岡山支部5月度メシヤ講座

【岡山支部5月度メシヤ講座】

支部長:意義と想念の在り方を学んでいきたいと思います。昨日骨子ができあがってきたので太陽神の学びを印刷させて頂きましたが、今日は太陽神の学びをする時間がないので、勉強会の時にするか、できなければ自分達で読んで学びを深めていただければと思います。太陽神のことについては、資料も作らせていただこうかという事で準備を進めている所ですので、中旬くらいには皆さんのお手元に届くようにさせて頂こうと思っています。この6月15日に向かって非常に大切な内容になってますので、6月15日は天照皇大御神様をお迎えさせていただく、また復活して頂いた皇大御神様に対する感謝と更なる強い御光を発揮していただく日でもありますので、そういった意味で神様のことを知るという意味
合いで今回の骨子ができています。少し内容がわかりにくい所がありますから、それはまた資料という形で提出させていただきたいと思いますので、是非学びを深めて6月15日の意味合いが分からず参拝するという事がないように進めていっていただければと思います。
それでは5月5日の意義と想念の確認をしながら話を進めていかせて頂きます。

〇本祭典に至るまでの経緯
平成二四年以降、我々が「新本部竣成記念大祭」として執り行ってきた、この五月五日の祭典は、今回より「世界救世(メシヤ)教復興祭」といたします。
これに先立ち、まず、五月五日の意味合いを申し述べますが、我々の御神業は、昭和の始めに遡る大日本観音会の発会を嚆矢として、幾多の変遷を経つつ現在に至っておりますが、この間、現界における重要な御神業の節目には、必ずと言って良い程、この日が当てられております。
三月三日の節句で咲いた桃の花が、五月五日の節句に桃の実として形となり、更にその桃の実から生まれた桃太郎が、鬼ヶ島の鬼退治に行くがごとくに、新たな働き、新たな黄泉比良坂の戦いが、この日から始まって行く訳です。

支部長:ということで3月3日にメシヤ様をお迎えさせていただいて、お迎えさせていただいた事によって桃の花が咲いたと、そしてその花がいよいよ実となって結ぶ日が5月5日なんだということでメシヤ様が桃太郎として鬼退治を始めていく日なんだという事ですね。それが実は5月1日からすでに始まっているということなんですけど、そのことについてこれから話しが出てまいります。続けて、

振り返れば、昭和一〇年元旦、大日本観音会発会を受けて、その五月五日には、麹町「自観荘」にメシヤ様は御移りになり、御真筆のお守りとともに、万人に分け隔てなく浄霊力を付与することを御発表、現代に繋がる手かざし型の浄霊法確立を見て、人類の具体的救済の第一歩が記されたこと、また、昭和一九年五月五日、箱根神山荘にメシヤ様は御移転、地上天国の型となる神仙郷、瑞雲郷の建設に御着手、地上天国建設の第一歩がこの日であったこと、そうして、その後現界における御経綸を終えられ、御昇天の後、神界での御経綸に移られてからは、メシヤ教発会に際し、代表楳木師に主神様の御神体を賜い、初めてこの〇にゝの御神体が掛けられ、世界救世(メシヤ)教復興に向けての御神業が始まったの
が平成十一年五月五日、その後、新本部の竣成が許され、復興の御神業が本格化したのも、平成二十四年の五月五日であり、以後、記念大祭を重ねつつ、現在に至っているのは、皆様ご承知の通りであります。
さて、我々のこの一年は、昭和を平成へと繋ぎ、三千年前に御隠れになった神様を、昼の時代にお迎え申し上げる祭典神事に専念したかの感がある一年でありましたが、本来我々の使命が「みろく」の世、地上天国の建設であり、その途上の審判時期における人類救済であり、その第一段階たる世界救世(メシヤ)教の復興にあることは、何ら変わるものではありません。

支部長:この中には書かれておりませんけども、昭和5年の5月5日もメシヤ様が、大本の祭官として服装を整えられて、弥勒塔の下で祝詞を奏上して神事を行ったという大変重要な日になっております。午の年の午の月の午の日の午の刻ということで、ある決まった日にしてるということです。それから明治、昭和、平成とかの年号というのはその時の神様の御経綸を表してます。昭和というのは日を召して、光でもって平和にしていくという働きの経綸をする年号だという事で、平成は平らに成らしていく、そして何年何月何日とありますが、何年というのは神界の働きを示します。神幽現の神、日でもあり火素でもあります。そして何月というのは幽界、水の働きそして月の働きを表します。そして何日は現界
の経綸を表していく、要するに土の働きであったり地の働きをします。ですから何年何月何日というのはその日に非常に意味があって神様のお働きというものが進んでいく時なんだと、ですから平成30年の3月3日という日は3が3つ続くのでミロクという事でいよいよ神幽現が整って一体になって地上に働く時なんだという事であるようです。そういった意味で理解しておいて頂ければ良いかと思います。ですからこの5月という月は非常に大切で、10年という年もですね、10は結ぶですから、神が結ぶ。神というのはタカミムスビとカムミムスビという太陽神の中にもあったように結びの働きをするのが神ですから、そういった意味で10年という年は非常に大切になってきます。そしてこの5月に浄霊法
が変わっています。今まで御手代で浄霊したり言霊で治したり、それまでは肌に触れて浄霊しておりましたが、この10年の5月からお守りを掛けると共に体から手を離すという浄霊法に変わっています。

そしてメシヤ様御自身は手を体から5~6cm離されて浄霊しておられました。しかし弟子達は手が体に付くか付かないかというスレスレのところで浄霊していました。そのように浄霊の力というものもメシヤ様と弟子とは違いますけれど、浄霊の距離も変わってくる。ということになると昭和20年頃から後になってくると浄霊する距離というものが、浄化療法の時は10cmくらい離して浄霊しておりました。ということは火素の増量と共に手を離す間隔というものが変わってきてるということです。そして昭和25年以降の浄霊というのは30cm~60cm、1尺から2尺距離を保つようにと言われています。それも火素の増量と共に光の量によって相手との間隔を測って浄霊をしていたという事です。その
ように全て光の増量によってメシヤ様の御経綸というものは、その時その時で浄霊法も変わって来てますけど、御神格も上がられておられるのと一緒で光でもって変わっていく・・・ですから我々も光でもってこれから変わってくるということなんです。それが去年までは神々をお迎えしてなくてメシヤ様をお迎え出来てなかったのでそれができなかったのだと・・・だからこれからは光でもって自分達の夜の時代に身についたものを溶かしていくと、これは火の力でなくてはできないですので、そういった意味では光の強い所に身をおくように心がけるということが重要です。ですから自分の家にある御神体も強い光が出ているんですけども、光の強い所は大中小ありますので、大は本部であり、中は教会あるいは
支部、小は家庭だということですから、できるだけ光の強い所へ自分達が求めていくような姿勢で光を頂いて、自分の心の中を洗わせて頂き想念を変えていくという営みが出来てくれば良いのではないかと思います。

それから今の段落で大事な所は最後の、本来の我々の使命はミロクの世、地上天国を造っていくということで、その最初の段階として世界メシヤ教の復興にあるんだということですね。その為に神様は我々に霊籍の向上というのを求められております。なぜなら霊籍の時処位によって働く所が変わるという事です。霊籍が高ければ高い所から色んな人が救えますけど、霊籍が低いと低い時処位でしか働くことができない。そういった意味で霊層界を一段でも上げるように、そしてメシヤ様との距離を縮めるようにと言ってますけど・・・自分が神様と真向かう、その為にこの一年間の猶予を頂いておりますので、そういう姿勢で改めて自分はメシヤ様に真向かっているのかどうかというのを見て頂いて、それにはまず
今の自分はどうなのか、今の自分の信仰がどうなのかということが分からなければいけないので、そういう所を自分で審神して頂いて、こういう所がこうだという事であればそこを治す努力をしていくということが人間として一番大切なところと言いますか、人間らしい姿勢ですから、そういった意味でコツコツと進めていっていただければ良いのかなと思います。続けて、

それには、神様の御戻りと御力の発揮が不可欠であるために、まず取り組んだのが、この一年の御神業でありましたが、神様の御戻りは太陽神の御光無しにはなし得ず、かつての昭和の押し込めや停滞も、主神様がコントロールなさるこの光の状態如何にある訳で、現界における太陽神の御降臨の日、すなわち天照皇大御神様をお迎えする六月十五日、その直前の、この五月五日こそ、太陽神御降臨を前に、神界では「五六七(みろく)」の「五」、「日月地(みろく)」の「日」に、大聖観世音様が宿られる重要な節目の日である訳です。
その大聖観世音様から御出世され、神幽現一体の昼の御経綸を司る大彌勒大御神様として、メシヤ様を御迎えしたのが、本年三月三日の本祝典でありましたが、その大きく開いた桃の花を受け、次いで、桃の実の節句であるこの五月五日は、我々がお迎えし、桃太郎であり、千手観音様であり、最勝妙如来でもあられるメシヤ様に、我々が、家来である犬や雉や猿かのごとく付き随い、三千年の桃の実を取り戻すべく鬼ヶ島に迎い、観音様の千手の御手の一つであるかのごとくに働き、最勝妙如来様とともに必ず勝つ我々の決意と覚悟を、すなわちメシヤ教復興の第一歩を、実際に踏み出す日である訳です。
これまでの一年の歩みは、三月三日の本祝典と、メシヤ様の御出ましで完結するのではなく、御出ましになったメシヤ様に付き随い、第一歩を踏み出す我々の自発的な決意と実行によってこそ完結し、次なる御神業の進展を見る訳です。


支部長:3月3日にメシヤ様をお迎えしたので、一つの経綸としてキリがついて次に場面が変わっていくというのではなくて、3月3日を受けて桃の花が咲いて桃の実が実って5月5日に第一歩を踏み出すことによって、その人間側の意志を受けて皇大御神様が6月15日から新たに更に強い光でもって我々の御神業を後ろからバックアップしてくださると言いますか、そのようなリズムでこの6月15日から変わっていきます。そういった節目の大変大事な5月5日という日だったわけです。その参拝日に多くの方々が参拝を許されまして非常にありがたいなと思っております。第一回目の5月5日の参加者の人数報告が24~25日にありましたが、その時の数字が101名でした。要するに、もも(百)のはじ
め(一)です。桃太郎の経綸がいよいよスタートする始めなんだと。メシヤ様も御教えの中で参拝者が369名とか、献金が56万7千いくらという型で神様が示されて、その方向で物事が動いていくんだという事を言われてますけども、この5月5日も大変大きな節目の参拝日になりました。
そして我々というものは、まず第一歩を踏み出す自発的な決意と実行によってこそ、と書かれていますけども、この決意が5月5日に求められていたんだという事です。参拝の前に意義想念を読んでですね、想念を正して参拝に臨みましたけども、犬猿雉のような姿勢で我々が臨めるかどうかという事が非常に大切なので、これはこの前にも言いましたが、鬼を平らげる三要素をメシヤ様はここで仰っておりまして、その三要素というのがこの犬猿雉に例えられていますね。
犬というのは忠犬ハチ公というように忠実という事、メシヤ様に対して如何に忠誠を誓って忠実なのかということを犬に例えて仰ってます。
そして猿というのは、猿知恵というくらいですから当然知恵を働かせて物事をやっていく・・・御神業を進めていく上において人を救う上において、又は家庭、家族の和という事を考えた時にやはり知恵を働かせながら、奥さんであれば御主人に気持ちよく働いてもらう、御主人であれば家の中にいて奥さんに気持ちよく家事をしてもらえる、そういう環境を作っていくということ一つ取ってみても知恵がいります。何でも思いのまま言いたい放題言ってたらグチャグチャになっちゃう。また他人を救う場合でも、その人が何を求めているのか、どういう事を知りたいのか、知りたくないことを話しかけても迷惑がられて去って行っちゃいますからそれも知恵がいります。そういった意味で自分に今どれだけ知恵がつ
いているのか、どうやったら神様から知恵が頂けるのかという事を考えていただければと思います。
そして雉というのは俊敏性、すばやく動きます。メシヤ様のお言葉で言うと巾着切りのようになれというお言葉が雉のような働き、何事も素早く対処できるということが求められています。素早く動くという事は魂が軽いから動けるわけで、鈍魂であれば重たいからなかなか動けないという事になってきます。そういう自分であるかどうかということが一つあります。
そして自分はどうなのかと・・・この三つに共通してるものが一つだけありますね。それは何かというと御教えです。知恵を頂くのも、お祈りをしてメシヤ様から御教えを頂いてハッと気づいて知恵を頂く、そして忠実というのも御教えに添った自分の心言行であるかどうかということですね。俊敏性もそうです。全て御教えを通して頂けるものですので、御教えから眼を離さず我々は進んでいかなくちゃいけないんだという事がこの中で理解できるかなと思います。

〇本祭典の意義
一方、翻って見れば、我々自身が、犬や、雉や、猿のように、鬼ヶ島に向う桃太郎に付き随う決意と覚悟があるか、また、多種多様な御働きをなさる千手観音様の、御手のひとつになりきれているか、その想念と現状の如何を問われれば、その認識の甘さと不覚悟を認めざるを得ず、かかる現状から、我々が、真に大彌勒様を御迎え出来たとは、未だ言い切れないことを深く恥じ入りつつ、そのお詫びとともに、我々一同の今一年の向上に向けての御猶予をお願い申し上げたところであります。


支部長:ですからこの一年間の猶予というのは我々の信仰姿勢をステップアップさせるために猶予を頂いてるのだと理解していただいて、この一年間をどのように過ごすかということが非常に大切になってきます。ですから一人一人が神様と自分との関係というものを見つめて、それを一つ一つ積み上げて気付いていく、そういう大切な一年になるということです。
どのように気づいて積み上げていくのかというのは、それが一人一人の課題になっていくということです。

来年、平成三十一年五月一日には今上陛下が御退位遊ばされ、徳仁(なるひと)親王殿下が御即位、新たな御代が成り(なり)ます。神界現界は真に一致し、「みろく」の世に向けての建設と破壊は、同時に進んで参ります。その日から、人間側の準備の如何に関わらず、我々がお迎えした神様の新たな御働きが始まることを受け、地上経綸の「体」を担う人類として、その五日後の五月五日には、我々メシヤ教一同が、代表楳木師の御志を継ぎ、世界救世(メシヤ)教復興の急先鋒として、一人一人が立たせていただくために、本日、如何なる覚悟で本祭典に臨ませていただくべきでありましょうか。
それは、本祭典を世界救世(メシヤ)教復興祭と位置付け、これまでのお詫びと誓いを、直接復興の御神業に繋げ、我々が自ら、我々の意志と決意をもって、形にして行くこと以外には、あり得ないと思料するのであります。

〇本祭典挙行に伴う変更点
この復興の初日に際し、千手観音様の御手のひとつである金銭財物の御働きを司っておられる「メシヤ大黒天」様については、「みろく」の世建設への第一歩に際し、これまで以上の御働き、観音様の御働きへの御出世をもにらみつつ、時宜に適した呼び名に替えさせて頂く時期となったことを踏まえ、本祭典から、「みろく大黒天」とお呼び申し上げたいと思います。

支部長:大黒様については「メシヤ大黒天」様という御神名から「みろく大黒天」様という御神名で奏上していただければと思います。観音様がメシヤ様に御出世なさったように、大黒様も観音様に御出世されるということを伺っております。その時宜については具体的にはまだ聞いておりませんけど、そういうことで御出世もにらみつつという表現になっております。それで「みろく大黒天」様という事でお願いしていただければと思います。

〇本祭典挙行に伴う想念のあり方について
以上、縷々申し上げましたが、我々は、本年二月の節分祭立春祭におけるお詫びと復興への誓いを、主神様に御聞き届けいただいた、その表れが、三月三日の本祝典における大彌勒様、メシヤ様の御出ましであったことを受け、我々が真に今後の御神業への覚悟と決心をもって、自ら第一歩を踏み出し、神意を具体的に形にして行く日が、この五月五日であるとの認識に立ち、これまでの主神様の御経綸に深く感謝しつつ、復興の誓いを新たにし、その具体的な一歩を踏み出す決心と覚悟を、主神様の御神前に、謹んでお届けしたいと思います。

支部長:真に今後の御神業への覚悟と決心をもって、ということがありますけどもこれが非常に大切なんですね。我々人間というものは神様からのお働きがなければ何も分からない、メシヤ様の御教えによって色んな事を知らせていただいている。実際にはですね、人を救うと言っても何もできないのが人間なんですね。まずはそういう自覚を持っていただきたいなと。そしてその自覚の下に我々に一つだけできることがあるんですね。それは「決心する」という事です。ですから、メシヤ様がこう仰ってるんだから教えの通りにさせて頂こうとまず自分自身が決心するという事。決心するその心根を見て神様がその人間に力と光を与えてくださるわけですから、それで物事が動いていきます。その決心がなかったら
、または決心が足りなかったら三日坊主で終わってしまい御守護を落としていきます。5月5日にはこの決心を犬猿雉のごとく付き従うことを求められていたんだという事で理解して頂ければ良いかと思います。
それから今皆さんの手元に当日あげた御賛歌をコピーしてお渡ししておりますけど、最初の5首というのは桃の実と書いてありますよね。これはメシヤ様に対して我々の気持ちをあげたものです。その後の5首はこれからの我々の決意と心の在りようというものを捧げたものです。そういった意味で前から6首目のところに「日之本の 真の医術 現世に 再び現れます時来りけり」とありますね。これは去年の12月23日の祭典を受け、平成と昭和が繋がって神界が動き出しました。それでこの3月3日の祭典に繋がるんですけども、浄霊も今まで奇跡の出なかった浄霊がメシヤ様御在世中のような奇跡が頂ける時をこれから迎えていきますので、そういった意味で、我々も浄霊を軸にしてやらせていただきます
という決意の表れとしてこの歌をあげさせて頂きました。それから後の3首というのは、とにかく今神界は大変なことになってまして、邪神界は暴れまわっております。一人でも人間を引き落とせば大手柄ですから色んな人間を引き落とそうとしてます。当然ですが皆さんの心の隙、我々の隙も狙っていますのでその隙にやられないようにして頂きたいと思います。やられないようにしようという事で「曲は隙なく狙ひつめ居り」というお歌をあげて、そして「誤れる 道や心に 気付かずば やがて滅びむ神の審判に」ということで、我々はみんな正しいと思ってやるんですね。しかし正しいと思ってやることが御教えに沿っていなければ、そして時期というのもありますので、その判断を誤ると邪神にやられてる
ことと同じことになってしまうので、そういう事に自分自身が気付かなければ審判のときに滅びていくと。ですから自分の心、言葉、行動、想念をよくよく見て進んでいくためにこの歌をあげさせて頂きました。「よそ見をするな」というお言葉を頂いておりますが・・・要するに、人の事はいいから自分自身はどうなんだという事を常に見て欲しいということだと理解して頂いて、心して進めていって頂ければと思います。そして「厳かな 神の審判に許さるる 人にこそなれ身霊清めて」ということで、霊層界を上げて欲しいという要望が神界からありまして、上がらないと使えないという事ですので。それと「礼節と 順序を守る 事にこそ 観音行の要ありける」ということで、人間としての在りようをこの
歌に乗せて自分達の姿勢というものをちゃんと見ていくということでこのようなお歌を載せさせて頂きました。(中略)

支部長:一番問題なのは自分が信仰者だと、神を信じてると思い込んでいる人が殆どなんですね。ところが神界から見ると無神論者に見えると言われてます。そこが一番のポイントなんです。有神論者だと思い込んでいる自分のズレ、無神論者的要素を自分で気付いて自分で正して本当の有神論者に近付いていく、そのことがなかったら次に進めないということのようです。そのためには自分が本当に神様を信じているのかどうかという所を今一度神審者して欲しいんです。その判断基準は御教えです。御教えにこう書かれているのにしていない、自分の思うようにやっているという事が結構ありますけど、御教えの実践という部分ではただ浄霊にいくとか人に自然食を伝えるとかそういうことも実践なのですが、ま
ず人としての実践の部分も実践なので、メシヤ様は朝起きたとき家族に挨拶をするという事から始まって、家の中を整理整頓キレイにするという当たり前のことなのですが当たり前のことも生活そのものが全て信仰なんですね。そして人から聞かれたり投げかけられた問題を解決していってあげるということが一番大切な部分になってきますね。そういったことを我々がやっていくにはもっと神様という御存在を知らなくちゃいけない。そういった意味でもっと御教えに求めていただいて、御教えにあるお言葉はできるだけ実践できるように努力をしていくということが神様を認めた人間ということになっていきます。それを、御教えにこう書いてあるのに自分が思うことをやるというのは神様を認めてないという事
になってしまいますので、そんな自分ではダメなのでそういうところを切り替えていって頂きたいです。(後略)