわたる夜の岩戸を、ここに押し開かんとするものであります。

 (※支部長の話の内容は、カット)